第22話 初恋を、踏み潰す

 ダンジョンは、夢を見た愚か者の墓場だそうだ。

 だが経験値の宝庫とも呼べる。

 大量のゾンビを倒した現在の俺のレベルは1221。

 正直もうレベルなんてどうでもよくなっていた。

 同種の魔物だからか戦利品には被りが多くあった。

 手に入れたのは魔術 《感染パンデミン》。

 スキル 《暴食》、《聴覚過敏》、《臭覚過敏》、《咬合力上昇》、《統率力》。

 魔術 《感染パンデミン》は対象に自分の血を摂取させることでアンデッド種に転化させることができる。

 ゾンビの固有魔術らしいが俺には使えない。

 スキル 《暴食》はあらゆるものを自身の糧として食することができる。


 こんなに期待しながら校内を歩いたのは初めてだ。

 次は何がでてくるんだろうかとワクワクする。

 ただ気になることもあった。

 ミノタウロス、スライム、ゾンビ。

 ここまで出会った魔物たちは、俺にとってどれも馴染み深いものばかりだ。

 違和感があった。

 日本にいた頃よくRPGやゾンビゲームで遊んだ。

 ミノタウロスやスライムが特に好きで、出会うと世界に入り込む感覚に浸れた。

 ゾンビをバットで叩き潰しているだけで幸せだった。


 3階も変わり映えのしない殺風景な廊下だった。

 経年劣化で壁は汚れ、くすんでいる。

 教室の窓から室内がよく見えた。

 そこに生徒たちの顔を想像できる。

 俺の場合、のっぺらぼうしかイメージできないが。

 学校を離れてみて思うことがある。

 校則の厳しい学校だった。

 携帯の持ち込みすら禁止されていた。


「どこの教室?」


 廊下の先に目を向けながらトアが言った。

 階段を上ると進路が右か左に分かれ廊下が続いている。

 その廊下の上に俺たち4人は立っている。

 新鮮だ。

 ここには3人の姿がある。

 変な話だ。

 俺はいつも一人だった。

 友達なんかいなかった。


「急に黙って、どうしたの?」


 友達と仲間の違いについて考えていた。

 自分の世界に入り込んでいたところ声が聞こえて我に返る。

 目の前に俺の顔を覗き込むトアの顔があった。


「なんでもない。シエラも連れてきたかったな」


 シエラも友達になってくれるだろうか。

 俺は友達が欲しかったのかもしれない。

 だから一条を受け入れたのだろうか。


「シエラ、大丈夫かしら」

「どうだろうな」


 もし最初から友達がいたら、復讐なんて考えただろうか。


「こっちだ」


 右へ曲がり廊下の突き当りまでやってきた。

 2年3組。

 俺の教室だ。


「ニト様はここで何を学ばれていたんですか?」

「魔法学がないこと以外は、ハイルクウェートと同じだよ」


 教室に入り自分の席の前までやってきた。

 そっと机に触れてみる。

 何かを確かめるように。


「ここに座ってたんだ」


 ぴょんと飛び乗り、ネムが俺の席に座った。

 思わず笑ってしまった。

 何故だろうか。

 学校ってこんなに楽しい場所だったっけ。


 教壇に立ってみた。

 黒板を背に、教卓に両手をつく。


「ではネムくんにお聞きします! ここはダンジョンですか、それとも学校ですか?」


 ネムがびっくりしてかしこまる。

 あたふたして、


「ネムには分からないのです」

「ネムくんに分からないことは先生にも分かりません!」


 トアとスーフィリアがその様子を見て笑っている。

 ため息が出て、俺は芝居をやめる。


「本当に、どこなんだろうな」


 少し疲れた気がした。

 教卓にぐったりともたれかかる。


「俺たちが入る前からダンジョンの中は学校だったのか。もしくは挑戦者に応じて姿を変えるとか……」

「でも、だとしたら何でここは学校なの? 私の故郷でも良かったはずよね。スーフィリアならアルテミアスとか」

「ネムはどうだった。ここに来るまでに、何か心当たりのあるものとか見かけなかったか?」

「何も見てないのです」


 足をぶらぶらさせながらネムはそう言った。

 ダンジョンは、俺だけに反応したのか。


 窓の外に夕日が見える。


「この教室は俺にとって、懐かしくて、思い入れのない場所だ。思い入れはあったか、でも牢獄でもあった。トアの言う通りだ」

「どういう意味?」

「俺はバカにされてた。毎日毎日はずかしめを受けた。ここはそういう場所なんだ。立場も状況も違うけどス―フィリアと同じだよ。俺も虐げられてた。だから俺は、お前を殺さずに助けたんだろうな。自分の境遇と重ねたんだろう」


 スーフィリアはにっこりと微笑んだ。

 何も言わなかった。


「ネムと比べれば大したことないかもしれない。でも思うんだ。規模や程度や種類の問題じゃなく、それが事実としてあったのかどうかだって」

「私には、よく分からないわ」

「俺が嘆いたところで世の中はきっとこう言うんだよ。“お前よりも、もっと酷い目に遭ってる奴はいる”って。でもそれは重要なことじゃない。問題は虐げられた事実があったかどうかだ」

「虐げられた事実?」

「他人の人生と比べることなんかできない。でも俺のいた世界では、それを大げさだとか勘違いだとか言う奴がいた。だからこそ佐伯あいつはそれを利用したんだ。そうすれば、絶対に自分が不利にならないことを分かっていたから」


 教壇を離れベランダに出た。

 グラウンドを眺める。砂のにおいがする。

 トアもベランダへ出てきた。

 欄干に触れて夕日を眺めた。


「きっと、何か辛いことがあったんでしょ? でも私には分からないわ」

「だろうな。でもいいんだ。いつかちゃんと話すから」

「うん」


 俺が生きてると知っても佐伯あいつは同じことを言うだろう。

 ――俺たちは友達だった。

 そう言って嘲笑うだろう。

 

