24 終章 - Consolidation - c

「あの、れんくん、気を落とさないで聞いてほしいんですが、星葉ほしばさんは……」


「てぃッあちゃーん!」


 元気な声が玄関のほうから聞こえてきた。


 梯亜てぃあがあからさまに嫌そうな顔をした。


「れ、蓮くん、とりあえず、どこでもいいので隠れてッ」


 梯亜が慌てるところなんて初めて見た。


 蓮はゴロゴロと転がされて座卓の下に押し込められた。


「お、おとなしくしていてくださいね」


 小声だが力強さのある響きだった。


 いったい誰だろう? 声の感じから女の子だろう。梯亜の友達か? ――なら、なぜ隠れる必要が?


 そうこうしているうちに女の子が家に上がってきた。紺のニーハイソックスに包まれた細いあしが見える。


「ちょ、ちょっと、星葉さん!? どうやって入ってきたんですか!?」


 ……星葉ってことは、このが玉露を持参したのか。老人だなんてとんだ失礼だった。まだピチピチの女子高生だろう。


「へ? だって玄関あいてたよん?」


 しまった……!!


 自宅はオートロックなので、鍵を掛けるという行為を失念していた。


 この家に上がるときは、梯亜が先で蓮が後だった。


 梯亜がそれに気づいて軽くにらまれる。


 ――ご、ゴメンッ! 強盗とかじゃなかったんだからゆるしてッ!


「星葉さん、せっかく来て頂いたところごめんなさい。実は外出するところだったんです」


 ――ナイス! 出かける途中で忘れ物に気づいたとでも言えば、玄関の扉が開いていたということが逆に信憑性しんぴょうせいを増す効果を発揮してくれる。


 が――


「あれれぇー? でもテレビつけっぱだしー、お茶もれたばっかでしょ?」


 絵礼奈えれな急須きゅうすに手をあてて温度を測った。


 ――マズい、マズい、マズい!! てか、この娘するど過ぎッ!!


 急須のある座卓の下で蓮はふるえていた。


 なぜおびえる必要があるのか、明確な理由は何ひとつなかったが。見つかったところでどうってことはないと思うのだが。


 ちなみに、蓮は絵礼奈を勘が鋭いと評したが、梯亜一人なのに、茶碗が二客にきゃく在るという事実にはどうやら気づかなかったらしい。


「も、もう帰ってくださいっ!」


 梯亜は絵礼奈を居間から押し出そうとした。


「ちょっとちょっと、てぃあちゃんッ」


「あっ」と叫ぶと絵礼奈の手が茶碗に触れて倒れてしまう。茶托ちゃたくがあればもう少し安定していただろうが。コロンと転がって中身をぶちけた。


 パシャーっポタポタポタとお茶が流れて、蓮のところまでしぶきが飛んできた。


「うわっ!」


 思わず声を上げてしまった。


 ――ゴンッという大きな音が鳴る。


「痛ぇ!」


 座卓の下にいたことを忘れたまま、驚いて立ち上がろうとしたところ頭をぶつけたのだ。


 そのまま蓮は、頭をさえてうずくまった。


「え……だれぇ?」という、戸惑い半分、興味半分な表情で絵礼奈が座卓の下を眺めてきた。


「大変っ」と言いつつ、梯亜は台所から布巾ふきんを取って来て、こぼれたお茶をく。


 絵礼奈が「わたしがやるよぉ」と言ったので、「では、拭いてください」と梯亜は任せた。梯亜にしては少々手厳しい対応だなぁと、蓮は痛む頭を押さえながら思った。


「星葉さん、今日は定休日です。毎週月曜日は教室はお休みです! それなのにどうしてここに来たんですか?」


 しゃがんでお茶を拭きとっていた絵礼奈が振り返る。


「あっ、もしかしてえれなちゃん、おじゃまだったぁ?」


 !?


「そ、そ、そ、そういうことではありませんッ!」


「ちょ……てぃあちゃん、動揺しすぎ……」


 普段とは態度の大きく異なる梯亜に蓮は驚いた。


 オレとの関係を疑われただけでそこまで動揺するかな? それともこの星葉っていう娘、何かあるのかな?


