第215話 【惨劇の雨編】:白猫の王女と人間の子

 一面に色鮮やかな花々が広がる庭園。傍には白の柱と屋根、白いベンチとテーブルがある。

 花々に埋もれながら、青空の下を駆ける3人の獣人。頭に猫の耳を生やし、腰の後ろから尻尾が生えている。

 2人は毛が白銀で、1人は茶色だ。

 3人はふざけ合いながら、いつまでも駆けまわる。

 その幸せは永遠に続くと思われた。時間は進み続ける。幸福であれ不幸であれ、時は流れ、そして3人も大人になった。





 20年以上前——。

 時代は、ミネルヴァが獣王に即位するより少し前んこと。

 大国ダームズアルダンが滅び、そこにダームズケイル帝国が建国され、世界はその話題で持ちきりだった。


 獣国ネイツャート・カタルリアを治めていた王、白猫族のセリオン。ミネルヴァの母親だ。

 獣人において、猫族というのは最たるものではないが、優秀な種族だ。特に白猫族は優秀であり貴重。数が少ない。

 初代獣王も白猫族だった。キャットウィザードの職業を持つ初代獣王は、獣人の特徴である超人的身体能力を超えた魔力により、獣人をまとめ、国を築いた。

 獣国の王は代々白猫族が務めてきた。白猫族以外を王にすることはない。後にも先にも、それが獣国なのだ。

 キャットウィザードという職業が、白猫族にのみ現れる固有の職業であるということも関係しているだろう。

 それが長きに渡り繫栄し続けた、〈白猫国家〉の正体である。


 当時、獣国はある分岐点に差し掛かっていた。だがセリオンは、それに気付いてない。


「セリオン様、ダームズケイル帝国より届いております文書ですが……」


 頭に狐の耳を生やし、白く長い髭を生やした老人。黒に紫の線が入ったローブを纏っている。腰は曲がり、杖を片手に体を支えている。


「愚か者! そんな者、放っておけば良いのだ!」


 王の広間にて王座に構えるセリオン。この頃、獣国は新たに生まれた自称帝国――ダームズケイルとの同盟を迫られていた。執拗な勧誘に苛立ちを覚えていたセリオンは、帝国の名を聞くだけで機嫌を損ねた。


「自国の民を見捨てた反逆者の末路など、すでに決まっておる。じきに八岐の王が裁きをくだすだろう。我らの出る幕ではない。それよりも爺や、アンナはどうした? 姿が見えぬぞ」


「部屋に籠られております」


「またか……」


 頭を抱えるセリオン。


「はぁ……それで?」


「学内で虐めを受けているということです」


 これが初めてではない。

 王族でありながら茶色い猫耳もって生まれたアンナは、王族に相応しくないと、国民からも王宮関係者からも差別を受けていた。世話をするメイドの中にまで、アンナを毛嫌いする者がいた。それほどに王族が白猫族であることは当然かつ重要なのだ。王族に、白猫族でないものはアンナを除いて他にはいない。


「処理は済ませたのか?」


「はい、その者には獣戦士校の退学を言い渡しました」


「……分かった」


 それでことが治まるとは思っていない。これまでもそうしてきた。だが結果、再度ことは起こり、アンナは引きこもる。


「今、別の者を向かわせております」


 セリオンから見て大広間の右側には、第一王女ミネルヴァ、そして第三王女セレナの姿があった。アンナは第二王女に当たる。


 広間の大扉が乱暴に開き、「獣王様!」と慌てた様子のメイドが入ってきた。槍を持った衛兵が彼女を阻もうと動きかけたが、セリオンが許す。メイドの口から、アンナが自室を抜け出したことが告げられた。

 この時ばかりはセリオンも焦った。彼女が部屋を抜け出したのは、初めてのことであった。

 アンナが国外へ逃亡したと分かり、セリオンは捜索隊を国外へ派遣。その後、国内において、これまでアンナに関わった者に対しての取り調べを行い、アンナを追い詰めた可能性のある者は容赦なく処刑した。


 アンナ失踪後、2年の月日が経った。

 ラズハウセン近隣の名の知れぬ森にて、アンナを発見した獣国捜索隊。その後、アンナは獣国へと連れ戻されることになる。最愛のオリバー・ジョーのために国へ帰還したアンナは、それからしばらくの間、地下牢へ幽閉されることとなる。

