第244話 臆病者のおくりもの
翌日、朝日が魔王城の壁面と敷地内の一画に広がる庭園を照らし始めたころ。
魔王城の中は広く、時間があったため、散歩がてら俺はこの大廊下を歩いていた。
ルシウスさんの書斎へ向かう時に利用した廊下とは違う仕様と広さの大廊下だ。
ゾウくらいなら歩かせて問題ないんじゃないだろうか? 床がどうなるかは分からないが、壁が壊れることはないだろう。
しばらくすると左側に見えていた白い壁が途切れ、柱に変わる。等間隔に次々と置かれた長く太い、白い柱だ。それが天井高くまで伸びている。
そしてそれらの柱が囲んでいるのは、舞踏会を開けそうなほど広々としたホールだった。
広い以外には何もない。おそらくそういった行事で使われる空間だろう。
さらにしばらく歩くとホールを通り過ぎ、またさらに歩くと次は右側に中庭――大庭園が見えてきた。
その頃には正面に、離れていても分かるほどの大きな鏡を見つめるルシウスさんの姿も見えた。
「……早いね」
「おはようございます」
屋外に面した大部屋だ。
大庭園と向かい合うように、渡せる位置にその開けた大部屋はあり、床は大理石のように堅く、中央には意味の無い円が描かれている。
その丁度真ん中にルシウスさんと鏡の姿はあった。
何の変哲もないとは言わないが、楕円形のシンプルな鏡だ。
そしてルシウスさんのすぐ前まで来て初めて気づいたのだが、鏡は宙に浮いていた。
足か何かで支えられている訳ではなく、支えもなしに浮かんでいたのだ。
ルシウスさんは振り返ることもなく、ただ真剣な様子でその鏡を見つめていた。
「この鏡をどう思う?」
「え?」
何の前触れもなしに、急にそう尋ねるルシウスさん。
「鏡だよ? おかしいと思わないか?」
「鏡ですか? 宙に浮いている以外は、特におかしいとは思いませんけど……」
「ふっ、浮いている以外はか……やはり君は、異世界人だったんだね」
「別に隠す様なことでもないので言いますけど、そうです。なんで分かったんですか?」
「知らなかったさ」
「え?」
「あれはハッタリだ。魔王だからと言って、なんでも分かる訳じゃない。君が勝手に呑まれただけさ。雰囲気を作った甲斐があったよ」
なんだ? つまり演技だったって言いたいのか?
だがルシウスさんの雰囲気は昨日と特に変わらないものだった。
「だが仮説として考えらえることではあった。まず、そもそも戯国の者がこの大陸に辿りつくことが困難だ。バノームを囲む海域は特殊でね? まあその話は、今はいい。とにかく、戯国の者と考えるよりも、最近グレイベルクが行った《勇者召喚》により呼び出された異世界人の一人だと考える方が、可能性としては確率が高いんだよ。それだけの話さ」
「でも、戯国出身の人はこの大陸にも普通にいるんですよね?」
「だからハッタリで様子を見たんだ。そして感情を読んだ。その時にはもう大体わかっていたけどね? トアと共に行動していたとはいえ、魔王をみても驚かない君のその心は、どう考えてもおかしい。魔族に対する当たり前の警戒心がなさすぎて異質に映る。ネムさんとスーフィリアさんは書斎に入る前からちゃんと警戒していたよ?」
“ちゃんと警戒していた”とは、おかしな言葉だ。
「だけど君はむしろ……」
「はい、俺はワクワクしていました。魔王に会えるなんて初めてのことでしたし、夢でもありましたから……」
「夢か……なるほど。異世界人とは相当な変人なんだね? ますます君にトアを任せづらくなったよ」
「え?」
「冗談さ」
昨日とも違うおかしな雰囲気の中、昨日よりもくだけたような会話が続き、一瞬の沈黙が流れる。
そして、ルシウスさんは本題だとでも言うような声色で、また鏡について話した。
「この鏡はね? 《世界鏡》というんだ」
「世界鏡? 壮大なネーミングですね? 魔導具ですか?」
「ああ。わたしが命名した」
あんたがつけたのかよ……。
「確かにこれは魔導具かもしれない。だがそうじゃないかもしれない」
「どういうことですか?」
「この鏡については、現れてからこの方、その一切が分かっていないんだ」
「その一切? 分からないのに世界鏡と名付けたんですか?」
俺は思わず、馬鹿にしている訳じゃないがツッコミを入れてしまった。
「そう名付けたのには理由がある。それはこの鏡が世界のどこかを映し出すからだ」
なるほど……何となくだが分かってきた。
つまり世界鏡とは、そのままの意味だ。
「やってみるかい?」
「できるんですか?」
「ああ。使用者の魔力を源に動くんだ。非常に画期的な道具だよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
俺は特に警戒もなくルシウスさんの前に出る。
そして興味半分にその鏡と向き合った。
そしていつも魔法を使う時のように、鏡へ魔力を流してみる。
「どうだい? 何か……見えてきたか?」
俺はその質問に答えるために、魔力をさらに流し世界鏡を覗き込む。
「…………」
だが、特に何も見えない。どういうことだ? 魔力が足りないのか?
