第156話 トアとトアトリカ
――彼には、目的があった。
知られたくない目的が……
私はそれを彼から聞いた時、だから彼はあの暗い場所から這い上がって来られたのだと、だから彼は諦めなかったのだと、そう気付いた。
すべては……殺すため。
彼の目的は、復讐だった。
自分を馬鹿にし、虐げた者への復讐。
私は彼を止められなかった。
戻って来た彼は、言葉を選びながらも、淡々とこう答えた。
――国を壊してきた、と……
誰かを殺すということは知ってた。
だけどそれが……一国を滅ぼすことだとは思わなかった。
ネムは忠義深いところがあるし、彼を否定しなかったことも分かる。
それに幼いネムには、彼がしたことの大きさが分からないのかもしれないと、そう思った。
彼は、後悔はしていないと、そう言った。
なら、私は彼を否定しない。
彼しかいないから……
あれ? でも私は何で“彼しかいない”なんてことを思ってるんだろう?
私はあの人に、何を求めてるんだろう?
シエラは彼を否定した。
その行いは間違っていると。
正論だと思う。
彼はそれだけのことをしたのだから。
だけどそれでも、私は彼を否定しない。
政宗を、否定しない。
それから少し旅をした。
そして学院へ訪れ、シエラが私たちの元を去って、スーフィリアが加わって、行きたくなかったけど、ダンジョンへ行った。
気付くとニトは、英雄、そしてダンジョン攻略者と呼ばれていた。
やっぱりニトは凄い。
だけどそこに甘えた私は馬鹿だった。
ニトがいなければ、私は何もできない。
魔族なのに、人間にも勝てない。
帝国から狙われた時、もしニトがいなければ、私は死んでいた。
もし、ニトがいなかったら……
――――。
「政宗くん?」
彼の名を呼ぶ女が現れた時、私の背筋に悪寒が走った。
それはまるで、他人の感情を感じているような、変な感じだった。
その女性について問い
ただ幼馴染と……それしか言わない。
城に籠りっきりだった私には、友達はピクシーとメイドのリサしかいなかった。
それ以外に知っている人はいない。
いつも1人で、父様と母様、それから中々帰ってこない姉様を待つ。
それが私の、城での日々だった。
――――。
――『さっきは何で“殺すな”って言ったんだ?』
そう聞かれた時、私の中の何かがおかしくなった。
――『トア? 覚えてないか? トアが言ったんだぞ? あいつを逃がせって?』
知らない……
そんなこと聞かれても知らない。
ニトは……何を言ってるの?
……。
私はさっき……
……分からない。
私は何を……していたの?
――『トア、もう考えなくていいから。ゆっくり呼吸だけしてろ』
ニトの……マサムネの声が、聞こえる。
ここは嫌……何も見えない。
誰もいない。
……。
すると突然、視界が晴れた。
そして気づくと、隣にマサムネがいた。
「もう……大丈夫……だから」
私の声?……
とっさに声が出た。
まるで一瞬、私じゃないみたいに、私が喋った。
でも直ぐにそれは、私になる。
感覚が戻るように、私になった。
分からない……
私……どうしちゃったんだろう……
――――。
その夜、夢を見た。
直ぐにここが夢だと分かった。
「ここは……」
不思議と声が出た。
夢の中でここまで自由に声が出ることがない。
そこは森の中。
風に揺らされて木々がひしめき合い、木の葉の間から日が差し込む。
鳥のさえずる声が聞こえ、様々な“声”が聞こえる。
私は一人で森の中を歩いた。
この森は知ってる。
城の傍にある森だ。
小さい頃、ここでレオウルフに襲われた。
それ以来、ここには来ていない。
父様がもう森には近づくなと言ったから。
その後、直ぐに私は外出を禁じられ、行きたくても行けなくなった。
「何?!」
すると森が急にざわめき始めた。
それはまるで、森が生きているような、そんな様子だった。
木々がざわめき、私を見下ろす。
まるで私を拒絶しているような……
私は怖くなって、走り出した。
私は森から出たかった。
ここが嫌だった。
ここには孤独しかないから。
でもどうして、ここには孤独しかないの?
