第214話 ネムの涙
広間を後にし、長くどこまでも続くこの大廊下をあるく一行。未だトアの手を離そうとしない政宗。その手は微かに震えていた。だがトアにはその理由が分からない。トアは分からない政宗の心を察し、握り返す。すると廊下を進むにつれて、次第に政宗の震えも安らいだ。3人はそんな政宗の横顔を見つめていた。何も語らない政宗。だが政宗自身、何を語り、3人にどう謝ればいいのか分からなかった。――だがそれは違う。ネムやスーフィリアこそ、政宗に謝りたかったのだ。特にネムは、トアを守れなかったことを謝りたかった。すると政宗はネムやスーフィリアの感情を感知し、そっと呟く。
「ネム、スーフィリア……トア、俺のせいだ。気にすることはない。せめて魔法で、騎士でも置いていくべきだった。次からはそうするよ」
だが今の政宗は、トアから離れることを怖がっている。はたして、“次”はあるのだろうか? 政宗の中には様々な考えや……分からないが、この先の計画があるようだった。そこにはもちろんトアやネム、スーフィリアのこともあり、3人をどう守っていくのかについての考えがあった。その結果が今回だ。政宗は詰めが甘かったと、自分に怒りを覚えていた。
「顔見知りだと、レオナルドを信用した俺が馬鹿だった。あいつの立場からして、あの馬鹿息子には逆らえないよな……」
だが予定の中には、何かあった時にはトアなら自分で対処出来るだろうということも含まれていた。だがやはり、政宗はトアに聞けない。そんなことを聞けば、トアの口数が減って、きっと俯いてしまうだろうと、政宗は心配していた。ヴェルの言った通り、トアは政宗にとって、完全に『拠り所』になっていたのだ。こうして歩いている間も、政宗はトアの頬や体をちらちらと窺っている。他に怪我がないか心配しているのだ。
「さっさと、この国を去ろう。観光はなしだ。今日はダンジョンで休もう」
ダンジョンの中にある以前の政宗の家は、まだそのまま残っている。そこにはベッドもあり、食べ物もすべて揃っている。政宗はあまり使っていないようだが、今日はそこに泊まり、明日この国を発つということだった。
「それが賢明です」
スーフィリアは賛成することで、政宗は間違っていないと、そう伝えようとしていた。それから城を出るまでの間、政宗はトアの手を離さなかった。
――――。
王城を出ると、入口の両脇に衛兵の姿が見える以外、そこには誰もいなかった。色々なことがあったというのに、まだ時間は昼過ぎである。政宗たちはため息もつかぬまま、王城を振り向きもせず見納め、目の前に続く大階段を下る。すると丁度、階段の真ん中に差し掛かった時だ。向かい側から階段を上がってくる、ある2人の姿が見えた。――獣人だ。それは政宗にも一目で分かった。ネムと同じ白い猫族、そしてその隣にいるのは護衛だろうか? 薄い灰色の犬耳が見える。どうやら犬族らしい。2人共、女性だ。
「あれは……」
政宗は疑問符を浮かべる。するとスーフィリアが答えた。
「猫族と犬族ですが……あれは」
何やらスーフィリアは、その顔に覚えがあるようだった。ネムと同じ白猫族、容姿は淡麗で、ネムにも似た、透き通った白い肌に銀色の長い髪。比較するとネムの方が短いが、髪色は似ている。そして、白く透き通ったレースを重ね着しているようだ。レースが風に流され、なびくと政宗には神秘的に見えていた。そして、階段を下る者と上がる者。互いはすれ違い、通りすぎていく。
「待て……」
すると突然、その者たちが政宗らを呼び止めた。政宗が振り返ると、目に入ってきたのは、驚き、そして動揺する白猫族の表情だった。
「
神秘のレースに包まれた白猫族はネムを見つめて、まるで知っているかのように尋ねる。だがその猫族自身、まるで自分の言葉を疑っているかのように、目の前のネムを見て驚いていた。
「何だネム、知り合いか? 同じ白猫族みたいだけど……」
「……全然、知らないのです」
ネムは少し考える素振りをしたが、知らないという。政宗はネムを疑っている訳ではないが、同じ白猫族の者が尋ねてきたことに違和感を覚えていた。というより、その白猫族の女からあまりにも深い悲しみと喜びを感知したことが理由としてあった。――いくつもの感情が複雑に入り乱れ、政宗自身、目の前の女の状態がはっきりと見えなかったのだ。表情は今にも泣き出しそうな弱々しいものだ。それに伴い心は悲しんでいる。だが同時に喜び、そしてその奥には、ネムに対するものではないかもしれないが、とてつもない殺意も感じた。
「すみません、白猫族の方とお見受けしますが、どなたでしょうか? 確かに彼女はネムという白猫族の獣人です。もしかしてネムの御家族の方でしょうか?」
政宗は以前からネムの家族について気になっていた。家の場所を尋ねても分からないというネム。両親について尋ねると暗い顔をし、「嫌なのです」と話を逸らす。ラズハウセンにいた頃、一度だけとそう問いかけたことがあったが、孤児院のシスター曰く、孤児の大半は暗い過去を抱えているため、無理に掘り起こすようなことはすべきでないと忠告された。これから一緒に旅をするのだから知っておきたいと思った政宗だったが、それ以来、あまり深く尋ねたことはない。だが今、ネムと同じ白猫族の者がネムを見つめ、知っているかのように見つめている。政宗は一瞬、目の前の者をネムの家族なのではないかと、そう考えたのだ。すると白猫族の女性は、政宗の言葉から、目の前の少女がネムであることを確信する。
「ネム! 私だ! ミネルヴァだ! 覚えていないか?! よく一緒に遊んだだろ?!」
すると訳の分からないことを言いながら、ネムの肩を掴む“ミネルヴァ”。その様子にネムはびっくりして尻尾は立ち、困惑していた。
「し! 知らないのです! 誰なのですか?!」
あまりの圧に嫌がるネム。だがミネルヴァの目には涙が溢れていた。
「ちょ、ちょっと! 一旦落ち着いてください!」
政宗はその様子からただならぬ事情を察するも、間に入りながら視線で助けを求め、お付の犬族にその“ミネルヴァ”を任せた。
「ミネルヴァ様、一度落ち着いてください! もしかすると記憶の混乱が生じている場合があります!」
(記憶の混乱? ネムのことか? どういうことだ? ネムが記憶を失っているとでも言うのか?)