だがその頃、獣国ではまた別の問題が起きていた。それは獣国の第三王女セレナに関わる話である。獣王セリオンやミネルヴァと同じ白い猫耳と尻尾、そして風になびく銀色の髪。アンナは茶色の猫族であったことから差別を受けていたが、ミネルヴァとセレナは、すべての国民が認めるほどの美貌と魔力の持ち主であった。

だが2人には大きな違いがあった。


「セレナ、今、なんと言った?」


「わたくしは王女の任を降ります。この国の思想には従えません」


絶句する獣王。そして表情を変えず、引き下がらないセレナ。


「アンナに毒されたか? セレナ」


隣で姉のミネルヴァは、唇を噛み様子を窺っている。3姉妹は非常に仲が良く、どうやらセレナは、ミネルヴァにだけは打ち明けていたようだった。


「毒されてなどいません。それが当初からの、わたくしの意志です」


広間に並ぶ衛兵や士官たちは皆、表情を硬直させていた。

するとその時、広間の大扉が開き、一人の伝令が入ってきた。


「どうした?」


苛立つセリオンは話題を逸らそうと伝令に視線を向けた。


「は! 正門前にて王都ラズハウセンより、王子アーノルド・ラズハウセン殿がお見えになっております」


獣人が人間を敬うことはない。これは形に過ぎず、伝令も心の中では辟易していることだろう。これがこの時代の獣人と人間の関係だ。人間は獣人を見下し差別する。そして獣人は人間をひ弱な種族だと下等生物扱いし、獣国では関わりを禁じていた。


「追い返せ、そして、“もうこの国へ近づくなとそう伝えろ。寛大な我は“命”までは取らなかったのだぞ? その恩を無下にするつもりか?“と、そう伝えるのだ」


「は!」


すると広間を後にする伝令。『命』とは誰のことか? ――それは王子アーノルドやラズハウセンの国民のことであり、そして何より、オリバー・ジョーのことだ。獣王セリオンはアンナがあろうことか、人間の男と恋仲にあったことを知っていた。本来であれば、それは獣国において外に漏れることなどあり得ない話だ。人間との接触すら禁じている国の王女が、よもや人間と恋仲にあったなど、到底、知られて良いものではない。にも関わらず、今、第三王女セレナは、国を飛び出し、そして、獣人と人間などの多種族が差別なく暮らす町『アノール・フェリア』で暮らすと、そう言っているのである。故に獣王は頭を抱えていた。


「それで? セレナ、国を飛び出し、アノール・フェリアに行ってどうする?」


「多種族と手を取り合い、平等に暮らすのです。それが、わたくしたちの、本来あるべき姿なのですから」


それがセレナの意志だった。人間との接触を禁じ罰則を設け、人間の子など孕んだ時には死刑も容易にあり得る国。法律、思想。様々なものにおいてセレナは獣国というものを見限っていた。この国には未来はないと、そう思っていたのだ。


「許さぬと、そう言ったら?」


獣王は冷たい視線でそう尋ねた。


「死を選びます。わたくしは獣人の支配の下で生きるつもりはありません」


「人間なら良いというのか?」


「そうではありません、獣人のみに縛られた考え方が愚かだと言うのです」


「愚か、だと?……」


セレナは恐れなかった。あろうことか、獣王を含めたこの国の者たちは愚かだと、そう言い放ったのだ。


「……国外追放を命じる」


「陛下!?」


側近たちは獣王の言葉を疑った。それもそうだ。アンナを連れ戻しておきながら、セレナには国外追放。話がめちゃくちゃだ。だが獣王セリオンの心意は、複雑なようで単純であった。娘の幸せを願い、それぞれには望むように生きてほしいと思う一方で、王としては受け継がれてきた伝統を侵す訳にもいかない。獣王としては、人間は飽くまで劣等種族であり、相容れぬ存在だと考えなければいけない。だがセリオン自身には、それほど深い思想はなかった。だから娘たちが望むのであれば、獣国以外での暮らしを認めてやりたかったのだ。突き詰めて話すと、要は第一王女であるミネルヴァさえこの国にいれば、王族の血が絶えることはない。それで良かったのだ。そしてそんな母親の思いを、ミネルヴァは理解していた。


「母上、私は……」


「その面、二度と見せてくれるな? セレナよ……」


 それが、獣王セリオンが娘のセレナと交わした、最後の言葉であった。

 セレナが自分の意志で国を出たことに対し、アンナは理由も告げずに飛び出した。無論、セリオンとてアンナが脱走した理由くらい分かっている。だが意志を告げある種、許された者と、脱走者とでは大きく違うのだ。だがそこには獣王としてではなく、母親としての思いもあったことだろう。時が来ればセリオンもアンナを許し、そしてまたアンナとオリバーは再会できるはずだ。だが今は時間が必要なのだ。故にセリオンは、セレナの意志を認めた。