 蓮は、父親の星葉直哉なおやから絵礼奈の面倒をてほしいと言われていることを知らなかった。その見返りに三億円を融通してもらっているということも。


 ただし、彼女の動揺した理由はそれとは関係がなかった。むろん、蓮との関係を疑われたからだ。


「カレシ来てるんなら早く言ってほしかったなぁ」


「だから違いますって!」


 怒る梯亜は珍しいのだが、そこまで断定的に否定されると蓮としてもかなりきずつく。


「てぃあちゃん、言いすぎ! ほら、カレシさんだって悲しそうだよ」


「あれはまだ頭が痛いだけのような気が……」


 梯亜は表情を改めて毅然きぜんと立ち向かう。


「とにもかくにも、彼とはそういう関係ではないのですッ!」


「じゃあどーゆーカンケーかな?」


「っ……彼は……」


「かれはぁ?」


「私の兄さんなんですっ!」


 またとんでもない嘘をでっち上げたなと蓮は思った。


「お兄さん? ふぅん?」


 座卓の下からい出てきた蓮を流し目で見て軽く頷いた。


「じゃあ、てぃあちゃんみたいに頭いいんだッ!」


 絵礼奈は目を輝かせる。


 だが、この問に対して梯亜はうまく答えることができなかった。


 蓮は、自分は梯亜ほど頭が良くないと思っている。


 梯亜も蓮に責任を押しつけるわけにはいかないと考えた。


「どうして黙っちゃうの?」


 絵礼奈が首をかしげた。


「蓮くん、気をつけてください」と梯亜が目で訴えてくる。


 蓮はどうすることもできなかった。


 ただの女子高生ギャルだと思っていたが違うのか?


 しかたない…… 正直……というか、ありのままの自分について話そう。


「俺は梯亜みたいな能はないよ。ただの凡人ぼんじんだよ」


「へぇーそうなんだー?」


 絵礼奈は曖昧に頷いた。


「じゃあ、えれなちゃんよりも頭悪いんだねー」


 ――は? 何を言ってるんだこの娘は?


 梯亜よりは良くないだろうが悪いとは言っていない。蓮は少し苛立いらだった。


「いや、キミはまだ高校生だし――」


 パシッと絵礼奈は座卓に何かをたたきつけた。


「えれなちゃんと勝負しちゃう?」


 なぜか梯亜が首を横に振っている。


「えっ、だって、高校生でしょ、キミ?」


「えれなちゃん今年受験なんだぁ。――大学、どこなの?」


 先程までの穏やかな様子とはちょっと違う眼光で見つめられた。……これは何かに自信をもつ者の目だ。この女子高生ギャルが学力に自信があるとは思えないが、Etemeniaエテメニアのときと同様に得体の知れない恐怖を感じた。


「そ、壮和大そうわだい、だけど……」


 ふぅーっと、絵礼奈は息をくと言った。


「なんだ、そっかぁー、全然知らないとこじゃーん」


「……」


 蓮はなんと言っていいか分からなかった。


 ――というより、「全然知らない」というくだり看過かんかできなかった。くさってもMARCHマーチと同レベルだと言ってやりたかった。


 MARCHレベルの大学も頭に入っていない受験生なんてたかが知れている。結局はギャルだ。


「はん? うちの大学を知らないって? なら、勉強で勝負をつけてあげるよ!」


 蓮にしては大きく出た。


 蓮もまだ入学し立ての一年生だ。


 ――大丈夫、受験時の内容は頭に残っている。女子高生ギャルなんかに負ける道理はない。


 だが、梯亜は必死に頭を振っていた。


 蓮は失念していたことがあった。


 今更ながらに、絵礼奈のが目に入った。


 そして――


「蓮くん……


 何にも増して恐ろしい一言が放たれた。


 一流大学がオールA判定という驚異の実力を示す、全国模試の結果が見えた。総合得点順位は、全国一位トップだ。


 冗談……だろ…… 一桁の順位なんて初めて見た……


「1」とただそれだけが記された模試結果などレア中のレアだ。ネットオークションに出せば高値で売れる可能性すらある。


 蓮は「申し訳ございません。前言を撤回させてください!」とこうべを地面にりつけるほかなかった。


 その後、梯亜と蓮は絵礼奈の前であらいざらいを正直にはくことになった。主導権イニシアティブは完全に絵礼奈の手にあった。


「この女は、パソコン教室に来てから大きな顔をするようになったんです」


 こそこそと梯亜が話しかけてくる。


「てぃあちゃん、聞こえてるよぅ! 『この女』ってヒドいっ! 『えれな』って呼んでってばぁ! あと、大きな顔なんてしてないよぉ、まいにちローラーで小顔にしてるもんッ!」


