第194話 プレイアデスより

 ここは、フィシャナティカの敷地内にある庭園。

 中央に噴水があり。

 その周りには、白い校舎に映えた色鮮やかな花々が見えた。

 だがこの曇る空では、鮮やかさも確認できない。

 花々に、雨粒が打ち付け、花壇に水が溜まる。

 まだ昼過ぎだというのに空は暗い。本来あるべき庭園の姿はない。


 一人、少女の姿があった。

 少女は雨に打たれながら、ただ灰色に塗りつぶされた空を眺めている。

 雨が額や頬に当たると、思わずまぶたを閉じた。

 西城小鳥だ。


「政宗くん……」


 小鳥は呟くと、空から目を逸らす。うつむく。

 目を開け、地面を眺めた。

 手のひらに握り締められた、ある物を見下ろす。


「……」


 青い指輪だ。

 小鳥の手の平には、透き通っていながらも濃い、鮮やかな青い指輪があった。

 特別な装飾のない、シンプルな指輪だった。


 ――“これをお持ちください。離れていても会話ができます”。


 小鳥は、指輪を見つめながら、ある者の言葉を思い出していた。

 雨風が打ち付ける。曇った表情でうつむく小鳥。

 その目には、力がない。


「政宗くん。どうして、私を置いていったの。なんで……。なんで、何も言ってくれないの」


 政宗は、小鳥に何も告げず学院を去った。


「政宗くん……」


 ――“それは……彼女に操られているからです”。


 小鳥はまた思いだす。

 この指輪を渡した者の言葉を。

 そして、考えていた。


 何故あの人は、私に、この指輪をくれたのだろう……。


「政宗くん、私は……」


 小鳥の目がわる。

 それは、覚悟のようなものではない。

 まるで凍りついたように、冷たい目だ。


「政宗くん。私が、あなたを助ける。私の、政宗くん。私だけの、政宗くん……」


 小鳥の中で、何かが変わった。

 左手薬指には、青い指輪が光っている。

 彼女は何かを誓い、空を見上げた。


 庭園に、一人の見知らぬ者の姿が現れた。

 灰色のローブを纏い、フードで顔を隠している。

 気配すらなかった。突然現れた魔力に気づき、慌てたように振りかえる小鳥。

 その者は、校舎へと続く階段から、小鳥を見下ろしていた。


「誰……」


 その者は、素顔も見せず答えた。


「代表決定戦から拝見していました。両校共に」


 小鳥は警戒し、目の前の者に手のひらを向けた。

 足元に魔法陣を展開し、待機する。


「誰ですか?」


 怯えた様子の小鳥。

 その者は答えた。


「カワチさんにもお話ししました。さきほど、快い返事をいただきました」

「河内さん?」

「上級鍛冶師は貴重な人材です。そう簡単に見つかるものではありません。皇帝は、あなたのような方を求めています。どうか、力をお貸しください」


 その者は、浅く頭を下げた。


「私の力……どういうことですか。あなたは、誰なんですか」

「ダームズケイル……」


 雷鳴が轟き、空が光った。

 白く照らされた庭園に、二人の顔が白く照らされる。

 小鳥の表情がはっきりし、男の顔もフードから垣間見えた。

 おそらく人間ではない、獣人だ。


「私は、帝国の使者です」







 ハイルクウェート。

 ニトと別れたパトリックは、暗い表情でうつむきながら廊下を歩いていた。

 廊下の先に、SSSランク冒険者ブラームスが現れる。


「ん、元気がないな。守護者なら守護者らしくせねばいけぬぞ」


パトリックはその声に気づくと、ふと顔を上げた。


「ブラームスさん……」


「お主はここにおるのか?」


「え?……まあ、はい。一応、学生なので」


「そうか……」


「ブラームスさんはどうされたんですか?」


何故、ブラームスはこんなところにいるのか?


