21 笑劇 - Parity - b

 竹内たけうちはテレビ放映をて唖然としていた。


 急いで部下に電話をかける。今日は休日だったがそんなことは無視した。


 数十回のコール後、やっとつながる。


「昨日、例のタグ使って双海ふたみに攻撃仕掛けたよな?」


 電話をかけて一番にそんなことを切り出す。


 例のタグというのは、竹内が日鳴ひなるイノベーションサービスの社員をかたって、Etemeniaエテメニアから延びるLANケーブルに結びつけた代物だ。


 ケーブルタグのような見た目だが、実は遠隔からデータの盗聴や通信に影響を与える電圧を起こす。タグを巻きつけるときに、被膜を浅く傷つけて内部の銅線に接触させるので、電流をながせるのだ。


 タグを取り外すと傷ついた部分があらわになってしまうが、外すことを契機に内部で薬品が舞い、部品は溶けてしまうという仕組みだ。これにより、タグによってケーブルが傷ついた可能性は残るものの、そこにあった不正行為の形跡はき消されるわけだ。つまり、凶器を隠して犯行の証拠を隠蔽してしまえるということだ。


 竹内が部下に、双海脳神経外科病院に攻撃クラッキングをおこなったか否かを問うた。


『え? はい、確かに。えっと……何かマズイ事態でも発生しましたか!?』


「攻撃は成功したんだよな?」


『ええ、もちろんです。昨日報告したとおりですよ。今回は漏洩ではなく、システム上のデータををほとんど破壊し尽くしましたから、ログもろくに残っていないと思いますよ……』


