第5話
寝転がればふわふわとして心地のよさそうな雲が、ぽかりぽかりと空に浮かんでいる。それは、孝明ら一行と同じように、ゆったりのんびりと進んでいた。
うららかな昼下がり。最高の昼寝日和と言えそうな陽だまりの中を、汀は焔の上で眠りながら、宗平は時折あくびをしながら、孝明は――いつもと変わらぬ様相で、街道を進んでいる。
無人の村の一件から、竜の根付はあまり人の目に触れてはいけないと汀は思ったらしく、懐にヒョウタンごと入れて歩くようになった。けれど、大きなヒョウタンを懐に押し込んで抱えていれば、大切なものを持っていると示しているようなものだぞと宗平に言われ、他に方法が思いつかない汀が唇を尖らせるのに、孝明は根付を首から下げられるようにし、そうして懐に隠せばいいと提案した。ヒョウタンは、腰に括り付けておけばいい。中には煌めく細石が入っているが、外から見ればただのヒョウタンでしか無いのだから、ヒョウタン自身は隠す必要も無いだろうと言われ、さっそく汀はそうすることにした。
今は、根付は首飾りとなり、ヒョウタンの水は水場に出れば入れ替えられて、喉が渇けば飲むこともしていた。飲むときに細石がこぼれて落ちないように、孝明が一旦ヒョウタンを開け、中ほどに濾し布を着けた。首から下げるよりもずっと動きやすくなったと汀は喜び、竜の根付を簡単に隠せるし体の汚れを落とす時も眠るときも、ずっと肌身に着けていられると満悦だった。
あれから、練習として人目をはばかり水を操ろうとする汀に呼応するように、竜の根付も目を光らせ手にした竜玉も輝かせるようになったが、井戸の水を吹き上げ大蛇のようにうねらせるほどの力は発揮できていない。けれども一度できたことにより自信のついた汀は、根気よく――それこそ精根果てて鍛錬が終わった後すぐに、意識を失うように眠ってしまうほど、以前にもまして熱心に取り組むようになった。
そんな汀がその日その時に出来たことを自慢げに見せてくるのに、宗平は喜んで見せて汀を褒め、そうして必ず物言いたげな目を孝明に向けた。
「用事棒なんて、いらなかったんじゃなかったのか」
昨夜、そんなことを汀が眠ってから宗平が言った。自分も眠ろうと横になった孝明は、二人の間で寝息を立てる汀の、ふっくらとした――けれど旅を始める前よりも大人びてきた頬を見つめ、目を伏せる。
「用心棒として。おれを雇いたいっていうのは方便なんだろう」
そうであってほしいという響きが、ほんの少し含まれている。目を閉じたまま、孝明は答えた。
「だとすれば、何だというんだ」
「俺にも、何か……そういう資質みてぇなモンが、あるのか?」
期待と恐れを包み込んだ問いに、孝明は瞼を持ち上げ首を振った。
「――このような力を、おいそれと人前にさらすわけにはいかないだろう。用心棒が必要だと思ったのは、本当だ」
「さっき、方便だって言ったじゃねぇか」
「だとすればどうするのかと、聞いただけだ。方便だったとは言っていない」
孝明の答えに、いらついたように唇をゆがめた宗平は文句の言葉を探してみるが、よさそうなものが思いつかなかったらしい。ぷっと勢いよく息を吹き出し、ふてくされたように聞いてきた。
「なんで、おれだったんだ」
「何がだ」
「用心棒だよ。他に、そういうのをしたがってる奴らがいるだろうし、それを生業にしている奴も、いるだろう。――なんで、たまたま相部屋になったおれに、持ちかけたんだよ」
完全に拗ねた口調になっている宗平に、ふっと月光のように淡い笑みを浮かべた孝明が、宗平だったから用心棒を頼もうという気になったんだと言った。
「――え」
