第6話
宿を出た孝明は、宿を振り向き見上げてからよどみのない足取りで、人ごみの中に身を投じた。ここには来たことがあるような足取りで、迷うそぶりも無くすいすいと人々の間を縫い、宿から離れて行くさまは長年住み暮らしているようでさえあった。
そうして宿からどんどんと離れて行った孝明は、宿場町の中の商い通りと呼ばれる問屋筋へ入った。ここで、あちらこちらから集まった品々を大きな商家は交換しあい、小売りの行商人が仕入れをし、また武家や公家の奉公人らが物品を調達し、旅の為に必要なものを買い入れたりもする活気あふれる通りには、様々な年恰好の人々が行きかう。そういう者たち相手の食事処や茶屋が集まる界隈にある、枯葉色をした暖簾をかけている小料理屋へ、孝明は入って行った。
「すまないが……」
手近な奉公人を捕まえて、懐から鳥の型押しのある小さな銅版を取り出し見せる。それを見止めた奉公人は、一瞬だけ目を強く光らせたかと思うとすぐに柔和な笑みを浮かべて店入口にある階段を指示した。
「奥のお部屋で、お待ちですよ」
「そうか」
すぐに孝明の傍から離れた奉公人が、裏へと入っていく。それを見送りながら、孝明は階段をゆっくりと上り二階の奥へと廊下を進んだ。
「――邪魔をしても、かまいませんか」
最奥の部屋の前で声を掛ければ、人の動く気配があった。それが近づき、すらりと襖が開かれると涼やかな目をした長身痩躯な黒髪の青年が、孝明を見て目を細め腕を掴んで引き入れると、すぐさま襖をピタリと閉めた。
「まるで、人さらいか何かのように招き入れるのですね」
「久しいな、孝明」
引き入れた青年と孝明は、同じ笑みを浮かべあう。掴んでいた手を離した青年は、窓際にある膳の前に座り壁に背をもたせ掛け、孝明に視線を投げる。それを受けた孝明は、ゆっくりと傍に寄り膳を挟んだ向かいに座った。
青年が銚子を持ち上げ、孝明が杯を捧げ持つ。それに酒を注いだ青年は、孝明が飲み干すのを面白そうに――何かを探るように見つめた。
「――こちらには、いつ参られたのですか」
「半月ほど前だ。今の領主の元へ大名が訪れると言う話が出れば、孝明は必ずここを通るだろうと思って待っていたんだが…………。思うよりも、待たされたな」
それに、謝罪するでも無く薄く笑んで頭を軽く下げた孝明が、銚子を手にする。青年が杯を持ち上げ、孝明はそれに注いだ。
「孝明の酌で飲むのは、どれくらいぶりだろうかなぁ…………」
「先年の春にはもう、ある村の傍にある荒寺に住み着いていましたので、二年ほどになるかと」
「二年か…………なるほど、二年だな」
何かを確認するように口内で転がした言葉を酒で飲み込む青年は、見た目は孝明と同年ほどであるように見えるのに、老成した貫禄を醸し出していた。
「今の領主となって、どれほどになる」
「三年と、九つほどかと」
ふうむ、と頷きながら青年は酒を舐め、何事かを考えるように中空を見ていたかと思うと、ちらりと横目で孝明を見て片方の口の端を持ち上げた。
「――何か?」
「面白いことでも、あったか」
「何故、そのように思うのですか」
「楽しそうに見える」
「気のせいでしょう」
「気のせいのはずは無いだろう。孝明の事で、私が気付かぬことがあるはずが無いからな」
「二年ほど、離れておりましたが」
「たかだか、二年だろう」
片膝を立ててその上に肘を置き、ゆるゆると酒を飲む青年に、孝明が細く笑みの形にゆがめた唇から息を吐く。
「長親様」
吐息と共に名をこぼされた青年――長親が、からかうような笑いをこらえるような目をして、孝明を見た。
「一人か」
