第25話 白い猫耳の少女

 王都ラズハウセン郊外、旧市街地区――。


 そこに、古く寂れた建物へと入って行く、日傘を差した女の姿があった。


 古い木製の扉が音を立て傘が閉じられると、紫色の厚い毛皮のコートと、その肩幅よりも大きな帽子が見えた。

 コートの上からでも分かるほどの肥満体型だ。

 厚い口紅に強い香水の匂い。


 その風貌こそ、彼女が「マダム」と呼ばれるゆえんであった。


「これはこれは、マダム・フラン。ご足労をおかけしました」


 隈の目立つ目元とこけた頬――ギドは彼女を手招くように浅くお辞儀をした。


「お招きいただき感謝いたしますわ。お初にお目にかかります、ギド・シドー様。わたくし、フラン・ボルフレーヌと申します」


 紅い唇から覗く白い歯。

 フランは優雅な笑みを浮かべた。


「ギドで構いません。それとお初ではありませんよ。私は一度あなたに会っていますからねえ、と言いましても随分前の話になりますが」


「あら、私ったら。これは失礼いたしましたわ」


「とんでもありません。それとこちらはユン・イー。私の助手です」


「あらやだ、ユンちゃん、ちょっと久しぶりじゃなーい? 元気にしていたかしら」


「問題ありません。よろしくお願いします」


「相変わらず不愛想ねえ、でもそこがいいわ」


「すみません。ユンは少々暗い性格をしているのですよ。ですが腕は確かなのでご安心を」


「知っていますわ。ユンちゃんは優秀でしたから、昔からね――」


 急に会話が止まり、不思議な間が生まれた。

 ギドとフランは笑顔のまま見つめ合う。


 その表情は互いに血が通っていないようであり、まるで人形のようだ。

 そして会話は突然に再会される。


「では本題に入りましょう。少々問題が起きましてねえ、あなたが送ってくださった精獣が殺されて使いものにならなくなりました」


「なるほど、それで何人殺せましたの?」


「つまりそれが問題でして、実は一人も殺せていないのですよ」


「なるほど、それで?」


「厄介な事にわけの分からない冒険者に邪魔をされてしまいましてねえ、白王騎士が姿を見せた時には精獣はドロドロになっていました」


「ドロドロ? 変わった表現ですわねえ、それで?」


「回収された精獣はユンが取り戻しました。そこで是非、あなたの魔法でもう一度、この精獣を元に戻していただきたいのです」


「なるほど、それで?」


「……話はこれですべてですよ?」


「なるほど。わたくし、よーく理解いたしましたわ。ではこれを――」


 フランはそう言ってテーブルの上に黒い液体の入った大きな瓶を一つ置いた。


「おや、これは何でしょう」


「大変失礼かと存じますが、ギド様にお呼びいただいた時点でわたくし、もしやと思いまして、大体の事情は把握させていただいておりましたの。これはわたくしからの餞別ですわ。必ずやギド様のお役に立つことでしょう」


 ギドは瓶を手に取ると底や側面をじろじろと眺めた。


「これはこれは……ご親切にどうも。良ければこれが何か教えていただけませんか」


「モンスターの大群です」


「素晴らしい!」


 それを聞いた瞬間、ギドは目を見開きニヤリと笑った。


「なるほど、それは実に愉快な話ですねえ」


「気に入っていただけて何よりですわ。その中にはBランク以上のモンスターが詰め合わせてありますの。必要かと存じましたので、Sランクのモンスターも少し拝借しておきましたわ」


「なるほど。ところで拝借とは一体なんの話でしょう」


「これは痛いところを突かれてしまいましたわ。帝国を出発する際、研究室にある資料のいくつかを拝借しましたの。もちろん、これはそれらのほんの一部を復元した物に過ぎませんのでご安心ください。バレることはありませんわ」