「他の男ならば、頼む気にはならなかったさ。おれも、身を守るくらいは出来るしな」
枕元に置いてある長剣をちらりと目で示せば、納得をしたようなしていないような顔で、宗平が唇を突き出した。
「なら、何なんだよ。何を理由にして、おれに用心棒を持ちかけたんだよ」
「わからないか」
「わかっていたら、聞かねぇだろう」
それに、孝明はこう答えた。
「面白い男だな――宗平は」
そこで会話は終了と、瞼を閉じて掛け布を口元まで持ち上げてしまった孝明に、重ねて問う事の出来なかった宗平は、自分なりに考え解釈をして釈然とはしないまでも納得の出来るものを見つけ出したらしい。今朝には質問を繰り返すことなく、いつも通りの――いつもよりもやや親密な笑みを浮かべて、朝の挨拶を寄越してきたのだった。
ぽくぽくと、のどかな足取りで焔が進む。時折、眠る汀が落ちはしないかと目を向ける宗平も心底眠そうで、孝明は幾度目かの提案の言葉を口にした。
「眠いのならば、焔の背に乗せてもらえ」
それに、宗平も同じ回数を繰り返している言葉で返す。
「孝明が歩いてんのに、おれだけが楽をするわけには、いかねぇだろ」
そして、なあと同意を求めるように焔の首を撫で、焔がぶふんと鼻を鳴らした。
「ほら、焔もそう言ってるだろうが」
「馬の言葉が、わかるのか」
「わからねぇけど、気持ちは伝わるんだよ」
なあと再び宗平が語りかければ、そうだと言うように焔がぶふんと再度、鼻を鳴らす。
「ほらな」
得意げな宗平に、軽く肩をすくめてみせた孝明は何も言わずに空を見上げた。高い空に、大きな鳥が飛んでいる。手庇をして同じように見上げた宗平が、見上げる目を街道の向こうに向けて、大きな曲がり角の先を額に当てていた手で指し示す。
「あの角を曲がれば、目の前が宿場町だ。ここは、いろんな街への分岐点になるし、でっかい川も流れていてよその国からの品物も入ってくる。おまけに領主の居る中央に行くには、必ず通らなきゃならねぇ場所だからな。かなり、にぎわってるぜ」
「そうか」
「びっくりすんなよ? 今までの宿場町とは、規模が違うからな」
「安価な宿が、取れればいいんだがな」
平坦なままの孝明の様子に、いささか気落ちをしたらしい宗平は、首の後ろを掻きながら、つまらなさそうに唇を尖らせる。
「アンタって、本当に感情の起伏が薄いよな」
「そうか――?」
「そうだよ」
「宗平が、大げさすぎるだけだろう」
「おれは、普通だって。汀だって、同じくらいに表現してんだろ」
「汀は、子どもだからな」
ふっと目の端で笑った孝明に、一瞬気分を害した宗平はすぐに機嫌を取り戻し、ふふんと鼻で笑った。
「素直じゃねぇなぁ、アンタはよォ」
「何の話だ」
にやつきはじめた宗平が、わかってるってと言いながら孝明の肩を叩く。
「アンタは、おれを気に入ったんだろう? だから、用心棒という名目で旅に誘った。――ああ、わかってる。わかってるって。何もいうなよ。アンタが素直に、そうだなんて言わないことは、重々承知しているからさ。アンタのその憎まれ口も、汀相手じゃあ出来ないしなぁ…………アンタ、寂しかったんだろ?」
ん? と確認をするように顔を覗き込まれ、わずかにのけぞった孝明に迫るように、宗平が顔を近づける。
「邪魔だ」
「ふふん」
離れた宗平は、素直じゃ無いねぇと言いながら焔の首を撫でる。
「勝手に、好きに思っていろ」
「おう、そうさせてもらうぜ」
そんな話をしているうちに、先ほど宗平が示した曲がり角に差し掛かり、この国一番の宿場町へと彼ら一行は吸い込まれるように入って行った。
