23 終章 - Consolidation - b

 蓮はゴクッとのどを鳴らした。別に旨そうな料理が並んでいるわけでもなければ、目の前に美女がいるわけでもない。文字どおりの意味だ。


 そして単にテレビを視ているだけだった。


「これって、梯亜てぃあがこのあいだ納めに行ったっていうやつだよね?」


 双海ふたみ総合医療センターの面々が臨む記者会見の様子を視て問いかける。この会見の映像は二週間以上前のものだが、テレビのニュースでは繰り返し流されていた。


 パソコン教室の奥にあるに蓮はいた。


 ここは梯亜の自宅だ。ふるめかしい木造住宅で、上を向くとはりがとおっているのが見える。欄間らんまには、猿の行動するさまのえがかれた透かし彫りがまっている。


 蓮は葡萄染色えびぞめいろの座布団の上にすわっており、目の前には四角い座卓がある。


 また、座卓の上には漆塗うるしぬりの菓子器かしきが置かれていた。


 大きな胡麻煎餅ごませんべいかじっていた梯亜がつぶやく。


「統合脅威管理装置、Etemeniaエテメニアです。私の管理するデータセンターにも導入しています」


「これで、病院に攻撃した犯人を捕まえたんだよね?」


「捕まえたというような直接的なものではないですが、AFGエーエフジーというアンチ人為的脅威の機能がはたらきました。将来的に今以上に有害となる脅威を


「へぇー、そんなことできるもんなんだ……」


 なんと恐ろし気な……と思った。


「EtemeniaはmiaミアというAIを搭載しています。miaはクラッカーの攻撃意思を先読みして護りを固めるので、Etemeniaを素通りすることはおろか、攻撃した瞬間に足がついて法のお世話になることでしょう」


 蓮は恐る恐るいてみる。


「それって、クラッカーのような人じゃなくてウイルスとかでも?」


「コンピュータウイルス――マルウェアの類も、作成したり仕掛けたりするのは人間です。そこに悪意が認められれば、Etemeniaはこれを排除しようとします。蓮くんはおそらく、どうしてひとの意思なんていうあやふやなものが解るのか、と思われていることでしょう」


 勢いよく首を立てに振る。


「それは、膨大な行動パターンデータや思考パターンデータ、ヒトゲノムの解析によって、人類というネットワークがすでに解析されているからです」


 唖然とするしかないぐらい壮大な話だった。


「したがって、人が何を感じ、何を思い、何を考えるのかといったことは、すべてコンピュータに攻略されているのです。今は無理ですが、いずれ人類を知悉ちしつしたコンピュータは、未来の歴史すらヒトに先んじてつむいでしまうでしょう」


 蓮は途方もない話に驚いて言葉が出なくなった。


 AIといえば、ヒトをはじめとした生物の脳機能を模倣した存在だ。


 ただしこれは、AIに対する現在の人々の認識であって、ひとむかし前は先読みが専売特許だったはずだ。チェスや将棋、リバーシなど、人間の知性を凌駕りょうがする結果をその思考ルーチンは弾き出してきた。


 したがって、少し先の未来を予測するという技術は決して新しいものではないのだ。


 しかし、ビッグデータを利用して不確定な事象に明確な答えを出したことはいまだかつてなかった。


 人類が知り尽くされているということは、自分の今の行動もEtemeniaには筒抜けだということだ。人工知能はもはやそこまでの段階にあるのかと蓮は空恐ろしくなった。


 ――天網恢々てんもうかいかいにして漏らさず。


 今回の事件は、Etemeniaによって、その主犯から末端に至るまで一網打尽にされた。


 主に、株式会社RYDアールワイディーというIT企業が関わっていた。


 彼らは日鳴ひなる製薬の類似ドメインを取得してほとんど不正なかたちで利益を得ていた。


 それによって日鳴製薬は訴訟を起こし、からくも勝利した。


 が、彼らは引き下がらなかった。


 日鳴製薬の子会社、日鳴イノベーションサービスの社員に情報漏洩を誘発させたのだ。漏洩を起こした社員はRYD側に肩入れする獅子身中しししんちゅうの虫だった。


 ドメイン紛争の損害賠償の穴埋めか腹いせか、手始めに日鳴イノベーションサービスを、続けて日鳴製薬本体を潰そうとしていたらしい。Etemeniaによってその策謀が実現することはなかったが。


 情報漏洩が意図的のものだったということが世間的には影響が大きかった。


 日鳴イノベーションサービスにもクレームの電話が連日鳴り響いているそうだ。これは、情報漏洩が故意だったと知れわたる前からあまり変わらない。クレームの内容自体は「どういうセキュリティ教育をしているんだ?」から「社員に法令遵守コンプライアンスを徹底していないのか?」に変わったが。


 メディアでも、他組織の内部に入ってシステムの維持・管理を担う者に対する教育や、企業の内部統制についての議論が最近はよく交わされている。


 梯亜は朱泥しゅでい急須きゅうすでお茶をれた。二つの茶碗に少しずつ交互に注ぐ。


 梯亜に礼を言って受け取り、一口飲んだ。


 若葉のやわらかい香りと、湯の温かさが安心感をあたえてくれる。


 ふと、手元を見た。


 象牙色アイボリーの茶碗の表面には滑らかなおうとつがある。横に段々と波打つようなデザインになっているのだ。


 梯亜って結構こだわりが強いのかもしれないなと蓮は笑った。


 そういえば、あたりまえだけどEtemeniaは梯亜がつくったものだ。テレビの放送などという、蓮からすれば非日常的な空間に登場するものだから、まるで得体の知れない生き物のように感じていたが、なんてことはない。こだわりが強くて、こんなにも温かいお茶を淹れてくれる女の子のつくったものだ。


 蓮はEtemeniaになんとなく親近感をもった。


「本当は玉露が残っていればよかったんですが……」


 蓮が胡麻煎餅を食べていると梯亜が言った。


「高価な茶葉は普段買えないんですけど、先日、星葉ほしばさんが持ってきてくれまして。でも、生徒さんたちがよく飲まれるので……」


 吉田パソコン教室の生徒は高齢の人が多い。おいしいお茶が飲めるのはさぞ楽しみだったことだろう。それですぐに減ってしまったというならいことだ。


 まったく手の届かない値段というわけではないし、これから先いくらでも味わう機会はあるだろうから、若者の自分は遠慮するべきだと蓮は思った。


「いいよ、いいよ、その人も教室の生徒さんのために持ってきたんでしょ? でもいいよなぁー、やっぱり年とると金持ちになるもんなのかなぁ」


 玉露を差し入れた星葉という老人を蓮は想像するのだった。



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