だが政宗には分からない。ネムは自分に母親と父親がいることは覚えているらしい。そして話したくない。ということは幼少期の記憶があるということではないだろか? 少なくとも政宗はそう考えている。つまり目の前の女性が家族だとすれば、この、ネムの反応はおかしい。しかし記憶喪失だとすれば辻褄も合う。
「一体、何なのですか?!」
ネムは急に掴まれた肩を摩り、少し機嫌を損ねている。後ろに少し後ずさりながら、嫌悪感を示していた。
「ネム! 私を覚えてないか?! 私は――」
すると話を遮り、間に入る政宗。見るとネムは、そのミネルヴァに対し拒否感を示していた。覚えていないかという問いに対し、ネムは覚えていない様子だ。このままでは埒が空かないと考え政宗はネムの代わりに語りかけた。
「あの、話が平行線になりそうなので、もう一度聞いておきたいんですが、あなたは誰ですか? ネムのことを知っているようですが、ネムはしばらくの間、孤児だったもので、あまり小さい頃のことを話したがらないんですよ」
すると政宗の言葉を聞き、徐々に表情を穏やかにするミネルヴァ。
「――獣王です」
するとその時、背後にいたスーフィリアがそう呟いた。
「え?」
政宗は聞き間違いかと思い、スーフィリアの方へ振りかろうとした。だがその時、その必要はなくなった。代わりにお付の、犬族の女性が答えたからだ。
「申し遅れました。わたくしはカユウと申します。そしてこちらにおられますのは、獣国ネイツャート・カタルリアの王。獣王ミネルヴァ様です」
「……」
政宗は淡々とした突然の説明に、言葉を失った。
「え?! 獣王?!」
政宗は間の抜けたような表情で聞き返す。
「はい」
驚く政宗に対して、普通に返答するカユウ。するとカユウは次に、ネムについても説明した。それは政宗がこれまでネムに問い、そしてずっと知りたかったことでもあった。
「そして……そちらにおられますネム様は……」
カユウ自身も、ネム本人あるかどうか、ということについて疑問に思う部分があった。だが、とりあえず疑問は一先ずとして、話を最後まで続けるカユウ。
「ネム様は、ミネルヴァ様の妹君であらせられますセレナ様の娘に当たります」
「……」
「……」
「……」
政宗、トア、スーフィリア……3人は言葉を失い、そして、それからゆっくりとネムの顔を見た。だがネムは何の事なのか、まったく状況を理解できていない様子だ。
「つまりネムは……」
「――ネム様は、獣国の王族です」
政宗が言いかけたことを、代わりに答えるカユウ。
カユウがそう答えた時、3人は真顔で静止し、ネムはあたふたしながら、それぞれの顔を見比べていた。
「ネムが……王族なのです?」
そう呟いたのはネムだ。本人も戸惑い、そして、つまりどういうことなのかということを、頭の中で整理している。
するとようやく落ち着いたのか、取り乱していたミネルヴァはネムの頭の高さまでしゃがみ込み、そっとネムに語りかける。
「すまなかった……私が王として、至らぬばかりに……ネムの……お前の両親を……殺してしまった」
「……」
「殺してしまった?……」
政宗はミネルヴァの告白に表情を歪ませた。そしてミネルヴァの言葉をそのまま繰り返すように漏らしたが、返答はない。だがその時、政宗はネムの中に、膨らんでは縮むような悲しみを感じた。
「ネム?……」
ネムが何かを思い出している。政宗にはそう感じられた。するとネムの頬を伝う涙。その時、ネムの中に現れた悲しみが、いっきに膨れ上がった。すると頬を大粒の涙が流れ、ネムは両腕で顔を隠しながら、何度も涙を拭っていた。だが拭っても、拭っても流れ出てくる涙と悲しみ。
――“愛してるわ……ネム”
ネムの中で、何故か忘れていた言葉が繰り返される。
「ごめんなさい……ネム……」
ミネルヴァの頬にも大粒の涙がながれていた。ネムの涙を見て、あの日の惨劇が思い出されたのだ。2人は同じ様に涙を流し、そして、ミネルヴァは感情のままにネムを抱きしめた。すると不思議なことに、ネムは抵抗するどころか、ミネルヴァを抱きしめ返したのだ。
「ネム?」
政宗もトアも、そしてスーフィリアも、その理由が分からない。だが当時、まだ幼かったネムにとって、それは記憶に留めておくにはあまりにも辛すぎる出来事だったのだろう。ネムは幼さと相まって、ゆっくりと記憶から消したのだ。あの日の出来事を……あの日、両親が目の前で殺された、あの瞬間の記憶を。
「ミーミ……」
ネムは涙を浮かべ、抱きしめるミネルヴァを、そう呼んだ。
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