第37話 運命の悪戯

 バーベキューも終わり、深夜――。

 俺は二階にある自室のバルコニーで、シエラに言ったことを考えていた。


 魔法は夢であってほしいなんて言ったが、俺は人もモンスターも殺してきたし、夢なんて言葉で楽観的にはなれない。

 でも、かといって悩んではいなかった。


 いつの間に部屋に入ったのか、そこへヒルダさんが現れる。


「やっぱり、マサムネ君に任せて正解だったわ」


 バルコニーに入って来ると、そう言いながら腕を組み欄干らんかんへ肘をついた。


「任せたって……見てたんですか?」


「シエラがあなたに抱きついていた時? もちろん見ていたわ、父も母もね」


「……」


「気にしなくていいわ。二人とも、シエラにもやっと信じられる友達ができたと喜んでいたから。あなたに頼んで正解だったわ、これからもシエラをお願いね」


 それだけを告げ、ヒルダさんはバルコニーを後にしようと柵を離れるも、部屋に入る手前で足を止めた。


「それと私が前に言ったこと、忘れないでね」


 ヒルダさんの姿は部屋から廊下へと消えた。

 変わった人だ。


――『魔道具 《龍結晶の指輪》に反応がありました』


 急にいつものアナウンスが聞こえた。

 目の前に表示が現れる。


「ん、龍結晶の指輪?」


 疑問に思ったそばから思い出した。

 これはあの時ジークに貰ったものだ。

 俺は異空間収納から指輪を取り出し指にはめた。


「これでいいのか?……」


『……ん、繋がったか?……多分……聞こえるか? ニト』


 人の声が聞こえるが聞き取りづらい。

 それに音がガチャガチャと混在していて、声が三人分聞こえる。


 だが徐々に安定すると、それがあいつの声だと分かった。


『ニト、聞こえるか? ジークだ』


「ああ、聞こえてるよ。俺を殺そうとしたジークだろ?」


 忘れるはずがない。


「そういえば、お前らグレイベルクを襲撃したんだってな。流石はテロ組織だ。捜査だなんて言うから俺はてっきり、もっと軽い感じで行くんだとばかり思ってたよ」


『……ニト、まずは確かめたいことがあるんだが、今どこにいる?』


「……ラズハウセンだけど」と不愛想に答えてみた。


『そうか、もうそこまで届いているのか……』


『ジーク、時間がないわ』と緊迫した女性の声が念話の奥で聞こえた。


『すまない。できればゆっくり時間を設けて説明したいんだが、時間がない。だが、どうやらお前は俺たちが今グレイベルクで何をしているのか知っているようだし、できれば単刀直入に話したい』


「まあ、お前らは有名人みたいだしな。それで、単刀直入にってどういうことだ?」


『お前を組織に誘ったことは覚えているか?』


「ああ、龍の心臓とかいうのに入ってほしいんだろ?」


『覚えていてくれて助かる。その後どうだ、入る気になったか?』


「微妙だな」


『微妙?』


「俺が密かに考えていたことと、今お前たちがやろうとしていることは意外と近い」


『……何か、グレイベルクに恨みでもあるのか?』


「そんなところだ。考えてみれば、お前らと組んだからって悪いことばかりじゃない、そう思える部分もある」


『……それが聞けて安心した。では臆さず話すが、ニト、俺たちに力を貸してくれないか?』


「力を貸す?」


『グレイベルクへ入る際、森の魔法使いアルバート・モルローと一戦交えた』


 アルバート――アリエスたちと広間にいた老人だ。


「あの愉快面した爺か、知ってるよ」


 そう答えた時、念話の向こうから「クスッ」という笑い声が聞こえた。


『どうやらニトにもここへ来る理由がありそうだな』


『アルフォード、時間がないと言っているだろ』


 今の笑い声はアルフォードのものらしい。


『知っているなら話が早い、実は少々問題が起きた。アルバートはその昔、大陸で名を馳せた賢者だった。いつの間にかグレイベルクで隠居生活を送っていたが、勇者召喚の根幹を担っていたのはアルバートだ』


「それで、問題ってのは何なんだ?」


『俺はしばらく体を休ませる必要がある』


「……なるほど。つまりお前の代わりをやれってことか」


『まだ城にはアリエスとヨハネスが残っている、二人ともそれなりに手練れだ。さらに直属の部隊の相手をすることにもなるだろう。エリザとアルフォードだけでは荷が重い、それまで魔力がもつかどうか……』


