第230話 アルフォード・グレイベルク

 アマデウスの姿は異様であった。

 言葉が呟かれる度に、それだけでアルフォードの表情は歪んだ。

 違和感が残るのは、アマデウスが時折、不自然に主語が変えるからだ。

 アルフォードとエリザは、そこに上手く説明できない、ちぐはぐさのようなものを感じていた。


「アルフォード、力を見せてみろ? それで終わりだ。私から逃げられるなどと、決して思うなよ?」


 その言葉にアルフォードは表情を強張らせる。

 恐れている訳ではない。

 いや、恐れてはいるだろう。だがそれは自分の命ではなく、エリザの命についてだ。


『ジーク、準備をしてくれ。俺が合図したらエリザを飛ばせ』


『……分かった。もう準備は出来ている』


『それから、ニトを呼んでくれ。こいつには俺たちじゃ勝てない。後は頼んだぞ、ジーク』


『……分かった』


 アルフォードは悟られないよう表情には出さず、念話を切る。

 だがアマデウスは魔力から、多少おかしな動きをしていることには気づいているだろう。それはアルフォードにも分かっていた。

 だが追及してくる様子はなく、また止める気配もない。つまりは、もう眼中にないということだろう、とアルフォードは心の中で諦める。

 そして諦めた傍から、また悪いクセが出てしまったと反省するが、《自信》とはそう簡単に身に付くものではなかった。


「準備は良いか?」


「……ああ」


 アマデウスの言葉に短く返答するアルフォード。


「言っておくが、これは戦いじゃない。ただの暇つぶし――鑑賞会だ」


「……ああ」


 もはやアマデウスの言葉など、戯言だ。

 理解など面倒臭い。どうせ結果は決まっている――アルフォードは剣を握り締めた。


「エリザ――」


 するとアルフォードは背後のエリザへ呼びかけた。

 同時にエリザの表情が悲痛なものへと変わっていく。まるで、この先が見えているようだ。


「イチジョウを頼んだ。それからジークや、ヴァハムや……」


「アルフォード……?」


「エリザ」


 その時、アルフォードの足が微かに動く。


「――愛してる」


 その言葉を置き去りに、アルフォードはアマデウスに向かっていく。


『ジーク! 今だ!』


 念話で合図を送るアルフォード。すると背後で一瞬、微かな光を感じた。


「待って! アルフォード!」


 悲痛な表情と共に、アルフォードへ手を伸ばすエリザ。

 だがその瞬間から転移は始まっていた。

 エリザは一瞬にして、その場から消えたのだ。


 金色の剣とアマデウスの影がぶつかり合い、広野や激しい衝撃音を響かせる。


「フハハハハハハハハ! 何だ、今の魔法は! 転移か! 魔法陣すら見えなかったではないか!」


 逃げられたのというのに、まるで自らの失態を楽しんでいる様子のアマデウス。


「強制転移だ、知らないのか?」


「知らないな、初めて聞く」


「ふ、デタラメな奴だ!」


 諦めと共に皮肉を返し、アルフォードは後ろへ下がりながら、勇者の剣に左手を添える。そして、魔法の詠唱に入った。


「【爆王の極みエクスプロージョン・マキナ】!」


 金色のつるぎをオレンジ色のオーラが包み、刀身が輝く。


「それが切り札か?」


「不服か?」


「いや? 無駄に魔装などを使う輩よりはマシと言える」


「魔装か……もう俺に、そんな魔力は残ってない」


「魔力が残っていれば使ったか?」


「無駄なことはしないさ。お前に防御が通用しないことくらい分かる」


「そんなことよりも、《それ》だろ? 転移を可能にしたのは」


 アマデウスがそう呟いた瞬間、アルフォードの左手――薬指にあった指輪が砕け散った。


「くっ!」


 アルフォードの手は無事だ。指輪だけが綺麗に砕けたのだ。

 しかしそれは、その気になれば直ぐにでも殺せるということを意味している。

 何故なら今の攻撃に、アルフォードはまったく反応できなかったからだ。


「念話とは、クックックッ……陰湿な奴め。初めからエリザを逃がすつもりだったのか?」


「気づかなかったのか? 生命の神とやらが聞いて呆れるな?」


「ふ、減らず口が」


 そして、多数の白き者たちに囲まれ、互いに意味のない言葉を並べ、それぞれは向き合った。

 するとそこに一瞬の静けさが生まれ、アルフォードは、ほど良い緊張の中、剣を両手で握り締めた。


 一方、アマデウスの表情は見えない。

 だが緊張しているはずもないだろう。相変わらず無防備なその様子から、はっきりとそれが分かった。


 すると、アルフォードは地を蹴り、駆けて行く。

 迷いの無さは、その乱れぬ足の運び具合から見て取れる。

 そして目前にアマデウスを捉えると、その一振りにすべてをかけた。


「はぁああああああ!」


 気合と共に、握りしめた剣をアマデウスへ振り下すアルフォード。

 《爆裂魔法》を帯びた剣が、無防備なアマデウスを襲った。


 直撃の瞬間、空気が震えるほどの爆音が辺り一帯に響き渡った。

 次に襲い来るのは爆風だ。

