第193話 理解されぬ異常性
「学校を辞める? どういうこと?」
佐伯の言葉に、その場にいた勇者たちは戸惑っていた。
教室にまで聞こえてくる雷雨が、まるで悪い知らせであるかのように錯覚させる。
――佐伯が学校を去る。
一条は入口横の壁にもたれかかり、佐伯の言葉に笑みを浮かべていた。
佐伯の心境の変化、あるいは成長。そういったモノが見えたのかもしれない。
「グレイベルクに行く。そこで俺は、聖騎士を目指す。だから今日、この後すぐ学校を去る……」
佐伯は目を逸らし、途切れ途切れの片言を話した。
「グレイベルク?……異端審問はどうなったの?」
河内が代表して尋ねた。
皆、それを聞くために待っていたのだ。
「園田、お前の言う通りだったよ。ニトは無罪だ」
佐伯は、残念そうにするわけでもなく、淡々と答えた。
「うん……」
園田健四郎。
最近になり、図書室から出てきた男だ。
グレイベルクにいたころから、すっと図書室にいた。
フィシャナティカに来てからもずっと図書室にいた。
偶に誰かといることはあったが、最近は皆といるところをよく見かけるようになった。
そして今も本を読みながら、佐伯の言葉に答える。
そしてそんな園田だが、異端審問が行われる前、突然、佐伯に「結果は無罪だ」と、そう言ったのだ。
普段、あまり話さない園田がそう言ったことに対し、佐伯は深くは追及しなかったが、現にそうなったことに、内心驚いていた。
「無罪?……どうして?……」
河内だけではない。
誰もがそこに不満を覚えた。
一条以外は。
「現状あいつは、人間には殺せないらしい。王たちはそう判断したんだ。それよりも殺さず監視する方が最善なんだと、そう聞いた」
「最善だと? 殺さないことが最善だって言うのか?」
飯田は、その判決に納得がいっていない。
「飯田、俺もそうだ。だがな? 俺にも分からねえんだ。俺もそう言ったよ。おかしいだろって……そう言ったんだ。参考人として、話を聞きたいと言われ説明もしたが、話なんて聞いてもらえなかった。あいつらが聞き耳を立てていたのは、ブラームスとかいうおっさんの話だ……取り合ってもらえなかったんだ。そもそも、俺はただの生徒に過ぎなかったんだ、会議に呼ばれたことが、そもそもおかしな話だったんだよ。そして今日の結果だ……それが、王の決めたことだった。ならもう、納得するしかねえだろ?……」
佐伯は納得していない。だが理解はしていた。
佐伯は馬鹿じゃない。
アーサーの言ったことも、ちゃんと理解はしている。
だが説明できるほど、まだ心は穏やかではなかったのだ。
「それで……聖騎士になるってどういうことよ?」
真島の問いに、佐伯は一度、どう返事をするか考えていた。
すると佐伯は、何故か薄らと笑みを浮かべた。
それはその場にいる生徒たちに対して向けられたものではなく、自分に対しての笑みだ。
佐伯は自分に呆れていたのだ。
そして問いに答えるというよりは、皆の根底にある疑問に対して答えようとする。
「そうだな……もう少し早く気づくべきだった。俺たちは、団結する必要があると……そうじゃなけりゃあ、俺たちは……生き残れない」
佐伯の「学院を去る」と言ったその言葉に、戸惑っている者もいた。
現状、佐伯はこのグループの要的な存在だったのだ。
魔族が会場を襲撃した時、勇者たちを最初に守ったのは佐伯だ。
それで救われた者もいる。
「4年だ。俺は4年で聖騎士になる。お前らは4年で、今よりも強くなれ。そして自分たちだけでも生きていけるだけの力を身につけろ」
「佐伯……もしかして、まだアリエスを……」
そう、恐る恐る尋ねたのは
だが佐伯の様子には以前から、皆、気づいていた。
「今は何も言えない……俺もどうなるか分からねえんだ」
佐伯は自分の状態について実際のところ分かっていない。
だからその質問には答えられないのだ。
だがそんな佐伯に対し、勇者たちの中には寛容なものはいた。
むしろ見直したような視線を向ける者もいた。
「佐伯、一度決めたなら最後までやり通せよ?」
微笑ながらそう言う飯田。
「ああ……」
佐伯は照れくさそうにそう言った。
「一条は目を覚ませと、そう言ったが、現状……それが俺の答えだ」
佐伯はアーサーから忠告を受けた今でさえ、まだアリエスを思っている。
グレイベルクへ行く、大半の理由はそれだ。