「そうまでしてこのタイミングで決行する理由でもあるのか?」


『本来ならば、俺がこうなってしまった時点で出直すべきだろう。だが今回は勇者召喚だ、先延ばしにできない。直ぐに手を打たなければ戦争へ発展してしまう。やるなら今しかない』


「……召喚された奴らも殺すのか?」


『召喚の規模については把握していないが、異界の者に罪はない。殺すのは召喚を行った者と関係者だけだ。だが城内の者は全員殺すことになるだろう』


 ――殺るなら今しかない。

 俺もそう思った。


 佐伯たちとの力量の差は分からない。

 だが今回殺すのは王国関係者だけだ。

 もう少し確信を持てるくらいの力を手に入れてからと考えていたが、今なら曲がりなりにも仲間がいる。これは絶好のチャンスだ。


「……分かった、今回だけ力を貸す。でも、まだお前らの仲間になると決めたわけじゃないぞ」


『それは分かっている』


「それとヨハネスとアリエスは俺に殺らせろ、顔見知りだ」


『……いいだろう、元々そのつもりだった。アリエス・グレイベルクは転移魔法の使い手だ。裏社会では名の通った暗殺者であり、首筋の魔女という異名で知られている』


 道理で俺を飛ばせたわけだ。

 仮にも姫のくせに暗殺者で、さらに異名まであるとは。


『父親である国王ヨハネス・グレイベルクは、Sランク冒険者の称号を持っている。土属性魔法の使い手だったらしい』


「王様でありながら冒険者か、聞けば聞くほど胡散臭い国だな。それで、どこで合流するんだ? ここからグレイベルクへは少なくとも数日かかるぞ」


『転移魔法でお前をこちらに移す』


「なるほど、その手があったか。でもどうやるんだ? 俺は転移魔法なんて使えないぞ」


『ふ、相変わらずおかしな奴だ。龍結晶の指輪を左手の中指にはめろ。そして心臓の前で掲げるんだ。あとは 《呼応転移トランスコード》と唱えるだけでいい。詠唱のタイミングはこっちで合図する』


 まったく便利な道具だ。シエラが予想していたより高級品かもしれない。


『では合図するまで少し待っていてくれ』


 そこで一度、念話は切れた。

 俺は部屋の中へ戻り、バルコニーの扉を閉める。


「――今のどういうこと?」


 血の気が引いた。

 振り返ると、部屋の中にトアが立っていたのだ。


「誰と話していたの? グレイベルクに行くって……」


 ――トアに話を聞かれた。


「龍の心臓だ」

「……そう」


 トアは俺から目を逸らした。

 しばらくの間、部屋に重苦しい沈黙が流れた。


「行くのね」


「……ああ、直ぐ戻る」


「行かなきゃダメなの?」


 トアの口調が少しだけ強まった。


「前から決まってたことなんだ、いつかはあの国へ向かうつもりだった」


「私には分からないわ。でも、マサムネが何か良くないことをしようとしているのは分かる……」


「そうだ……俺は、良くないことを考えてる」


「だったら!――」


「――それでも行くしかないんだ。じゃないと、前に進めないんだよ……」


 今なら引き返せる。

 でもそれは弱さを理由に逃げようとしているだけだ。

 見たくないものから逃げようとしている。

 そうだ……俺はあの場所へ行くことが怖い。


 あの国には佐伯がいる。

 前の世界での記憶が少なからず染みついている。

 特にあの広間はそうだろう。

 俺はすべての意味において戻ることが怖いんだ。

 でも、ここにいれば否定されることはない。

 トアやシエラ、ネムと一緒にいれば、無能だと蔑まれることはない。

 でも、あの国は違う。俺にとってあの広間は恐怖だ。

 あそこには俺の存在を否定した者たちの悪意が染みついている。

 殺るなら今しかないと思ったのはそれが理由だ。

 恐怖は放置するとトラウマになる。

 この世界でも過去の痛みに縛られ続けることになる。


「復讐すらまともにできない臆病者に、この先、一体なにができるっていうんだ」


 そんなことをトアに言っても仕方がない。

 でも俺は、トアに何て言えばいいのか分からなかった。


「私ね……家では、ずっと一人だったの」


 するとトアは、落ち着いた雰囲気で急に話し始めた。


「寂しかった、それに退屈だった。だからよく、宝物庫に忍び込んで、よく分からないガラクタで遊んでたの」


 何の話だろうか?……。


「ある日、鏡を見つけたの。大きな鏡だったわ。大きい以外は普通の鏡だったけれど、どこか懐かしくて……私、触れてみたの。そしたら私しか映っていなかった鏡に、一人の男の人の姿が見えた」