「何も見えません。魔力が足らないんですかね?」
やり方が間違っているのかと尋ねながら、一度ルシウスさんの方へ振り返る。
するとそこに興味津々という表現では足りないくらいに目を見開き、まるで鏡を監視しているかのようなルシウスさんの姿があった。
「ど、どうしたんですか?」
俺がそう尋ねると、ルシウスさんは我に返ったようにまた平常時の表情を取り戻す。
なんだ? 怖いな……。
「あの?……」
「使えないんだよ」
「は?」
「この鏡は使えないんだ」
「使えない……って、でも、今使えるっていいましたよね? またハッタリですか? これは世界を見ることのできる鏡なんですよね?」
「一応の呼び方にと、そう名付けたに過ぎない。これはある日、気づくと“そこ”に現れていたんだ」
そう言ってルシウスさんが指差したのは、大部屋から大庭園へと続く柱に支えられた屋根付きの短い階段、その直ぐ傍に位置する隙間の無い純白のタイルが敷かれた平坦な場所だった。
丁度、庭園と部屋の境に位置する。
「現れていた? 誰かが持ち込んだってことですか?」
「さあね」
「さあねって……」
「そして現れてから今に至るまで、この鏡をまともに使えたのはトアだけ……」
「トアだけ?」
「今でも覚えているよ。それはトアがまだ私の膝下くらいの背丈しかない、幼いころの話だ。トアはいつもロザリアにくっつき離れなかった。庭園に現れたこの鏡を最初に見つけたのは、ロザリアだった。そして傍にはいつものように、トアがいた」
ルシウスさんは当時を振り返るような、どことなく物悲しげな雰囲気で話した。
「その時、私は偶然エレクトラと庭園を散歩していてね? 私たちは……ロザリアにどうしたのかと尋ねたんだ……今でも、覚えているよ……」
なんだ?……そう説明した後、急にルシウスさんはどこか遠くを見つめるように沈黙した。
「…………ルシウスさん?」
「ん?……ああ、すまない。ふっ……少し、昔のことを思いだしていた。鏡の話だったね?」
「はい。それで、この鏡を見つけて、それからどうしたんですか?」
「何もできなかった」
「え?……」
「私にはどうすることもできなかったんだ。先ほども話したように、この鏡を扱えるのはトアだけだ」
今になって、俺はトアが以前言っていたこと思いだし初めていた。
鏡に俺の姿が映っていたという話だ。
そこにはダンジョンを彷徨っている俺の姿が映っていたらしい。
「その時、好奇心からかトアが鏡に向かって手を伸ばしたんだ。すると鏡はトアに呼応するように、光を放った。視界を埋め尽くすほどの一瞬の光だ。だがそれは直ぐに収束し、その後、鏡に何かが現れた」
「何か?……何ですか?」
「分からない」
「え?」
もう訳が分からない。
「見えなかったんだよ。鏡にはおそらく何かが映っていただろう。それはトアの様子を見ればそう判断できた。トアは確かに何かを見ているようだったからね? だがトア以外、誰も鏡に映し出されていたであろう、その何かを見ることはできなかった。だけど…………」
“だけど”――そう言った後、ルシウスさんはおもむろに俺の目を見つめた。
何故焦らしているか意味が分からず、俺は目で『それからどうしたんですか?』と疑問をぶつける。
感情を読めるというのなら、さっさと答えていただきたいものだ。
「トアが……言ったんだ……」
ルシウスさんは当時を思い出しているのだろうか?