「三人と、一頭で向かっております」
珍しいものを見るように、長親が片眉を持ち上げた。
「住み着いていた荒寺近くの村で、思わぬ拾い物をしましたので」
「それは、いずれこちらに寄越すつもりのものか」
「仕上がりの具合によりますが――いずれは、そうなるでしょう」
「そうか――――私が、気に入りそうか」
「わかりかねます」
「うそをつけ。――答えたくないか」
「答えぬ方が、楽しみが増すでしょう」
ふっと笑みの息で揺らした酒を飲み干し、長親が立ち上がる。部屋の窓から往来を眺めた。
「良い、活気だ――かといって、浮足立っているわけでもない。まだ、手の施しようはある」
「まだ、も何も……行動が早いように思われますが」
「何でも、早いに越したことは無いだろう」
「時期を待つ、ということが必要な場合もあるかと」
「そうして、逃してしまっては元も子もないだろう」
「青い実を、熟れる前に欲しがり手を伸ばすのも、良いとは言えませんが」
「いちいち、私の言う事に反論をするな」
「そうされたがっておられるように、見えましたので」
往来から孝明に目を戻した長親が、ちらりと剣呑な光を浮かべる。それをさらりと受け流し、孝明は杯を唇に当てた。
「やれやれ――かなわんな」
「それは、こちらの言葉です」
座りなおした長親が、懐から煙管(きせる)を取り出し煙草盆を手元に引き寄せ吸い始めた。胸に深く吸いこんで、ぷかりと煙の塊を吐き出すと、やれやれと呟く。
「久しぶりに、のんびりと孝明との酒を楽しめると思ったが、連れが居るのでは同じ宿で過ごすと言うわけにも、いかんだろうなぁ」
誘う流し目を向けてくるのに目を伏せて、孝明は箸を手に取り菜をつまんだ。
「道中で、ひとり出かけるということが初めてですから、泊まりも別となれば詮索をされるかと」
「詮索をしてくるような連れなのか」
「道中を共にしている相手が、どのようなことをしているのかを気にせぬ者は、稀でしょう」
ふうむと煙管をくわえた長親が、深く吸い込んだ紫煙をぽかりと吐き出す。
「女でも買っていたと、言ってはどうだ」
くすり、と孝明が笑いの息を小さく吐いた。
「珍しいな」
「人の子ですから、笑う事もございます」
「人の子であったか――?」
からかう声音で煙管を向けられ、浮かんだ笑みをそのまま硬化させた孝明に、満足そうに長親は目を細める。
「戯れの言葉に、そう過敏に反応をするな」
「――慣れぬものは、慣れませぬ」
「そうか――いや、そうだな…………許せ」
銚子の脇にある急須に、孝明の手が伸びた。湯呑に茶を注ぎ、持ち上げる。いつから用意されていたのか、冷めきっているらしい茶は湯気をひとすじも立てなかった。それをゆっくりと口に含み、丸い味を楽しんでから孝明が口を開く。
「村を出たときは、領主の元へ大名が出向くのは二月後でした。ここまでの道中で、四十と八の夜を過ごしましたので、あと十と三の夜を過ごせば大名を迎えた宴が、領主屋敷で行われることになります」
軽く頷いてから、小気味よい音をさせて灰を落とした長親は、くるりと煙管の吸い口を孝明に向けた。
「どうだ」
「これが、ありますので」
湯呑を少し持ち上げて辞退した孝明に、柔らかな息を吐き吸い口を自分に戻すと、葉を詰めて火をつけ、深くゆっくりと味わう。窓の外に目を向ければ、高く青い空に、紫煙のような薄雲がかかっているのが見えた。
「あと、十三の夜の後に、領主屋敷で宴――か」
ぽつりと確認するようにつぶやいた長親に、孝明は答えなかった。