「我か? 我はとりあえずここを去るところだ。用事もすべて済ませたのでな。外にフィオラを待たせてあるのだ」


「そうですか……」


パトリックの返事は、ぱっとしないものだった。


「ところで聞くところによると、お主はラズハウセンの王子と言うではないか? 卒業後はどうするのだ? 国へ帰るのか?」


「まあそうですね。一応、王子なので」


「そうか……」


 ブラームスは何かを思いついたように答え始める。


「一応、お主にも話しておく。だが決めるのはお主だ」


パトリックは疑問符を浮かべた。


「我は精霊王を探す旅に出るつもりだ。今後、何が起こるか分からぬのでな」


「ニトのことですか」


「無論」


ブラームスは分かっていた。

パトリックがニトに遠慮していることに。

些細な会話から優れた洞察力でそれを見抜いたのだ。


ブラームスは大きなため息をつく。


「精霊王の力を得た以上、お主には守護者としての使命がある。それを放棄することは許されぬ。その気がないのであれば、精霊との契約を切ることだ。無論それはお主の自由ではあるがな? だが分かっておるとは思うが、偶然はない。精霊王が宿った時点で、そこには何らかの意味がある。お主が既に歯車の一部であるならば、もう引き返すことは出来ぬ。それは覚悟しておけ。我はやるべきことをやるつもりだが、旅の結果、守護者が集結するようなことがあれば、その時点でもうお主も逃げることはできぬぞ?」


 パトリックは安易に頷いた。


「ではさらばだ。訓練を怠るでないぞ」


去り際に至るまで、一言多いブラームス。

パトリックはうんざりしていた。

傍らにサラが現れる。


「嫌な奴ね。ヴォルートがなんであんなおっさんを選んだのか疑問しかないわ」


「SSSランク冒険者だ。精霊だけの力じゃないだろ」


「あれは精霊の力に頼っているわ」


「分かるのか?」


「勘よ」













 時間はさかのぼる。


これは、ダンジョンを攻略したニトが、ビヨメントを発ち、その後、代表決定戦が始まるまでの間に起きたことだ。


ここは、とある広大な草原地帯。

そこから遠くに関所が見える。

そしてその向こうには、広範囲に渡って続く防壁が見えた。


聖国グレイベルク──旧グレイベルク王国。


新たな王が即位し、この国は変わりつつあった。


そして関所付近の森に、やましい事でもあるかのように身を潜めながら、関所の様子を窺っている、ある2人の姿があった。


「カリファ殿、これは流石にマズくはありませんか?」


ダームズアルダンの騎士レオナルドは、カリファに引き返すよう訴えていた。


「グィネヴィア本人かどうか、確かめる必要があるわ」


「グィネヴィア?……ああグレイベルクに即位した王の娘ですか? でもオリバーのコクーンとかいうモノは回収したんですから、もう帰りましょうよ?」


「それだけじゃダメなのよ。次、ニトくんに会うまでに、調べられることは調べておかないと……」


ハイルクウェートへニトたちを送り届けた後、ニトの“命令”通り、カリファを尋ね、そしてオリバーのコクーン回収のために、ターニャ村へ送り届けたレオナルドだったが、回収後、カリファが急にグレイベルクへ行くと言いだした。

ニトの頼みに背くことも出来ないレオナルドは、仕方なくカリファを連れ、ここ、グレイベルクに来たのだ。

そして現在に至る。

カリファの目的を、レオナルドは今しった。


「いいかしら? 私はこれからグレイベルクに侵入するわ。この手の事は慣れているし――」


その昔、“龍の心臓”だったカリファは、カゲトラたちと共に、王権派の暗殺に日々、努めていた。

その経験から王城などへの侵入は慣れている。

何度、忍び込んだことか分からない。


「それに、本来、暗殺は一人の方がやり易いのよ」


「暗殺ですか? まさか……誰か殺すんですか?」


「そうならないことを願うけど、場合によってはそうなるわね?」


カリファの狙いはグィネヴィアである。

もし現グレイベルクの王女グィネヴィアが、その昔、存在した神国の王女と同一人物だったなら、今、カリファが考えている仮設がある程度、立証されてしまうのだ。


「まだ……分からないわ。私たちは超人族だし、もしかしたら、今もカゲトラはどこかで生きているということも十分に考えられる。だけど……」


だがグィネヴィアは超人族ではない。

カゲトラの失踪、及び、“龍の心臓”の消失が起こったのは、約150年前だ。

カリファは、150年もの間、ビヨメントで一人、孤独も知らずに生きてきた。

そしてこの150年という時間だが、とは言え、これほどの時間を生きられる生物というのは、この世界では珍しい話ではない。

だが神国の王女は人間だったはずだ。カリファはそう考えている。

人間が、150年も生きられるはずはない。単純な話だ。


「だからこの国に、彼女がいるはずはないのよ」


仮に生きていて、そして仮に、それがカリファの勘違いだとしても、王の娘であるという時点でそれは異常なことだ。

何故、神国の王女だったものが、150年後、グレイベルクの王女になっているのか?