あちらこちらから領主の命で集められたものを運ぶ人々や、中央には人が大勢集まるだろうと稼ぎを見込み旅をしている芸を売る者たちで、宿のほとんどが埋まってしまっていた。空いているのは、おいそれと商人や芸人などが泊まれぬような宿しかなく、どうするよという宗平の問いかけに、仕方が無いなと孝明が暖簾をくぐって決めたのは、大店の番頭ぐらいのものが泊まる宿であった。
「これ以上安い宿は、どこも一杯なようだからな」
仕方が無いと決めた孝明が、宿のものに部屋を頼んで焔を預け、眠ったままの汀を宗平が背負い部屋に案内をされる。汀を背負ったまま、片手で布団を敷きながら宗平が問うた。
「孝明は、いったい幾ら懐に入れているんだ?」
うん? と問いに顔を向けた孝明に、布団の上に汀を下しながら言葉を続ける。
「おれと相部屋になったときは、羽振りの良いような気がしたけどな。酒もおごってもらったし、心づけを宿の者に渡していただろう」
「ああ――だが、あの宿はここのように最初に客の懐具合を選ぶものでは、無かっただろう」
「そうだけどよ」
よく眠っている汀の顔を覗き込み、頬を緩めてから孝明を見る宗平の顔は不満そうだった。
「なんだ――羽振りがよさそうに見えたから、用心棒になることを承諾したのか? 呑み代が欲しいのならば……」
懐を探り出した孝明に、そうじゃねぇよと宗平が手のひらを向ける。
「あの時は、そこそこに懐具合の良い奴らだと思ったんだよ。身なりも悪く無いしな。けどよ、野宿も平気だし宿を見つければ質素な所を選ぶ。だからといって、無理に倹約をしているふうにも見えねぇ。何もかもが、釣り合いが取れてねぇように感じるんだよな」
「釣り合い……なるほど。釣り合いが必要か――?」
そこに、失礼いたしますと鈴を転がしたような声が聞こえ、返事を返せば襖が開き、若い女が顔を覗かせた。
「もしよろしければ、当宿じまんの蒸風呂などはいかがでしょうか」
にこりとする娘の、ほんのりと血色よく染まった頬が愛らしい。まだ咲きはじめの年頃になったばかりに見えるが、たたずまいに乱れは無く良いしつけをされているのだとわかった。それだけでも、今までに泊まってきた宿とは格が違うのだとわかる。
「そうだな――では、せっかくの申し出を受けるとしようか」
面白そうに目を細めた孝明の流し目に、宗平が心中で首をかしげながらも頷く。娘は笑みを深くして、汀のことは心配をせずとも大丈夫なので、ゆるりと楽しんでくださいませと丁寧に頭を下げた。
「娘御――」
孝明の声に、少し首をかしげながら――笑みをたたえたまま娘が顔を上げる。
「おれ達一行を、どう見る」
質問の意図がわからなかったらしい。ほんのわずか娘は薄く唇を開けて瞬いたが、すぐに笑みを取り戻すと、わかりかねますと頭を下げて蒸風呂へ案内しますと立ち上った。ちらりと目を向けた孝明に、宗平は肩をすくめる。汀の寝顔を確認してから、二人は娘に連れられて、蒸風呂へと向かった。
宿の自慢というだけあって、深い森にいるような清涼な木の香りのする蒸風呂は、二畳ほどの広さの小部屋であった。それが五つほど横並びに設えられており、脱衣所は一の扉を抜けた先にあった。そこで全てを脱ぎ終えた二人は、二の扉を開けて湯気で視界の霞む部屋へ入る。屋根の近くに通気口があり、そこからもうもうと湯気が流れ込んでいる。部屋の床は石造りで、水甕とひしゃくが用意されてあった。飲み水としても、体を一度冷やすためにも使えると、案内役の娘からは説明をされている。
「こりゃあ、すげぇな」
