第19話 オブジェクトと存在

 その日はカリファさんの家に泊めてもらった。

 3人が寝静まったあと、古びた天井の木目を見つめながら、5人の冒険者の話を思い出していた。


「どうして、カリファさんは忘れていたんですか?」

「彼がそうしたからよ」


 カリファさんは教えてくれた。

 ゼファーは相手の記憶を消すことができるらしい。

 それはかつて手に入れたアダムスの魔導書グリモワールに記されている魔術であり。


「ここに《忘却の彼方オブリビオン》と《記憶の此方メメントモリ》という、二つで一つの魔術があるわ」

「二つで一つ?」

「両方使えない者には一つも使えないからよ。この魔術には鍵という概念があって、対象の記憶を消す際に鍵を設定できるの。鍵を与えられた相手は消された記憶を取り戻す」

「つまり、あの丘で待ってる、と、3番目の引き出しにある、は、カリファさんの記憶を戻すための鍵だった訳ですか?」

「そういうことね」

「ニト様、少しよろしいでしょうか?」


 スーフィリアが訊ねた。


「冥国シグマデウスという地をご存じですか?」

「なんだそれ」

「お話にあった神国ですが、現在その地は冥国と名を変え、新たな王により統治されております」

「新たな王?」

「王の名前は公表されておりません。冥国は、その一切が謎に包まれているのです」

「……よく知ってるなあ」

「ありがとうございます。それだけではありません」

「まだあるのか?」

「はい。ニト様はグレイベルクに新たな王が即位したことをご存知ですか?」

「パトリックがなんか言ってたような……」

「アーサー・グレイベルクです。ですが、わたくしが言いたいのはそのことではありません」

「どういうことだ?」

「グィネヴィアです」

「グィネヴィア?」

「はい。即位した王の娘の名が、グィネヴィアというのです」

「……でも、同じ名なんて珍しくないだろ?」

「グィネヴィアは、現代では使われていない古い名前なのです」


 居間の空気が静まり返った。

 グィネヴィア本人だとすれば、何故グレイベルクにいるのか。

 いや、いくらなんでも本人と考えるのは無理がある。


「150年以上も前だし、流石に本人っていうのはなあ、無理があるだろ? そういえば、カリファさん、ダンジョンの中で何があったんですか? ゼファーが大量に買ったっていうオールドゲルトなんですけど、俺、なんか心当たりがあるような気がするんです。前に偶々迷い込んだ場所で、大量のオールドゲルトを見つけて……」

