第236話 身から出た錆と偽善者

 豊国ダームズアルダン。

 玉座の間に一人。窓から零れる月光に、無表情の顔半分を照らされながら、金騎士レオナルドは棺の中のクリストフを見下ろす。


 慈者の血脈が入手した情報によれば、クリストフ王子は、ある小さな組織を立ち上げていた。

 ガテラルという名の組織だ。中身は、チンピラの集まりである。

 父親を困らせているだけの王子も、ガテラル内では信頼を得ており、国民からバカ息子だと陰口を叩かれる一方で、人望があるようだった。


「王子の行方を追っていたガテラルは、王子が国王に殺されたと知り、王城に侵入する。大義名分を得たお前は、ここぞとばかりに彼らを殺した」


 振り返り、即座にレオナルドは何か魔法を放とうとした。パリン、とガラスが割れるような音がし、魔法陣が砕ける。

 玉座の真ん中に、白装束の者が立っていた。人間と獣の頭蓋骨を融合したような仮面。その口元は裂け、無数の牙が生えている。額からマーコールのような角が二本生えている。

 月明りが、床に落ちる一枚の赤黒い羽を照らした。地に着くと灰に変わり、回廊から流れ込む風に流され消える。


「アマデウス……」


 レオナルドを含め、誰もが知っている者の姿が、目の前にあった。

 大扉が開き、背丈の小さい者が広間へ入ってきた。


「アマデウス様、外は終わりました」

「分かった。先に戻っていい。サムとディーン、ラーナにもそう伝えてくれ」

「分かりました」


 小さき者は大扉の外へと消えた。

 部屋にまた静寂が戻る。


「慈善事業でもなさりにきたのですか?」


 レオナルドが鋭い視線を向ける。


「ここはあなたのような者の来るところではない」

「クリストフが死んで良かっただろう?」


 アマデウスが訊ねると、


「は?」


 とレオナルドは聞き返す。


「何も生み出さぬ不良王子だ。さぞかし邪魔だったはず。そう、思っていたのだろう? レオナルド」

「何をバカなことを……。クリストフ様は我が主にして、我が友だ」

「友情は裏切られる。嘘を着込んだ善き人間よ。喉に刺さった小骨を取ってやろう」


 アマデウスは天井を見上げ、


「《凌辱なるクリーミーズ・素晴らしき協奏曲マグニフィス・モニー》!」


と詠唱した。

 天井が崩れ、夜空が見えると金色の鐘楼が見えた。

綺麗な鐘ではない。それは広く差し込む。月明りにより、レオナルドにもはっきりと見えていた。

 夜空に、空間を切り取るように亀裂が見える。そに大きな人の口がった。口内から生える長い舌の先端に、ピアスのようにぶらぶらと、その金色の鐘楼がぶら下げられていた。

 鐘楼の側面から、等間隔に舌がいくつも伸びでている。

 お椀型の外身に音を生じさせるための、内側に吊るされた振り子。それが眼球であり、レオナルドを見ている。


 レオナルドがゲロを吐いた。急に。

 首元を抑えながら、膝をつくほどに悶えている。


「こっ……こんな奴が跡取りとは、この国はもう終わったも同然だ」


 そう言い切って、直後にレオナルドが吐血した。

 大量の血を吐き出した。血だまりに、ぼとん、と何か落ちた。レオナルドの口から。

 それは舌だった。レオナルドのものだ。


「嘘をついた報いだ」


 アマデウスが言った。

 レオナルドは叫んだ。戸惑いながらアマデウスに叫んだ。助けを求めるように。

 だが舌がないせいで言葉にならない。

 天井の鐘楼は消えていた。


「お前に国への忠誠心はない。クリストフに対してもそうだ。馬鹿息子の愛称で蔑まれ続けてきたクリストフには居場所がなかった。その結果がガテラルだ。彼らだけがクリストフの居場所だった。クリストは彼らの王になろうとしていた。だがそんなクリストフはもういない。お前たちと同じだよ? シュナイゼルが殺したからだ」


 レオナルドが叫ぶ。違う、と言いたいようだが言葉になっていない。


「《この子ケノウ・ゲノウ・どこの子ファーニエス》……」


 アマデウスが詠唱した。

 レオナルドの目の前に、襖が二枚現れた。

開いた。


「けんけん! ぱっ! けんけん! ぱっ!」


 と歯の抜けたような声がし、幼い少女が出てきた。

 赤とピンクとオレンジの派手な刺繍の施された浴衣を纏い、軽く盛った髪を髪留めでまとめ、右手に持った水風船を弾ませながら、左手でリンゴ飴を舐めている。


「国民は信じる。なんせバカ息子だからな。さらばだ、レオナルド・ファーレス——」


 アマデウスが言った。

 少女の口が裂ける。にやっと笑みを浮かべた。







 死体が転がっているだけの、誰もいなくなった玉座の間で一人、アマデウスは月明りを眺める。


「少しずつだ、少しずつでいい。誰も死ぬことのない世界を作ろう。誰も死ぬことのない、世界を」


 ぶつぶつと呟く。


「君のために……」




 