 もう忘れているか。

 俺にしたことも何も覚えていないだろうな。

 そういうもんだ。

 虐げられた側だけがいつまでも覚えてる。

 いくら時間ときが経とうと忘れない。

 どんな些細なことでも覚えてるんだ。


 今はもう、俺の前にあいつはいない。

 俺はもう虐げられてはいない。

 だけど、それは違う。

 俺は今でも虐げられている。

 囚われている。

 何度もそこから抜け出そうとしたが抜け出せない。

 どれだけ足掻いても頭から離れない。

 別の世界に来れたのに。

 俺は今でも校舎の中にいる。


「少し分かった気がするよ、ダンジョンの真実が。ここは俺の――」


 結論を話そうと教室へ戻ろうとして気づく。

 中に入ってすぐ足が止まった。

 黒板前の席に、知らない女子生徒の姿を見つけたからだ。

 誘われるように俺はゆっくりと近づいた。

 女子生徒の顔を覗き込もうとしてまた別のことに気づく。


「みんな?」


 ネムとス―フィリアの姿がない。

 ベランダにいたはずのトアの姿もない。

 急にベランダからカラスの鳴き声が聞こえてびくっとした。

 反射的に振り返る。

 鳥の羽ばたく音が離れていく。

 欄干のステンレスに反射した日差しが顔に当たり、手で遮る。

 デジャブだ。

 俺はここで、これまでに何度もカラスの鳴き声を聞いた。

 何度もこの夕日を見た。

 放課後の温度だ。

 下校のチャイムはとっくに流れてる。

 あとは帰ればいいだけだ。

 それなのに帰れない。


「私と日高くんだけよ、ここにいるのは」


 席に座っていた彼女に振り返る。


「久しぶりね」


 黒く艶のある長い髪がなびいている。

 彼女は俺を見ていた。


「白川さん……」


 初恋だったのかもしれない。





 俺の席から、彼女の姿はよく見えた。

 いつも長い黒髪をなびかせていた。

 清楚でおしとやかだった。

 あのころの俺には彼女はそう見えていた。


「おい日高、お前今みてただろ?」

「いや、その」


 佐伯だった。


「白川だよ、見てただろ、好きなのか?」

「そんなわけないだろ、だって、俺と彼女じゃ釣り合わないし」

「手、貸してやろうか?」


 あいつは不敵な笑みを浮かべていた。

 手を貸すと言ったがそんなわけはない。

 当然だ。

 俺は分かっていた。

 でもあの頃の俺にとって“助ける”という言葉は魅力的だった。

 想いばかりが大きくなっていく。

 それでも何も変わらない。

 できることなら助けてほしかった。


「実はそうなんだ」


 恥ずかしくなり苦笑いをしていた。

 俺は見透かされることを許したんだ。

 すべて間違っていた。

 間違っていることは分かっていた。

 分かっていたはずが信じてしまった。

 1%を信じた。

 だからまた1つ虐げられた。

 ただどちらにしても佐伯はやめなかっただろう。

 今はそう思う。


 ある日の昼休みだった。

 この高校に食堂というものはない。

 基本的には自分の教室だ。

 もしくは仲のいい友人の教室か屋上で昼食をとる。

 俺の教室は他のクラスの生徒で毎日溢れていた。

 リア充どもが人を集めるからだ。

 一条もその一人だった。

 ある程度いつもの顔ぶれがそろったところで、佐伯が立ち上がり言った。