「そう、オールドゲルトを……。でも、それはあなたが自分の目で確かめなさい。ダンジョンの最奥にはきっと真実があるわ。あなたも挑戦者なんでしょ?」


 カリファさんは、まるで何かを見透かしたようだった。



 目を開けると、そこは白界だった。

 濃霧の中にいるようで、手探りに抜け出すと一面に雲海が広がっていた。


「ここか……」


 知っている風景だ。

 雲の下から夕陽が差し込んでいる。

 周囲を見渡すと前回と同じ神殿が傍に見えた。


「悪いな、呼び出して」

「シャオーンの出迎えはなしか、ゼファー」


 中に入ると、これも前回と同じく復讐神――ゼファーの姿があった。

 だがシャオーンの姿がない。


「シャオーンはもういない。既に寿命は過ぎていた。にも関わらず、消えるはずの《存在》を無理やり繋ぎ止め……だが限界だった」


 ゼファーの言葉の意味が分からない。


「そうか、お前はまだそこまでの情報は掴んでいないんだな」

「情報、何の話だ?」


 ゼファーは答えない。


「それより、カリファさんに会ったぞ」


 ゼファーはあからさまに驚いた。

 次第に何か理解したような表情になり。


「なるほど、そういうことだったのか……」

「俺がカリファさんに会ったって、知らなかったのか?」

「ああ、もちろん。なんでだ?」

「なんでって……」


 前回、シャオーンは俺の近況を知っているかのように話した。

 でなければトアに蛇剣キルギルスを譲れなんてことは言えないはずだ。

 つまりこいつらは、どの程度かは知らないが、俺を監視していたってことだ。

 だが今は、知らない――そう言った。


「一つ聞いていいか?」

「ん?」

「お前は俺を監視してたんだろ? なんで知らないんだ?」

「ああ、それはだなあ。俺がもう、お前の行動を見てないからだ」

「なるほど」

「その代わり、お前が何か重要なことを知った場合、その変化には多少気付くことができる」

「変化?」

「生物の中にはあらゆる情報があり、経験値は日々変化する。俺はお前が新たに情報を得たことを感知できる訳だ。不完全な能力でほとんど扱い切れてないがな」


 あえて扱い切れない能力を使わざるを得ないということは、つまり以前よりも拘束、、が強くなっているということだろうか。


「それはそうと、カリファさんに話を聞いたんだが、神国で何があったんだ?」


 ゼファーの表情が乱れた。

 険しく暗い、複雑を感じる。


「それはまだ話せない……」

「前にも同じこと言ってたよな、言えないって?」

「まず先に伝えておく、お前が俺に抱いている疑念や考えは間違ってない。前は伏せたが、俺はここを離れられない」

「まあ、出られるのなら出てるだろうしな」

「それから、俺は一度に多くの情報を渡せない。だからこれ以上の質問はなしだ、要件を伝える」


 俺はわざとらしく溜息をき。


「オブジェクトを作ってほしんだ」

「オブジェクト?」

「カリファに聞けば分かる。そうだ、俺の肉体の一部は冥国にある、そうカリファに伝えてくれ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、勝手に話を進めるな、言ってる意味が分からない」

「意味はカリファに聞け。あと俺の分以外に、もう一つオブジェクトを作ってほしいんだ」

「もう一つ?」

「――俺のだ」


 柱の陰から声が聞こえ。


「お前……」


 見知った顔があった。

 覚えてる、こいつは……。


「オリバー・ジョー……」


 ターニャ村で俺が殺した盗賊の長――オリバー・ジョー。

 ラズハウセンの灰の団において、隊長を務めていたことも、遺灰の異名でも知られていた。


「出てくるなと言わなかったか?」


「人の話は聞かないタイプでな」


 オリバーはゆっくりと距離を詰め、俺を見下ろし。


「覚えてるぞ、魔力を感じねえおかしなガキだとは思ってた。だがまさか、ああも簡単にられるとは思わなかった」


 八重歯を見せ、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「死んだはずだ、なんで生きてる……」

「生きちゃいねえよ。んで、お前が生き返らせてくれんのか?」

「オリバー、マサムネから離れろ」

「へいへい」

「マサムネ、答えは自分で探せ。あの時はまだ分からなかったが、今のお前には感じるものがある」

「感じるもの、何の話だ?」

「もう一つのオブジェクトはオリバーだ。こいつの肉体に関しては言うまでもないだろう。後はカリファに聞くといい」


 オリバーの体はターニャ村付近の森の中だ。


「時間だ」


 ゼファーは言った。

 まだシャオーンがいないことについてすら腑に落ちてはいない。

 だが一つ分かったことがある、ゼファーがもう死んでるってことだ。

 オリバーがここにいる時点でそういうことだろう。


「肝心なことはいつも答えないんだな」

「なんなら俺が教えてやろうか?」

「オリバー!」

「へいへい、分かったよ。ったく、冗談の通じねえ野郎だ」


 そこでふと思い出した。


「そういえば、あんた、アンナっていう奥さんがいたんだってな?」


 直後、オリバーの紅い二つの目が俺を睨んだ。

 一瞬、寒気がした。


「今、何て言いやがった?」


 俺は平静を装い。

 