あちらこちらと首をめぐらせ目を輝かせて走る汀に目を細め、人の間を行く宗平もまた往来に目を輝かせていた。旅をしている間に、数度かこの宿場町を訪ねたこともあった宗平だが、いずれも今のように懐に余力のある状態では無かった。
孝明に渡された銀粒を使っていいものかと迷いながら、汀と共に街中を歩いていたが、旨そうな干物を焙る香りに腹の虫が鳴り、汀が食べたいとせがんだことで購入を決め、それぞれに貝の干物を焙ったものに舌つづみを打ちながら歩くうちに、これは今までの用心棒代としてもらったことにしようと、宗平は自分の中で銀粒を自由に使う理由を見つけて納得をした。そうなれば、今までの訪問では買えないものとして眺めていたものが、買えるものとして目に映ってくる。そうすると品々を見る意識も違ってきて、店先を覗くのにも冷やかしとは別の小さな高揚が浮かび上がった。
「お侍さん、どうだねこの鍔は」
ついつい目を止めてしまうのは武具刀剣を扱う店で、宗平の腰に刀があるのを見止めた店のものが、細部の作り変えや新調を促してくる。買えるだけの銭が懐にあるので、宗平はつい足を止めて店先を覗き込み、時には手を伸ばして小柄を見たり鞘の拵えを確認したり鍔を眺めたりしてしまう。
「どうせなら、刀を丸ごと買い替えてはいかがですかねぇ」
そんなことを言ってくる武器商人も居たが、それには宗平は首を振った。
「刀身は気に入りの作りなんだ。柄や鞘、鍔ならば考えるがな」
そう言って愛おしそうに腰の刀を叩く姿に、武器商人たちはまぶしそうに目を細め、そこまで愛用されるとは刀鍛冶の誉れだねぇと返す。そうして、どこの刀鍛冶の作だと問うてくる武器商人の目は次の商いを見越して輝き、強く宗平にその名を口にする事を無言で願っていた。
「石和村の、清次郎ってぇ刀鍛冶だ」
「石和村――?」
はて、どこにある村なのかと武器商人らは首をかしげる。それに歯を見せて笑った宗平は、偏屈な刀鍛冶だから商売の為の刀は打たない上に、鍛冶師の村では無いから知らないだろうと答えた。
「商売の刀を打たないとは、どういう意味合いで――?」
「清次郎は、自分の気に入った技を持つ男に自分が思い描いた刀を打つのが趣味の、偏屈な男なんだよ。だから、俺の刀は清次郎が俺の技に合うと思って打った刀身なんだ。どんだけ金を積まれても、アイツは技を見て刀身の形が脳裏に浮かばなけりゃあ作らない。その名を知っているのは、武家ぐれぇのもんだろうぜ」
「成程……では、お侍さまはその方の御目がねに叶った技の持ち主、ということなのですね。――ということは、相当の腕前でいらっしゃる」
「まあな。おれには、これしか無いからよ――他はからっきしなんで、威張れることじゃあ無ぇけどな」
そんなふうに、楽しそうに宗平が武器商人や細工師らと話をしている脇で、汀は自分も刀を持ちたくなったらしく、あれこれと手を伸ばしては持ち上げようとし、その重みに歯を食いしばり重さによろめき、諦めては次の刀に手を伸ばして――を、繰り返していた。
「ぼっちゃんは、刀をお持ちでは無いのですねぇ」
「ああ、そうだな。まだ、危ねぇからな」
「おれだって、扱える」
子ども扱いされたことに頬を膨らませた汀をなだめるように、小さな頭に大きな手のひらを軽く乗せた宗平は、その手を汀の背にすべらせて歩みを促し別の店へと移動した。
ふくれたままの汀を連れて、そろそろ鞘の拵えを新調してみようかと宗平が思いかけた頃に、往来の向こうから孝明が歩いてくるのが見えた。
「おうい」
長身で体躯のいい宗平は、人並みの中でもよく目立つ。すぐに気付いた孝明が、速度を上げることなく真っ直ぐにこちらに向かってくるのを、宗平は汀を肩に乗せて孝明が居るのを見つけたのだと教え見せながら待った。