むんむんと湿気が籠る蒸風呂の中を見回し、さっそくその水を口に含んだ宗平は、体のどこも隠すことなく手にしていた手ぬぐいを頭に乗せて、壁際に設置されている長椅子に腰を掛ける。腰に手ぬぐいを巻き付けた孝明が、涼しい顔をしてその横に坐した。
「っはー。こんだけ蒸し暑いと、息をするのも少し、苦しいな」
「ならば、口を閉じていればどうだ」
「なんだよ、涼しい顔してんな。暑くねぇのか」
「暑い」
「なら、そういう顔をしてみろよ」
「難しい注文をするな」
「難しくは、無いだろう」
「おれには、難しい」
ふうんと首をかしげた宗平が、はぁと大きく息を吐き出せば立ち込める湯気が動いて、息の流れを示す。みっしりとした筋肉を褐色の肌で覆った宗平の横で、すべらかな絹を思わせる白い肌の孝明は、いつも腰に下げている長剣を振り回せそうには見えない。ちらちらと、涼しげにしか見えない顔で目を閉じている孝明を見る宗平の額には、うっすらと汗の玉が浮かび上がっていた。
「――なんだ」
目を閉じたまま、孝明が問う。
「いや……そんな体で、よくあの長剣を腰に下げて歩けるなと思ってよ」
「貧弱だと、言いたいのか」
「貧弱だとは、思わねぇよ。細いし白いとは思うが、なよっちい感じはしねぇからな」
ゆっくりと瞼を持ち上げた孝明が、わずかに上にある宗平の目に視線を合わせた。
「宗平は、武家の三男だと言ったな」
「おう」
「武家には、おれのような体躯の男はいなかったのか」
「――ああ、いや。居ない訳じゃねェよ。おれの兄者は、おれよりも小柄で細身だ。中の兄者は孝明と同じぐらいじゃねぇかな」
「武芸は、苦手なのか」
「いや。苦手では無いな。武門の嫡流が武芸が苦手じゃ話にならねぇだろう。けど、上の兄者は細身の刀を使うし、中の兄者は剣よりも弓のほうが得手だ。孝明の持ち重りのしそうな長剣は、おれのような体躯のほうが似合いだろう」
その言葉に、孝明は湯気で霞む中でもすべてのものがはっきりと見えているような顔をして、宗平の体躯を上から下までゆっくりと眺める。
「まぁ、そうだな――」
そう言って、宗平の腕と比べるように自分の腕を持ち上げた。宗平もつられたように自分の腕を持ち上げて、肘から上を孝明の腕と重ねる。
「一回り、おれよりも細いだろう」
「なるほど。たしかに見るからに逞しいな――だが、あの長剣は長年愛用しているもので、扱うに不自由は無いぞ。宗平のように、あれを脅しの飾りだと言うものも居るがな」
「誰も、脅しの飾りだなんて言ってねぇだろう」
気分を害させたかと危ぶむ宗平に、孝明は綺麗な笑みを浮かべてみせる。それが何かを隠しているように思えて
「なぁ――」
宗平が言いさしたところへ
「失礼いたします」
若い女の声が差しはさまれ、肩から手ぬぐいをかけ下肢を長い布一枚で巻いただけの裸同然の女が二人、入ってきた。
「お体を擦りに参りました」
ああ、と別段驚くことも無く受け入れた孝明の背後で、ぎょっと目を剝いた宗平が頭に乗せていた手ぬぐいで、慌てて股間を隠す。女二人はくすりと笑い、それぞれが最初から決めていたように孝明と宗平の腕に腕を絡ませ、胸を押し付けてきた。
「どうぞ、こちらへ」
甘い笑みとともにささやかれた言葉に、孝明が慣れた様子で立ち合がり対面の壁の傍で座る。
「えっ……え――――」
何事が起こっているのかわからない宗平に、放漫な乳房を押し付ける女が耳元に唇を寄せた。
「お侍さまは、こちらで……」
女は腕を引いて、宗平を床に座らせようとする。困惑したまま従った宗平の腕から女は離れ、背中にまわる。首にかけていた手ぬぐいを外した娘は、それで宗平の背中を擦りだした。
