第36話 だが俺は勇者じゃない

 日が落ち始めた頃、政宗たちはシエラの両親と共に庭でバーベキューの準備をしていた。


 日頃の感謝の気持ちを込め、依頼の報酬で手に入れたヨワスタインの肉を振る舞うためだ。


「バーベキューとは久しぶりだ。シエラとヒルダがまだ小さかった頃はよくやったものだよ」


 思い出に耽りながら、ブラウンはメイドや使用人たちと共に庭へ薪を運んでいた。


「お肉は沢山ありますので、今日は皆さんで食べてください」

「それはみんな喜ぶだろうけど、足りるのかい? メイドだけでも一五人はいるよ?」

「おそらく大丈夫だと思います。まずこれが依頼でいただいた分です」


 そう言って政宗はトアが持っていた素材袋から、依頼で手に入れたヨワスタインを取り出しテーブルへ置いた。


「それからこれがさっき買い足してきた分です。ヨワスタインだけだと脂っこいですし、ワルスタインもあるので両方焼きましょう」


「それでさっき出かけてたのね」


 トアは先ほど政宗が一人で外出していた理由に納得した。

 これは政宗が《神速》を使い、町中のお肉専門的から売ってもらえるだけ買い漁ってきた肉だ。


「みんな、今日は肉が沢山食べられるぞ!」


 ブラウンはその肉の山に興奮しながら、妻や使用人たちへ知らせようと家の中へ駆けていった。


 政宗たちが一通りの準備を終えた頃、ポール状の照明が照らす暗い庭園の小道に、会議を終えたシエラとヒルダの姿が見えた。

 トアとネムが駆け寄り、すると何を話しているのかは聞こえないが、政宗はその光景にほっとして思わず笑みをこぼした。



 みんな、ただひたすらに肉を食べていた。

 肉ばかりというのも飽きるだろうと、料理長が野菜やスープなどを持ってきてくれたのは有難い。

 高級だがヨワスタインの肉は脂っこく、俺はワルスタインをつまみにロバーツさんから貰った酒を飲んでいるだけだった。


 オールド・ゲルトを一樽、ボトルを数本用意した。

 裏で異空間収納から取り出し持ってきたものだ。

 ブラウンさんやマリアさん、そして料理長がこのワインのことを知っていたらしく、ボトルの側面にある《オールド・ゲルト》の文字と髭を生やしたおっさんのロゴを見るなり、口をぽか~んと開けたまま幻でも見たかのように驚愕していた。