「どこに行ってたんだ」
「仕事だ」
「仕事――?」
「ああ――この先の旅費を、稼がなければならないだろう」
「おれに寄越した分があれば、十分すぎると思うがな」
探るように片目を眇(すが)めた宗平に、さらりとした目を向けて孝明が言う。
「何があるか、わからないだろう」
真っ直ぐに見返してくる孝明の目を射抜くように見つめた宗平は、やがて諦めたように肩で息を吐き出して汀をおろした。
「詮索はするなと、いう事か」
「詮索をする必要も無いだろう」
「隠されれば、気にもなるさ」
「そういう宗平も、自分のことを詳しくは語らないだろう。初めて出会った日の酒酔いのときに、ほろりとこぼした以外はな」
「聞かねぇじゃねぇか」
「聞いてもいいのか」
そこで、宗平が言葉に詰まる。ふふんと頬を持ち上げた孝明に、手を上げ肩をすくめて見せた宗平は話題を変えた。
「汀も、刀が欲しいんだとよ」
意外そうな顔をして目を下した孝明に、汀が真面目な様子で言う。
「孝明も宗平も、腰に刀を帯びているだろう。おれも、仲間になりたい」
「仲間――刀を持たなくとも、仲間だろう」
ぶんぶんと首を振った汀が唇をとがらせて、強い目で孝明を見た。
「おれも、欲しい。村では、これっくらいの刀を使って山に入ったりしていたし、川魚を獲ってさばいたりしていたから、扱える」
「なんだ。汀は、そんなことをして過ごしていたのか」
宗平の問いかけに、汀はこっくり頷いた。そうして訴えるように願うように、孝明を見つめる。
「おれも、刀が欲しい」
きっぱりと言い切った汀に孝明が口を開く前に、横から声が差しはさまれた。
「そんなに欲しいのならば、私が買ってやろう」
はっとして三人が目を向ければ、先ほど孝明と小料理屋で話をしていた青年――長親が袖の中で両腕を組み、近所の散歩の途中という気楽な雰囲気で立っていた。
「誰だ、アンタ」
いぶかる宗平の目が、苦そうに顔を歪めた孝明を映す。
「知り合いか」
孝明に問えばあいまいな笑みを返されて、宗平は長親に顔を向けて問い直した。
「知り合いか」
「孝明とは、年端もいかぬ頃からの付き合いだ」
「へぇ――?」
納得しきれていない顔で、宗平は長親の全身を確かめる。風体は裕福な大店の遊び慣れた若旦那のようだが、纏っている空気がいささか剣呑にすぎると感じた。ごろつきと付き合って身についたようなものではない鋭さに、宗平がわずかに警戒を浮かべる。それに気づいた長親が、ちらりと宗平の腰のものに目を向けてから組んでいた腕をほどき、近づいた。
「腕に、自信があるようだな」
「一応、孝明に用心棒として雇われている身なんでね」
「用心棒」
それが、さも面白い単語であるかのように繰り返した長親は、再び「用心棒」と繰り返しながら孝明に顔を向ける。
「なるほど、そうか――そうだな。孝明のような細身の優男と、もう一人の連れは、この子どもか…………そうか、それならば用心棒は必要だな」
笑い声を上げる長親に、頭の上に手を置かれぐりぐりと乱暴に撫でられて、汀は目を丸くする。けれど不快は感じないらしく、そのまま逃れようともしない汀の姿に、宗平は機嫌を損ねながらも警戒を解いた。
「そう睨むな、孝明――――数年ぶりに会った私の誘いを断るほどの連れというものに、興味を持っても仕方が無いだろう」
楽しげな長親に、諦めの息を吐き出した孝明が眉間にしわを寄せたまま、宗平に顔を向けた。
「俺が、会いに行っていた相手だ」
「仕事の相手か」
宗平の言葉が、またも面白かったらしく長親は大笑する。きょとんとする汀と憮然とする宗平、頭痛を堪えているような孝明を順番に見た長親が、親しげに両腕を広げて宗平と孝明の肩を掴んだ。
