第229話 狂った世界の産物

 水精霊の水属性魔法を展開し、両手を水の膜で覆いながら、受け身をとるエリザ。

 一方アリシアは、腰の辺りから狐の尾を伸ばし、それがエリザに隙間のない攻撃を与えた。


「なるほど、さっき私たちを飛ばしたのも、その尻尾という訳ね?」


 だがアリシアからの返答はない。

 アリシアはエリザの表情など気にもせず、ただひたすら責めることに尽くしていた。それはアマデウスの存在が大きい。


 「やってみるか?」と、この戦闘を勧めてくれたアマデウスの期待に応えるため、アリシアは必死だったのだ。


「まったく、しつこいわね」


 アリシアの攻撃は凄まじく、エリザは手が出せない。

 守りに追い込まれ続けているエリザ。だが隙は、その瞬間に訪れる。


 スタミナ不足が原因だろうか? 一瞬、アリシアが動きを止めたのだ。

 エリザはその一瞬を見逃さなかった。


「【水精霊の拒絶リジェクテッド・ウンディーネ】!」


 既に展開していた水の魔法をさらに発動することで、さらなる水の障壁を増やすエリザ。障壁は状況に応じ、剣にも槍にもなる。

 そこからエリザの反撃は始まった。


 障壁をすべて変化させ、エリザは8つの水の槍を構えた。

 次の瞬間、それらすべてが、アリシアを襲った。


「あなた、魔力は強いようだけれど、まだ戦い慣れてないみたいね?」


 挑発し、見下してみせるエリザ。だが表情に余裕はない。

 そして、それに対するアリシアからの返答はなかった。

 あるのは、変わらず無表情な《デスマスク》だけだ。


 左右、そして上空。至るところから迫る水の槍。

 アリシアは瞬時に状況を判断し、狐の尻尾と魔力を帯びた両腕を使い、それらの槍を弾いていく。

 だが魔法の槍だ。特に、精霊の魔力を帯びた槍ともなれば、それは片手で防ぐに少し足りない。

 簡易的な付与魔法では防ぎきれない部分があった。


 立場が逆転し、ひたすら受け身に徹するアリシア。その時だった。

 突然、アリシアの目の前に黒い影のようなものが現れると、それはカーテンのようにひらりとなびき、エリザの魔法を同時にすべて跳ね返した。

 その衝撃でエリザの展開していた精霊魔法が、すべて消滅してしまう。


「くっ!」


 エリザは直ぐにアリシアから距離を取り、様子を窺った。

 だがその影は、別の場所から介入する形で現れたものだと直ぐに分かった。


「アリシア!」


 そう大声を出したのは、現在アルフォードと交戦中のアマデウスだ。どうやら先程の影は、アマデウスのものであったらしい。


「正体など晒してしまえ! 躊躇う必要はない! 他の者が何と言おうと、お前は美しい! 私がそう言っているのだ! それで文句はないはずだろう?!」


 突然、意味の分からないことを大声で問うアマデウス。だがアリシアの心には響いた様子だった。


「……はい。分かりました」


 その返答をへて、仮面に手をかけるアリシア。

 次の瞬間、白きローブと共に顔のデスマスクが脱ぎ捨てられ、そこに、アリシアの正体が現れる。


「それで良い! すべての尾に魔力を灯し、全力で迎え撃て!」


「はい!」


 神秘的な印象を思わせる白く透き通った長いストレートの髪、そして同じく透き通った白い肌。頭には尖った狐の耳が生えており、毛は髪と同じく白い。

 そして、最も印象的なのは、この《九つの尾》だ。白い毛につつまれた尾が9本。


「あなた、変異種ね?」


 エリザは問う。


「狐族の尾は、通常1つのはず。9本だなんて、見たことも聞いたこともないわ」


 だがその言葉を聞いた途端、人相が変わり、鋭い牙をむき出しに、威嚇のような鋭い視線を向けるアリシア。


「人間の分際で!……私たちを見下すなあ!」


 広野に怒号が飛ぶ。

 すると、足元の水気を帯びた地面を抉り、土が宙に舞うと、アリシアの姿が一瞬、消える。

 そして、次にアリシアが現れたのは、エリザの目前だ。


