第4話 暗闇から秘薬

 俺の人生は、何も成し遂げられない無能そのものであったように思う。

 そんなことを思いながら目を開けた。


 どこだ、ここは。

 何も見えない。

 ただ暗く、何かが腐っているような臭いがした。


 暗闇を探り手を動かしていると何かに当たった。

 これは壁だろうか。

 立ち上がり、ゆっくりと壁に沿って進み始めた。


 確かに。

 こんな何も見えない場所じゃ生きられねえわな。

 ゆっくりと足を進めた。

 一歩一歩。足が地面に擦れる音を頼りに進んだ。


 この一歩を進めたところで明かりが見えるわけじゃない。

 ただ一度止まればもう歩き出せないような気がした。

 得体の知れない生臭さと、光一つない闇。


「うっ……おえええ」涙とゲロが混じる。それでも歩き続けた。


 何も見えないから、何かを見ていたかった。

 ステータスの表示だけは見えた。

 この時の俺にはこれすら救いだった。


「無能だ」笑えた。


 代り映えのしない表示。


ーーーーーーー

状態:《異世界症候群》

異世界に憧れたものが患う病。

ーーーーーーー


「俺は病気なのか。意味不明だな」


 確かに俺は異世界に憧れを持っていた。

 また新たに一から何かを始められる。

 そんな別の世界があるならばと、想像しない日はなかった。


 だがここではそれすら病気扱いになるらしい。

 俺は正常ではない。

 まるで世界すらも俺を嘲笑っているようだ。


「女神……」


ーーーーーーーーー

固有スキル: 《女神の加護》

女神の有難い慈悲により授けられた能力。

対象のライフをゼロにした時にのみ、相手の有する能力やアイテムから一つを選択し、手に入れることができる。

ーーーーーーーーー


「使えそうだな」


ーーーーーーー

魔術: 《治癒ヒール

魔力消費量:3

基本的な治癒魔法。

ーーーーーーー


 ヒーラーが最弱と言われるゆえんを知ったような気がした。

 佐伯の言った通りだ。

 これでどうやって攻撃しろと言うんだ。


 お前はこの世界に誰かを癒しに来たのか?