アリエスの意志を継ぐつもりなのだ。
「佐伯、じゃあ俺もいくよ」
すると突然、ついて行くと言いだす木田。
「いや……行くのは俺一人だ。木田、もう俺の後を追うような真似はするな。お前も自分の人生を生きろ。自分で選択するんだ」
木田は佐伯の言葉に、言い返さない。
木田からしてみれば、断られるとは思っていなかったのだ。
だから思わず、そこで言葉を失ってしまった。
「でも佐伯くん……僕たちはどうしたらいいの? 僕らは世間が思っているほど強くないんだよ? 佐伯くんがいなくなったら僕達は……」
長宗我部 晴彦。
彼は佐伯が去ることに対し、不安を抱えていた。
晴彦の手を隣でしっかりと握るジェシカ。
2人は恋人関係にあった。
「……冒険者になるんだろ?」
すると佐伯は晴彦の問いに対し、そこに残されることになる全員の顔を見た。
そしてそう問いかけた。
佐伯を引き留めようとしているのは晴彦だけではない。
ここにいる皆が、似たような不安をかかえていた。
小泉たちもいなくなり、次は佐伯がいなくなる。
いつか皆いなくなって、最後には自分だけが取り残されてしまうのではないか?
そういう不安があった。
「俺たちは、どんなことがあっても、もう切り離すことが出来ない関係だ。そういうもんがある。腐れ縁かもしれねえが、俺たちは仲間だ。だからお前らにはちゃんと言いたいことを伝えてから行く……」
すると佐伯は、ため込んだ言葉を吐き出した。
「もう、日高の影は追うな。あいつは死んだんだ」
佐伯は気づいた。
「あの時の俺は、調子に乗っていただけだ。今なら分かる。この世界の連中は残酷で、人を殺すことを躊躇わない。俺は多分、まだ躊躇っちまう。でも慣れていかないといけない。聖騎士になるならな……。お前らもそうだ、慣れないといけない。だから、死んだ仲間の影を追っている場合じゃないんだ」
「“仲間”?……」
その時、河内が佐伯の言葉に違和感を覚え、そして驚愕した。
「そうだ……日高も仲間だ。そして……俺が殺した」
全員が佐伯の言葉を静かに聞いた。
まさか佐伯の口から、そんな言葉が出てくると思わなかったのだ。
「だがやっぱり、無能は殺される。ここはそういう世界だ。俺らもこのままじゃ、いつかそうなるかもしれない。だが俺は、黙ってそうなるつもりはない。お前らもだ、黙って殺されるような人生は嫌だろ? 日高は死んだ、だからもう救うことはできねえ。ならあいつの分まで生きてやれ。殺したのはアリエスだ。そして俺はあの時、それを望んだ。そしてお前らは止めなかった。程度は違うが、少なくとも皆の中にも罪悪感はあるんだろ? だったら生きろ……生きるために強くなれ。自分のために……そして、日高のために……」
すると佐伯は最後に、それぞれの顔を確認した。
そして俯く木田に別れを告げる。
「世話になったな、木田。みんなを頼む……そうだ、これをやるよ!」
すると佐伯は、先程、オズワルドに貰ったローブを木田に放り投げた。
「選別だ。お前が皆を守れ……木田」
「佐伯……」
「お前も……いつか気づくことになる。俺たち2人は、最低な人間だったってことにな? 俺はまだ口ではこうは言っても、日高に対して罪悪感を覚えることは出来ない。俺はそういう人間だ。だがそれでもいつか、気づくことになるはずだ。……その時は皆、木田を支えてやってくれ」
佐伯は微笑み、そう言った。
からげんきだ。
自分がそんなことを言える人間でないことは分かっている。
「湿っぽくなっちまったが、小泉たちもそうだ。あいつらもきっと、どこかで生きている。おそらくあいつらなりの考えがあってのことだろう。あいつらも自分の人生を生きようとしてるんだ。だったら俺たちも見習おうぜ?」
そして佐伯は入口へと歩いて行く。
「じゃあな……みんな」
すると扉の前で立ち止まった。
「一条……」
「ん?」
「俺はお前を許してねぇ……」
「……ああ」
「だがお前も仲間だ。どうやら俺はおかしいらしい。自分じゃ分からねえがな?」
「……」
「だが仮に俺がおかしくて、それがこの先、治るようなことがあれば、次にお前と会う時は、笑って再会を祝えるはずだ。それまでお互い無事でいよう。日高の分までな?」
「ふ……変わったな。だが……そうだな。生きよう」
佐伯と一条は一瞬、微笑み合い、すると佐伯は教室を出た。