「皆、聞いてほしいことがある。実は日高から相談を受けてるんだ」


 教室がざわつく。


「白川、お前にも関係ある話だ」

「私?」


 白川さんが俺の方に振り返った。

 目が合ったがすぐに逸らされた。

 その時には佐伯が何を言うのか彼女は気づいていたのかもしれない。


「日高、立て。そんで言っちまえ」


 頭の中は真っ白だった。

 自分が黙ることで沈黙の間ができることが恐怖だった。

 自然と足が立ち上がった。

 そこから言われるがまま佐伯の指示通りにした。

 白川さんを見ろと佐伯が言えば、俺は体を白川さんのいる方向へ向けた。


「日高、ここからはお前が言うんだ」


 もうその場にいる誰もが分かっていた。

 日高が白川に告白するぞ。

 こそこそと声が聞こえる。


 そのあと何が起こったのかは分かるだろう。

 俺はダサい人間だ。

 恥をさらした。

 それが佐伯の狙いだった。

 そうなると分かった上であいつは俺に告白させた。

 白川さんは俺を避けるようになった。

 目が合うと逸らすようになった。

 何があっても無視するようになった。

 ただ彼女とはそれまで一度も喋ったことがなかった。

 だからそれは変化とは呼べないかもしれない。


 最悪なのは、それぞれが陰で噂するようになったことだ。

 佐伯はそれも分かっていたんだろう。

 あいつは俺が恥ずかしがる姿を楽しんでいた。

 邪魔をすることが目的じゃなかった。

 ただ楽しみたかったんだ。


 佐伯やその周りの生徒。

 それまで俺と関わりのなかった他クラスの生徒までもが、すれ違う度に俺を見て嗤うようになった。

 日に日に数は増えていく。

 誰もが同じことを言った。

 俺に聞こえるように。


「日高が白川と釣り合うわけねえよな」






「覚えているかしら? 日高くんは、私に好きだって言ってくれたのよ」


 白川さんは俺の目をまっすぐに見て言った。

 だから何だというのか。

 驚くほど何も感じない。


「嬉しかったなー、あの時は」

「じゃあなんで俺を避けたんだ?」

「恥ずかしかったの、あなたに自分の気持ちを知られるのが。でもすぐに応えようとしたのよ?」


 夢にみたフレーズかもしれない。

  何かしら心がときめいてもおかしくない。

 なのに何も感じない。

 想いはいつか枯れるのか。飽きるのか。

 もしくは別の理由か。


「嘘だな」

「え?」

「お前は嘘をついている。お前は俺にそんな感情はもっていない。それどころか気持ち悪いとすら思っていたはずだ」

「そんな、私は!?」

「それが白川千尋という人間なんだよ。外面だけ清楚で、中身は干からびた魚のような女。今の俺には分かるんだ。腐ったような臭いがな」


 気が付くと俺の右手に 《執行者の斧》をあった。

 さきほどミノタウロスからドロップしたアイテムだ。

 異空間収納は開いていない。

 斧を出そうとした覚えもない。


「全部繋がってるってこなのか」


 少しずつ足を進め、俺は白川さんの前に立った。

 目の前にしてもやはり何も感じない。


「ねえ日高くん、もう一度いってくれない。あの時、私に言ってくれた言葉を」


 白川さんの口調はお芝居のセリフみたいだった。

 大根芸というわけじゃない。

 女としての自分の魅力を知っている者の強かな口調だった。