「長旅で、疲れも汚れも溜まっておいででしょう――たっぷりと、ここで落としていかれませ」
「う、うむ……」
ちらりと宗平が孝明の様子を見ると、慣れ切った様子で女に背中を擦らせている。ちら、とこちらを向いた孝明の目にからかう色を見止めて、宗平は物言いたげに閉じた唇を波打つように動かして、けれどそれを開くことはせずにおとなしく女に背中を擦らせた。
背中や首、腕などを丹念に擦られていると按摩をされているような心地よさが浮かび、宗平は困惑や羞恥よりもそちらに意識を向けるようになった。うっとりと優しく力強い刺激に目を閉じて身を委ねていると、ふいに女の腕が自分の腰にまわり、あわてて太ももを擦ろうとしていた手首を強く掴んだ。
「あっ――」
「っ、すまん」
痛みに声を上げた女に謝り、すぐさま手を離す。手ぬぐいを持った女が首をかしげて見上げてくる仕草に甘えるような気配を感じ、手ぬぐいを肩から取ったことで露わになった乳房につばを飲み込んで、宗平は顔ごと目を逸らした。
「いや、もう十分に気持ちが良かった。すまねぇな」
「まだ、足を擦れておりません」
「いや、足までされるのは申し訳ねぇからな、大丈夫だ。自分でやる」
「ですが――」
引き下がらない宗平へ、孝明が声をかけた。
「どうせなら、体の隅々まで疲れを取ってもらえ、宗平」
「しかしだな……」
言いながら孝明に顔を向けた宗平が、ぎょっとして言葉を失う。孝明の足を、女が膝に乗せて手ぬぐいで擦っていた。
「おま……孝明――――」
「なんだ?」
笑いをこらえる声音に、むっとしつつも宗平が立ち上がる。
「と、とにかく。おれは、いい――もう、出る」
「まぁ待て、宗平」
「なんだ」
心中に湧き上がる感情を振り切るように、乱暴な声を出した宗平へ、立ち上がった孝明が目を細める。
「存外に、初心なんだな」
「――は?」
「存分に磨いてもらった。心遣いに感謝をすると、伝え置いてくれ」
孝明が女らに言えば、女二人は一礼をして何事も無かったかのように去っていく。それを見送った宗平は、ひしゃくに手を伸ばしガブガブと水を飲んで足に、腰に、肩にと水をかけた。
「背を誰かに磨かれるのは、初めてか」
「初めてじゃないが――あんな、裸同然の若い娘にされるなんてことは、今までなかった」
宗平の手からひしゃくを取った孝明が、ほんの少しだけ水を口に含む。
「そのまま、その先も出来たのだぞ」
孝明の言葉に一瞬の疑問を浮かべはしたものの、彼の唇がおかしそうにゆがんでいるのを見て、何を示しているのか察したらしい宗平の顔が酒を食らったように赤くなった。
「おっ、おれは金で女を買うようなまねは、しないからな」
「武家の出であるから、そういうことくらいはわけないことだと認識していると思っていたんだが――そうか、そうか」
面白そうに頷く孝明に、羞恥とくやしさを湧きあがらせた宗平は、下唇を突き出して勢いよく顔をそむけ乱雑な足取りで出ようとする。
「今出れば、あの娘らが着替えている所にでくわすやもしれんぞ」
ぴたり、と宗平の足が止まった。それに喉の奥で笑いながら
「せっかくの蒸風呂だ。擦られていない個所は、自分で汚れを擦って落としてからでも、いいんじゃないか。――なんなら、おれが擦ってやろうか」
「……いい、いらん」
完全に拗ねた調子でその場に座り込んだ宗平に、孝明は好意的に目を細めた。
孝明と宗平が部屋に戻ると、小ざっぱりとした汀が大福を食べていた。
「お、なんだかすっきりしてんなぁ」
宗平が汀の隣に座れば、汀は目の前の盆から大福を一つ持ち上げ差し出す。それを受けとりかぶりつく宗平に、嬉しげに汀が答えた。