佐伯は、アーサーの待つ馬車まで急ぐ。
廊下を走り、最後のフィシャナティカを眺めていた。
すると廊下の先に、ジョアンナとデイビットの姿が見えた。
「いくのかい? 佐伯くん?」
デイビットは相変わらず軽快に尋ねる。
「ああ……」
「佐伯様が決めたことなのでしたら、わたくしは何も言いません」
ジョアンナは別れを惜しんでいた。
顔にはそう書いてあった。
寂しいと――
「色々と世話になった。お前らのおかげで、魔法を知ることが出来たよ。だから感謝してる」
「佐伯くんに言われると、やっぱりむず痒いなぁ」
「佐伯様はあまりわたくしたちにお礼を言わない方ですから……」
「ふ……ありがとうな? 2人のおかげだ。対校戦に出られたことも、今の俺があるのも……最初はただ利用していただけだったんだ。でも今は、親友だと思ってる。この世界に来て初めて出来た。親友だ……」
するとジョアンナは佐伯から目を逸らし、顔を隠すように後ろを向いた。
「どうしたんだいジョアンナ? もしかして泣いてる?」
するとその様子をデイビットは面白がった。
「泣いてなどいませんわ! 馬鹿なことを言わないでください!」
すると佐伯は2人のその様子に、優しく微笑んでいた。
「2人とも……世話になった」
そして佐伯は2人の間を通り過ぎていく。
デイビットとジョアンナは、その背中を見つめていた。
デイビットはどこか寂しそうに。
ジョアンナは目を赤くしていた。
……。
そして、しばらくすると、佐伯の姿は見えなくなった。
その後、佐伯は仲間たちの元を離れ、アーサー王と共に、グレイベルクへと旅立った。
自分の人生を生きるために。
目的を、遂げるために――
――――。
▽
「じゃあそろそろ俺もいくよ」
一条は皆に改まってそう言った。
「一条くんは今、何をしているの? あの日、何があったの?」
河内は尋ねる。
「俺はあの日、自分からグレイベルクを離れたんだ。日高くんを探すために。それは何人かの生徒には言ったはずだが……西城? 皆には伝えてないのか?」
「それは……言ってないの」
「……そうか」
だが西城を責める者は、いなかった。
西城以外にも、一条から日高を探しにいかないかと誘われた者は、数人いた。
だから誰も答えないのだ。
「それで、今は何をしているの? 今も日高を探してるの?」
「ああ。今も旅をしながら探してる。だがまだ見つかってない。それに力をつける必要もあった。今は偶に旅をしながら、魔法を教えてくれる人の元で修業をしているよ」
「それで……あんなに……」
神井は興味津々な様子だった。
戦場での一条の姿を思い出しながら。
「それであそこまで強くなれたんですね? その方はどのような方なのですか? 是非、私も教えてもらいたいのですが?」
すると一条は黙った。
“龍の心臓で教わっている”などと、言える訳がない。
「俺が強くなれたのは主に、俺が『勇者』だからだ。恩恵の力だよ。修行の成果でもあるが、大半は俺が勇者だからだ。だから多分、神井も自分のスタイルに気づければ、強くなれるんじゃないか?」
「そ、そうですか……」
雷と雨音が鳴り響く中、会話は続かない。
神井は好奇心から尋ね、あわよくば魔法を教わりたかったが、断られてしまった。
「そうだなぁ……佐伯じゃないが、俺も皆がこの学校を卒業するまでの4年間で、また強くなるよ。それから日高くんも見つける。だから皆は気にせず、魔法の訓練に集中してほしい。4年後、また会いに来るから」
すると一条は、フードを被った。
そして扉を開ける。
「そうだ、小泉たちに会ったら、皆のことも伝えておくよ」
そして一条は呆気なく、教室を出た。
――――。
そして廊下を進み、しばらくしたところで、
「一条くん!」
という声が聞こえてくる。
一条が振りかえると、そこには小鳥の姿があった。
「西城? どうしたんだ?」
よほど急いでいたのだろう。
小鳥は息を切らしていた。
すると呼吸を整え、落ち着いたところで小鳥は尋ねた。
「その……一条くんは、ニトさんとも知り合いなんだよね?」
「ああ、そうだけど?……どうしたんだ? ニトさんに用でもあるのか? だったら急いだ方がいい。もう学院を発つころだろうから」
「え?……なんで……」
小鳥は言葉を失った。
何故、政宗は自分に何も言わず行ってしまうのか?
