第10話 紫の魔女と灰色の蛇②

 まったく避難しようとしない生徒たち。教員。

 サブリナは一瞬、彼らのことが気になっていた。その生徒の中には、戦いに参加しないパトリックも含まれる。

 彼らは何を考えているのか。


 好奇心だ。


 パトリックを含め生徒たちは、初めて見る実践的な魔法、戦闘に目を輝かせていた。

 社会見学のような空気感だった。

 教員を含め、生徒たちは校長を信じている。ニトの仲間を素性に詳しいわけでもなく信じている。

 怖いもの見たさ。少しの刺激、それが心地よかった。


 次第に感覚は麻痺し、魔術師として、ハイルクウェートの生徒として逃げるわけにはいかない。それは愚かだ。見届けなければいけない。と、そこまで考える者までいた。

 サブリナは教員たちに、念話で先ほどから避難を促している。だが一部の集まった生徒が離れて行かない。


「《守護のつるぎアミュストロジー》!」


 足元の魔法陣から剣が浮き上がってきた。サブリナは杖をしまい、剣を掴む。

 全体が鮮やかに青く光った、半透明な剣。

 クロムエルとサブリナ、双方が動いた。

 何度も双方の剣が交わり魔力が衝突する。金属音ではない。けたたましい音が鳴り響いた。


「《突き刺す水流ストック・フォール》!」


 イヴァンの魔術。サブリナの足元に魔法陣が現れる。

 サブリナはクロムエルの剣をいなしつつ、魔法陣から退いた。魔法陣から突き上げた水の角を紙一重でかわす。

 距離を取りながら「《歪な炎フレイム・イナフ》!」と詠唱する。

 サブリナの左手から、炎のむちが伸びた。鞭がイヴァンの杖にまとわりつく。杖は燃え上がった。


「くっそ、面倒くさいっ!」


 イヴァンは杖を乱雑に振り回す。

 纏わりつく火をどうにか消そうとするが、消えない。


「どこを見ている?」


 距離を詰めたクロムエルに気づかなかった。

 振り下された剣先。サブリナはとっさに剣を構える。

 クロムエルの剣先が直前でぴたっと止まる。回し蹴りでサブリナの手を力一杯、蹴り飛ばした。剣を持っている腕の方だ。衝撃で剣が落ちる。

 サブリナの体勢が崩れた。クロムエルは逃さない。体勢が傾く中、横目で、自身に振りかかるクロムエルの刃が見えているサブリナ。間に合わない。

 サブリナは胴体を斜めに切られた。血を吐く。上半身から、血が噴き出した。肩から腰にかけて、真っ直ぐな血の線が通った。

 クロムエルは手を止めない。倒れていくサブリナの首を片手で掴み、力いっぱい放り投げた。

 トアが受けようとする。受け止めきれない。

 勢いとサブリナの重みに耐えきれず、尻餅をつくかたちとなった。「先生!」と呼び掛ける。

 避難もせず、ただの野次馬と化した生徒たちの足元まで転がっていることに気づく。

 校長に駆け寄る教員たち。


「校長先生!」と駆け寄る教員。

「生徒たちを、避難、させな、さい」


 力を振り絞って告げた。

 サブリナは生徒たちを睨んだ。


「あなた、たちも、こう、なりたいの、ですか。逃げなさい。授業、とは、違います」


 サブリナを教員たちに任せ、トアはクロムエルへ向かっていった

 蛇剣で斬りかかるが動きはもう見切られてしまっていた。

 癖を見抜かれたようだ。

 居合切り──トアは腹を、横に切られた。

 片膝が地面についたトア。「トア!」と駆け寄るネム。切れた衣服──腹部。血が流れている。


「しっかりするのです!」


 倒れ込むトアの頭を支え、血を止めようと考えるネム。方法が分からない。


「大丈夫、だから……」


 その場に横たわり、ぐったりとした。顔が青ざめていく。


「血が、血が止まらないのです! ス―フィリア、トアの血が止まらないのです!」


 傷口を見てネムはパニックになっていた。

 血を止めたい。治癒魔法など使えない。考えようとするほど頭がまわらない。


「早く殺せよ!──」


 生徒を避難させていた教員の掛け声が止まった。

 そう口にしたのは、トアともネムとも面識のない一人の生徒だった。


「俺たちは関係ないんだ!」


 パトリックが駆け付けた。

 横たわるサブリナとトアの姿に戸惑っている。精霊王の姿はない。


「お前らの目的は冒険者ニトだろ! だったら俺たちや校長先生に構わないでくれ!」


 訴えかける生徒。

 これにはパトリックも状況を理解するのにしばらくかかった。

 帝国を相手に戦っているトアたちが、なぜ責められているのか。

 それよりもまず二人の治療をしなければいけない。方法がわからない。治癒魔法はプリーストかヒーラーにしか使えない。

 精霊王ならなんとかできるかもしれないが、サラの姿がない。


「学院から出て行ってくれ。頼む、俺たちは関係ないんだ!」


 クロムエルは生徒を睨んだ。


「流石はハイルクウェート。一流などと豪語しておきながら、蓋を開けて見てみれば温室育ちクズしかいない」


 豪快に笑い声を上げたあと、


「安心するがいい、用があるのはニトの仲間だけだ。お前のような腰抜けなど殺せば生涯の恥」


 横たわるトアへ真っすぐに歩いていくクロムエル。

 パトリックは間に入らない。勇気がなかった。

 トアへ剣を向けた。傍でネムが怯えている。


「これで王も、ラージュ様もお喜びになるだろう」


 そう言って振り下ろそうとした腕が、途中で止まる。