「起きたら、風呂を勧められたから、入ってきた。戻れば、もうすぐ二人も帰ってくるだろうから、大福と茶をどうぞと言われたんだ」
「そうかそうか。小腹が空いていたからな、丁度良かった」
汀が孝明を見て、孝明も傍に寄って座り、茶に手を伸ばす。盆に乗っている大福は二つ。落ちている白い粉を見て、孝明が口を開いた。
「汀、いくつ食べた」
ぴた、と動きを止めた汀が大福をくわえたまま目を泳がせる。
「咎めているわけでは無い。聞いているだけだ」
むぐむぐと口内の大福を嚥下しおえてから、ちいさな声で「みっつ」と答えた。
「手に持っているのが、三つめか」
こくりと頷く汀に、大福に手を伸ばした孝明が笑みを浮かべる。
「それほどに、これは旨いか」
怒られるのではないかと、肩をすぼめて頷いた汀が大福をかじる孝明を上目づかいに見上げた。
「なるほど、うまいな。――だが、汀。それで最後にし、残りの二つは宗平に食わせてやれ。たっぷりと歩いて疲れているだろうし、腹もすいているだろうからな」
怒られるのではないとわかった汀は、縮めていた身をゆるめて宗平を見た。
「三つも食ったんなら、晩飯が食えなくなるんじゃないか?」
二つ目に手を伸ばしながらの宗平に、大丈夫だと汀が応える。
「練習をしていると、すぐに腹が減るからな」
胸元に手を添えて竜の根付に着物の上から触れた汀に、そうかそうかと言いながら大福を二口で食べてしまった宗平が、最後の一つもあっというまに食べ終えて、茶をすすってほっとした息を吐き出し、そのままごろりと横になった。
「ああ、畳の上は久しぶりだなぁ」
両手足をぐんと伸ばして背を反らした宗平が、ふうっと息を吐き出しながら瞼を下す。
「寝るのなら、きちんと布団に入ったほうがいいぞ」
顔を覗き込んできた汀の頭を、片目を開けた宗平が大きな手のひらで包んで自分の胸へ押し付けるように抱きしめる。
「汀が共に眠ったら、ほかほかとして温かいから、大丈夫だ」
「おれは、もう十分に寝たから、もう眠たくは無いぞ」
「そうか。そりゃあ残念だ」
「孝明と眠ったら、どうだ」
「孝明と? 孝明は、あまり温かくなさそうだなぁ」
戯れる二人は血のつながりがあるように自然で、ゆっくりと時間をかけて大福を食べ終えた孝明は、ほんのわずか眩しそうに目を細める。
「汀は、宗平が好きか」
孝明の問いに、うんと元気よく汀が答えた。
「そうか」
満足そうに口の端を持ち上げる孝明に、体を起した宗平が膝の上に汀を乗せながら言った。
「なんだ。自分よりもおれとのほうが汀と仲がよさそうなんで、嫉妬でもしたか」
「下らないことを」
「結構、寂しがりだろう。孝明は」
きょとんとした汀が宗平を見上げて、同意を求めるように宗平が歯を見せて笑った。
「案外、資質だのなんだのってぇ前に、寂しかったから同道者が欲しかったってオチかもしれねぇぞ」
「孝明は、寂しかったのか」
真顔で問う汀に、宗平は吹き出し孝明が苦笑した。何故二人が笑っているのかがわからない汀は、宗平の膝から下りて孝明の傍に寄る。
「おれも宗平も、孝明の事が好きだから、大丈夫だ」
力強く言う汀の頭に手を置いて、孝明は礼の言葉を口にした。
「それはそうと、おれの問いにはまだ、答えてくれていなかったように思うがな」
「何のだ」
「道中の銭の工面をどうしているのかということだ」
ああ、と思い出したように孝明が頷く。
「盗みを働いたりしているわけじゃあ、無い。安心しろ」
「そりゃあ当然だろう。そんなふうには見えねぇし、そんな相手と一緒に旅なんざしたくねぇよ」
さも当然という宗平に、少し意外そうな色を浮かべる孝明へ、宗平は器用に片目を閉じて見せた。
