第23話 変形しうる関係性

 授業中のように佐伯は席についていた。

 片膝を上げた行儀の悪い座り方だ。


「今までどこで何してた。そいつらはなんだ、知り合いか?」


 人をバカにする笑み。


「また魔物か」

「どうしてそう思う、お前の勘違いってことはないか?」


 一瞬にして頭が熱くなった。

 気が飛びそうなくらいの怒りが内側から湧き出て、全身を駆け抜けた。

 勘違い――そう言ったからだ。


「生きてたとはな」

「次はなんて魔物だ?」

「アリエスを殺してどうだった?」


 魔物と分かっていても声に体が反応してしまう。

 俺が手の平を構えると佐伯は「なんだそれ?」と大笑いした。


「俺を殺せると思ってんのか?」


 口調も目つきも記憶の中の佐伯そのものだ。

 でもこいつは偽物だ。

 勘違いという言葉を俺が嫌いなことをあいつは知らない。

 それを知っているのは俺だけだ。


「マサムネ、大丈夫?」


 トアだった。

 状況が分からないらしい。

 それはス―フィリアもネムも同じだった。


「大丈夫だ、ただの魔物だよ。見た目は知り合いそっくりだけどな」

「そうじゃなくて、その目のこと」


 トアがおかしなことを言っている。


「目?」

「目が赤く光っていますよ」

「ご主人様、怖いのです」

 

 教室の窓ガラスに赤い光点が反射していた。

 目を凝らすと、それは俺の左目だった。


「なんだこれ」


 気づかなかった。

 窓へ近づいてよく確認してみた。

 やっぱり左目が赤い。

 充血している感じではなく瞳が赤かった。


「いつからこんな目に……」


 この目なら知っている。

 オリバー・ジョーだ。

 夢の中で出会った時、あいつもこんな色の目をしていた。

 ただオリバーの場合は両目だった。


「お前、俺になにかしたのか?」

「お前、だと? 誰に口きいてんだ」


 魔物の仕業じゃない。

 おそらくこれは俺自身の問題だ。

 オリバーと俺に何か共通するものがあるのかもしれない。

 ダンジョンに入ってからここへ来るまで、トアたちは何も言わなかった。

 ここへ来るまでは何もなかったということだ。

 つい先ほどまで左目は正常だった。

 つまり、こいつが現れた後ってことか……。


「佐伯の姿に反応しているのか」

「無能が冒険者ごっこか? お前はもう死んでんだよ、アリエスに飛ばされた時にな。お前は生きてちゃいけねえんだ」

「佐伯の姿で暴言を浴びせれば、俺の精神を崩せると思ったか?」

「聞いたぞ、お前がニトなんだってな。俺に言わせりゃあ、てめえはペテン師だ。どうせお前のことだ、イカサマでもしたんだろ。なあ日高、どんなイカサマをしてその強さを手に入れた?」

「もう我慢できないのです!」


 ネムが声を荒げた。

 体の周囲に大きな6つの火の球が浮いている。

 佐伯はすぐに視線を俺に戻す。


「仲間ねえ……笑わせんじゃねえ。てめえを助けようなんて思う奴はいねえよ、この世界にもな」

「くらうがいいのです!」


 ネムが火球を佐伯へ放った。

 火球は通じず、佐伯に当たると6つともはじけ飛び消失した。

 制服に飛び火したカスを手ではらう佐伯。


「日高、てめえはこれからも俺に虐められ続けるんだ」

「……そうはならないさ。お前らは俺が全員殺す」

「全員だと、今、全員って言ったのか?無関係な奴も殺すのか、河内や一条も。てめえ、頭おかしいんじゃねえのか」

「無関係じゃない。どいつも知っていて気づかないふりをしていただけだ。面倒くさい、関わりたくない……それを理由にな」

「助けてくれなかったから殺すのか、どこまで自己中なんだよ、てめえは」

「理不尽だって言いたいんだろ?」

「逆恨み、言いがかり、勘違い。なんでもいい」

「じゃあ聞くが、どうして俺だったんだ?」


 佐伯は言っている意味が分からないという風に首をかしげた。


「俺じゃなくても良かった」

「は?」

「佐伯は誰でも良かったんだ。あの日、偶然おれは自販機の前にいる佐伯と出くわした。偶然クラスが同じだった。でも、もし別の奴ならどうだっただろうか。俺以外にもあいつが好みそうな奴はいたはずだ。でも俺だった。それこそ理不尽だと思わないか?」