どちらにしろ、カリファの疑いが覆ることはなかった。


すべての仮説は、この国に、“彼女”がいた時点で、立証される。

そうカリファは確信していた。


「レオナルドくん、あなたはここで魔法陣を展開していなさい。転移魔法陣よ?」


「それは構いませんが……」


構わないが、侵入は止めてほしい。


と思ってすぐだ。

レオナルドは、“ここまで来たらどうとでもなれ”と、説得を諦めた。


レオナルドは事前に、簡単な説明だけは受けていた。


「私がカリファ殿の転移魔法陣を代わりに展開しておけばいいんですよね?」


「そうよ、転移には時間がかかるわ。だけど“代理詠唱”ならそれをカバーできる。侵入の基本よ。“逃走路”は事前に用意しておくもの。そして魔導師の“逃走路”は転移よ」


レオナルドとカリファの左手、薬指には、共通する『青い指輪』がある。

これは、『友好の指輪』と呼ばれる物で、当然ながら、離れた者同士による念話も可能だが、『念話の指輪』と違った点は、相手の現在位置を認識できることだ。

そして指輪には特殊な転移魔法まで付与されており、互いは互いの現在位置に、常時、転移することが出来る。

そして転移後、転移前の位置へ自動的にマーキングが施され、帰還も容易だ。


――つまり『友好の指輪』である。


互いに装着するだけで、互いの魔力の波動までもを認識し、常に相手の動向を知ることが出来る。


「深追いはしないわ。危なくなったら直ぐに逃げるから、あなたは私が転移後、直ぐに馬車を出せるように待機しておいてくれる?」


カリファの計画には隙がないように思える。


そしてカリファはレオナルドにもう一度、確認し、森の影から身を乗り出した。

だがその瞬間だった――




――――。




カリファの視界が急に、“白”に包まれた。


「え……」


霧の立ち込める白い世界。

カリファは刹那に、その世界へと迷い込んだのだ。


まるで雲の中にいるようだ。

辺りを確かめると、そこは広大で、果てしなく白い霧が続いていた。


するとそこへ突然、ある者が現れた。

その者は、カリファの目の前に、何の前触れもなく現れた。

その光景に、カリファは言葉を失い、すると何故か、頬に涙が伝った。


「……ゼファー……どう、して……」


そこに現れたのはゼファーだった。


喰紅しょくべに』の異名を持つゼファー。

カリファにとっては親友、そして、恋人だ。


「ゼファー?……どうして、あなたがいるの?」


涙声で尋ねるカリファ。


「カリファ、聞いてくれ、時間がないんだ」


「私は……あなたをずっと、待ってた……」


「ああ、知ってる。だが今は、再会を祝うことはできない。これは俺の思念体だ。『存在』は別のところにいる」


「別のところ? それって……」


「――『プレイアデス』だ……」


「え……」


ゼファーの言葉にカリファは驚き、すると徐々に、その言葉の意味を理解していく。


「そうだ……すべてはおとぎ話などではなく、真実だった。だがこれ以上は話せない。情報の流出は“奴ら”に感知される。だから今は、伝えられることだけを話す」


するとカリファは涙を拭い、ゼファーの言葉を聞く。

頭の整理はできていない。

ゼファーが現れただけでも驚くべきことなのだ。

だというのに、ゼファーはさらにあり得ないことを言った。

そんな状況で落ち着くことなど出来ない。

だがカリファはゼファーの心意をどうにか読み取り、まずは聞くことにしたのだ。


「グレイベルクにはまだ行くな、あそこは危険だ。いくならマサムネを連れていけ」


「マサムネ?」


「――ニトのことだ。あいつの本当の名はマサムネって言うんだ」


カリファには色々と聞きたいこともある。

何故、グレイベルクに行ってはいけないのかも分からない。

だが……


「……分かったわ」


カリファは、表面的な答えを返す。


「だが、お前が待てるというのなら、俺が生き返った後の方がいい。それから俺とオリバーを生き返らせることについてだが、場所は公衆の面前を選べ」


「公衆の面前? どういうこと?……それじゃあ無関係の者に見られてしまうじゃない?」


「それが最も安全な方法だ。脱走者を奴らは見逃さない。だができれば猶予がほしい。公衆の面前においてなら、多少は時間も稼げるだろう。いいか? 間違っても人気のない場所は選ぶな」