 湿地帯の周囲の泥水が、宙に舞うほどの爆風。


 白き者――《属さぬ者マキャベル》たちはその姿をただ見守っていた。

 大半の者はその凄まじき魔法から、アマデウスの安否を心配している。

 皆それぞれ、不安そうに互いのデスマスクを見比べていた。


 しかし、アリシア、ラーナ、そしてロメロ。この3人は違う。

 まったく戸惑う様子など見せず、爆音と爆風の後に訪れた目の前の爆煙を、ただ眺めていた。

 確信しているのだ――アンク・アマデウスはこの程度の一撃に屈するような者ではないと。


 すると周囲に舞う煙が、次第に晴れていく。


 微かな風が煙を運び、そこに2人の人影が見えた。

 そして、それがアルフォードの魔法による結果だった。


「まったく……勇者が聞いて呆れる」


 最初に聞こえたのは落胆の声だ。

 声の主が誰なのかは、直ぐに分かった。


「ぐっ……」


 ――首を片手で鷲掴みにされ、持ち上げられた状態のアルフォード。


 《勇者》の一撃は、アマデウスに傷一つ付けることができなかった。


「離、せ……」


「ん? 離してほしいか? だがな? 世の中、そういうものなんだよ」


 地に落ちていた金色の剣が、光の粒子と共に消えた。


「お前たちがここに来なければ、出会うこともなく、私がお前を殺すこともなかっただろう。だがいずれは……こうなっていたということなんだろうな。すべてにおいて、無視できることなどない。自分で決めたことだ」


 独り言にも似た言葉を、アルフォードへ囁くアマデウス。

 だがアルフォードは足をバタつかせ、悶えることしかできない。


「少し急いだ方がいいな。別れは惜しいが、もたもたしていると、ジークに続き、あいつまでここに来そうだ。どうせそのつもりだろ?」


「何の……話だ?」


「ん? 分からないか?――ニトだよ? お前たちは直ぐに、ニトに頼る。そうだろ?」


 首を掴まれ呼吸が困難な中、アルフォードは一瞬、聞き間違いかと耳を疑った。

 だが明らかに、アマデウスは《ニト》と、そう言ったのだ。


「勇者は貴重だ、だが勧誘はしない。もう終わりにしよう。いや……もっと早くに手を打っておくべきだった」


 その時、アマデウスの手の平がゆっくりと開き、アルフォードの首がゆっくりと離れる。

 するとアルフォードの体は支えを失い、ゆっくりと地へ落ちる。


「――得体の知れぬ者を安易に勧誘するほど、私は甘くない」


 そして、それは一瞬であった。

 アルフォードの足が地へ着く前に、アマデウスは容赦のない一撃を与えた。


「ガハッ!」


 アルフォードは、喉を失った。


 まるで何かに喰われた、、、、ように、喉仏を含む周辺が抉られ、そこから夥しい量の血が噴き出した。

 アルフォードはそのまま後ろへ倒れ、受け身も取れぬまま、ぬかるみに落ちる。


 倒れる音が聴こえると、吐き出すような声も聞こえ、見るとアルフォードの口から大量の血が流れていた。


「恨みはない。だが無意味な死だとは思っていない。お前はこの世界には適応できないからだ。その証拠に、お前の背後から漏れ出ている《黒い霧》は、濃度が濃い。つまり、お前は人間を肯定しているか、もしくはそれ以外の多種族に敵意を持っているということだ。いずれにしろ、都合の悪い存在であることは間違いない。だから今日ここで死ぬことには意味がある」


 徐々に力を失っていく虚ろな瞳。

 表情にも力はない。肌は青ざめ、唇の色も失われていく。

 呼吸が次第に早さを増し、それがアルフォードの死を告げていた。

 おかげでアマデウスの声をおぼろげにしか聞こえない。

 もはや、アルフォードには殆ど聞こえていなかった。

 時間が経てば経つほど、音は遠ざかり、視界は狭まっていく。


 するとその時だ。

 そんなアルフォードを見下ろすアマデウスが、自身の仮面に手をかけた。


「反論は求めていない。と言っても、もうお前には聞こえていないだろうがな、アルフォード」


 すると倒れるアルフォードの横に立ち、アマデウスは仮面を外した。

 そして、そっと、死にゆくアルフォードの顔を見下ろした。


「これが俺の信じた道だ」


 顔は見えない。だがアルフォードには見えたようだった。

 それは、目を見開き、驚くアルフォードの表情を見れば直ぐに分かった。


「う゛……お゛……」


 喉が潰れていては、もう声を出すことはできない。

 だがアルフォードは、アマデウスへ何かを伝えようとしている様子だった。


「安っぽい同情は感知できないんだ。悪いな? 止めは刺さないよ……直に命は失われる」


 アマデウスはアルフォードに背を向けた。

 向かう先は仲間の待つ場所だ。


 命。


 ――アマデウスはそう言った。

 だが、アルフォードは人間であり、アマデウス曰く、彼は“適応できない者”だ。

 にも関わらず、彼を《命》だと認めたのだ。

 だがアマデウスは、それ以上は語らず、仲間と共にナッツの王の処刑を手短に済ませると、アルフォードの気配から消えた。







(俺の赤い髪は母親譲りだ。母様も赤い髪をしていた)