だがセリオンは獣王として、国の伝統に背く者を排除しない訳にもいかなかった。いずれにしろ、これはその内、国民の耳にも知れることだからだ。ならば獣王として示す必要がある。背いた者がどうなるのかを。

だが国外追放は、母親としては兎も角、獣王としては軽い判断だろう。だがセリオンには、娘を殺すことなどできなかった。

そして、セレナはその後、国を去る。姉のミネルヴァに別れを告げ、幽閉されているアンナに別れも告げぬまま、アノール・フェリアへと旅立った。











 アノール・フェリアへ訪れてから数年が経ち、セレナはすっかりこの町へ溶け込んでいた。この町では人間も獣族も、ドワーフもエルフも、そして魔族も隔たりなく共に暮らしていた。虐げられた者にとっては、まさに理想郷である。

そしてセレナは町の中心地に位置する市場を歩いていた。そこに見えるのは、布を何重にもした適当な雨避けのための屋根だけだ。その下には魚や果物、肉類やミルクといった食品が売られている。中にはここでししか手に入らないような、珍しい食材もあり、多種族に理解のある旅人なども訪れていた。


「セレナちゃん、今日はお買いものかい?」


するととある店の店主がセレナに話しかけてきた。どうやらセレナとは親しいようだ。


「トリシュおばさん、おはようございます」


「いい天気だねぇ?」


昨日は大雨だった。だが本日は快晴である。


「はい、これで洗濯物も乾きそうです」


「セ、セレナ……おはよう」


すると店主の後ろから恥ずかしそうに頬を赤らめ、顔を覗かせる者がいた。


「レイヴン、おはよう。どうしたの? なんだか、頬が赤いわよ?」


「あ、いや……その」


するとレイヴンの背中を「しっかりしなさい」と言いながら叩くトリシュ。


「この子ったら、セレナちゃんに惚れちゃったみたなのよ?」


「ちょ、ちょっと! 母さん! そんなんじゃないよ!」


その親子の様子に、くすっと笑みを浮かべるセレナ。そこにはほんわかとした日常があった。

トリシュとレイヴンは人間だ。だが2人は獣人であるセレナを差別しない。それどころか、レイヴンはセレナを好いているようであった。


「なあ、セレナ?」


「ん?」


すると頬を赤らめながら声をかけるレイヴン。


「その……今日の祝夜会なんだけど、その、ダンスの相手は決まってる?」


祝夜会とは今夜、近くの中央広場にて行われるダンスパーティーのことだ。それほど豪華なものではない。住民たちがそれぞれ料理や材料を持ち寄り、町民全員で築き上げられる小さな宴だ。この町でのこれまでの暮らしと、これからの繁栄を祝うために開かれ、パーティーの最後には、広場に中央に用意された大きな炎を皆で囲み、盛大なダンスが行われる。

イベントやお祝いごとの盛んなこの町で、特にこの宴は重要だ。最後のダンスは、それぞれが意中の相手に思いを告げるためのイベントとなっている。


「ダンス? いいえ、私は相手もいないし、それに、今日は参加しないつもりでいたから……」


セレナは少し言葉を濁すように話した。


 セレナは一言で表すと、絶世の美女だ。その銀髪を風がさらえば、周囲の男どもは皆、振り向く。そしてその可憐な姿にうっとりするのだ。そんな女性が誰にも誘われていないはすがない。では何故、ダンスの相手がいないのか? それはセレナがあまりに美しいことから近づきづらく、町の男どもが引き気味になり距離をおいてしまっているからだ。そんなことから町の若い男どもはセレナと話したくても話せないのだ。セレナ自身が内気な性格をしているこもあり、セレナに話しかける者はこのトリシュのようなおばさんや年寄りくらいしかいなかった。つまり、レイヴンは運が良い。母親に感謝すべきである。

するとレイヴンは、セレナにパーティーの相手がいないことを知り表情を変え、覚悟を決めた。


「その! 良かったら、俺と今夜、踊ってくれないか?!」


突然、声量がおかしなことになるレイヴン。だが彼は一途だった。


「え……」


いきなりの申し出に戸惑うセレナ。セレナがこの町へ訪れて以来、彼女に告白した者はいない。告白と呼ぶには大袈裟かもしれないが、レイヴンにとってはそれ程に重要なことであり、その様子に誰もがレイヴンとセレナを凝視していた。


