第11話 紫の魔女と灰色の蛇③
政宗の足元が割れた。
地割れ。次々とひびが入る。全方向へ広がっていく。大きな揺れ。
クロムエルは圧倒された。
蛇の眼で睨んだ。威圧。
揺れはさらに増していく。木々が揺れ、鳥たちがざわめき、辺りに集まっている群衆から悲鳴が上がった。
政宗は周囲から恐怖と不安の感情を感じとる。だが止まらない。抑えることができない。抑えるきもなかった。
「化け物が」
クロムエルは耐えた。
政宗は笑みを浮かべた。
「ニトさん、落ち着いて。このままでは学校が」
サブリナの訴え。
政宗の知ったことではない。トアがすべてだ。政宗にとっては。彼女を傷つけるものは誰であろうと許さない、と感情はますます高まっていく。
校舎の一部が崩れ始めた。
それが愉快だった。そして不愉快だ。
憎い。憎くて仕方がない、ただ殺すだけではおさまらない。
それはアリエスを殺した時にも気づいたことだった。
政宗は昔を思い出していた。
「ニトさん!」
サブリナの声が届かない。
政宗はピアスに魔力を送り、小人族長の愚面をかぶった。
クロムエルの灰色の顔が急に真っ青になり、彼はその場で嘔吐した。
隣にいた魔女も吐いた。
サブリナも。集まった野次馬も、何人か吐き始めた。
トアやネム、スーフィリアには異常がない。
「もうやめて!」
背後で声がした。
政宗は声に反応し、ゆっくりと振り返った。
そのころには怒りも治まり、揺れも止まっていた。
「トア」
「もう、大丈夫だから」
トアは悲しそうな表情で訴えかけていた。
政宗は辺りの様子を見た。
倒れた木や崩れた屋根。ひびの入った校舎。状況を理解した。
気づいていなかったのだ。
群衆の中から一人の生徒が前へでてくるが見えた。
政宗は生徒の心を感じ取る──拒絶。嫌いな感情だ。不安と恐怖も入り混じっている。
「出て行ってくれよ!」
生徒は口元のげろを袖で拭いながら叫んだ。
「ここはお前みたいな冒険者の来るところじゃない! なんでお前みたいな奴がいるんだよ。何を学ぶって言うんだよ。強いんだろ。だったらいる意味ないじゃないか」
トアとネムから悲しみを感知。深い悲しみ。
違和感──政宗は気づく。
生徒たちが、政宗たちを睨んでいる。
トアとネムの悲しみがさらに伝わってくる。ス―フィリアの心は平たんだ。
二人は学校が好きなんだろう。それは政宗も同じだった。
以前は手に入らなかった普通の高校生としての時間。今はそれを知れたような気がしていた。
今は違う。学校というものを好きになり始めた。いつまでも生徒でいたいとそう思うようにもなった。
この男子生徒は恐怖を感じている。死の恐怖だ。
それでも叫ぶのは、自分の学び舎──環境が、侵されるという恐怖があるからだろう。
魔女が「《
政宗は振りかえる。
イヴァンの足元に魔法陣が展開されていた。一直線に巨大な水流が迫ってきている。
「話の途中に……」政宗は鬱陶しそうに言った。
水流が当たる直前に拳を振りぬき、拳圧で、水流を弾き飛ばした。
「そんな……」
魔女は愕然とした。
政宗はびしょ濡れだ。魔法を使えば良かったと後悔する。だが服はすぐに乾いた。あらゆる環境への耐性がこの衣服には備わっている。
政宗は、ネム、スーフィリアに、「トアを連れて部屋に戻っていてくれ」と説明した。
小さい体でネムは、トアを抱え、スーフィリアと共に校舎の奥へ姿を消した。
政宗はその背中を見送った。
「《
イヴァンとクロムエルを無数の白い腕が捕らえた。息ができる程度の拘束。
宙に、二人を並列に並べた。
二人は抵抗するが逃れられない。
「こんな奴ら直ぐに殺せる!」
政宗はその場の全員へ、スピーチするように言った。
だが本命は、目の前の男子生徒だ。
「このSランク冒険者ニトが、お前らに教授してやろう!」
演説。ゆっくりと、その生徒の方へ歩いていく。従って、無数の白い腕が足のように地を這いながら、帝国の二人を運ぶ。
「何をする気?」とサブリナ。