その言葉は途切れ途切れで、多少イライラする。
「トアが言った?」
「ああ。鏡を見ながら、まるで、鏡の中に問いかけるように……呟いたんだ」
「何をですか?」
「トアは……」
俺は答えを求めるように、ルシウスさんへ耳を傾けるように近づく。
「トアは?」
「トアは……」
「マサムネ?」
その時、突然トアの声が聞こえ、俺は反射的に後ろを振り返った。
そして、そこにいたのは旅をしていた頃とはまた違い……これは部屋着だろうか?
白いレースが綺麗な、ドレスのような服を身に着けたトアの姿だった。
「トア……おはよう。早いな?」
日はもう昇っている。早いというほどでもないか?
「マサムネこそ、早いのね? おはよう……」
「ああ……まあな?」
魔王城にいる自宅でのトア。それがどこか新鮮で、いつもよりもさらに綺麗見える。
俺は気づくと目を奪われ、ただトアを見つめていた。
すると背後でルシウスさんの咳払いが聞こえる。
「マサムネくん、鏡についてはまた今度話そう」
「え? でも……」
「焦ることはないさ。当分はこの国にいるつもりなんだろう?」
「まあ……いてもいいのなら、ですけど」
「別に出て行けなんて言わないさ。好きなだけいるといい。それがトアのためになる」
娘想いな父親だ。
ルシウスさんはそう言った後、軽くトアと朝の挨拶を交わし、鏡と共にどこかへ歩いていってしまった。
その後に、続くように進む鏡の姿がなんとも可笑しい。
まるで鏡を引き連れているようだ。
「ねえ、父様と何の話をしていたの?」
「ん?……ああ、世界鏡の話だよ。そういえば世界鏡って、トアにしか使えないらしいな?」
「どういうこと?」
「だから、さっきルシウスさんの後ろについて進んでいった鏡のことだよ? あれってトアにしか使えないんだろ?」
「そんな話、しらないわよ? 当然、父様も使えるでしょ?」
「ルシウスさんはどうか知らないけど、俺は使えなかったぞ?」
するとトアは俺の言葉に困惑したように、言葉を詰まらせた。どうしたんだろうか?
「それにしても、やっぱり聞いとくんだったなぁ……」
するとトアが俺の言葉の意味を知りたそうに、頭を傾げながら目を見つめてきた。
「トアが何を呟いたのかってことだよ?」
「何の話?」
「トアが幼いころロザリアさんとあの鏡を見つけて、その時、鏡がトアにだけ反応したんだろ?」
「しらない……」
「それからトアが鏡に向かって何かを呟いたらしいんだよ? 覚えてないか?」
「知らないってば!」
その時、何故かトアが俺に向かって叫んだ。まるで、怒ったように。
「ど、どうしたんだよ?」
「そんな話……私は知らない」
「知らない? 覚えてないってことか? まあ、幼い頃の話らしいからなぁ……」
「何も聞かされてないの……知ってる訳ないでしょ?」
「聞かされてない?」
「あの鏡が私にしか使えないなんて話、今はじめて知ったわ。父様はこれまで一度もそんなこと教えてくれなかったし……」
そういうことか……。
だが“一度も”ってのは、どういうことだ? わざとトアに教えなかったってことか?
「それに、あの鏡には近づくなって、そう言われていたから……」
わざと隠してたってことか? じゃあなんで、あの人は俺に口止めしなかった?
状況からして、トアが俺に尋ねることは分かっていたはずだ。
「…………俺に、話させたのか?」
「マサムネ?」
何でそんなことをする必要がある?