漠然とその問いが頭の中に浮かんだ。
「今回の一件で、学院を退学になるそうだ。だから、今日、学院を発つらしい」
政宗は事前に、今日を出発日に選んでいた。
退学にならなかったとしても、やはり政宗は最初から、去るつもりでいた。
すると小鳥は一条を無視し、突然、走り出した。
その様子に「西城?」と驚きながら、戸惑う一条。
だが小鳥は目もくれず走った。
――――。
「はぁ……はぁ……」
そして小鳥は、フィシャナティカを飛び出し、大雨の中、会場を通り過ぎ、ハイルクウェートへと向かった。
――――。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
ハイルクウェートの正門前。
「はぁ……はぁ……」
雨が打ち付ける中、びしょ濡れのまま、小鳥は巨大な馬車の背を見送った。
そこに政宗が乗っていることなど知らないはずの小鳥だったが、何故か小鳥はその馬車の背を見つめていた。
息を切らし、肩を揺らしながら……。
「はぁ……はぁ……」
遠ざかっていく馬車。
「政宗くん……何で?……」
だが小鳥の思いは、届かない。
▽
ダームズアルダンへと向かう馬車の中――
向かいの席には何故か、フランチェスカとドリーの姿がある。
代わりにシュナイゼルの姿はない。
シュナイゼルがニトを連れてダームズアルダンへ向かうことを知ったフランチェスカは、そのスクープを頼りに、さっそくシュナイゼルと接触した。
この結果がこれだ。
だがニトは、「取材は後にしてくれ」と今は乗り気じゃない。
憂鬱そうに、窓の外を見つめていた。
「良かったの?」
するとトアが唐突に尋ねる。
「何がだ?」
「小鳥さん……だっけ? 幼馴染なんでしょ?」
「……そうだな」
「最後に会わなくて良かったの? 正体も隠したままなんでしょ?」
「……そうだな」
ニトは今、何を思い、何を考えているのか?
「ニトは、それでいいの?」
「……トア」
「ん?」
「俺の味方は、お前らだけだ……」
車窓を眺めながら、そう答えるニト。
その声には、どこか力がない。
「あいつらはもう……いらない」
「復讐だから?」
「……」
「ニトを裏切ったから? だから、あの人たちは必要ないの?」
だがそんなことを聞かれても答えづらい。
ニトの精神は今、何故かこの雨とリンクしているような状態だった。
「……どうだろうな」
「もしかして……殺すの?……」
「……さあな……分からない」
「……」
「だが……幸せになれば良いとは思ってる」
「え? 幸せ?」
「ああ……幸せになればいい。俺よりも……幸せになればいい。それが俺のためになる」
「ニトのためになる?……どういうこと? あの人たちを許したの?」
「ふっ……許したか……どうだろうなぁ……」
まるで質問に答える気がないニト。
だがその心に迷いはないように思う。
「……」
トアはニトの様子に、ただ黙るしかなかった。
「トア? 俺は、お前のことが知りたい」
「え?」
唐突にそう話すニトに、戸惑うトア。
「トアのことが知りたいんだ。もっと、俺の知らないことを……」
「……」
「だからこれからはもっと、ネムやスーフィリアと喋るようにしろ。それから困ったことがあったら直ぐに言うんだ」
そうは言われても、トアには何のことだか分からない。
これまでそうしてきたはずだと、トアは思っている。
だがニトは窓の外を見つめたまま、沈んだ目でそう言った。
「うん……分かったわ」
トアはそんなニトの横顔を見つめながら、微笑みと共にそう呟いた。
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