第26話 ネム

「お兄さんは……誰なのですか?」


「政宗だ。君は?」


「ネムは、ネムなのです」


 少女の耳は真っ白な雪のようで髪も真っ白だ。

 すべてが雪のようで神秘的であった。


「ネムか……。じゃあ、ネム。誰か来る前にここから出よう」


「はい……なのです」


 俺が手を握るとネムはそっと握り返した。

 その手は微かに震えている。

 まだ怖いのだろう。


 特に会話もないまま出口へ向かい、怯えるネムと共に倉庫の外へ出た。


 急に視界に入ってきた日差しが眩しい。

 そこで、待機していたトアとシエラさんの姿を見つけた。


「マサムネ殿!」


「誰か出てきましたか?」


「先ほど通りで見かけた男が出てきましたが、あの通りです」


 シエラさんが指差した方向にはトアの姿があり、こちらに手を振っていた。

 そんなトアの傍には、倉庫の壁にうなだれ意識を失っている小太りの男の姿があった。

 ネムを連れ去った男だ。


「そちらは先ほどあの男に連れ去られた獣族の方ですね」


「彼女はネムです」


 紹介するとシエラさんはネムをまじまじと見つめ、直ぐに納得したように「なるほど」と頷いた。


「はじめまして、ネム殿。私はシエラと申しますが、その白い耳に白い尻尾。もしやネム殿は白猫族ではありませんか?」


「はい、なのです」


 初対面ということでシエラさんに緊張しているのか、ネムは何故か俺のローブの裾を軽く掴んでいた。


「失礼ですか、ネム殿はどちらにお住まいですか?」


「……シスターのところなのです」


「なるほど。やはり教会の子供でしたか」


 尋問が終わると、シエラさんは立ち上がる。


「何なの、その教会って?」


 見張りを一度離れ、トアも合流した。


「孤児院のことです。一時的に子供を保護しているのですが、どうやらネム殿は教会の子供のようですね」


 市街地の一画に孤児院教会があるそうだ。

 俺たちはネムを連れ、ひとまずそこへ向かった。







「シスター! シスター!」


 孤児院に到着するなり、ネムは玄関扉を開け急ぎ足で中へ入って行った。

 その姿に思わず顔を見合わせ、俺たち三人もネムへ続く。


 中へ入るとそこは受付などない静かな玄関だった。

 正面に大きな階段が見える。

 教会というから、俺はてっきりあの教会を想像していたのだが、そこは古びた屋敷のようだった。


「ネム!」


 そこへ一人の女性が現れる。

 白とネイビーの修道服を着た女性だ。


「シスター!」


 ネムはその女性へ駆け寄り抱き着いた。


「今までどこへ行っていたのですか! 心配したのですよ!」


「ごめんなさいなのです……怖い人たちに捕まっていたのです。そしたらマサムネが助けてくれたのです」


 名前を憶えてくれていたとは感激だ。

 事情が分からず戸惑うシスターは軽く会釈すると、一先ず談話室のような部屋へと案内してくれた。


「危ないところを助けていただき、ありがとうございます」


 席に着くなりシエラさんがシスターに事情を説明した。


「いえいえ。無事にお送りすることができ、なによりです」


「ネムは時々、友達の所へ行ってくると言っていなくなるんです。王都は平和ですし、獣人を差別する人もあまり見かけません。それに奴隷取引も禁止されていますから、大丈夫だろうと思っていたのですが、まさかそんなことになるとは……」


 どうやらネムには放浪の癖があるらしい。

 だがいつも無事に戻ってくるらしく、シスターもそのうち気にしなくなっていたそうだ。


 話をしている間、ネムは他の子供たちと仲良く遊んでいた。

 怖い思いをしたはずだというのに、もう平気そうに見える。

 なんとも逞しい幼女だ。


 そう思いながら、微笑ましいネムの様子を見ていた時だ。

 ネムの腕におかしなものを見つけた。


「あれは……すみません、シスター。ネムの左腕にあるあれは何ですか?」


 それは円で象られた何かの模様だった。

 左の二の腕の辺りにあり、タトゥーのように見える。


「まさか、あれは奴隷紋どれいもん!?……」


 シスターはまるで言葉を失ったように驚き、薄っすらと涙を浮かべた。


 シエラさんの話によると、それは奴隷紋というらしい。

 高温の金属を押し付けることにより刻まれる焼き印だ。

 それを見たシスターは遊んでいたネムに駆け寄り、涙を流しながら抱きしめた。


 だがネム自身はなんてことないような表情をしていて、シスターの様子に戸惑っていた。


 奴隷商人の中にも焼印をする者としない者がいるらしい。

 焼印は言わば精神を縛る鎖で、印を付けられたものは逃げることを止めるのだそうだ。

 奴隷紋は圧倒的に男性に使われることが多く、女性は少ないらしい。


 ネムの場合は獣族という理由で付けられたのだろうと、シエラさんは重い表情で語っていた。


「やっぱり、一人残らず殺しておくべきでしたね……」


 心の底から怒りと殺意がこみ上げた。

 白王騎士に任せればいいと人任せな選択をしたことを後悔した。


「マサムネ、大丈夫?」


 トアが俺の顔を覗き込んだ。


「え……」


「なんだか顔が暗いわよ?」


「マサムネ殿、大丈夫ですよ。後は私たちが何とかしますから。すでにアネットに連絡はしてありますし、マサムネ殿が悩まれるようなことではありません。あとは任せてください」