「ぐっ!」


 闘牙をむき出しにした、その凄まじい勢いに、エリザは一瞬おののく。

 しかし動きは見えていた様子だった。

 エリザは8つ水の槍を操り、9本の狐の尾を反射的に防いでいく。


 気合を込めた怒号を放つアリシア。それはまさに獣だ。

 叩きつけたり、突いてみたりと、様々な攻撃スタイルで尾を自在に操るアリシア。

 魔法により硬質化された尾は、鋼の如き強度を誇っていた。


「きゃあ!」


 そして接戦の中、一瞬ガードの遅れたエリザに、鋼の尾は襲いかかった。


 エリザは後方に飛ばされ、湿地帯の泥水の中、体を汚しながら地面に叩きつけられる。


「エリザ!」


 その姿を横目で捉えていたアルフォードの悲痛の声が、アリシアの後方から聞こえた。


 アルフォードは、勇者の剣――《エクスカリバー》を右手に、鍛え上げられたその剣技で、アマデウスに切り込む。何度も何度も。

 だがどこからか正体不明の黒い影のようなものが現われ、それらはアルフォードの剣を陳腐なものに変えた。


「くっ!」


「勇者の剣か……実に幻想的だ。金色の剣など、それ以外見たことがない。羨ましい限りだ、勇者であることが」


 アルフォードはアマデウスの言葉など聞いていない。

 頭にあるのは、目の前の白き狂人を殺すことと、何より、エリザをどうにか救いだし、ジークの元を届けることだけだ。


 だがその時、影に剣が大きくはじかれると、とっさの判断でアルフォードは一度距離をとった。


「心配か? エリザ・クロスフォードが?」


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 呼吸を乱しながら、その問いに耳を傾けるアルフォード。

 だが心はエリザに向いていた。


「はぁ……まったく、身が入っていない。これでは茶番だ」


 すると余裕のない表情に笑みを浮かべるアルフォード。


「初めから茶番だろ? お前は俺たちなどいつでも殺せる。違うか?」


「ああ、その通りだ。しかし、殺す前に勇者の力というものを見てみたい。知識は重要だ、この戦い自体は茶番でも、私は常にメリットとなることは吸収する。勇者は稀な職業だ。弱いお前からでも、学べることはある」


「ふ、そいつはご苦労なこったな? 何のためにだ?」


「何のためかだと? そうだな……しいて言うなら、ただの好奇心だ。お前たち勇者は、その力のすべてを開放した時、魔族やドラゴンをも優に超える程の存在になると聞く。とは言っても警戒には値しないがな?」


「警戒する必要のないことまで知りたいのか?」


 アルフォードはそう問うと、アマデウスを馬鹿にしたような笑みを浮かべ、演じてみせる。

 だがアマデウスには彼の根端が分かっている。

 アルフォードの心は常にエリザに向いている。もはや、自分の命は諦めていると言っても過言ではない。

 つまり、これは時間稼ぎだ。アルフォードもまた、聞く必要のないことを尋ねている。


「――保険だ」


 アルフォードはその言葉の意味が分からない。

 無論、アマデウスも詳しく答える気などない様子だ。


 だがその時、アマデウスの仮面――丁度、目の位置に見える2つの黒い穴。その奥に、紅い2つの光が現れた。


「――復讐のな」


 アルフォードはその紅い視線に、一瞬寒気を感じるも、気力で弱さを殺し、剣を構えなおす。

 だが次の間には、その紅い光も微かな揺らぎと共に消えていた。


 紅い目を見た瞬間から冷や汗を浮かべるアルフォード。

 だがアマデウスの“復讐”の意味は分からない。


「臆病な私にとって、知識とは恐怖を忘れさせてくれる薬だ」


「は? 臆病? 冗談だろ?」


「どうだろうな?」


 一瞬、アマデウスのおかしな解答に気をとられるも、またエリザに横目で視線を向けるアルフォード。

 見ると、エリザの前に立ちはだかる狐族の姿が見えた。

 