「その……私で良ければ、お願いします」


その瞬間、レイヴンの表情が恥ずかしさと嬉しさから、みっともないモノになる。そして周囲に偶々いあわせた男性陣は大きなため息を吐いた。


「本当に?!」


「え、ええ……」


するとセレナの手をいきなり両手で取り、目を見つめ「ありがとう!」と大袈裟に答えるレイヴン。


「あんた! 何やってんだい?! セレナちゃん、びっくりしてるだろ?!」


だが空かさず止めに入るトリシュ。


「え?……あ! その、ご、ごめん!」


すると直ぐに手を離し、頬を赤らめるレイヴン。照れくさそうに頭をポリポリとかきながら、母親に、「女性は丁寧に接しろ」だの何だのと、軽く怒られていた。セレナはその様子に微笑みながら、レイヴンの顔を見つめていた。

だが何故かレイヴンと同じように、セレナの頬も赤い。レイヴンにいきなり手を握られたからだろうか? というのもセレナ自身、嫌な気はしていない様子だった。

それどころか……




 これがレイヴンとセレナの出会いだ。出会いは平凡なものであった。だが2人の出会いを咎める者はない。獣王でさえも否定することはできないだろう。これが、セレナが望み愛した人生なのだから……。

だがその日、セレナには夜会へ行くことのできない理由があった。それはこの日の夜、丁度、獣国より姉のミネルヴァがセレナに会いにくることになっていたからだ。

 獣国の王女が不用意にこの町へ訪れ、そしてセレナと王女が親しげに話をしている。大袈裟に言えばそんな姿を誰かに見られでもしたら、それは後々、獣国の存亡に関わる。だからこそセレナは、年に数回、人気ひとけが町の中央に集中するこの日を選んだのだ。


「あの、レイヴン?……」


すると不安そうに話しかけるセレナ。するとその声に振り向いたレイヴンは、セレナの表情を見るなり、セレナと同じように不安そうな表情をした。


「ど、どうしたんだい?」


「その、夜会なんだけど、その、少し遅くなっても良い?」


するとレイヴンは、“なんだそんなことか”と、心の中で胸をなで下ろす。


「あ、ああ、勿論さ! ゆっくりおいでよ、僕は待ってるから」


「うん、ありがとう」


2人は微笑合い、すると照れくさいはずが、お互いに瞳を見つめ合っていた。




 日が暮れ、空が闇に包まれると、町の中央からは軽やかなメロディーと町民の楽しそうな話し声が聞こえてきた。現在、アノール・フェリアでは祝夜会が行われている。だがそこにセレナの姿はない。セレナは今、町の傍に見える大木の影で、ミネルヴァと久しぶりの“密会”をしていた。2人はこうして、月に一度この木の傍に集合し、密会を行っていた。


「町が騒がしいな」


「今日は、祝夜会だから」


セレナは何故か答えにくそう言った。するとミネルヴァはセレナの表情を窺い、そっと微笑む。どうやらセレナの心境の変化に気づいたようだ。


「祝夜会か、セレナは行かないのか?」


「私は……」


「待たせてるんだろ?


「え?……」


ミネルヴァの言葉に驚いたセレナは、意外そうにミネルヴァの顔を窺う。すると彼女はセレナに微笑みかけていた。その微笑みにセレナは誘われ、すると照れくさそうに笑みを零してしまう。


「やっぱり、誤魔化せないなぁ……お姉ちゃんの前じゃあ」


「恋人でも出来たか?」


「恋人だなんて! そんな……」


姉の鋭い追及にたじたじになりながら慌てるセレナ。するとおかしな沈黙が生れ、お互いに次の言葉を待った。


「変わったな? セレナ」


突然どこか遠くを見つめたようにそう言いだすミネルヴァ。

確かにセレナは変わった。もう王女としての口調も忘れ、そこには一町民としてのセレナの姿があった。もはやただの獣人だ。その言葉に、セレナは何と答えて良いのか分からない。