 料理長は感動のあまり泣いて喜んでいた。

 みんなが喜んでくれて本当に良かった、そう思えるバーベキューだった。


 だが一方であることが気になっていた。

 それは先ほど仕事から帰ってきた際のシエラさんの表情だ。

 その笑顔には少し違和感があった。

 シエラさんはワインを片手に一人、少し離れたバルコニーの階段に座っていた。


「ねえ、マサムネ。シエラ、大丈夫かしら」

「ご主人様、シエラの元気がないのです」

「……ああ、分かってる」


 どうやら二人も俺と同じことを考えていたらしい。

 何があったのかは分からない。

 どうせ知っているくせに、目を合わせてもヒルダさんは話そうとすらしない。

 要は自分で聞けということだろう。


「シエラさん。隣、座ってもいいですか?」

「マサムネ殿……もちろんです。どうぞ」


 俺はシエラさんの隣に腰かけた。

 その様子をトアとネムが心配そうにちらちらと見ている。

 というか、こういうのは女性同士の方がいいように思えるのだが……。


「お気を遣わせてしまって、すみません」

「いやいや、全然ですよ。もしかして、何かあったんですか?」


 そう尋ねてみたが、シエラさんはしばらく黙っていた。

 正直こういったことは慣れていないし経験もない。

 俺はシエラさんが話し始めるまで待つしかなかった。


「マサムネ殿は、勇者召喚というものをご存知ですか?」


 意外だった。


「知ってますよ」


 知ってるも何も、そこから生まれた、、、、のが俺だ。


「それは、禁術である理由も知っているということですか?」


 そういえばアリエスがそんなことを言っていたような気がする。

 だが禁術だというのは初耳だ。


「人の命を犠牲にしなければ行使できない魔法、でしたか?」


 アリエスの言葉を引用した。


「……そうです。私は今日、勇者召喚とそれに伴う生贄の存在を知りました」


 生贄?……それも初耳だ。


「知らなかったんです。まさか、人を拷問してまで――」

「ちょっ、ちょっと待ってください! 拷問ってなんですか?」


 そこでようやく気がついた。

 俺はまだ勇者召喚の根幹を知らず、そして、どうやらシエラさんはそれを知っているのだということを。



「そういうことですか……」


 シエラさんが話してくれた内容は俺の想像をこえるものだった。


「私は知りたくありませんでした。ですがそういった、普通なら目を伏せたくなるような真実と向き合うことも、白王騎士にとっては必要だと……使命だと、そう思ったんです」


 シエラさんにとって、それはとてもショックなことだったんだろう。

 だが想像はこえたが想像できたような話だ。

 少なからず当事者だが、俺はどこか他人事のように聞いていた。


「私は、怖くなりました。魔法が……」


 このままではトラウマになってしまう。

 でもどうすればいいのか分からない。

 相変わらずちらちらと窺っている二人は教えてくれそうにないし、どういうつもりなのかヒルダさんは見向きもしない。

 考えたところで俺は自分の言葉でしか答えられないが……素直に言うしかないか。


「でも、魔法って多分そういうものなんじゃないですか」


 どの世界にも人を傷つける手段があり、それがこの世界では剣であり魔法なんだろう。


「そう、ですよね……」

「でも俺は認めたくないです」


 そう答えると、シエラさんは不意をつかれたような顔をした。


「だって嫌じゃないですか。魔法はいつまでも魔法であってほしいんですよ。ファンタジーに相応しい、人に夢を見せることのできる魔法であってほしいんです」


 魔法のない世界。

 その世界を知っている俺にとって、この世界は夢であり魔法そのものだ。


「私も!……私もそうです! 魔法は人を傷つけるためのものではないと思いたいんです。ですが……私だって、誰かに魔法を向けたことがないわけではありません」

「じゃあ、それで良くないですか? シエラさんがそう思えているならそれでいいんですよ」

「私には……分かりません」

「悪い人がいればいい人もいる、それだけのことですよ。それは魔法に限った話じゃないんです」

「……」

「でももしそれでも、シエラさんがつらいって言うなら、こうやって話を聞きます」

「マサムネ殿……」

「トアやネムや、それからヒルダさんだっているじゃないですか。そばにいて、今みたいにシエラさんの話を聞きます。シエラさんの悩みが解決するまで」


 異世界に来てから色々なことがあったけど、俺は最も大切なものを手にしたと実感している。

 それは女性に対する免疫だ。まさかヘタレな俺が、こんなことを女性に向かって言える日が来るとは思わなかった。

 これも成長と言えるだろう。と、そんなことを考えていた時だった――。


「え、シエラさん!?」


 シエラさんが急に抱き着いてきた。

 どうすればいいのか、この状況の打開策はないかと焦りつつも考えを巡らせるが、しばらくの間、俺はそのままじっとしているしかなかった。

 身動きが取れない一方で、何となく柔らかいものが体に当たっていると分かる。


「私の事はシエラと呼んでください」


 すると突然そんなことを言いだすシエラさん。


「はい?」

「その……敬語も必要ありません。前から違和感がありましたし、友人同士なのですからやめましょう」

「でも、シエラさん――」


 その瞬間、抱き着く力が強くなった。もはや絞めつけられているようだ。


「分かったよ……その、シエラ」


 恥ずかしさを押し殺し、タメ口と呼び捨てでそう言い切った時だった。

 そこへ、てくてくと素早い足取りで駆けてくるネムの姿が横目に見えた。


「ちょっ、ネム!?」


 ネムは勢いのままに俺の胸元へ飛びついてきた。

 気づいたシエラさんは慌てて俺から離れる。


「シエラ……ご主人様に何をやっているのです?」


 俺へ抱き着くなり、シエラへ鋭いネコ目を光らせるネム。


「い、いえ、その……」

「反則なのです! それは反則なのです! シエラはご主人様にべたべたし過ぎなのです!」

「べたべたしてなど!――」

「でも抱き着いていたのです! ネムは見ていたのです! トアも見ていたのです!」


 そこへトアも駆けつけたが、二人の問答を見るなり安心したように微笑んでいた。

 その表情に安心感を覚えほっとした。


「ネム、シエラは安心したかっただけだ。別に変な意味で抱き着いたわけじゃないよ」

「そうなのですか?」


 呼び捨てとタメ口へと追求を誤魔化した後、シエラは二人にも勇者召喚について説明した。


「そんなことが……」


 話を聞いたトアは沈んだ表情をしていた。

 どうやらトアも勇者召喚は知らなかったらしい。


「ネムは魔法は分からないのです。でも、みんながネムに優しくないことは分かっているのです。だからネムはご主人様のそばにいるのです」


 ネムの言う“みんな”とは世の中の他人という意味だろう。

 ネムは分かっているんだ。

 この世の中には平気な顔をして他人を傷つけられる者がいることを。

 俺は膝の上でしょんぼりしているネムの頭を撫でた。


「そもそも何で勇者召喚なんて話が出たんだ?」

「そのうち公になるかとは思いますが、実はグレイベルクが勇者召喚を行ったらしいのです」

「そういえばそうだった」と口を滑らせるも、気づいた時には遅かった。


 トアとシエラが一斉に俺の方へ振り向いたのだ。ネムは膝の上で大人しい。


「あの、マサムネ。“そう言えば”とは、一体どういう意味ですか?」


 もちろん、これはペラペラ話すようなことではない。

 でも別に隠していたわけでもない。


「龍の心臓って連中に会ったのは前にも話しただろ? そいつらが別れ際に言ってたんだ。グレイベルクが勇者召喚を行ったらしいから調査しに行くって」

「すみません、マサムネ。その、あまりにいきなりのことで少し驚いているのですが、それはいつ頃の話ですか?」

「確かシエラと出会う前の話だったなあ。覚えてるか? シエラ、あの時なんか俺を疑ってただろ? 恨みを感じるとか言ってさあ。シエラが俺のハンティングウルフを横取りするから俺は――」