その理由が分からない。
何故、孤独しかないと分かっているのか? それが分からない。
でもはっきりと私の中には、この森への理解がある。
――ここには孤独しかない。
私は走った。
そして森から出たいと願うほど、私の体は森の奥深くへと入っていく。
遠ざかる城。
走れば走るほど、霧が濃くなっていく。
そして光を求めるほど、辺りに差していたはずの日が、消える。
「え?……」
すると急に、森が闇に包まれていた。
朝なのか昼なのかも分からなかった。
だけど今は夜だと分かる。
空はすでに、光を失っていたから。
「なんで?……どうして?」
恐怖に呑まれそうになりながらも、私はひたすら走った。
体は疲れていないのに、呼吸だけが荒い。
すると足が止まった時、私は森を出ていた。
だけどここは、まだ森の中。
遠くには森が見える。
まだ森には囲まれている。
ここは森が一度、途切れた場所。
小さな湖があり、
私はゆっくりと、その水面を覗いた。
そこには当然、私が見える。
顔を上げ、一度周りを確かめてみた。
「確か……前にも一度」
そうだ……
ここには一度来たことがある。
だけどいつ来たのか、それが思い出せない。
あれ以来、森には来ていない。
ということは、それよりも前?
……思い出せない。
分からない……
「……あれは?」
すると湖の水面に何かが見えた。
それは影になっていて、何が浮かんでいるのかは分からない。
小さくもなければ大きくもない。
それがゆっくりと、こちらに近づいてくる。
不思議と、私はそれが何であるのか分かっているようだった。
だけど分からない。
分かっているはずなのに、分からない。
思い出せない。
私は目を凝らし、それが何か確かめようとした。
『見なくていいわ……』
すると背後で声がした。
私は、急に聞こえたその声に驚き、反射的に後ろへ振り返った。
『今は知らなくていい。どうせ、いずれ思い出すから……』
「あ、あなたは……」
私はその光景が理解できなかった。
ただ戸惑い、そして尋ねた。
「あなたは何故……私と同じ顔を……」
『当たり前でしょ? 私はあなた……なのだから?』
そこにいたのは、私と同じ顔をした『私』だった。
「どうして……」
『言葉にならないかしら? どうやら戸惑っているようね? でもそれは、あなたが望んだことなのよ? あの時、あなたが望んだから私が生れた』
「どういうこと?……一体、何の話をしているの?」
それは完璧なまでの『私』だった。
髪の色も、肌の色も、身長も、目も、服装まで同じ。
すべてが私だった。
『彼は優しいわね?』
「え?」
『だってそうでしょ? あなたみたいなわがままで世間知らずで、臆病な女を傍に置いてくれてるんだから?』
『私』はそう言うと不敵な笑みを浮かべた。
その笑みの意味も理由も分からないけど、感情が私に流れ込んでくる。
『良かったわね? ちゃんと出会えて?』
「ちゃんと、出会えて? どういう……意味?」
『あら? 惚けるつもり? 分かっているでしょ? あの鏡には見た者の深層が映る。深層にある願いが映るのよ? そんなことは初めから分かっていたでしょ? だからあなたは鏡を見た。それが〈世界鏡〉だと知っていながら、覗き込んだ』
「私は……」
『だからあなたは彼を見つけたんでしょ? 傷ついても諦めず、そして巨人をその小さな体であしらうことのできる、強い彼を……』
「何を言っているのか分からないわ!」
『そんなはずはないでしょ? 彼との出会いは偶然じゃない。すべては、あなたが望んだことだと言っているのよ? それをあなたは分かってる。分かった上で、彼を利用している』
「利用?」
私には『私』の言っていることが分からなかった。
何一つ……
だけど知っているような感覚もある。
だから否定すこともできなかった。