 佐伯が声を荒げ始める。


「どちらにしろお前は虐められていた、そんなことはもう分かってるだろ、お前はそういう星の元に生まれたんだよ、お前自身に問題があるんだ!」

「俺はそうは思わない。これは理不尽だ、だが仕方ない、それが世の常だ。ならどうだ、あいつらが俺に殺されることも同じだとは思わないか?」

「お前が俺らを殺すことも世の常だっ言いてえのか?」

「あいつらは観衆であり傍観者だった。虐めの現場にいた時点で無関係じゃない。それが理不尽であることは否定しない。だが理不尽だからどうしたっていうんだ。俺の理不尽は見なかったことにして、自分たちの身に起こる理不尽は困ると喚くのか。それこそ自己中心的だろ」

「いずれにしろ、ただの逆恨み」

「お前の評価は俺には関係ない」

「屁理屈だ」」

「原因はあったとしても俺が悪だったことは一度もない。悪は加害者だけだ」

「お前がその加害者になるってことだろ。言葉遊びはもういい。助けてくれなかったら恨めしい――お前はただのダサい奴だ」

「助けなかったからじゃない。あいつらは俺との間に壁を作った。俺という存在を拒絶した。無視したんだ」

「筋が通ってねえ。じゃあお前も無視しろよ」

「なあ、もう分かってるはずだろ?」


 こいつは初めから俺のことを分かっている。


「それがてめえの意志か?」

「あいつらは拒絶を選んだ。罪悪感のある者もいたかもしれない。それでもあいつらは選んだ。それがあいつらの意志だったからだ。自分たちのしたいようにした。自分の物差しで信じる道を選択した」

「それが正しくないことをてめえは分かってるはずだ」


 この魔物は俺に気づかせようとしている。

 何かは分からないが。


「善悪は裁量で決まる。こんな世界なら尚更だ。要は信じられるかどうかだ。俺は自分が間違ってないと信じられるし、それよりもっと単純なことを思い出した。全員を殺す理由だ。お前らが拒絶したのと同じように、俺もやりたいようにやる」

「もういい」


 魔物が指を鳴らした。

 急に足元に揺れ始める。

 教室にあるすべての椅子と机ががちゃがちゃと音を立てた。


「マサムネ、どうなってるの」

「揺れが大きくなっていきます」

「怖いのです、ふらふらするのです!」

「3人共、俺から離れるな」


 揺れが激しくなっていく。

 佐伯の顔が歪み原型を失っていく。

 体と笑みを浮かべた顔が大きく膨れ上がっていく。


「深淵を、自分を疑うな」


 佐伯の声じゃない。

 魔物の声が変わった。

 激しくなった揺れが突然おさまった。

 次の瞬間、机や椅子、壁や黒板、床や天井。

 周囲にあるすべての物が、目で負えないほどの速さで遠ざかった。

 俺たちは足場を失うはずだった。

 だが落ちることなく、地面に足がついている感覚があった。

 景色が目では追えない速さで入れ替わっていく。

 そのどれもが俺の記憶の断片のようで、不思議と頭で理解することはできていた。

 幼少期から現在に至るまでの記憶。

 思い出したくないものばかりだ。


 入り乱れていた景色が動きを止めた瞬間だった。

 遠くから床と地面、天井が迫ってきて俺たちは体育館の真ん中に立っていた。

 3人がしがみ付いていて身動きが取れない。


「大丈夫だ」

「ここはどこでしょうか。広間のように見えますが」

「見慣れない場所ね」

「もう目を開けたいのです」

「体育館だよ」


 高校の体育館だ。


「深淵を疑う者に王は務まらない。相応しくない」


 目の前に球体の肉塊が浮遊していた。

 佐伯の姿をしていた魔物だ。


「では選定する」


 目の前の肉塊がみるみる大きく膨れ上がっていく。

 巨大な赤い腕と地面を抉る爪。足。

 胴体。

 肥大する体に合わせて拡大する体育館の壁と天井。

 長い首と敵を捕らえて逃がさない二つの有隣目。

 口元から見える無数の牙。

 最後に巨大な翼だ。


「今度はドラゴンか」


 目の前に赤い鱗のドラゴンが現れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る