第245話 深愛

 魔王ルシウスは、およそ人付き合いのしない魔族だ。そして面倒臭い。

 だが人一倍、娘想いであることは間違いないだろう。


 政宗との他愛のない雑談を終えてから数時間後、彼はまたこうして先程と同じように、大庭園を見渡すことのできる、この風通しの良い開けた大部屋の真ん中で《世界鏡》と向き合っている。

 これもすべて、愛娘であるトアのためだ。


 両手を後ろで軽く組みながら、ルシウスはただ沈黙し鏡を見つめる。


「エレクトラか?」


 すると気配に気づいたのか、ルシウスは部屋へ現れたエレクトラに気づく。


「こんなところにいたの?」


「鏡について調べていた」


「……」


 この部屋に扉はなく、それは部屋というより長く続く大廊下の途中に現れたホールのようだ。

 気配は大抵足音で分かるが、エレクトラの場合、通常なら響くはずの靴音がない。


「”カーペントですら分からなかった鏡を今更”……などと思っているのだろう?」


「無駄なことよ、そうだったでしょ?」


「覚えていないのか?」


 突然のその問いに、エレクトラは意味が分からず表情を惑わせた。


「マサムネくんだよ」


「彼が、どうかしたの?」


 エレクトラにはどうやら思い当たるふしがないらしい。


「トアがいなくなった理由が分かった」


「どういうこと?」


「初めから察しはついていた。開いた宝物庫の扉、床に倒れた《世界鏡》。この鏡が関係していることは分かっていた。だが鏡が何の反応も示さない以上、そこには何の手掛かりもないと、そう思っていた。だが分かったんだ」


 するとルシウスはおもむろに、ゆっくりとエレクトラの方へ振り返る。


「鏡に映っていたのは、彼だ」


「……そういうこと」


 するとエレクトラは遅れるも納得した表情を浮かべた。


「つまり、だからトアは消えたのね?」


「そのことについてじゃない……いや、それについての説明も必要だったか?」


 《そのこと》そして《それ》。これらはそれぞれ違うものを表しているようだ。

 そしてエレクトラはまだその違いと意味を理解していない。


 するとルシウスは、面倒臭がっている訳ではないが、少し改めるように咳払いをする。


「確かなことは分からない。だがトアはこの鏡を通してマサムネくんを見たと、そう話しているのを聞いた」


 盗み聞きしていた訳ではない。政宗とトアが不用心だっただけだ。

 この風通しの良い空間で話せば、すべての音を風がどこまでも遠くへ運んでいくことは、この城に住み慣れた者になら分かることだ。

 二人の会話を誰が聞いていてもおかしくない。


 もちろんエレクトラもそれは分かっている。

 だから“娘の会話を盗み聞きしたの?”とは言わない。


「つまり……」


「トアは鏡を使い、マサムネくんと出会った」


「鏡が、二人引き合わせた?」


「そうは言ってない。これはただの魔道具……の、はずだ。確かに、奇妙なことにこれはトアにしか反応しない」


 だが当時、ルシウスはこの鏡をそれほどには調べていない。

 正体の分からぬ物である以上、公開することを控えたのだ。規制のない魔国にも、いくつか規制はあった。

 だからトアにしか反応しないというのは、《少なくとも》という意味である。


「深淵使いであるマサムネくんにも反応しなかった」


「ちょっと待って? 今なんて言ったの?」


「ん? なんだ、まだ聞いていなかったのか? 彼は《深淵の愚者》だ」


 その言葉にエレクトラは思わしくない表情をする。


「……いいわ。それで? 彼に試させたの?」


「ああ。だが反応しなかった。やはりこれはトアにしか使えない。だが私はあることを思い出したんだ? エレクトラ。あの時、君も聞いていたはずだ。覚えてないか?」


「……」


 その問いにエレクトラは意味が分からず表情を困惑させる。

 “あの時”とはどういうことかと、その言葉が示す時間を探していた。


「この鏡が庭園に現れて直ぐのことだ。あの時もトアだけがこの鏡を使えた。手を伸ばしたトアに鏡は呼応し、そして光を放った」


 するとその時、エレクトラの表情に微かな反応が現れる。

 何かを思いだしかけている兆候だ。


「そうだ……」


 そしてエレクトラの表情に気づき、“間違っていない、思い出せ”とでも言うように促すルシウス。


「あの時、確かにトアはそう、、言ったんだ。私は今でも覚えている。何故ならこの鏡に《世界鏡》と名付けたのは私だからな。私はトアのその言葉を聞き、考えを巡らせた結果、これが世界を映し出す鏡だと勝手に解釈した。今もそう思っているが、仮説は徐々に崩れつつある」


「それって……」


「“マサムネ”……トアは確かに、あの時そう言った」


「…………」


「そして鏡に何かを語りかけていた」


「でも、そんなことが…………」


 エレクトラは言葉を失っていた。だが、幼少のトアは確かにそう呟いたという。


「トアに意識があったかどうかは分からない。あの頃のトアはただロザリアの後ろをついて歩くだけの子供だったからね?」


「……ええ。覚えているわ」


 エレクトラは当時の記憶をはっきりと思い出した。だが疑問は深まるばかりだ。

 そして思い出に浸りつつ、その答えをルシウスに求める。


「普通に考えればあり得ないことだ。何しろトアはまだ幼く、彼との面識はないはずだからね? それに彼は異世界人らしい」


「異世界人?」


「グレイベルクの勇者だよ」


 その言葉でエレクトラは理解した。


「グレイベルクが勇者召喚を行ったのはつい数ヶ月前のことだ。彼がこの世界へ召喚されたのもその時期ということになる。トアが幼少の頃、彼はこの世界にいない。いないはずの者が、世界鏡に映し出されるはずがないんだ」