『自分にできないことを易々とやってのける彼。傷ついても諦めない彼。何故なら彼は、初めから傷ついていたから。そして彼は、あなたの痛みも分かってくれる。話せば必ず理解してくれるわ。そして彼はそれを知った時、必ずあなたに力を貸す。どんなことをしてもあなたの願いを叶えようとする。そして、あなたの悲しみを消しさろうとする。何故ならあなたにはそれだけの『魅力』があるから。もうすでに、彼はあなたに心酔している。そして、あなたはそれに気づいている』
「い! 意味が分からないわ!……『分かっているはずよ?』
すると『私』は、私の言葉を遮り、そして、またニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
『言ってるでしょ?』
「……」
『――だってそれは、すべてあなたが望んだことだもの』
「……どういう……」
『あなたがあの鏡を見てから、いいえ……あの鏡を見る前から、あなたが望んでいたこと』
「だから! 私が何を望んでるって……『あの女を殺すこと……』
また私の言葉を遮る『私』。
『忘れたの? あなたはあの女を殺したくて仕方がない。彼にあれだけ殺すなと言っておきながら、一番誰かの死を願っているのはあなたじゃない?』
「ちょっと……待ってよ。私が誰を……殺すって」
その時、後ろの水面から音が聞こえた。
気泡が水面に現れた時のような小さな音だ。
私は反射的に、それを確かめようとする。
でも……
『見なくていいわ……今は、まだ思い出さなくていい』
私は振り返らずに、そのまま『私』を見た。
「でも……」
何故、『でも』なんて言葉が出てきたのか?
私は『私』の言葉に抗うように、そう言った。
でも何故、抗おうとしたのか分からない。
だけど、私は今直ぐにでも振り向いて、それ見なくちゃいけないような気がする。
いいえ……私は背後にある……その……
『――見なくていい。そのために私がいるんだから、今は思い出さなくていいのよ? すべて上手くいくわ』
「上手くいく?……それって、どういう……」
『今に分かるわ。すべては、あなたが望んだことなのだから……』
『私』が私にそう告げた途端、急に眩暈がしたような感覚を覚えた。
そして瞬きをし、次に目を開けた時、そこは森ではなく、ただの闇だった。
どこを見渡しても、闇。
目の前にいたはずの『私』はもういない。
するとどこからか、声が聞こえた。
――『いい? トア。私たちはずっと一緒よ? 私はあなたをずっと見守っているから……』
……
誰?……
誰かの声がする。
懐かしいような、声……
すると何故か、自然と涙があふれてきた。
「どうして?……」
分からない。
この声は誰?
――“『トア……』”
私を呼んでいる。
私を呼ぶ、懐かしい声が聞こえる。
だけど……何?
これは?……
懐かしさ、悲しみ。
そして……次に私の中にあったのは、
「殺したい……」
――殺意だった。
「殺したい……あいつを……あの女を殺さないと……」
だけど、それが誰なのかが分からない。
なんで殺したいのかも分からない。
何も、分からない。
分からないまま、ただ感情だけが流れ込んでくる。
殺したいという、感情だけが。
するとそこで、また眩暈がした。
だけどそれは意識を失うほどの眩暈。
私は自然と瞼が落ちて、そのまま意識が途切れた。
次に目を開けた時、目線の先には天井があった。
「ここって……」
私は直ぐに分かった。
もう既に、夢から覚めていることに。
上体を起こすと、他のベッドにはスーフィリアとネムがいる。
彼のベッドはまた今日も空っぽ。
「はぁ……」
あの夢は、なんだったんだろう?
夢だというのに、今でもはっきりと覚えている。
夢の中にいた『私』の言葉を。
だけど、考えても仕方がないと、私は自然と悩むことを止めた。
誰かに誘導されているように、考えることを止める。
一瞬それに疑問を持った。
何故、考えることをやめようとしているのか?
だけど、直ぐにその疑問すら消えていた。
そして私はベッドから降り、そのまま部屋を後にする。
いつものように……
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