 ユートピィーヤ王国跡地・湿地帯。

 

「ボルート様、契約をフィオラへ」


 湿地に横たわり、ブラームスは夜空を眺めた。政宗の治癒魔法を受けたはずが、彼は今、死の淵にいた。外傷は見られない。


「いますぐ治療を」


 涙を浮かべるフィオラ。


「よせ。自分の命の終わりくらい分かる。少し調子にのってしまったようだ。ボルート様、あなたと契約を結んで以来、ご助言をいただいてきましたが、やはり詰めの甘さだけはなおりませんでした」

「違うわ。それは」

「それだけ私に才能がなかったのです。冒険者の称号も、ボルート様がいたからこそのもの。意志の疎通すら声に出さなければできない守護者など、最初からこうなる運命だったのでしょう。今ならそれが分かります。適正がなかったのです」


 ブラームスの意志を理解したボルートは、指先に垂らした血をブラームスの口へと運ぶ。

 一瞬の眩い光の後、契約は破棄された。


「既に兆しはあった。同時期に二人の愚者が現れた。それも同じ波長の愚者が。魔力の波長が重なるなどありえない」

「後のことは、お任せください」


 フィオラが手を取る。

 死にゆくブラームスを安心させようと言葉をかけた。

 私は、何かを見落としていたのかもしれない──。ブラームスの脳裏に異端審問での、ニトの姿が過る。


 ブラームスの手が地面へ落ちる。以降、彼が動くことはなかった。


 



 豊国ダームズアルダン。

 豊王の城・正門前に、帰還したシュナイゼルと金騎士団の姿はあった。

 扉の片側を失った正門。残された扉の片側が、古びた鉄の戸のように、風が吹くたび錆びた音を出し揺れている。

 扉には落書きと、たくさんの張り紙がみられた。

 誹謗中傷の類が記された張り紙だ。


「子殺し?」


 子殺し。豊国の恥。虐殺者。

 どれもシュナイゼルには理解できないものばかりだった。

 護衛の金騎士へ確認するが、誰も何も知らない様子。


 城の内部へ入るなり口と鼻をおさえるシュナイゼル、その他金騎士たち。

 死臭だ。人の腐ったにおい。強烈に鉄臭いのは、血のにおい。

 城内にハエがたかっている。

 

 回廊の途中で庭園の姿が見え、シュナイゼルの足が止まった。

 庭園に、死体がころがっていた。あちこちに見える。騎士の姿もあるが、服装から。ほとんどは国民の者だと気付いた。

 言葉がない。一カ所に集められ山積みにされた遺体もある。既に腐り始めている。それだけ時間が経っているということだ。花壇の花に血がついている。花は血の重さでうなだれている。


「シュナイゼル様!」


 回廊の先から金騎士が走ってくるのが見えた。先に広間へと向かっていたらしい。


「どうした」


「王座の間にて、レオナルド様の遺体を見つけました。それから……」


 騎士は言葉をしぶる。


「クリストフ様の、ご遺体も確認いたしました」


「待て、何を言っている」


「棺に納められており、遺体は腐敗が始まっていましたが、クリストフ様で間違いありません」


 見開く瞳。息苦しい。強い動悸。シュナイゼルの足が一歩ずつ広間へと向かってゆく。

 シュナイゼル様、と問いかける騎士の声にも応えない。

 歩き慣れた城内であるはずが、獣道に迷い込んでしまったかのように、長い回廊の先がどこまでも続いているように感じた。


 気が付くとシュナイゼルは玉座の間に着いていた。

 目の前には、クリストフが納められた棺があった。腐敗する息子の体。顔は確認することができた。

 そっとクリストフの頬に手を添えた。

 膝から崩れ落ちてしまった。心臓を抉るような痛みが襲った。


「クリス……。なぜ。いったい何が。どうして」


 ここで何があったのか。近くで横たわるレオナルドの遺体に気づく。

 瞳から王としての威厳が失われていく。表情が老いていくようだ。外見から凛々しさが消えた。

 政宗──ニトの言葉を思い出した。

 これはニトがやったのか。まさか。そんなわけがない。シュナイゼルには分からなかった。考える余裕もない。

 床を見つめたまま、しばらく王が立ち上がることはなかった。

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