「アンナさんは生きてるぞ、彼女は獣国に戻ったんだ」

「……」

「アーノルドさんから聞いた。襲われたって話は、あんたを獣国から守るためのアンナさんの嘘だ」


 そこで覚えのある感覚に襲われた。

 睡魔だ。

 どうやら夢から覚めるらしい。


「マサムネ、頼んだぞ。俺は、まだ終われない……」


 声の後、視界は完全に消失する。

 最後に見たのは、オリバーの動揺した顔だった。



「それで、ゼファーには会えたかしら?」


 俺が朝食のチョコレートミルクを一口流し込むなり、カリファさんは言った。


「大丈夫よ、食べながらでいいわ」

「分かってたんですか、ゼファーが現れるって?」

「なんとなくよ、なんとなく……それで、彼はなんて言ってたの?」


 俺はカリファさんに昨夜の夢での出来事を話した。


「そう、シャオーンが……」


 シャオーンが死んだことに、カリファさんは改めてショックを受けている様子だった。


「その、オブジェクトって何ですか?」

「そうね、話をする前に、あなたは生物が何で構成されているか知ってる?」

「構成? いえ、知りません」

「生物は《存在》と、その入れ物である《身体》があって初めて成立するのよ」

「はぁ……」

「命を終えると、まず身体から存在が抜け出ていく。直後から空となった身体には《コクーン》と呼ばれる生命情報が残るの」

「コクーン?」

「ええ。つまりオブジェクトは、そのコクーンを使って新たに身体を生成する魔術のことなの。復元魔術と違って、精密に、まったく同じ状態で生成できることが利点ね。ここまではいいかしら?」

「多分……。でも何でそんな魔術が必要なんですか?」

「そうね……これは勘だけど、おそらく彼は今、存在の状態なんじゃないかしら。肉体が滅びてしまったのね」

「つまり死っ……」

「ええ、そういうことでしょうね。何があったかは知らないけど、それ以外に考えられることはないわ」

「一つ思ったんですけど、オブジェクトがあれば、もしかして何度でも蘇られたりしますか?」


 蘇生魔術とはこのことじゃないのか。


「無理よ」


 だがカリファさんは言った。


「完全な状態に生成されているとはいえ、オブジェクトにコクーンは宿らないから」

「そう、ですか……」


 コクーンが宿るのは最初の肉体の一回だけか。


「言っている意味は分かる?」

「はい。でも、ということは、死んでも一回だけなら生き返られるってことですよね?」

「それも違うわ。本来、存在っていうのは、命の終わりと共に消失するものなのよ。だから完全な身体を作ったところで人は通常、生き返らないの。ただそこに新品の入れ物があるだけよ」

「じゃあなんでゼファーは……」

「それは私にも分からないわ」


 存在を留めるための、何かトリックがあるのだろうか。


「ところで、カリファさんは何でオブジェクトについて詳しいんですか、ゼファーも知っていたみたいですけど」

「あの魔導書に書いてあったのよ」

「昨日見せてくれた?」

「そうよ」

「あれって何の魔導書なんですか、アダムスとかって人の物なのは分かりましたけど」

「具体的に言えば、深淵について記された本、かしら?」

「深淵!?」

「でも、まずはダンジョンに行くことね」


 カリファさんは俺の言葉に被せて言った。


「否定しないんですね、ダンジョンに挑戦することについて?」

「こう見えて、私もあなたの魔力を感知できる程度には強いつもりよ。ニトくんなら大丈夫でしょ、相当強いみたいだし」


 3人が起きてきたところで、話は一区切りついた。


 朝食を済ませると、出発の時がやってくる。


「攻略したら、またここへ戻ってきます。その時は続きを聞かせてください」

「勿論よ。でもその時はもう、あなたの疑問は解けているでしょうけどね」


 玄関から顔を出し、カリファさんは微笑んだ。


「行ってくるのです!」


 ネムはカリファさんに大きく手を振り、スーフィリアは一礼する。


 ふと町の外にある小高い丘に気付いた。

 あれが、その丘だろうか……。

 記憶がなかったとは言え、ここで一人過ごした時間は孤独そのものだったろう。

 ゼファーは何故、カリファさんを置き去りにしたのか。


「ねえ、行かないの!」

「今いくよ!」


 人目を気にしてか、外に出ず、家の中から俺たちを見送ってくれたカリファさん。

 その時の表情が、どこか寂しそうに思えた。

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