 俺の様子を案じたように、シエラさんはもう一度「大丈夫ですよ」と言った。


 その後、後片付けがあるからと孤児院の前でシエラさんと別れた。

 俺たちもシスターとネムに別れの挨拶を告げる。


「じゃあ、俺たちもこれで失礼します。ネム、当分の間は注意するんだぞ?」


「もう帰ってしまうのですか?」


 ネムの表情はどこか悲しげだ。


「ああ、でもまた遊びに来るよ。もう勝手に抜け出したりしたらダメだぞ」


「分かったのです。また明日……」


 シスターへ軽くお辞儀を交わし、ネムの顔をちらっと見ながら俺たちは孤児院を後にする。


「明日も行くの?」


「どうだろう……」


「でもネムは“また明日”って言ってたわよ?」


「言ってたな。でも明日になれば、俺のことなんて忘れてるよ」


 俺はこの時、ネムが別れ際に呟いた言葉について深く考えていなかった。


 だが翌日、またいつものようにエカルラート邸で目を覚ました俺は、ネムの言ったその言葉の意味を知ることになる。







「おはようございます、マサムネ様。今朝はマサムネ様にご客人がお見えになっていますが、いかがいたしますか?」


「え、俺に客人ですか?」


「はい、あちらでお待ちいただいております」


 翌朝、目を覚ました俺は一階のリビングに入ろうとドアノブに手をかけるも、メイドさんに引き止められ、寝起きで視界がはっきりしないまま客人の待つ部屋へと案内された。


「ご主人様!」


「ご主人様?」


 扉を開けるなり声が聞こえ誰かが俺に飛びついてきた。


 足元を見てみると、そこにはネムの姿があった。

 雪のような白い髪と耳、そして尻尾を見て直ぐに分かった。


「ネム、こんな朝早くからどうしたんだ? それに“ご主人様”ってなんだよ」


「母様から教わったのです。命を救われたらそのご仁を生涯愛しなさいと……。ご主人様はネムを助けてくれました! ご主人様はネムのご主人様なのです!」


 訳が分からず子供の言うことだと聞き流した。


 それより、これじゃあ俺が呼ばせているみたいだ。

 ご主人様だなんて……シエラさんやトアに見られでもしたら大変だ。

 何とかしないないと……。


「おはよう、マサムネ」


「おはようございます、マサムネ殿。先に起きてらっしゃったのですか、今朝はお早いですね」


 だがそこにタイミング良く、トアとシエラさんが現れた。

 絶妙なタイミングだ。


「ご主人様、今日はどこへ行かれるのですか? ネムはご主人様について行きたいのです」


「――ご主人様?」と声を合わせる二人。


 互いに目を丸くし不可解な表情をしている。

 だがその次に見えたのは軽蔑混じりの奇異の目だった。


「ちょっ、ちょっと待ってくれ! そうじゃないんだ! これには訳があってだなぁ……」


「ご主人様はやはり冒険者なのですか? では今日はギルドへ行かれるのですか?」


 ネム、今は少し黙っていてくれ……。


 疑惑を晴らそうと二人に説明しようとするも、ネムは俺の弁解を阻むように何度も「ご主人様」と呼び、俺を変態へと陥れるのであった。







 朝食を済ませた後、しばらくしてエカルラート邸を出発した。


 俺たちは居候の身だがシエラさんのご厚意から宿泊費や食費は払っていない。

 だがそろそろ依頼を受けて金を稼がないとマズいだろう。

 いつこの国を出発することになるか分からない。


「俺が呼ばせてると思ってたのか? そんな訳ないだろ」


 俺を何だと思っているのか知らないが、二人は俺が否定するまで、“ご主人様”などという趣味の悪い呼称を俺がネムに強制していると思っていたらしい。


 疑惑が晴れる頃、俺たち四人はギルド前へと到着した。


「おや、ネムじゃないか」


「あ! シャロンがいるのです!」


 そこで店を開けていたシャロンさんと出くわした。


「あんたら、ネムと知り合いだったのかい?」


「ネムのご主人様なのです!」


「ご主人様? なんだいそりゃぁ……」


 またか……。

 シャロンさんが軽蔑するような視線を俺へ向けた。


 やれやれ、また説明しなければいけないのか。

 だが今回は俺に代わってシエラさんが説明してくれた。

 おかげで疑いは直ぐに晴れた。


「なるほどねぇ~、そうだと思ってたよ」


 白々しいにもほどがある。

 よく平然とそんな嘘がつけるもんだ。

 あの軽蔑の眼差しに嘘はなかったように思うが……。


 シャロンさんは薄々気づいていたと言う。

 というのもネムはよく店に遊びに来るらしく、ネムのことなら誰よりも知っているのだそうだ。

 シスターの言っていたネムの友達とはシャロンさんのことだったのだろうか。


「ネム、その腕どうしたんだい!?」


 そこでシャロンさんがネムの腕の焼き印に気づいた。