「……」


だが、そう言われてもカリファには分からない。

ただゼファーが今どこにいて、そして何に囚われているのか、それについてはある程度、分かった。

だがあまりに非現実的な話であることから、ゼファーが言ったことだとはいえ、どこか信じられないでいた。

だがこんな現れ方をしたゼファーが、デタラメなことを言うはずもない。

それはカリファも分かってはいた。


「いいかカリファ? 情報は貴重だ。この世界は情報から構成されている。何となくだが、今ならそれが分かるような気がする。だから選択は誤るな。行動を起こす前に、まず情報を集めろ、急ぐ必要はない。必ずまた会える。だからグレイベルクには行くな。マサムネが俺を回収するまでは待て」


ゼファーはカリファを止めにきたのだ。

グレイベルクへ侵入しようとしていたカリファを。

だがそれは、同時にカリファの仮説が正しいということを証明しているようなものだ。


「つまり……そういうこと? グレイベルクにいるグィネヴィアは……」


「……これ以上は話せない。不自然な情報の流出を、奴らは許さない」


「……」


「ビヨメントで待て。マサムネがまた尋ねてきた時、このことを伝えろ」


「……」


「カリファ?」


ゼファーはカリファの返事を待った。

カリファが理解を得たいのだ。

だがゼファーの問いかけに、カリファは答えない。


今、カリファが考えているのは、シャオーン、アドルフ、そして死んだと言われているカゲトラの事だ。

あの後、3人はどうしてしまったのか?

ゼファーと共に、神国へ向かったシャオーンは?

戻ると言って、戻らなかったアドルフは?

そして……カゲトラは?


「カリファ、言いたいことは分かる、だが俺には答えられない。情報を伝え過ぎた。もう戻らないと……」


「いつまで?……いつまで待てばいいの?」


「マサムネが戻るまでだ。俺はあいつを信じてる。だからお前も信じろ。後はマサムネに任せるしかない」


「ニトくんがいつ戻ってくるかも分からないじゃない?」


甘えているだけだ、カリファは。

何しろ150年。

長寿であれ、その時間は決して短いモノではない。

訳も分からず記憶を消され、放置された。

カリファがそれに怒っていない訳もない。


「そろそろ行くよ」


「待って! まだ!……」


するとゼファーの体が薄れ始める。


「カリファは、グレイベルクにはもう近づくな。そしてビヨメントで待て。そしてオブジェクトの生成を始めろ……」


するとゼファーは、それを最後に完全に姿を消した。


「ゼファー?……ゼファーぁあ!?」


だがもう、返事はない。

するとカリファは無意識に瞬きをした。


――――。


そして、目を開いた時、そこには晴れた空と草原が広がっているだけだった。


「カリファ殿?――」


すると物陰に身を潜めたレオナルドが、心配そうにこちらを見つめていた。


「……」


カリファはレオナルドの言葉に答えず、しばらくそこから動かなかった。


だがしばらくすると、カリファは後ろへ振り返り、するとゆっくりと馬車へ戻る。


「え? カリファさん?」


いきなり馬車へ引き返すカリファに驚くレオナルド。


「計画は中止よ。ビヨメントに戻るわ」


「え?! ど、どういうことですか?」


訳が分からず慌てるレオナルド。


「知り合いから念話で連絡があったのよ、ここまで運んでもらって申し訳ないけど、ビヨメントに戻ってくれるかしら?」


「まあ……それは構いませんけど……」


内心、レオナルドは安心していた。

他国に侵入するなど、レオナルドとしては最もあり得ないことだった。

さらに、その侵入者を運んだのが自分だと知れれば、ダームズアルダンとグレイベルクの間で戦争が起こってしまう。

そういう可能性も考えていた。


「さあ、行きましょう」


「はい――」


カリファの次に、レオナルドも馬車へ乗り込む。

そしてたずなを掴むと、間もなく馬車は動き始めた。

レオナルドはそれほどまでに、ここにいたくなかったのだろう。


暗殺劇が始まると思われたかに見えた今回の一件は、ニトたちの知らない間に、何事もなく終わった。


そして“情報の流出”というものを恐れているように見えたゼファーだったが、『プレイアデス』という居場所だけは告げた。

カリファを心配させたくなかったのだろう。

だがゼファーが何に囚われているのか、それは分からない。

カリファはゼファーの話から“それ”に気づいたが、今回の一件について政宗が知るのは、これより当分、先の話である。

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