「ルシウスさんは何でトアに黙ってたんだ?」
「……知らないわ? 何にも教えられてないもの。ただ、もう鏡には近づくなって、それだけ……」
「じゃあ、あの鏡を見た時、何が映ってたんだ?」
「それは…………」
「覚えてるのか?」
「マサムネが映ってたわ?」
「は? 俺?」
そう話した直後から、何故かトアの頬が赤くなる。
「ん? どうしたんだ?」
なんで照れてるんだ? それよりも……。
「俺が映ってたってのはどういうことだ? 幼少の頃の話だろ?」
「違うわ? 数ヶ月前の話よ?」
なるほど、そっちの話か……俺が聞いてるのはそっちじゃない。
「宝物庫に忍び込んだの……」
すると何故か言いにくそうに切り出しはじめるトア。
俺の問いにトアは恥ずかしそうに頷く。そして頬は今も赤く、その理由はさっぱり分からない。
「それから?」
トアが言いにくそうにしながらも切り出そうとしていたから、俺は話を合わせるようにそう尋ねた。
「それから……この鏡を見つけたの」
つまりトアは言いつけを破ったって訳だ。
以前トアが、“マサムネの姿が映っていた”と言っていた。それについてはもう分かっている。あの《世界鏡》のことだ。あれに俺の姿が映ったのだろう。
世界を映す鏡は、偶然にもダンジョンにいた俺の姿を映し出したということだ。
「それで、鏡を使ったのか?」
「わざとじゃないわ? ちょっと触ってみただけよ。そしたら鏡の中が動いて……」
「動いて?」
「そこに、マサムネが見えたの……」
一度聞いた話ではある。だがあの時はグレイベルクに夜襲を仕掛ける前で、色々とバタバタしていた。
「その時、俺は何をしてたんだ?」
「マサムネはずっと暗い場所を歩いてたわ。私もずっと見ていた訳じゃないけど、ある時は大きな騎士と戦ってた」
鎧の巨人……ミミックか。
「それから次の日、また来て見てみると、今度はワインボトルを握り締めたまま眠ってた」
貯蔵庫のことだろう。みっともないところを見られてしまった。
「じゃあトアはあの時、ターニャ村で俺が話しかける前から……」
トアは照れくさそうに俺の目を見つめ、そしてそっと頷く。
「……知ってたわ。それから直ぐに分かった。“あなた”だって……」
何故トアが頬を赤くしているのか、何となく分かってきた。
俺と同じように、あの夜のことを思い出したのだろう。
そしてこの話を語ることが照れくさかったのだと思う。
「……」
そうか……だからトアはあの時俺を直ぐに信用したのか。ずっと見てたから。
「でも、だからって直ぐに信用するのもおかしいくないか? だって鏡を通して見てただけだろ? それにダンジョンにいたころの俺と言えば、ただ一人で歩いていただけだぞ?」
「マサムネはずっと暗闇を一人で歩いてたわ。一人であんなに大きなモンスターと戦って、傷ついても諦めなかった。それが……凄いと思ったの……」
「凄い?」
「うん……」
“凄い”というのは過大評価だ。俺は惰性にただ歩いていただけだし、襲われれば誰だって身構えるだろう。
それに俺には力があった。ただそれだけのことだ。
でも……そうだな。
森で盗賊に捕まっていたところを誰かに助けられ、それが鏡に映っていた本人だったとしたら、俺ならどう思うだろうか? もし逆の立場だったなら……。
トアが以前そう言ったように……運命だと、そう思わなくもない。
それに俺もどこかでそう信じている。これは何か意味のある出会いなんだと、そう信じている。
いや、そうであってほしいと願っているんだろうな? でも、それでもいい。
「じゃあ感謝しないとな?」
「え?」
「俺とトアを引き会わせてくれた鏡だろ? だったら感謝しないとダメだろ? あの鏡に?」
「…………うん。そうね?」
赤らめていた頬は気づくといつも通りになり、トアは微笑む。
何故あの鏡がトアにしか反応しないのかは分からないが、ルシウスさんも調べているみたいだし、まあ、別に今はいいだろう。
今はただ感謝するだけでいい。
開けた部屋の入口。そして大庭園。
俺たちは少し見つめ合い、時折朝の風が通り抜けていくだけの時を過ごした。
バラ色の学生ライフなんてものにも憧れ学園に通ったが、それは叶わなかった。俺にはそもそも学校という環境が向いていなかったんだろう。
だがここでなら……トアと一緒なら、幸せな時間を過ごせるような気がする。
トアは運命だと言った。だが運命だとしてもそうでないとしても、俺には関係のないことだ。
俺はもう、トアの傍を離れない。
「なんかお腹すかないか?」
「じゃあ、朝食にする? きっと用意してくれているわよ?」
”用意してくれている”か……やはりお姫様は違うな。
俺はトアに手を引かれ、部屋を後にする。
今まで誰が俺の手を引いてくれただろうか?
いや、誰も俺の手を取ろうとはしてくれなかった。
――トア以外は。
灰色でしかなかった視界に、庭園に咲き誇る花々のような、鮮やかな色が現れる。
あの日、フードを風がさらい、トアを見つけたあの瞬間から俺は、極彩色の世界を見られるようになった。
落ち込み、また灰が世界を覆っても、視界にトアが現れるだけで鮮やかな世界と安息が訪れた。
俺はトアに手を引かれ、トアの微笑む横顔を見つめながら、同じように微笑む。
トア……。
「ありがとう……」
トアには聞こえていない。
今は、それでいい。
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