「なるほどねぇ……そんなことがあったのかい。まったく酷いことするねぇ。ここにいたなら私がぶん殴ってやりたいところだよ」


 シエラさんの説明にシャロンさんは険しい表情を浮かべ悲しみと怒りを表していた。


「あんたらが助けてくれたんだね、私からも礼を言っとくよ」


 シャロンさんは「ネムは私にとって娘のような存在なんだ」と奴隷商人への怒りを隠せない様子だった。


「でもまさか娘を送り出す日がこんなに早く来るとはねぇ」


 詳細を理解すると、シャロンさんはニヤッと意味不明な笑みを浮かべながら俺の顔を見た。


「守っておやり、あんたはネムが選んだご主人様なんだ。失望させんじゃないよ?」


 訳が分からない。

 この人は何を言っているのだろうか。


「あんた、その様子じゃネムの言葉の意味を理解してないね?」


「意味ですか? え、どういうことですか?」


「まあ、今は分からなくてもそのうち分かるさね。だけどこれだけは言っておくよ? ネムを悲しませるようなことをしたら私が許さないからね」


 釘を刺すように、何故かシャロンさんに顔の目の前で人差し指を立てられた。


「シエラ、探しましたよ」


 そこへ見知らぬ男が現れた。


 ダンディーな鼻髭と左目の片眼鏡に、白いシルクハットが見える。その長身に目立つ白いコートを羽織った男だ。


「エドワード、あなたはまたそのような姿で公衆の面前に……」


「相変わらず神経質ですねえ。大したことではありませんよ。誰も私が白王騎士であるなどとは思っていません。私にとってこれは普段着であり、いつものことなのです。そんなことよりシエラ、ラインハルトからこれを預かってきましたよ」


 説明もなくシエラさんへ紐で丸められた紙を渡す男。


「おや、こちらの方々はもしや……」


「マサムネ殿とトア殿、そしてこちらはネム殿です」


 シャロンさんの紹介はなかったが、男は密かに会釈していた。

 どうやら互いに面識があるようだ。


「あなたが噂の……失礼、私はエドワード・スコッチと申します。ご挨拶が遅れ申し訳ありません」


「ところでエドワード、この文書はなんですか?」


 シエラさんは渡された紙を開き、中を除きながら尋ねた。


「依頼書ですよ、そう書いてありませんか?」


「なっ、これは王の!?」


「いかにも。どうやらウィークにバジリスクが現れたようなのです。それも陛下のご友人であらせられるボレアス殿の納屋だそうです」


「バジリスクって何?」


 それは俺も疑問だったが、どうやらトアも知らないらしい。


「ネムは知っているのです! 大きい蛇のことなのです!」


「大きい蛇?」


「流石はネム殿、博識ですね。そうです。バジリスクとは蛇、つまり大蛇のことです」


「王はあなたが行くべきだと申されています」


「どういうことですか、なぜ私に?」


「知りませんよ。私はただあなたに渡すようにと命じられただけです」


「丁度いいさね! シエラ、バジリスクを退治してきな!」


「シャロンまで……どうしてですか?」


「丁度バジリスクの涙腺と毒袋、それから大牙を切らしていたところさね。退治ついでに採取してきてくれると助かるんだよ」


 あまり乗り気ではないのか、悩む表情のシエラさん。


「シエラさん、俺もついて行きますよ。トアもいいだろ?」


「うん。マサムネが行くなら私は構わないわ」


「お二人とも、申し訳ありません」


「気にしないでください。どうせ暇ですし、俺たちもそろそろシエラさんへの恩を返さないといけませんから」


「行くならネムも連れて行ってやんな」


「ネムをですか? ダメですよ! 大蛇がいるんですよ? 連れて行くなんて……ネムはまだ小さいし」


 危険極まりない。

 バジリスクがどんなモンスターかは知らないが相手は蛇だ。

 もし毒にでも侵されたらただでは済まない。


「ご主人様、ネムを置いていくのですか? ネムはご主人様の役に立ちたいのです!」


「そう言われてもなぁ……モンスターを退治しに行くんだぞ?」


 俺なら何かあっても直ぐに治癒魔法で治せるだろう。

 だがこんな小さい子供を依頼に連れていくというのは単純に非常識だ。

 それに治せるといっても危険であることには変わりない。


「連れて行ってやんな。なに、心配ないさね。ネムはこう見えて、ヒーラーのあんたよりは強いんだからねえ」


「ネムが強い? ホントですか?」


「ここらじゃ有名な話さね。騙されたと思って連れて行ってやんな」


 この確信にも近いような自信は、一体どこから溢れてくるのだろうか。

 強いなら奴隷商人に捕まるはずはなかっただろうに。


「仕方ないですね、分かりました。でも今回だけですよ」


 俺はその眼光に断れず、しぶしぶ引き受けてしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る