「蓮くんも気をつけてくださいね」


「ちょっとちょっとシカトなんてヒドいよぉ! ……えっ、てか『蓮』? 下の名前で呼んだ? ヒドい、ヒドい、てぃあちゃんヒドいよぉ、わたしのことは『えれな』って呼んでくれないのにぃー!」


 梯亜の肩を強く揺さぶり始めた。


 ぐらぐらぐらっと梯亜の首が揺れる。


「お、落ち着いてください、星葉さん――」


「ほらまた名字で呼んだぁー!」


 絵礼奈をファーストネームで呼ばないのは、そうすると彼女がさらに調子に乗りそうだからだ。ただでさえ面倒な娘なのに、譲歩したら増長するのではないかと梯亜は危惧している。


 彼女がつけあがっても、三億円の話があるため、抵抗するのは困難なのだ。


 だからいつも、口うるさい教師のような厳しい姿勢で臨んでいる。


 梯亜は平穏な日常を求めていた。


 彼女自身が非凡だし、普段から呪文を唱えてしまうような娘に、そんな日々が訪れるはずもないのだが。


「いいもん! わたしもれんちゃんと一緒の大学いくもん!」


「――れんちゃん?」


「えー? なにぃ? べつにいいよね?」という表情を絵礼奈が向けてくる。


「でもって、れんちゃんと同じ学部の同じ学科に入るでしょぉ」


 なんだろう、ネンチャク感がする。


「それから、成績でれんちゃん追い抜くでしょ、あっ、ねぇ、大学ってゼミとかあるんだよね?」


 初対面なのにれ馴れしく話しかけてくる。


 女の子から話しかけられているというのに、なぜか鬱陶うっとうしさを感じる。


 絵礼奈はギャルではあるが美人なほうだ。身につけているものをもう少し清楚せいそにして、あとは口を開かなければもっとモテるだろうに。


「ね? ね?」とせがまれて、コクッとうなずくしかなかった。


「じゃあ、そのゼミで、わたしがれんちゃんを教えちゃうね☆」


 確かにゼミなら先輩・後輩一緒になるもんなぁ。


 ただ、自分の将来設計をするのは自由だが、ひとを巻き込むのはやめてほしい。


「キミが入ってくるなら、先生に相談してゼミ変えてもらおうかな……」


「ええ、それがいいと思います」


「ちょっ、え、なんでなんでぇ!? 二人ともヒドいよぉー!」


 絵礼奈は頬を膨らませる。


「いいよぉ、なら、成績見せつけて、先生かいじゅうして、れんちゃんが他のゼミに行けないようにするもん!」


 なぜオレにこだわるの!? ツンデレなの!? ヤンデレなの!? 境界性きょうかいせいパーソナリティ障碍しょうがいなの!?


「星葉さん……」


 ジト目で梯亜が見つめる。


「そういえば、れんちゃんの学部って?」


 しぶしぶ答える。


「情報学部だよ……」


 え……と絵礼奈が苦々しい顔になった。どうやら、情報処理はあまり得意ではないらしい。


 スマホやタブレットのフリック入力速度は早いくせに少し不思議だ。普段から使っている情報機器がそれらに限定されるからだろうか。パソコンを持っていないという家庭も今じゃ珍しくない。