「私は、長親という。何処に泊まっているんだ? 私も同じ宿に泊まらせてもらおう。――夕食を、是非に驕らせてくれ。数年ぶりに合った友とその連れ合いと、交友を深めたい」
断われることなどみじんも考えていない声音に、宗平は戸惑いながら、孝明は深いため息をつきながら、汀はよくわからないままに長親の申し出を受け入れた。
彼らが泊まっている宿の隣室を借りた長親は、すたすたと宿の奥に一人進んで主にあれこれと注文をしてきたらしい。上機嫌で孝明らが借りている部屋に入ってきて、すぐに酒宴の用意が出来るからなと当然のように窓際に座った。
「ああ、そうだ――汀と言ったな。こちらに来い」
手招かれ、長親の脇に座った汀に悪戯な笑みを浮かべて懐から細い布の包を取り出し、渡す。受け取った汀に開けてみろと顎で示せば、不思議そうに覆いを取った汀は中から出てきたものに顔を輝かせた。
「刀だ!」
「懐に入るほどの短いものだが、かまわないか」
「ありがとう」
こぼれんばかりに笑みを浮かべた汀が、彼の手に握りよい太さの短刀を抱きしめる。満足そうに頷いた長親が汀の頭を乱暴に撫でた。
「長親様」
咎めるような、たしなめるような孝明の声と、かまわないだろうと返した長親に、宗平は目を丸くした。
「どうした――ああ、孝明が私を長親様と呼んだのが、珍しいか。宗平は、長親と呼んでくれて構わないぞ。むろん、汀もな」
短刀がよほどにうれしいらしい汀は長親の言葉など耳に入っておらず、黒漆の鞘や藤の描かれている小ぶりの鍔と蘇芳色の紐が巻かれた柄を、ためつすがめつ恍惚とした顔で眺めている。
「どれ、腰に差してやろう」
長親が手を伸ばすと、汀は身を捩ってそれを躱し部屋の隅に移動してしまった。
「それほどに気に入られると、贈与したかいがあるというものだな」
満悦の長親の頬に、物問いたげな宗平の視線が注がれる。それに気づかぬはずは無いのに、人目を注がれることに慣れているのか長親は平然としていた。
「長親様、何を考えておられるのですか」
孝明が敬語で話しかけたことに、好奇を募らせた宗平の視線を受け止めた長親が、指先で宗平に近寄るようにと招く。坐したまま腰だけを浮かせ、床に手を着き顔を近づけた宗平の鼻を、招いた指でつついた長親が片目を細めた。
「宗平が孝明に用心棒として雇われているように、私も孝明を雇っている。つまり、私は宗平の間接的な雇い主と言うことになるな」
「孝明が旅に出たのは、汀の村が領主に差し出すものが用意できず、それをなんとかするためだと聞いているぞ。それまでは、汀の村の傍にある荒寺で生活をしていたって汀も言っていたぜ」
鼻をつつかれ座りなおした宗平が首をかしげるのに、面白そうにからかうように笑みを浮かべ続ける長親が首を傾ける。
「それすらも、私の指示だと言ったらどうする」
「それすらもって、荒寺に住むこともかよ」
「孝明の行動は全て、私が与える任務の範疇だということだ」
「それって、どういう――」
そこで、失礼しますと軽やかな女の声がかけられた。遊びに出る前の子どものような顔をして、入れと長親が言えば襖が開き華やかな衣装に化粧を施した若い女が、さまざまな料理と酒を手に部屋の中へと流れ込んできた。男一人に女が二人。左右におしろいの香りも甘やかな女に座られ、長親は楽しげに、汀と宗平は困惑気味に、孝明は渋面になる。
「今宵は、私のおごりだ。娘らも好きに飲み食いをして、楽しめばいい」
「おい、孝明――こりゃあ、いったいどういう状況なんだ」