 雨が打ち付ける中、アルフォードは思い出していた。


(母さまは、キレイな人だった。それは今もはっきりと覚えている。だからこそ平民であった母さまを、父さまは愛したのだろう。だが姉は、平民である母さまの存在を許さなかった)


 アリエスは権力を平民に奪われることを恐れたのだろう。

 だからアルフォードの母親を王妃とは認めなかった。


(血を流し倒れている母さまの遺体を、最初に見つけたのは俺だ。誰がやったのかは直ぐに分かった)


 刺殺だった。凶器はナイフだ。刃先には毒が塗られていたという。


 それからヨハネスは狂い始めた。


(父さまは俺の赤い髪を見たくなかったのだろう。母さまの姿を思い出すから。だから俺は幽閉されたんだ――地下牢へ)


 そして、アルフォードを遠ざけた。


(一度は生きることを諦めた。勇者であることを理由に、もてはやされる時期はもう過ぎていたんだ。父さまがおかしくなった状況では、もう俺の味方をする者はいない。皆、姉の虜だ。男どもは全員、そうだろう)


 アリエスが手引きしていたことは明白だった。

 もはやアルフォードの居場所は、グレイベルクにはなかったのだ。


(俺は地下牢から抜け出した。鍵は偶々目の前を通った、小さなモンスターの骨で作った。

城を抜け、国を抜けて、俺は草原を走った。今、どこにいるのかと、そんなことを考えながら、空腹のまま朦朧とした視界を彷徨った。今でも覚えている。そして、あいつらと出会ったんだ――ジークやヴァハム、セバスチャンやカーペント様……エリザ)


 アルフォードが出会い、そして彼が愛した者は、姉にも似たブロンドヘアーの女性だった。


 だがおそらく、そこに意味はないだろう。

 それが理由ではないはずだ。


 アルフォードはエリザを愛していた。ただ、純粋に。


(手に水の感触がある。そう言えばここは湿地帯だったな。だがもう、殆ど感覚がない。声も出せない。それに少し眠い……これが死ぬってことなんだろうか?)


 狭まった視界に降り注ぐ雨を捉え、ただ何もない空を見つめるアルフォード。

 首から流れ、周りに広がる血を、雨が洗い流す。


(色んなことがあったが、不思議と何も感じない。今ならすべてを許せるような気がする。それに、恨んだところであいつは考えを改めないだろう。もう、そんな瞳じゃなかった。


 もう既に、思考を巡らせる気力も残ってはいない。

 命は終わりを迎えようとしていた。


(あいつに何があったのかは分からない。あるいは、初めから……もう止めよう。考えたところでどうなる訳でもない。後はジークがやってくれるさ。すべて上手くいく。あいつに任せておけばいい。だけど……)


 また、ふと思うアルフォード。最後に頭に浮かんだのは、エリザの顔だった。


(心残りはエリザだ。最後まで、何も言えなかったな……お前は気づいてたか? いや、気づいてないよな?でも、それでいい。それでいいんだ。死にゆく俺には、友情も愛も、それから復讐も、何もかもが関係ない。関係を持つことは出来ないんだ。だけど……やっぱり……言っておけば、良かったな。どうせ死ぬなら告白して、それで……)


 その時、アルフォードの頬を一筋の涙が伝った。


(あれ? なんだこれ? 涙か?)


 雨と混ざり、一瞬、アルフォードはそれが雨だと錯覚する。だが自分が流したものくらい、アルフォードには分かった。それを感じ取る意識は、まだ残っていたのだ。


(ふ……意外と俺も、後悔……している、ことが……あったん、だな)


 途切れていく意識。

 アルフォードの視界には、もう何も映ってはいない。


 すべての気配が消えた広野で、アルフォードは一人、雨に晒されていた。


(俺は、一体……何の、ために……)


 そして、アルフォードは深い眠りにつく。


 アルフォードが最後に、心の中で抱いたその言葉の先は、一体どんなものだったのだろうか?

 だがそれを知る者はいない。

 そして、もう誰かが知り得ることもない。


 この日、龍に心臓を捧げた者が、また一人、死んだ。


 その後も、湿地帯には止まぬ雨が降り続いた。

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