 情報処理といえばパソコンは外せない。慣れの程度の差にすぎないが、使い慣れていない機器をあいてに学習するのは少し抵抗があるようだ。


 だが、高校でも情報処理の授業があるだろう。それに、曲がりなりにもパソコン教室の生徒だ。


「いいもん! 『コンピュータ入門編』受ければ、わたしも一流だし」


 情報処理技術に関しては本当に壊滅的らしい。……というより、オレを指導できるぐらいの実力を身につけないと気が済まないのか。


「いえ、受けさせません」


「へぇ?」という表情で絵礼奈が梯亜を見た。受講を拒否されるとは夢にも思わなかったという感じだ。


「お金ならパパがだすよぉ…… わたしが勉強したいって言えばなんとかなるし……」


 雰囲気からは想像がつきにくいが、絵礼奈の家は裕福なようだと蓮は思った。子どものためとはいえ、あの受講料を払える家庭はそう多くはない。


「申し訳ありませんがお金の話ではないのです。いくら積まれても私の決意は変わりません」


「そんなぁ……」


 絵礼奈は悄然しょうぜんとして肩を落とした。


「どうして?」とは彼女はたずねなかった。何をいたところで梯亜の考えが変わりそうにはなかったからだ。


さんにはすこし、ご自分で努力できるようになってもらいたいんです」


 が、梯亜は答えた。ただ、この回答を聞いたところで結局「そんなぁ……」である。


 しかも意地悪なことに、ここにきて「絵礼奈」と下の名前で呼ぶ。ファーストネームで呼ばれることをとるのか、講座を受講することをとるのか。その二択にたくをちらつかせたのだ。


 絵礼奈の心は決まっていた。素直に聞きれるしかなかった。


「それに講座では脳をいじります。弄るといっても講座のオンデマンド動画をとおして、映像によって脳に刺激をあたえるだけですが」


 あたえるだけというが、その技術がすでにすごい。


「刺激をあたえるのは、通常は海馬かいばですが、言語学習においてはウェルニッケ中枢なども対象になります。……私は医者ではありません。短期間に脳の至るところを開発して、心身にどのような影響が出るのかということも危惧しているのです」


 もしかすると、一千万円という受講料も生徒らに覚悟を促すための値段設定なのかもしれない。


「講座はまだまだ実験段階です。絵礼奈さんはまだ若いですし、もし、脳に障碍しょうがいが出てしまうようなことがあれば、私はきっと立ち直れません」


 絵礼奈は自分のポケットマネーから受講料を支払っているわけではない。親のお金という、直截的ちょくせつてきに痛みのない資金源から支出している。


 ゆえに、他の受講生に比べて覚悟が稀薄きはくだ。そこを梯亜は一番に懸念している。


 いろいろな講座を受けることは可能だが、努力を知らず、なんでもお金で解決できるという誤解をもったまま大人になってほしくないようだ。


 また、教材によって健康を害さない自信は少なからずあるものの、心も体も完全に成長しきっていない思春期の段階で、脳に大きな負担をかけることは果たして良いことなのかと。そういう問いに答えが出せないことも彼女が待ったをかけた理由だ。


 梯亜は、自分の力で手に入れたお金で、相応の覚悟をもってから受講を決めてほしかった。苦手な相手とはいえ、真摯しんしに考えていたのだ。


「……てぃあちゃんごめんねぇ! そこまで考えてくれてるとは思ってなかった! ……いつもいじわるばっかり言うから、ホントはえれなちゃんのこと好きじゃないんじゃないかって、けっこう悲しかったんだぁ」


 ぎゅっと絵礼奈は梯亜に抱きついた。


「いえ、嫌いなのは確かです」


「――うぇ!? やっぱりヒドいよ、てぃあちゃーんッ!」


 うるうると瞳をにじませる。


「少し面倒な人ですが、蓮くんの大学に進学してしまった際にはよろしくお願いしますね」


 梯亜は絵礼奈の肩越しに言った。


 絵礼奈の面倒を看る……メンドーだなー。蓮は曖昧に首肯しゅこうするしかなかった。


 翔太郎しょうたろう大樹だいきになんて説明すればいいんだろうか。それとも彼らに絵礼奈のことを任せてしまうか。


 波乱の訪れを予期して「はぁ」とめ息をついた。


 絵礼奈の進学ってEtemeniaで防げないのかなぁと本気で考える蓮だった。




   retrun 0; // 了



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