「どういうもこういうも、長親様はこういうお方なんだ。頃合いを見て隣室に汀を寝かせに行く」
「隣室っても、長親の部屋だろう」
「あの方は夜通し飲むつもりだ。――宗平、酒はいけるのか」
「まあ、そこそこは」
「ならば、ぞんぶんに酌み交わしてくれ」
「何を、こそこそ話をしているんだ。囁き合うのならば、男同士ではなく両隣の娘と語らえ」
宴会場のようになってしまった部屋に並んだ食べ物に、汀が早速箸をつける。
「おいしいっ」
「そうか、それは良かった。もう少し汀が大人になれば、酒の味も教えてやれるというのに残念だ」
「お侍さま、どうぞぉ」
女がしなだれかかるように宗平に酌をして、どぎまぎしながら受ける宗平の姿に、長親の目が新しい玩具を見つけた子どものように光った。
「宗平は、こういう遊びは初めてか」
「こういう、とは――?」
顔を上げた宗平に侍(はべ)る女たちに、長親が目配せをする。それを受けた女たちは、両端から宗平を挟み込むように体を寄せ、甘えた目で彼を見た。
「お侍さん、がっしりしていて強そうだわぁ」
「私ら二人でも平気で抱えてしまえそう」
「えっ……」
「それに、こんな怖そうな体つきなのに、お顔は柔らかくていい男」
「惚れてしまいそう」
「えっ、あっいや――その、なんだ」
それほど飲んではいないのに、女たちの甘さを食らって耳まで赤くする宗平を、喉の奥で笑いながら肴にして酒を飲む長親に、孝明が咎めるような目を向ける。
「なんだ」
「汀が居ます」
「方便だろう」
「…………」
「気に入っているようだな」
しみじみとした長親の声音に、寂しげなものが浮かぶ。
「試しておられるのですか」
「何をだ」
強い目で、孝明が睨むでもなく見つめてくるのに息を吐き、長親は杯を空にした。その目は女にからかわれ、純朴そうにうろたえる宗平を見つめている。
「あれは、普通の人だろう」
孝明は答えない。
「――まあいい。久しぶりの再会と、新たな出会いを楽しませてくれ」
長親の言葉に、孝明は諦めたようなため息で応えた。
酒の匂いの充満する部屋で、宗平が大の字になって眠っている。隣の部屋には、宴の途中で眠気に負けた汀が穏やかな寝息を立てていた。女たちはとうの昔に辞しており、部屋の中では長親と孝明が残った酒を処理するように、黙々と飲み続けている。
「――汀は、いずれ私の元に来させるつもりか」
沈黙を、長親が破った。
「まだ、どうなるかはわかりませんので」
床に目を落としたまま、孝明が答える。白い肌が月光に照らされ、青白く輝いていた。それをしばらく眺めても、感情らしいものは浮かんでこない。孝明を見ていた目を、眠る宗平の上に移動させた長親は親しみを視線に込めた。
「よい、男だな――」
それに、孝明は答えない。
「このような男が友であったのならば、さぞ面白かろう」
わずかに孝明が身じろいだ気配があった。けれど、彼はそれ以上動かずに黙している。
「宗平を私の供に加えたい――と、言ったらどうする」
ゆっくりと、孝明が手を着き頭を垂れた。
「――――…………」
何かを言いかけ、口をつぐむ。それを、面白そうに長親が眺めながら酒を飲む。
「よほどに、気に入っているらしいな」
「…………」
「よいことだと、言っているんだ」
長親が杯を宗平に向けて、彼を祝すように持ち上げた。
「本当に、よい男だ――――このまま、何を見ても変わらず、オマエの友であり続けるのであれば、な」
月光が、やんわりと言葉を包んで宗平の上に広げた。
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