 視点が若干泳ぎ、「ん?」と振り返る。


「なんだ?」


 黒い渦。

 イヴァンもそれに目を奪われていた。

 さきほどまで何もなかった空間に、黒い渦が浮かんでいる。

 吸い込まれそうな渦だ。光を吸い込むような。闇がゆっくりと蠢いている。


 最初に見えたのは、黒く深い紅だった。

 血のように赤黒い足。

 ゆっくりと全身が、渦の中から現れた。


 その場にいた誰もが言葉を失い、見つめた。叫んでいた生徒も静かになった。

 クロムエルは、トアに向けていた剣を、その者へ向けた。気を抜いていたイヴァンは杖を向けた。杖が震えている。

 二人とも、目が血走っている。恐怖からだ。二人は怯えていた。


「なんだお前は」


 赤黒いローブを纏い、鬼のような形相の、立体的な、赤黒いフルフェイスマスク。素肌が見えない。滴るものはないが、全身血みどろのように錯覚させる。

 血だ。一言で表すなら、その姿は血そのもの。

 仮面、ローブ。隙間から見えるインナーやズボン、ブーツに至るまでが赤黒い。

 手首に見える金のブレスレットがときおり光を反射する。





 ダンジョン攻略後、俺はダンジョンという優れたアイテムを手に入れた。

 黒い渦を通ればどこからでもダンジョンに入れる。

 渦はどこにでも召喚できる。

 ダンジョンの出口は、例外を除き、行ったことのある場所ならばどこにでも召喚できる。この世界のみに限られるが。


 エヌマサンでの用事を済ませ、ハイルクウェートに戻ってきた。

 出口としてイメージしたのは正門前・掲示板前。


「なんだお前は」


 目の前に灰色の肌をした蛇男がいる。隣には紫の魔女。

 人も集まっているようだ。生徒に、教員に、パトリックに……。

 ん、あれは校長か。なぜか血を流している。かなりの重症だ。

 さらに辺りを見渡した。


「トア……」


 すぐに横たわるトアへ駆け寄った。


「トア!」


 腹から血が出ている。傷口が深い。青白い顔。瀕死の状態だ。


「トアっ!」


 すぐに《治癒の波動ヒール・オーラ》でトアの傷を癒した。

 《状態異常治癒エフェクト・ヒール》を重ねがけし疲労感も癒す。

 トアの瞼がゆっくりと開く。「マサムネ」と弱々しく言った。

 マスクのせいか、トアはすぐに俺だと気付かなかった。

 ネムは最初から俺だと気づいていたらしい。臭いで分かったのだろう。


「その面は、どうしたの?」


 トアが徐々に元気を取り戻し始めた。

 胸が痛い。呼吸がしづらい。動悸。俺のせいだ。

 俺が離れたばかりに、こんなことに……。


「その仮面、怖いわよ?」

「新調したんだ」


 仮面を解き、左耳のピアスに圧縮収納する。

 目が合うとトアが笑った。表情はまだ弱々しい。


「すぐ終わるから。待っててくれ」


 理由は分かっている。

 灰色の蛇と紫の魔女。後ろのこいつらだろう。

 目の前の二人から動揺と悪意を感じる。


「ご主人様あぶないのです!」


 急にネムがそう叫んだ。背後に気配を感じた。見なくても分かる。殺られる前に殺るという根端だろう。

 俺が誰か気づいたわけだ。肥大した殺意をしっかりと感じる。


「ネム、大丈夫だ」


 背後で何かが振り下される気配に合わせ、《侵蝕の波動ディスパレイズ・オーラ》を展開する。

 振り返ると、刃のない剣を持つ蛇男の姿があった。


「ネム。トアを連れて、ス―フィリアと離れててくれ」

「分かったのです」


 視線を送るとス―フィリアが駆け寄ってくる。ネムと協力してトアを介抱し、その場を離れていく。

 血を流していたのはトアだけではない。校長だ。

 仕方がないから治癒魔法をサブリナにもかけておいた。オーラの範囲を広げれば簡単だ。


「帝国の者か?」


 蛇男へ確認する。


「冒険者ニトだな? 俺はクロムエル。帝国の戦士だ」


 正直な奴だ。

 背後にいた女は名を名乗らず警戒している。

 傷の癒えたサブリナが近づいてきた。足を引きずっている。痛めているというより疲労感のせいだろう。


「ニトさん、なの?」

「傷は大丈夫ですか?」

「……心配ないわ。彼らは帝国の者よ。トアさんたちを狙ってやってきたの」

「トアを狙って?……。なるほど」


 あいつだ。ラージュだったか。あいつトアやネムのことを見ていたんだろう。


「ニトさん、恥ずかしい話だけど、私にはこの学校を守るだけの力がない」

「構いませんよ。そうだ、手を貸す代わりに、あの部屋の出入りを解禁してくださいよ」

「それは、ごめんなさい」

「冗談ですよ」


 おかしくな笑みを浮かべていた。

 笑おうと思ったわけでもなく、口角が上がり、俺は笑みを浮かべている。

 勝手に愛想笑いをしてしまう。

 なんで。いや、分かっている。

 この感情は知っている。

 この世界に来る前、からかわれると、俺はいつもヘラヘラしていた。心の中では、本当はいつも怒っていたのに。笑って誤魔化していた。それを虐めだと認めたくなかったから。

 自分が虐められていることを認めたくなかったから。

 どうやら癖というものは手ごわいらしい。気付いたところで、そう簡単にはいかない。


「その剣。トアを切ったのは、お前か?」

「無論だ」


 全身から怒りがこみ上げた。

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