 佐伯の言葉を思い出す。

 これから、どうすればいいのだろうか。

 こんなことなら…異世界に行きたいなどと…、思わなければ良かった。


 俺は何で歩いてるんだろう。


 殺したい。

 今すぐにあいつらを。

 味合わせてやりたい。

 この苦痛を。





 光。

 それは突然視界に入ってきた。

 頭でも打ったのかと思った。

 急に赤い色が視界に現れたから。

 血が出ているかと頭を確認した。

 松明だった。

 一本の松明。


「ないよりマシか」


 これがRPGなら松明など初めから所持していただろうに。


 松明を手に取った。

 あたりを見渡すとそこは少し広めの部屋だった。

 歩いてきた道を確認する。

 まさかここまで狭い道だとは思わなかった。天井が低い。

 確かに何度か頭をぶつけた。


 俺は急に怖くなった。

 正体不明の恐怖が急に俺を襲うのだ。

 松明のせいだろう。

 急に周りが見えたせいで、自分の置かれた状況をより理解してしまったのだ。

 怖い。

 俺だけがこんな目に遭わなくてはいけないのか。

 今頃あいつらは飯でも食っているのだろう。

 闇にあいつらの顔が浮かぶ。

 最も強く現れたのは佐伯の顔だ。

 いや、まずはあの女だ。


「殺してやる……」


 声が反響した。

 返ってきた自分の声にビクつく。

 情けなさから笑いがこみ上げた。


 何が殺してやりたいだ。

 お前に人など殺せるわけがないだろ。

 しばらく立ち止まった。


 部屋を照らし何かないか見渡した。

 原因の分からない生臭いニオイ。

 いや、カビのニオイか。

 また考えることを止め、壁にもたれかかる。

 と、どこからか地響きの様な低い音がした。


 俺は怖さのあまり身構える。少しすると音は鳴り止んだ。

 どうやら何かを触ってしまったらしい。

 そんな気がする。

 壁にもたれかかった時、背中に何かレバーのような感触があったのだ。


 俺はまた怖くなった。

 当然だ“何か”を動かしてしまったのだから。

 と、そこで気づいた。

 向かい壁になかったはずの通路がある。

 壁は消えていた。


「仕掛け扉か」


 RPGにはよくあることだ。







 どのくらい経ったろうか。

 だが時間などどうでもいい。


 いくつかの通路と部屋を通り抜け、とある部屋に辿り着いた。


「宝箱か」


 目の前には3つの箱が置いてある。

 おそらく宝箱的なやつだ。

 知りもしないのにそう思った。

 それだけ希望を求めていたのか。


 「待てよ。開けたら牙があるんじゃないか」


 ふちが口になっているんじゃないか。

 そうだ、ミミックだ。俺はそいつをよく知っている。

 開けるべきか、黙って通り過ぎるべきか。

 ただこのまま進んでも後悔するだろう。

 開けなかったことを……。


 ミミックとは、命名するなら初心者殺しだ。

 あれはそれがミミックだと知らないプレイヤーを死に至らしめる。

 逃げる隙は与えない。

 開けたら最後、食らいついて飲み込まれてしまうのだ。


 と、悩んだ末、まず一番右の箱を開けることにした。

 中には何も無かったが驚いたりはしない。

 水でも出てくれば儲けもの。この程度の希望だ。

 そして次を開ける。


 今度はヤバいのが出てきた。

 それは小さなガラスの小瓶だ。

 中には禍々しいオーラを放つ赤黒い液体が入っていた。

 だが松明の灯りだけでは判別しづらい。


「気持ち悪いなー」


 色の問題ではない。

 確かにそれは赤黒く得体も知れない。

 いかにも「毒ですよ」と言わんばかりの雰囲気だ。

 だが色の問題ではないのだ。

 理由は分からないが危ない。

 何かが俺にそう告げていた。


 その時だった。


「ソレヲ飲メ……」


 声が聞こえた。


「な、何だ!」


不思議なことに嬉しさがこみ上げた。


「誰だ! ど、どこにいるんだ!」返事はなかった。


 もしかしたら怖がるべきなのかもしれない。

 急に誰かの声がするのだ。それも暗闇で。


 だけど嬉しかった。

 一人じゃないと一瞬でも思えたことが。


「ソレヲ飲メ……迷ワズ……」また声が聞こえた。次は、はっきりと聞こえた。


 今は聞こえているだけで嬉しい。

 ないよりはマシだった。


 声の主は飲めと言っている。

 おそらく俺が手に持っているこいつのことだろう。


「力ガ欲シイノダロウ? ナラバ飲メ……飲ミホセ!」

「力なんかいらない! 俺を元の世界に返してくれ!」


 だが返答はない。

 その後、何を言っても返事はなかった。

 その場に座り込み、じっと小瓶を眺める。

 黒い……。そして部屋は暗い。


 俺は暗い所が好きだった。

 怖いとは思わない。

 むしろ落ち着くほどだ。

 だけど今は怖い。

 暗闇がこれほど心細いものだとは思わなかった。


「これを飲めか……」


 このまま地道にレベルを上げていったとして、俺はあいつらを超えられるのだろうか。

 俺のステータスは佐伯や一条にしてみれば蟻のようなもの。

 ヒーラーがあいつらにダメージを与えることのできるすべなど、この先見つかるだろうか。

 そもそもそのレベルで悩んでいる俺は生きていけるのだろうか。

 このままではあいつらにたどり着く前に死ぬ。

 間違いなく。


「仕方ないか」


 人生は運だ。

 運をどう勝ち取っていくかで決まる。

 怖い怖いと、いつまでも言ってはいられない。

 決断する時が来たのかもしれない。

 あの声に従いこれを飲むか、それとも空しく孤独に死ぬか。


「一度は捨てた命だ」


 決心した。


「なあ、誰か知らないけど、…飲ましてもらうよ。だから頼むな」


 カラ元気――それがお似合いの言葉だ。

 のフタを開け、それを一気に飲み干した。


「フッフッフッ! 承知シタ!」


 その時だった。

 微かに聞こえた笑い声と共に、体に激痛が走った。


「ぐっ……クソ! 何で、だよ……」


 その場に倒れこむ。


「これで……終わりかよ。畜生……」


 最後にあった感情は諦めだ。

 もういい。

 後悔はない。

 もう生きたさ。十分に。

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