「アンナは、元気にしてる?」


「ああ、城の外へ出ることはまだ許されていないが、それでも元気だ。ただ……」


「ただ?……」


「アンナも、外に思い人を残してきたみたいだ。セレナは自由なのだから、掴んでみせろ。幸せを――」


ミネルヴァのその口調に、セレナは違和感を覚えた。まるでミネルヴァも自由になりたがっているような、そんな違和感だ。


「お姉ちゃん、もしかして……」


もしやミネルヴァは獣王なりたくないのではないか? 自分と同じように自由になりたいのではないか? セレナはそんなことを考えていた。


「いや――」


だがミネルヴァはセレナが察する前に否定した。


「私は獣王になる。それが私の役目であり、人生だ。民を見捨てることはできない」


「お姉ちゃん……」


「心配するな。私は元々、王になることを望んでいた。獣王になって、この古い風習を壊す。そして多種多様な種族が手を取り合って暮らせる国を作るのだ。そうすれば、セレナも戻って来られるし、アンナが寂しい思いをすることもなくなるだろう。それまで待っていてくれ」


「……うん、ごめんなさい」


セレナがそう言いながら顔を伏せると、ミネルヴァは妹の頭を撫でた。

それがミネルヴァの思いであり願いだった。ミネルヴァは、獣国に馴染めないセレナとアンナ、この2人のために、そして自分のために、いつになるかは分からないが、新たな国を作ろうとしていたのだ。もちろん人間との共存を望まない者もいるだろう。だがミネルヴァは、いつかは皆手を取り合い分かり合える日がくると、そう信じていた。


「さあ、行け。待たせているんだろ?」


「……うん」


微笑みかけるミネルヴァに、頷くセレナ。ミネルヴァは妹たちを愛し、セレナは姉を慕っていた。ここにはいないが、アンナを含め、3人の心は通じ合い、そして互いに思い合っていた。だからこそミネルヴァは、妹セレナが祝夜会へと向かうその背中を、愛と祈りの思いで見つめ、微笑んでいた。




レイヴンは遅れてきたセレナを笑顔で迎えた。ただ来てくれたことが嬉しかったのだ。

女性慣れしていない初心なレイヴンは、するとセレナに手を差し出す。セレナは躊躇うことなく手を伸ばし、そしてレイヴンは手を取った。他の町民たちに混ざり、身を乗り出し、2人は炎の前で踊る。この時ばかりは誰もがレイヴンを許し、男共も薄らと笑みを浮かべていた。この町はそういう町だ。そしてレイヴンとはそういう人間である。獣人からも魔族からも好かれ、口数が少ない割に彼を知らぬ者はいない。


「セレナ……」


「ん?」


ゆったりとした曲に合わせ、ゆっくりと踊る2人。するとレイヴンは切り出す。


「俺の……恋人になってほしいんだ」


レイヴンの告白はシンプルなものだった。だが奥手なレイヴンにとって、これは頑張った方であり精一杯だった。するとポケットから青く光る石のネックレスを取り出すレイヴン。


「これを、受け取ってほしいんだ」


「これって……」


「『アノールの光の結晶』さ、偶々みつけてネックレスにしてみたんだ。これを受け取ってほしい」


町の外に見える大木。先程セレナが姉と会っていた木の事だ。その大木は『アノールの光』と呼ばれ、稀に特殊な鉱石が実る。これはその鉱石をペンダントにしたものである。レイヴンがセレナのために前々から持っていたものだ。

すると首に腕を回し、レイヴンはセレナにネックレスをかけた。セレナは拒否することなく、身を乗り出す。


「私……レイヴンの恋人になるわ」


あまりに安直な答え方だ。青春真っただ中の若者でもあるまいし……だがセレナにも、どう答えていいのか分からなかった。セレナは王女としての人生しか知らないのだ。彼女にとってもこれは精一杯の答え方だった。


 そして2人はその後、結ばれた。そこに至るまでの道のりは、そう長いものではなかった。セレナは姉を紹介し、ミネルヴァにレイヴンを紹介した。セレナが獣国の元王女であることを知った時、レイヴンは少し戸惑っていたが、「道理で綺麗な訳だ」と冗談交じりに言って見せた。すると愛に溢れる2人のその様子に、ミネルヴァは楽しそうに笑っていた。ミネルヴァにとってもそれは初めてのことだった。なにしろセレナのそんな表情を見たのは久しぶりであり、思い出せば幼少期以来のことだったのだから。