「男の人?」


「その人は一人だった、暗闇をただ一人で歩いてた。時々、鏡に映る景色が乱れて、その人の姿も見えなくなったりしたけど、景色が戻るたびに、その人は傷ついて血を流してた。それでもその人はただひたすら前に進み続けたわ」


 どこの誰かは知らないし、トアが何の話をしているのかも分からないが、トアの表情には何か感情がこもっていた。


「何度かお酒を飲んで酔っ払って寝ていたけど、でも私は凄いと思ったの。周りは暗闇で何もないのに、それなのに落ち着いていたし、進むことを止めようとしなかったから。ふっ、ホントは笑っちゃったんだけどね」


 トアは何かを思い出したように笑った。

 ……酒? そこで思い出した。


 そういえばダンジョンにいた時、俺も酔っぱらって寝ていた。

 あの時はまだ、治癒魔法で酔いを醒ますなんて発想がなかったからだ。


「それに、その人は強かったわ。自分の背丈よりも遥かに大きい巨人の騎士を、あっという間に倒しちゃったの。それを見て思ったの、この人は何で一人なのに頑張れるんだろうって」


「ちょっと待ってくれ。トア、その話って……」


「そう……私は、マサムネを見てたの。鏡に映らなくなるまで、ずっと見てた」


「……」


「気づいたら私は森にいた。盗賊に捕まって、そしたら目の前にマサムネが現れた」


 なんだ……何の鏡だ。

 これじゃあ、まるで……。


「――運命だと思った。私は、これが偶然だなんて思わなかったわ。きっと、何か理由があるのよ。私とマサムネが出会ったことには……」


「理由って?」


「だから、運命とか」


 儚くも美しいなんて、そんなことを思ってしまった。

 今のトアは、いつもと別人に見える。


「……運命か。そうかもしれないな……トアとならそれでもいい。でも……だったら分かるだろ? 俺をずっと見ていたなら」


 見つめれば見つめ返してくれるトア。


「彷徨うだけの闇を生き抜けたのは偶々じゃない。諦めなかったのは気まぐれじゃない。すべてあいつらを殺すためだ。蔑み、嘲笑い、裏切ったあいつらと、あの王女とあの国を破壊するためだ。俺はそう誓った、強く思い続けたんだ。だから今も生きてる」


 話しながら、俺は正体の分からない恐怖を感じていた。


「あの時の……俺を見る、あの女の顔は忘れない。ただ惨めに飛ばされる俺を見下した、あいつらの顔は忘れない。トア……俺を軽蔑するか?」


「……しないわ。私はマサムネを信じているもの。マサムネがどんな人でも信じてる」


 ――俺はトアに見放されるのが怖かった。

 シエラやネム、みんなに見放されるのが怖かった。

 やっと出会えたんだ、俺を受け入れてくれるみんなに……心から信じたいと思えるみんなに。


『ニト、準備が出来た。いつでもいい、転移してくれ』


 ジークからの念話が聞こえた。


「……分かった」


「行くのね」


「……悪い」


「謝らないで……分かってるから。きっと、シエラやネムも分かってくれるわ」


「このローブ、借りるよ」


 それはトアが出会った頃に身に着けていた《潜伏のローブ》だ。

 これで正体を隠せる。


「じゃあ、行ってくる」


 ローブを纏い、俺はもう一度トアの顔を見た。


「―― 《呼応転移トランスコード》」


 足元に魔法陣が展開され、視界が光に包まれる。


「マサムネ……」


 トアが何かを言いかけたように思えた。部屋の景色とトアの姿が見えなくなり俺は転移していた。周囲の景色が歪んで上昇していく。

 帰ってきて、とトアのささやく声が聞こえた気がした。

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