「家を出てから、いろんな奴に騙されたりなんだりとしてきたからな、多少なりと、人を見る目は持っているつもりだぜ」
「なるほど――最初のころは、さぞや騙され続けたことだろうな」
「なんだ、それ」
「人がよさそうに見えると、言ったんだ」
「そういう孝明は、人をごまかすことには長けてそうだよな」
少々ムッとしながら宗平が嫌味っぽく言えば、孝明は肯定するように目を細めた。
「孝明」
孝明の膝に小さな手を乗せながら、汀が見上げる。どうしたと瞳で問うと、不安そうに汀が口を開いた。
「銭を、稼がなきゃ足りないのか?」
目を瞬かせた孝明は、すぐに破顔し汀の背に手を乗せた。
「道中の全てを、これくらいの宿に泊まり続けても余るほどに、銭はある。心配は無い」
「そうか」
「どうして、それほどに銭がある」
宗平が茶を飲みながら問うてくるのに、孝明は悪戯っぽく微笑んだ。
「法師は儲かると、聞いたことが無いか」
「法師じゃあ、無いんだろう」
「法師じゃないのか?」
「さあ、どうだろうな」
宗平と汀に含みを持たせる返答をして、孝明は立ち上がった。
「何処へ行く」
「法師は、祓いを求める者がいないかと街中をうろつくものだ」
言いながら懐に手を入れた孝明が、宗平に小さな巾着を放り投げる。受け取った宗平に、部屋を出ながら
「それで、汀と二人で大きな街に来たことを楽しめばいい」
言い置いて襖を閉めた。汀が這いながら宗平に近づき、巾着を見る。宗平は小銭でも入っているんだろうと思いながら口を緩めて覗き込み
「なんだ、こりゃあ――」
入っていたものが銀の粒であったことに、開けた口をしばらくふさぐことが出来なかった。
遊ぶ小遣いをもらったと、汀は宗平の腕を揺すって外に行こうと強請った。呆然としながらも頷いた宗平は立ち上がり、これほどの銀を小銭を渡すように投げてよこした孝明の、懐を潤わせているものは何なのかと首をひねりながら宿を出た。もしも全てを今日一日で使い果たしてもいいというつもりで渡したのならば、孝明は相当に金を持っているか工面の方法を持っているということになる。共に過ごしていた間で、孝明が一人になり何処かへいくということは今までになく、とすれば銭は全て懐に持っていたという事になる。そして、その中の一部が投げてよこされたものだったとすれば、相当な額を――それこそ、駕篭を雇い安穏とした旅路を進むことも容易なほど持っているという可能性が高いと、宗平は汀に手を引かれながら考えた。
「汀」
宿を出て、にぎわう街を目を輝かせて歩く汀が、声を掛けられ宗平を見上げる。
「孝明は、旅に出るまでは粗末な格好をして荒寺に住んでいたんだよな。そのあとで、村を助けるために汀を連れて、すぐに出立したんだったか」
問いかけに、汀は首を振った。
「なんとかすると言った後、ひと月の準備をしてから出立をしたぞ」
「ひと月……」
ふうむと足を止めて腕を組み考えこんだ宗平を、汀が不思議そうに首をかしげて同じように腕を組み、見つめる。
「そのひと月の間に、身なりを整え旅費を集めた」
それは、考えがほろりと口から洩れたという程度の小さなもので、汀の耳には届かなかった。
「初めて孝明が一人で出かけて行ったっていうことと、旅費をたっぷりもっているっていうことは、関係があるのかもしれねぇな」
活気あふれる往来に目を向けた宗平の目線を追うように、汀も首を伸ばして横に並び、行き交う人々の姿を眺めた。
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