「なるほど、分かりました。バレた場合は私から謝っておきましょう」


 ユンは運んできた二つのグラスをテーブルへ置き、ワインを注いだ。


「それでいつ実行するんですの?」


 フランはワインを一口飲む。


「一週間後にしましょう。それまでに精獣の数をできるだけ増やしていただきたいのです」

「分かりましたわ。では一週間後に」


 そう言うとフランは椅子から立ち上がり、前触れもなく颯爽と部屋を後にした。


「香水の臭いが鼻についた、水で洗ってくる」


「私に嫌味を言われても困りますよ。本人に言ってください」


「そんなものが必要だとは思えない」テーブルの瓶を見つめるユン。「モンスターで攻めるつもりか?」


「保険ですよ。例の冒険者がまた介入してきては敵いませんからねえ。それにしてもマダム・フランは物分かりのいい女性でした。あなたとは大違いですよ、ユン・イー。彼女は直ぐに理解しましたよ。それだけ警戒する必要があるのだと」


「お前の愚痴は聞き飽きた。私は自分の仕事を全うするだけだ」


「深入りは禁物ですよ。これは命令です、行動を把握するだけに留めなさい」


「……分かった」


 ユンはそう言って不愛想に部屋を出て行った。


「やれやれ、彼女には困ったものですよ」


 ワインを片手にテーブルの黒い瓶を観賞しながら、ギドは嬉しそうに笑った。







「見つけてくれか……」


 春の夜の夢のようにとはこのことだろうか。何とも切ない感情を残し、シャオーンと復讐神は俺の前から姿を消した。


「マサムネ、今なにか言った?」


「何も言ってないけど」


 シエラさんに案内され、俺たちはワルスタインの専門店へ訪れていた。


 雌の肉であるらしいヨワスタインのスペアリブを片手に、俺の顔を見つめながら不思議そうな顔をしているトア。

 向かいにはそんな俺たち二人の様子を眺めながら、生き生きとした表情で肉を食べるシエラさんの姿があった。


「マサムネ殿、今朝は剣術の方は本当に良かったのですか?」


「今日は大丈夫です」


 今朝は昨日と同じように、シエラさんが剣を見てくれる予定だった。

 だが俺は昨夜の夢から覚め切らない状態であり、耳鳴りのように繰り返される友人二人の言葉が鬱陶しく、それどころじゃなかった。


 シエラさんは日課だからと庭で剣を振っていたが、俺は二人の模擬戦を眺めていただけだ。ただ、その時あることに気づいた。

 王直轄の白王騎士の剣術も、箱入り魔族の剣術も、まるで子供のお遊戯であるかのように見え、すべてスローモーションに捉えられてしまったのだ。


 だが考えてみれば当たり前の話だろう。

 俺は少なくとも一五〇年は生きたであろう剣豪に、その剣のすべてを伝授されたんだ。

 魔族のトアがどのくらい生きているのかは知らないが、人間であるシエラさんは剣を学んでまだ数年のはず。

 見極められないはずがない。


 この状態の俺と剣を交わしたら、シエラさんはどう思うだろうか。

 長い旅の中でシャオーンが学んだ数多の剣術が、まるで思い出のように感じられた。


「どこか具合がよろしくないのですか?」


「え、具合ですか?」


「はい、あまり顔色がよろしくないように見えます」


「マサムネ、そうなの?」


 美女二人に心配されるのも悪くない。

 だが無駄に心配をかけるのは罪悪感がある。

 考えに耽るのもこの辺りでやめておこう。


「体調はいつも通りですよ。今日は剣術よりも町を見て周りたかったんです」


「そうだったのですか。私はてっきり稽古が嫌になってしまわれたのかとばかり……」


「稽古は成長が実感できますし楽しいですよ」


「でも今朝は一度も剣を握らなかったわよね?」


「なんとなくそんな気分じゃなかっただけだ」


 剣を握れば自然と体は動いただろう。

 そこにいるのは昨日までとは違い、隙のない構えで剣を握りしめている俺だ。


 呆気に取られた二人の顔が目に浮かぶ。

 その後おそらく問い詰められただろう。


「シエラ、あれは何かしら?」


 突然、トアがガラス窓の向こうを指差した。


 店を出て大通りを渡ると、向かい側には建物に挟まれた裏道へと通じる暗い細道が見える。

 そこに、いかにも悪そうな人相の太った男がいた。