 それから2人はアノール・フェリアに家を建て、町一番のラブラブ夫婦として知られることとなる。ミネルヴァも時に家へ訪れ、レイヴンとも上手く関係を築くことが出来た。

そんなある日、セレナとレイヴン、2人の間に子供が生れたのだ。獣人と人間のハーフだが、セレナによく似た白い猫耳と尻尾の白猫族だった。


「ネムちゃ~ん、ご飯でちゅよ~」


レイヴンは娘を溺愛し、セレナは傍で微笑んでいる。稀有な巡り合わせにより、人間であるレイヴンと白猫族の王女セレナの間に生まれた娘。


――それがネムだった。











 ネムが生れて数年が経ち、ネムも立って言葉を話せるくらいに成長した。獣人の成長はさほど人間と変わらないが、寿命は大きく違う。

そしてここはネムたち3人の親子が暮らすアノール・フェリアのマイホーム。セレナは洗濯物を干し、レイヴンはそれを手伝っている。そしてその傍で、適度な距離を取りながら、ネムとミネルヴァが向き合っていた。ミネルヴァの表情は真剣そのものであり、ネムの表情には不安が見られた。


「ネム、心して聞くのだ」


ミネルヴァは真剣な眼差しでネムを見つめる。


「これからネムに稽古をつける」


「ミーミは……ネムをいじめるのですか?」


すると不安な表情でそんなことを言いだすネム。ネムは臆病だった。

ミーミとは愛称だ。ミネルヴァだからミーミ。だがそれはネムしか呼ばない名だ。


「いじめるのではない、訓練だ」


するとネムはセレナとレイヴンの方を不安そうな目で見つめる。


「母様! 父様! ミーミがネムをいじめるのです!」


「違うよネム? ミネルヴァさんはネムに『猫拳』を教えてくれると言ってるんだ。今後のためだ、しっかりと教わっておきなさい」


すると真面目に特訓を受けるよう促すレイヴン。すると隣にいたセレナが一言添えた。


「いい、ネム? 白猫の始祖ネイツャート・オブリビアス・カタルリア様は、“親切には恩返しを、そして命の恩人には生涯の愛を”というお言葉を残されたのよ。だから白猫族には、愛した者を守るための力が必要なの、『猫拳』は猫族に伝わる秘伝の奥義。これは猫族に生まれた者には必要な力なのよ?」 


だがセレナはさほど、“猫族”という部分に拘っていない。だが猫拳は身を守る術として十分に使えるのだ。要は護身術を覚えておけと言いたい訳だ。

するとその時、ネムの目つきが変わった。


「分かったのです! ネムは、未来のご主人様にお会いするその時のために! 猫拳を学ぶのです!」


ネムは何故か、『ご主人様』という言葉に敏感で、白猫族であるにも関わらず、何故か“主人”というモノに憧れていた。といっても一時のものだろう。幼きネムは当時、その言葉をよく口にした。おそらく絵本か何かの影響だろう。些細なことだ。


「そうだネム、猫拳は白猫族にとって重要なことだ」


ミネルヴァは仕切りなおす。


「特に、どんな巡り合わせかは分からないが、ネムはオブリビアス様と同じ『キャットウィザード』。力を有した者には、それ相応の責任が伴うというものだ。ということで今回、ネムには基本の型である【猫風怒キャットフード】と、中級の型である【七色の猫拳ミラクル・キャット】を伝授する。ネム、心して学ぶように!」


先生面をするミネルヴァ。だがミネルヴァもそれだけ嬉しかったのだ。赤子のネムを初めて目にした時、ミネルヴァはその姿に涙を浮かべていた程であった。そんなネムが今では猫拳を学べるまでに成長した。ミネルヴァにとっては、何とも感慨深いものであった。そしてネムはミネルヴァに懐いていた。獣国の次期獣王であるミネルヴァを“ミーミ”と呼び、そしてミネルヴァも、そんなネムを愛していた。現在のミネルヴァは、もう殆どネムに会いに来ていると言っても過言ではない。


「ではネム、これが基本の構えだ!」


「は、はいなのです!」


こうしてネムは、その後、厳しいとは言えなくもない“優しい”特訓により、猫拳を習得する。ミネルヴァは愛ゆえに甘やかすタイプだった。

 その後、ミネルヴァは頻繁にネムに会いに訪れた。それもあってか、何度目かの特訓により、ネムは2つの猫拳を習得する。ネムは両親に愛され、そしてミネルヴァに愛され、幸せな日々を過ごしていた。


 だがその日常は、長くは続かなかった。予てより獣国へ文書を送り続けていたダームズケイル帝国。彼らが獣国に現れたことをきっかけに、すべてが一変するのだ。

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