「ちょっとした授業ですよ。ここは学校ですから」
「なっ、なんだよ!」
男子生徒は怯えていた。政宗が目の前で止まると、強くにそう叫んだ。
「怖がる必要はない」
その場のすべての生徒、教員へ意識を向ける。
「いい機会だ、知っておいても損はないだろう。お前らは魔法を学び、いずれここを卒業していくだろう。どういう環境に身を置くのかは分からない。宮廷魔導師か、王の側近か。だが優秀なお前たちには恵まれた将来が約束されている」
目の前の男子生徒に「名は?」と訊く。
生徒はロバート・キッドと名乗った。声は震えていた。
「ではロバートくん! 無謀とも言えるお前の極小の勇気に免じて、お前に、そしてお前らにいいことを教えてやろう」
サブリナが「やめなさい」と言った。
何か良からぬことが始まると気付いた。
政宗の後ろでクロムエルが暴れている。拘束を強めると苦しむ声が辺りに響いた。
「焦るなよ、まだ話は始まったばかりなんだ」
腕を広げ、政宗は生徒たちへ言った。
「お前たちに、真実を教えてやろう! 魔法とは望む者すべてに与えられるものではない。その辺りの村人には、魔術書を手にすることすら難しい。少なくともこの環境に身を置けているお前たちは、恵まれていると言えよう。お前らのほとんどはどこかの貴族の家の子供だろう? だから分からない。温室育ちのお前らには。だから俺が教えてやる」
政宗はヴェルの話を思い出していた。
深淵に馴染むと、その者は周りの者をより惹きつけるようになる。
校長の話から察するに、つまり、〈存在〉が大きくなるからだと政宗は推測する。
ここにいる者たちを、無意識のうちに、政宗を無視できない。
「国や貴族が、この学院に大金を出資し続ける理由が分かるか? ロバートくん、君には分かるか?」
ロバートは首を振った。
「優秀な魔導師が欲しいからだ。何故、欲しいのか。自分たちの命が欲しいからだ。ここまで言って分からない者はいるか? だがお前たちはもう気づいているはずだ。それが現実的に感じないだけでな。では訊くが、お前たちはグレイベルクという国を知っているか? ロバートくん、どうだ?」
「その国なら知ってる」
「だろうな。ではそこにどれだけの優秀な魔導師がいて、結果、そいつらがどうなったか、お前たちは知っているか?」
「龍の心臓に襲われたんでしょ。でもそんなの稀じゃないか。俺はそんなところには勤めないから関係ない」
「関係がないか……」
帝国の二人の拘束を弱めた。解いてはいない。
腕、足、頭、胴体をしっかりと固定され、身動きができない二人。
生徒や教員の見えやすい位置へ移動させた。
「ではこの状況をどう説明する?」
ロバートは質問の意味が分からない。
「俺が原因ではないぞ。どこにいようと巻き込まれる可能性はある。それは国や貴族に仕えれば、なおさらだ。俺は冒険者として、これまでにいくつかの国を訪れ、旅をした。だが何事もなく出られたことは一度もない。お前たちは帝国の襲撃に巻き込まれた。分かるか。お前らの意見など関係ないんだ。世は常に理不尽。その理不尽が襲ってきた時、お前たちは関係がないとそう言うのか。言いたければ好きにしろ。だが言っておく。お前らの、関係がない、というその言葉は、薄っぺらい紙切れだ」
政宗はクロムエルへ勢いよくふりかえり、
「これが、貴様らが関係ないと言った、その言葉の答えだ!」
政宗は《
ポーカーフェイスだったクロムエルの顔は歪み、彼は絶叫した。激痛が走ったことにより体に力が入り、背中を反る。クロムエルは空を見上げている。
「こいつは俺の仲間に手を出した。それ相応以上の報いは受けてもらう。生徒諸君、貴様らはそこで見ているがいい。学芸会だと思えばいい。興味があるんだろ。ならば楽しいはずだ。いいか? 魔法は貴様らの自己顕示欲を満たすための道具ではない。人を殺すための手段だ」
「それは違う!」
ロバートだった。
「……何が違う?」
「魔法は、人を救うためのものでもある。人を殺めるだけが魔法じゃない」