「――マサムネ」


 まるで咎めるように、シエラは低い声で俺の名を呼んだ。


「……何だよ」

「隠しているのはそれだけですか?」


 気づくとトアも興味津々といった様子で俺の言葉を待っている。

 ネムは可愛いもんだ。


「…………あると言えば、あるような」

「それはこの一件に関係していることですか?」

「まあ、あえて聞かれると関係しているような気も……」


 無言の圧力とでもいうのか、二人の目が見られない。

 だが、もう誤魔化しがきかないところまできてしまったような気がする。

 シエラも馬鹿じゃないし、何となく気づいているだろう。

 せめて動揺は隠すべきだった。


「それは、その、つまり……俺がその勇者ってことなんだけど」


 言葉を濁しつつ、そう言い切った直後、二人のシンクロしたような「へ?」という間抜けな声が聞こえた。


「だから俺が勇者召喚で呼び出された勇者の一人だってことだよ、もう気づいてるんだろ?」


 何故だろうか、なんとなくシエラの反応が期待していたものと違う。

 俺はこれまで数々のヘマをしてきたと自覚している。

 ついさっきの動揺もそうだ。

 表情の乱れは相手に答えを与えてしまう。

 俺の精神がレベルアップしていればそんなこともなかっただろう。


「なるほど……道理で知らないことが多いはずです」


 シエラは俺が勇者であると想像もしていなかったっぽい。

 だが、それにしては二人の反応はあっさりしている。


「その、いつか伝わることだろうから先に誤解を解いておきたいんだけど、確かに俺は勇者召喚で異世界から召喚された。でも俺は勇者じゃないんだ」

「え、マサムネって違う世界から来たの!?」

「うん、そもそもそういう魔法だろ? じゃなくて、言いたいのは俺が勇者じゃないってことだ」

「どういうことですか?」

「言いにくいんだけど、捨てられたんだよ。ヒーラーだから」


 俺は三人に召喚された時の話をした。

 トアは微妙な顔をしていた。

 だが悲しんでいるという感じではないように思う。


「でも、俺はそれで良かったと思ってるんだ、みんなに出会えたから」

「ご主人様はネムに出会えて良かったのですか?」

「ああ、良かったと思てるよ。俺もそうだけど、ネムの笑顔はみんなを元気にしてくれるしな」

「ネムもうれしいのです!」


 ネムは膝の上でうれしそうに足をブラブラさせていた。


「みんなに会えたことは何より良かったと思ってる。あそこにいても俺は無能のままだったから」

「ですが、それはちょっとおかしくはないですか?」

「おかしい?」

「はい。マサムネは今、自分を“勇者の一人”だとそう言いました。ということは、召喚された勇者は他にもいるということです」

「そういうことだけど」

「では他の勇者の方々はマサムネよりも強いということですか?」

「ああ、そういうことか。そういえばシエラとネムはまだ俺のステータスを知らないんだったな」


 俺は2人にステータスを見せた。


「なっ! なんですかこれは!? レベルが三桁も……」

シエラは言葉を失っていた。

「ご主人様のレベルは697で、ネムのレベルが10だから……687も違うのです!」


 ネムは無邪気だった。


「道理でレイドが負けるはずです」

「ただこれが特別なことじゃないなら、俺以外の勇者は俺以上に強いってことになるけどな」

「マサムネよりも強い? そんなはずないわ」


 トアは何故か俺の力を疑っていない様子だった。


「いや。そもそも俺だけが強いってことの方があり得ないんだよ。勇者には恩恵が宿るらしいんだ。俺は自分の恩恵については分からないけど、王女曰く、俺には恩恵がないらしい。でも他の連中はそれぞれ恩恵を授かってるだろうし、だとすれば俺より強い可能性なんていくらでも考えられる」


 俺は最強なんだとそう思うことは確かにあった。

 だがあれはダンジョンでの話で、あの時の俺は正気を失いかけていたし、ダンジョンを抜けてからは有頂天だった。


「だから三人には知っておいてほしいんだ。俺がなんで偽名なんて名乗ろうと思ったのかを――」


 佐伯やあいつらとの関係については話していない。

 俺はただ一言、「生きていることを知られたくない」とそう伝えただけだ。

 三人は一定の理解を示してくれたものの、政宗という名前が定着してしまった今となっては、“ニト”とも呼びづらいと少し困惑している様子だった。

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