 微妙な可愛らしさを言葉の一つ一つで使い分けている。

 ただ心を感じない。


「何も感じないのにはもう一つ理由があるんだ」

「日高くん?」

「単純な話さ。お前がブスだからだよ。はっきり言って、いつも見ている3人が美人過ぎて、お前らの顔が劣って見えるんだ」

「お願い言って……」


 悲しみを表す弱々しい表情を作った白川さんの頭上に、大斧の刃を添えた。

 両手で持ち上げ力強く構える。


「これで腐った顔を見なくて済む」


 斜めに振り抜いた。

 白川さんの頭は回転しながら机や床に血をまき散らし、宙を舞った。

 黒板にぶつかって地面に落ち、ころころと俺の足元まで転がってきた。

 白川さんの黒目がぎょろっと動いた。

 目が合うと、黒い髪の絡みついた顔がにっこりと微笑んで言った。


「好きって言ってよ」


 足で踏み潰した。



 薄いピンク色の線。

 視界が鮮明になると、それがトアの髪だと分かった。


「トア」

「ご主人様、大丈夫なのですか!」


 ネムの泣きそうな顔がトアを押しのける。

 ス―フィリアの安心したようなため息が聞こえた。


「俺どうしたんだ?」

「急に倒れられたのです」


 気を失っていたらしい。

 その理由は直ぐに分かった。


――『ナイトメア【Lv:785】討伐により《女神の加護》を発動しました。戦利品を選んでください』


――『経験値獲得により【Lv:1262】にレベルアップしました』


 戦利品は、魔術 《夢喰いソムニキュバス》を選んだ。


「魔物の仕業だ。夢を見させられていたらしい」

「夢?」とス―フィリア。

「ナイトメアって名の」

「その名でしたら知っています。対象の精神に侵入し、トラウマを見せると言われている魔物です」

「マサムネ。そういえば、気を失う前に何か言ってなかった?」


 思い出したようにトアが言った。


「ダンジョンの真実が分かったとかって」

「そういえば、そうだったな」


 何から話せばいいのか分からなかった。

 ダンジョンに入ってからの出来事。

 悪夢の内容。

 すべてが関係している。


「俺には殺さないといけない奴らがいる。もう殺した奴もいるけど」


 グレイベルクの王女とその関係者はもう殺した。


「他にも殺さなくちゃいけない奴らがいる」


 トアやシエラ、ネムやスーフィリア。

 みんなと過ごす中で痛みが薄れていった。

 俺は誓った。

 全員殺すと。

 全員でなければいけない理由があったからだ。

 それすら忘れていた。

 それだけ冒険が楽しかった。

 他にもある。魔法は未知だ。

 触れているだけで幸せだった。


「思い出したんだ」

「思い出した?」とトア。

「この先、3人に迷惑をかけるかもしれない。グレイベルクの時のように。だけどやるしかない」


 めまいがした。

 また悪夢かと思ったがどうやら違うらしい。

 3人も同じ様子だった。


「マサムネ」

「分かってる」


 何か来る。

 教室は静かなはずだ。

 椅子も机も何も動いていない。

 なのに机の脚が乱暴に引きずられているような音が響いている。


「久しぶりだな、日高」


 音が止んだ。

 教室に、佐伯の姿があった。

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