 アルフォードは考え、そして今しかないと、目の前のアマデウスに警戒を深めつつ、《笑み》と共に、動き始める。

 それは覚悟の《笑み》だ。


「お前の言葉の今は、悪いが俺には分からない。分かる気もない。だが見たいんだろ?」


「ああ、是非!」


「だったら見せてやるよ? 冥途の土産にくれてやる」


「冥途だと? それこそ冗談ではないか? 結果は明白だ」


 そして、アマデウスがそう言い放った時、「分かってるさ」という言葉と共に、アルフォードは詠唱を始めた。


「【封印の光剣ケトム・ド・ライト】!」


 アルフォードに声に続き、アマデウスの足元に白い魔法陣が現れる。


「ん? これが天属性魔法というものか?」


「ふ、よく知ってるじゃないか? だが違う。これは光属性魔法だ。俺は天属性は使えない」


「なるほど」


 その時、アマデウスの上空に七つの光る剣が現れる。

 それらは円を作り、アマデウスを囲むように展開された魔法陣の淵に刺さると、アマデウスの動きを封じた。


「【閃光の護りソリュード・ライト】!」


 さらに詠唱したアルフォードの足元に、魔法陣が現れる。

 すると白い光がアルフォードの全身を覆った。


「なるほど」


 アマデウスはその様子を指一つ動かさず、ただ観察していた。


「――お前はここにいろ」


 そう言い放った瞬間、アルフォードの姿が消えた。

 宙に光の線を描くほどの速さ。アルフォードはアマデウスの前から離れたのだ。

 そして、彼が次に現れた場所。それはアリシアの目の前だった。


「なっ!」


 突然、目の前に現れたアルフォードに驚くアリシア。


「【稲妻ライトニング】!」


 するとアルフォードは即座に詠唱を行い、エリザからアリシアを遠ざけようと、電撃を放つ。

 アリシアの足元に黄色い魔法陣が現れ、雷鳴と共に上空から一筋の稲妻が現れた。

 アリシアは尾を巧みに操り、即座に自身を覆うと、防護壁を築く。

 だがその必要はなかった。


 アルフォードの稲妻がアリシアに接触しかけた瞬間、そこに、黒い影が現れたのだ。

 影は一瞬にしてアリシアを飲み込み、稲妻から彼女を守る。それはまるで黒い球体のようだ。

 すると影の膜に弾かれた稲妻は、軽く周囲へ散らされ、完全に無効化された。


「エリザ、立てるか?」


 アルフォードはそんな様子に目もくれず、背後のエリザへ声をかける。


「うん、大丈夫」


 するとゆっくりと起き上がるエリザ。

 どうやらアルフォードは、自身の魔法が防がれると、最初から分かっていた様子だ。


「まったく、失礼な奴だ。見せてくれるのではなかったのか?」


 するとそこへ、空気を緊張させるような問いが聞こえると、アリシアの隣にアマデウスが現れた。


「アマデウス様」


「良い、闘いの感覚は掴めたか? 横やりは良くあることだ。常に周囲を警戒し、傲慢さは捨てろ。どれだけ優位でもな?」


「分かりました。肝に銘じます。ありがとうございます」


 するとアリシアへ手をひらりと一振りするアマデウス。

 気づくとアリシアは先程まで身に着けていた物と同じ、白いローブとデスマスクを纏っていた。


「茶番はもういい。ここからは私がやる。アリシア、ナッツ王の処刑の準備に取り掛かれ、今回は簡単に済ませるとロメロに伝えろ」


「かしこまりました」


 するとアリシアは命を受け、アマデウスの元を一先ず離れた。


「任務、信条、存在価値……貴様らは下らぬ大義名分を並べ、自分たちの行いを正当化している。だがそれは私には関係のない話だ。とは言え、お前たちは今まで、そうやって手を汚してきた。中途半端にな? だからこれだけの獣人が! ドワーフが! エルフが! 苦しめられることになったのだ!」


 するとその言葉をアルフォードは嘲笑った。


「木を見て森を見ていない――言わば、お前が言っているのはそういうことだ。すべては救えない。だが俺たちの行いは、大勢の命を救ってきた」


「言い訳に過ぎない。お前たちは甘んじているだけだ。自分たちの力の範囲でできうることを選び、そこに甘んじている。すべてを救わなければ意味がない。だから中途半端なんだ。ここに集まった私たちがその証拠だろう? 貴様らの存在意義など、とうの昔に滅びているんだよ。救えないなら初めから何もするな!」


 するとその言葉に怒りを覚え、手のひらから電撃を放つアルフォード。

 だがそれはアマデウスに直撃すると、自然に消滅した。


「この世界にはファンタジーが必要なんだよ」


 アマデウスは微動だにしなかった。


「ファン……? 何だって?」


「知らないか? ふ、そうだろうな? 魔法の意味にすら気づかないお前たちに、分かるはずがない。この世界は既に救われている。だが足りないのはファンタジーだ。ではどうすれば良いと思う?」


「どうするって、何がだ?」


「ファンタジーだよ! これを実現するには、一つ! いらないものが世界には混じっている。それを排除することで、ファンタジーは完成するだろう」


「お前……何を言って――」


するとアマデウスは、先程、微かに見えたあの紅い視線でアルフォードと、その後ろにいるエリザを見た。


「――人間だ」


「……」


「……」


 アルフォードとエリザは、その答えに言葉を失った。

 なぜなら2人は、その言葉が示すアマデウスの心意が予測できたからだ。


「まさか……お前」


「私は、この世界の人間どもを……」


 だがその時、不自然なほどに、突然アマデウスの言葉が止まる。

 そしてしばらく、アマデウスは空を見つめたまま動かない。


 2人はそこに違和感を覚えると、前触れのない、そんなアマデウスの行動から、言葉では表現しづらい、気持ち悪さを感じた。


「狂ってやがる……」


 アルフォードは自然とその言葉が零れた。


 するとその言葉に反応し、アマデウスはアルフォードに視線を戻した。


「狂っているだと? 私がか?」


「……」


 だが警戒の眼差し以外、アルフォードからの返答はない。


「それは違うな――」


 仮面が邪魔をして、アマデウスの表情は見えない。

 今、こいつはどんな顔で俺たちを見ているのだろうか?――アルフォードは一瞬、そんなことを考える。


「――狂っているのは俺じゃなくて、この世界なんだよ」


 アマデウスのその声には、どこか、寂しさが感じられた。

 だがもちろん、2人には理解できない。

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