政宗はその言葉をあざ笑うように「《
クロムエルの右腕が、瞬時に、無数の正方形のブロックに分離し、光と共に散った。肩の先から血が飛び散る。
魔術 《
政宗は「《
ロバートの顔を覗き込む。怯えている。
「君の言う通りだ。確かに人を救うこともできる」
「やめなさい!」とサブリナ。「これ以上は……。使わないという約束でしょう!」
「口を挟まないでもらえますか。それに深淵に関しては俺が当事者です。無知な説教は必要ない」
「ニト、もうやめろ」
群衆の隙間からパトリックが出てきた。
「こんなことをしても、なんにもならない」
「パトリックか。少し大袈裟じゃないか。これは単なる授業だ」
パトリックの隣で、精霊王のサラが何かぶつぶつ言っている。
「その眼……。そう。もう半分は染まっているのね。でもこの魔力は……。なるほど。そういうことだったの。つまり、あなたは元々……」
政宗は苛立った。無視する。
授業を再開した。
「丁度いい。そこにいるパトリックの故郷であるラズハウセンは、お前らも知っての通り帝国の襲撃を受けた。偶然いあわせた俺が、代わりに殲滅したが。だがもし、そこにいたのがお前たちだったら、どうしていた? もしお前らがラズハウセンのような国に仕えたとして、帝国のような国から襲撃を受け、その対応を命じられたら、どうする。関係ないと、そう言うつもりか? その昔、ダームズケイル帝国は、、大陸全土を巻き込むほどの戦争を起こした。近年、その帝国が水面下で動いていたことが分かった。王の盾の存在だ」
政宗は異空間収納から〈執行者の斧〉を取り出し、クロムエルへ振り下ろした。腕を切り落とした。血飛沫が飛ぶ。スキル《洗浄》で飛び散った血のりをおとす。
その作業的な動作と、光景に、ロバートの表情が引き攣っている。
生徒たちがまた嘔吐した。
続けて足を切り落とす。二本の足が宙を舞う。そのときには、クロムエルの精神は壊れていた。彼は叫ばない。
生徒たちがまた吐き出した。
「龍の心臓を知っているか。あいつらは基本、関わった者は皆殺しにする。お前たちは逃げられない。卒業後どの進路へ進もうが、力を持ってしまったお前たちに逃げる場所などない。名門校出身の魔導師であるお前たちを、王族や貴族はこぞって欲しがるだろう。教養のない冒険者とはわけが違う。それとも俺のように身分を偽り生きていくか。だが力がないことにはいつか野垂れ死ぬ。お前たちは実戦を知らない」
イヴァンが喚いた。
「殺すならさっさと殺しなさいよ。殺せ、殺せ。さっさと殺せ」
「敗者には死に方を選ぶ権利すらない」
ふたたび生徒たちへ体を向け、
「この女は恐怖のあまり死を覚悟した。貴様らも、いつこちら側になるか分からないとい。こんな世界だ。いつまでも平和は続かない。各国は既に帝国を警戒し準備をすすめている。俺に力を貸せと言ってきた国もある。対校戦だ? 練習試合は、出資者がよりスカウトし易いよう、選別を行うためのシステムだ! 実力が分かりやすい。査定はもう始まっている! 将来、お前たちは対帝国用の犬となるのだ」
こいつらが権力者たちの思惑にはまっていることは確かだ。
自分たちの置かれた現状を理解していない。
「こいつらは俺の仲間を殺すように命じられ、ここへ来た。ただの捨て駒だ。こいつら自身もそれを理解していることだろう。忠誠心とは言い訳だ。貴様らもいずれそうなる。駒は減った分うまれてくる。また学院に出資して新たな魔導師を生産すればいいだけの話だ。貴様らは自分たちが毎日食べている、ヨワスタインの肉と同じだ。システム下に置かれた貴様らは、死ぬために魔法を学び、死ぬために魔導師となる──」
「それは違うわ!」とサブリナ。
「違いませんよ、先生。だから先生も禁じたんじゃないですか。強過ぎる魔法は戦争を生むからと。魔術は戦争の道具だ」
「彼らは駒ではないと言っているの。彼らは生徒です。あなたもよ、ニトさん」