「まだ幼かったあの日のトアが、彼を知っているはずがない……」


エレクトラは理解を深めるようにそう呟いた。


「そういうことだ。すべてがおかしい。だがトアはあの時、間違いなく“マサムネ”と、彼の名を呟いていた。いや、それが彼であったのかどうかは正直わからない。何しろ鏡に映し出されていた何かを確認できたは、トアだけだからな。それに戯国ぎこくに行けば似たような名前の者はいくらでもいるだろう」


 エレクトラは直ぐにはのみ込めず、ただ目を動揺させていた。


「間違いを恐れずに言うなら、この鏡は二人を引き合わせた。私はそう思っている」


「ルシウス?」


「だが、マサムネくんには使えなかった。私はてっきり彼にも反応するものだと思っていたんだ。彼が使えたのなら、また一つ辻褄が合った。より確信することができた。だが鏡はまったく彼に興味を示さなかった。つまり……これは彼とは関係のない物だということか?」


 ルシウスの頼りない呟きに、エレクトラは疑問を深める。

 だが分からないのはルシウスも同じだ。

 彼は淡々と答えてはいるが、何より分かっていないのだ。

 だから常に自分へ問いかけている。


「これはなんだ?……」


 それがルシウスの本心だ――この鏡はなんだ? 何故、あそこに落ちていた? 誰が持ち込んだ? 何故、トアにしか反応しない?


 何も分からない。


「それより、トアは町にいるのか?」


「え?」


「城内に魔力を感じない」


「……マサムネくんたちと町へ遊びに行ってるわ。一応、リサーナも同行させたわ」


「ふっ、用心深いな? そんな必要はないさ。彼を信じていないのか?」


「あなたが信用するなと言ったのよ?」


「そうだったか? だが彼は単純な男だよ。疑うには値しない。私は……彼に話そうと考えている」


 その言葉に目を疑うような反応を見せ、驚くエレクトラ。

 その短い言葉だけでルシウスが何を言っているのか分かったのだ。


「それはどういう風の吹き回しかしら? もちろんあなたがそう判断したのなら、私は止めないわ。だけど、彼とは会ってまだ一日しか経っていないし、それに、何より深淵使いなのでしょ? 彼らは学ばない生き物よ?」


「古い魔族の遺したものだ。すべてを鵜呑みにすることはない」


「古い?……ロゼフ様の遺されたものでしょ?」


 エレクトラは徐々にルシウスが口を開けば開くほど分からなくなっていく。


「人間には興味を持たないんじゃなかったの?」


「もちろんだ。だが彼はトアが選らんだ……選んでしまったんだよ。切り離せはしない。私が君を選んだことと同じだ。《支配》を完全に支配するというのは、容易なことではないんだ。トアはロザリアとは違う。それに、今のトアには尚さら必要だろ?」


「……」


「反対か?」


「ちゃんと、先を見越しての考えなのよね?」


「……もちろんだ」


「彼らが破滅しか生み出さないとしても?」


「傍観する数多の意識が破滅を生んだという解釈もある。無関係だと目を逸らす者の意志と言葉が、破滅を生み出すんだ。彼ら、、を愚者に仕立て上げたのは、あるいは世の中だよ」


「深淵に魅入られたものは大抵、感受性が強い……彼らの心は弱いわ? その内、彼も人格を失うわよ?」


「失うというのなら、それは私たちの終焉を意味するんだろね?」


「え?」


「マサムネくんは私よりはるかに強い」


「そ、そんな訳ないでしょ? あなたより強いだなんて……」


「感じ取れはしなかったよ。だがそもそもカサンドラの魔軍を一人で滅ぼしたという時点で、既に私の手におえる相手ではない。カーペントか、あるいは……例えば《観察者》ならまだどうにかできるかもしれないか?」


 ルシウスはそう言いながら、自分に言葉にほくそ笑む。


「……ふざけてるの?」


 呆れたように見つめるエレクトラ。


「あるいは《リックマン一族》ならどうだろうか?」


「……」


 呆れて言葉もない――といった様子で、エレクトラはルシウスを睨む。

 ルシウスはひょうきんな男でもあった。


「いたって大真面目だよ。フィシャナティカとハイルクウェートの血をもってすれば、深淵にも対抗できるだろう。最悪の場合はビクトリアが動く」


「あの学院は干渉しないわ。前もそうだったでしょ?」


「規模の問題だ。だがマサムネくんが相手ともなれば、そうは言っていられないはずだ。だがそうなれば悲しむのはトアだよ? 彼を守ることは結果的にトアを守ることに繋がる。すべてはトアのためだ。それに、これは彼にとっても好都合なはずだ。誰も自分を見失いたくはないだろうからね」


 ルシウスはすべてをエレクトラには告げなかった。

 《感情感知》を使えないエレクトラには、見えないものがある。


 ルシウスは政宗を“愚か”だと言った。それがエレクトラの見えないものであり、最も重要なことなのだと、ルシウスは分かっているはずだが隠した。

 それはルシウスが政宗に違和感を覚えているからだ。


 だがこの時、ルシウスがそれを打ち明けていたとて、政宗とトア――二人の未来に影響を及ぼせたとは考えづらい。

 深淵の影響下では、魔王の存在すら霞んでしまう。


「エレクトラ。彼からあまり目を離さないようにしてほしい」


「はぁ……言っていることがめちゃくちゃよ?」


「この違和感の正体が分かるまでだ」


 だがすべての答えはその違和感にあるのだと、ルシウスは疑念を持ちながらも気づかない。

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