 なにやら抵抗する白い髪の少女の腕を掴み、無理やりどこかへ連れて行こうとしているようだ。


 そこでふと、その少女の頭に見慣れないものがあることに気づいた。


「あれは……」


「おそらく奴隷商人でしょう。ですがラズハウセンでは奴隷の売買は禁止されています。もちろん人攫いもです」


「あの女の子、頭に白い耳が生えてますよ」


 少女の背丈は小さく、まだ幼いように思う。

 気づくと少女はその路地から姿を消していた。

 男の姿もない。


「獣人です。マサムネ殿は獣族を見るのは初めてですか?」


「ま、まあ……」


「そうですか。とりあえず後を追いましょう。他にも攫われた方がいるかもしれません」


 急いで会計を済ませた後、俺たち三人は少女と男の行方を追い、暗い路地裏へと入った。







「こいつを牢屋へ入れておけ! 白猫族だ、高く売れる」


 怯えた白猫族の少女は、薄暗くほこり臭いどこかの倉庫に連れてこられていた。


「分かりやした!」


 歯の抜けたような声が聞こえ、少女は別の男へと引き渡される。


「焼印は済ませてある。傷はつけるなよ」


 充満する異臭に表情を歪ませながら、太った男は倉庫を後にした。


「おいチビ、ついて来い」


 歯抜け男が冷たい声をかけると、少女は抵抗せず後へ続いた。


 その足取りは怯えており、視線は常に定まらず視野は狭い。

 恐怖から逃げ出すこともできず、背中を丸くしながら歩いていた。


「ここに入って静かにしてろ。もし騒いだらその耳をこいつで削ぎ落してやるからなぁ」


 ナイフに映る自分の姿と男の冷酷な眼を交互に見ながら、怯えた表情で頷く少女。

 目元は赤く腫れ、涙で濡れていた。


 男が去りしばらくすると、少女は檻の中で一人小さく縮こまりながら泣いていた。


「ぐすっ……シスター。ぐすっ、みんな……」


 そこへ二人の男が現れる。

 先ほどの男とは違う醜悪な笑みを浮かべる男たちだ。


「おいケビン、今日は白猫族が入ってるぜ」


「お、ホントだ! 昨日は娼婦が入ってたからなぁ。あれに比べりゃあ今日は上物だ」


「違いねぇ。なあケビン、ボスは今出てる。こいつ、俺たちで遊んでやらねぇか?」


「そりゃいいぜ! 最近ストレスが溜まってたところだ。丁度いい、傷つけなきゃバレやしねぇ」


 男は忌まわしい表情を顔に張り付けたまま、檻の鍵を開け扉をそっと開いた。

 少女は檻の外から覗く、その邪悪な面を潤んだ瞳で見つめた。


「嬢ちゃん、静かにしてろよ。じっとしてりゃあ直ぐに済む。な~に、あっという間さあ」


「シスター……」


 恐怖のあまり言葉を漏らす少女。


「ああ、なんか言ったか?」


「おい早くそいつを出せよ、あのデブが来たらどうすんだ」


「分かった分かった、そう焦るなって」


 汚れた手が少女へと近づこうとしていた。


 その時だった――


 ――突然、男たちの背後に人影が現れたと思うと、二人は「うっ!」という声を漏らし、そのまま地面へ前のめりに倒れた。


「こいつら生かしといて大丈夫かなぁ……」


 男性のものだろう声が聞こえた。

 だが辺りは薄暗く顔はよく見えない。


 ピクリともせず意識を失っている二人を見下ろし、彼は二人をどう処理すべきか悩んでいるようであった。


「まあ、こういうことはシエラさんに任せればいいか。白王騎士なんだし」


 寝そべる男たちを跨ぎ、そしてしゃがみ込みと、彼は檻の中をそっと覗きん込む。


「大丈夫か?」


 怯える少女の姿に頭をポリポリとかきながら、彼は誤魔化すように苦笑いを浮かべた。


「その、俺はただ通りで君の姿を見つけて、その……助けにきたんだ」


「……」


「さあ、ここから出よう」


 ぎこちなく微笑みながら、彼は少女へと手を差し伸べる。


 少女は躊躇いつつも、徐々にその小さな手を伸ばした。

 獣人といえど手は人間と同じだ。

 肌は白く透き通っている。


 少女の手が彼の手の平と重なった時、少女の震えが止まった。


「安心しろ、傷つけたりしないから。俺が家まで送り届けてやる」


 雪のように白い髪、そして白い猫の耳が二つ。

 くすんだ雑多なローブをはおり、少女は政宗の顔を見上げた。

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