政宗を説得するように言った。
うんざりした様子で、政宗は「人間らしい」と言った。
「《
悲嘆の女神が上空に現れ、瀕死のクロムエルへ血の涙を落した。
「生徒諸君、これが本物の魔法だ!」
「やめなさい!」
サブリナが繰り返し叫ぶ。
他の教員は止めようとする気配もない。
ビーカーの中で、クロムエルの肉がブチブチと潰れる音が聞こえる。次第に水たまりに水滴が落ちるような音へと変わっていく。血で満たされ、彼の姿は見えない。
ビーカーが瞬時に消え、中身が溢れだした。
辺り一面に大量の血が広がった。生徒たちを飲み込みながら、血は校舎内にも入っていった。
死人が出るようなものではない。多数の女生徒が悲鳴を上がった。逃げていく生徒たち。被害は、その程度だった。
政宗は笑いが止まらなかった。心地よかった。
《
血の一滴すら残っていなかった。クロムエルの亡骸もない。
「あんた人間じゃない!」
残るはイヴァンのみ。
ゆっくりと近づいた。
怯える彼女の耳元で囁く。
「俺を、お前ら人間と一緒にするな」拘束を解除し、開放する。「行け」
見逃してもらえると思っていなかったイヴァンは、不意を突かれたような顔をする
どうしていいか分からない様子。戸惑い。政宗に警戒しながら右往左往し、しばらくして、ゆっくりと正門へ向かって歩き出した。
政宗は、あることを思いついた。
「《
背中を向けて離れていくイヴァンに魔術を放つと、彼女の両腕が付け根からはじけ飛んだ。絶叫。
腕だけが、政宗の方へ引き寄せられていく。
異空間収納から黒い指輪を取り出す政宗。
正門前で倒れこむ女へ近づき、指輪を彼女の傷口から中へ、肉に埋もれるように押し込んだ。体内に指輪を埋め込んだ。
《
両腕を失った女。痛みはない。
「帝国へ帰るがいい」
女は何も言わなかった。
腕のない肩を震わせながら、しばらくあとに学院を去った。
※
正門前。政宗が去ってしばらくあと。
残されたパトリック。サブリナ。教員。生徒たち。
サラが「パトリック……」と肩に手を置いた。
「あいつは違う……」
「いいえ、そうなるわ」
「ならないさ」
パトリックとサラはくい違っていた。
「トアを傷つけられたから少し気が立ってたんだ」
「彼の存在は肥大し始めている。愚者の眼も現れていたわ。じきにもう片方も──」
「何の問題もない。それに、サラの師匠だって染まってたんだろ?」
「アダムスとはわけが違うわ。彼。あれほど荒々しいのに、まるで深淵は、心は穏やかだった。不気味だわ」
「どういうことだ?」
「さあ」
そこへアリス・クレスタが通りかかった。
「あら、落ちこぼれの王子様ではありませんか」
「アリス、今は放っておいてくれないか。気が立ってるんだ」
アリスは機嫌を損ねたように、
「何ですの、その態度は。このわたくしが声をかけて差し上げたというのに……」
アリスは周囲の様子に気づき、
「あら、校長先生ですわ。それに、何故こんなにも人が集まっているのですか。何かございましたの?」
教員たちは生徒とサブリナを介抱していた。
サブリナが苦しそうな顔で告げた。
「皆さん、今回ここで起きたことは口外禁止とさせていただきます。ご相談がある場合は校長室へ……」
校長の話に興味を持つアリス。
何か良からぬことが起きたと察したのだ。
「パトリック、ここで何かございました?」
「行きましょう、パトリック」とサラ。
「待ちなさい、パトリック。前からお聞きしようと思っていたのです。その女性はどなたですの? 最近お見かけするようになりましたが」
「次の試合、よろしく。アリス」
それだけ言い残し、パトリックはサラと去った。
「まったく、腹が立ちますわ! 一体ここで何がありましたの!」
この日、アリスがここで起きた事件を知ることはできなかった。
だが翌週の魔的通信には、この事件についての掲載があった。
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