 部下はおそるおそる再報告した。


「本当だな?」


 相手がうなずくのを確認して続ける。


「今、テレビてるか?」


『い、いえ、少々お待ちください……』


 戦々兢々せんせんきょうきょうといったていで、部下の声はふるえていた。当然だ。他組織に対して不正に攻撃を実施したのだ。犯罪である。


 部下は警察沙汰になっていないことを祈りつつ、テレビをつけた。


〈情報漏洩病院 緊急記者会見!〉という大げさなタイトルが画面に映し出される。


 生放送ではなくハイライトのようだ。


《この度は、皆様に多大なるご迷惑をおかけしましたこと、病院を代表して改めて謝罪いたします。誠に申し訳ございません》


 ロマンスグレーの髪の病院長らしき男が頭を下げた。


《これを受けまして当病院では、新しい装置を導入し、今後起こりうるであろう、情報漏洩をはじめとする病院内のセキュリティ事故に備えることと致しました》


《装置を入れるだけで本当に今回のような漏洩が起こらなくなると考えているんですか?》


《装置を過信するあまり、またすぐに情報漏洩するんじゃないですか?》


 テレビの中の記者たちが口々に意地の悪い質問を病院側に投げる。


《いえ――》


 病院長がひと呼吸おく。


 そして――


《当病院は、情報漏洩をはじめとするセキュリティ事故の一切を、今後起こさないことをお約束いたします。万が一それらが発生した場合、当病院を閉院する所存です!》


 その眼には確かな覚悟があった。


 しばらく記者らは茫然となった。あまりに過剰、あまりに異常な発言だったからだ。


《……ぇっと、そ、その根拠は!?》


 衝撃から立て直しつつあった記者の一人が頑張がんばって質問した。


 しかし、さらなる議論の火付け役となるだけだった。


《あの装置には宿からですよ》


 端にいた軽賀かるががポツリとつぶやいた。


 しかし、そんな些細ささいな言動すら聞き漏らさないのが記者だ。


《それはどういうことですか!?》


《何かの宗教ですか!? 答えてくださーぃ!》


 威勢の良かった病院側は慌てて弁解することになった。


《――い、いえ、彼が言ったのは一種の比喩でして、そのくらい高度な装置なんですよ》


《すみません、これから患者の診察や手術オペがありますので、会見はここまでとさせて頂きます》


 病院側は早々に記者会見を打ち切って退散してしまった。


 部下の男はスマホでテレビの電源を落とした。


 自分の不正が暴かれたのかと思って冷や冷やしていたが、一気に安堵した。


 ソファーに深く腰を下ろしてもたれかかった。


「竹内さん、おどかさないでくださいよぉー」


『あ、いや、悪い。しかしだな、あの軽賀という男の発言が気になってな……』


「たしかに、神だのなんだの言ってましたね。テレビに出るっていうのにあんな発言。世の中には変な人間がいるもんですね」


『いや、俺がこのまえ会ったときはあんなことを言いそうにない人だったんだよ。だからさぁ…… うーん、おまえ、やりすぎちゃったんじゃね?』


 システムを破壊しすぎたせいで、病院側は自我すら保てないような集団になってしまったんじゃないかと竹内は嘆いた。


「えー!? 俺のせいですか? 壊せって言ったのは会社なんだし、俺はちゃんとやりましたよ。まさか人まで壊れるとは思いませんでしたが」


 皮肉を交えて返答した。


「だよな……」と思いつつ、なんだかキナ臭さを感じた。自分のあずかり知らぬところで、妙な計画が進んでいるような気がしてならなかったからだ。


 竹内とて、クラッキングによって人格まで破壊されるとは考えていなかった。


 観音坂かんのんざかに相談してみるかと思案する。IT戦略コンサルタントのあいつなら何かベストな回答をくれるかもしれない。


「すまんが、いったん切るぞ」


 そう部下に告げると電話を切った。


 スマホの連絡先一覧から別の番号を検索した。アノダクティーIDではなく十一桁の電話番号だ。


 観音坂の電話番号を選択してスマホを耳に近づける。


 ピピピッと鳴ってすぐに音声が返ってくる。


『――おかけになった電話番号は現在使われておりません』


 竹内は絶句した。今月末までは会社に在籍するんじゃなかったのか!?


〝今月で退かせてもらう。こっちの都合で辞めるんだ、このクォーターの支払いはしなくていい〟


 竹内は観音坂の言葉を思い出して歯噛はがみした。……あのとき、すでに何かに気づいていたっていうのか!?


 感嘆すると同時に絶望した。


 竹内は今は自宅いた。


 寝間着ねまき姿だったため、簡単に着替えを済ませてから車をまわした。


 オフィスまでは車で十五分ぐらいだ。


 ハンドルを握る手に汗を感じる。


 嫌な予感がしてならない。


 会社の駐車場に車をとめると、急いで階段を駆け上がった。


 かなりふるい建物なのでエレベーターがない。白が灰色に汚れた四階建てのビルで、ひび割れて亀裂の入っている部分がある。


 オフィスは三階だが、休日ゆえに明かりはいていない。


 竹内は急いで階段を登り終えると、スマホで電子錠を外した。こういったところは、モダンなシステムが導入されている。


 汗をぬぐうこともなく、オフィス内を見まわした。


 観音坂の使っていたデスクを調べる。ガラス棚に在る紙資料を漁り、パソコンを起動して社内のサーバをくまなくあらう。


 一時間ほど探ってみてから、茫然として天井を見上げた。


 観音坂がここに在籍していたという手がかりがきれいサッパリ消えていた。


 ……なんてことだ。


 新しいクライアント云々うんぬん言っていたが、おそらく観音坂は逃げたのだ。


「まずい……社長に伝えなくては……」と考えたところで、オフィス入口のガラス戸をたたく音が聞こえてきた。


RYDアールワイディーさんいらっしゃいますかー?」


 誰だこんなときに…… しかも休みの日だっていうのに……


 ハッと竹内は気づいて思わず後ずさった。


 椅子いすにつまずいて盛大に転ぶ。


 大きな音を立てたことで中に人がいることを確信したのか、戸の叩き方が一層強くなった。


 そもそも照明を点けている時点でバレバレだった。


 竹内は降参して戸を開けると、三人の男らが待機していた。


 先頭にいる男が口を開く。


「竹内さんですか?」


「はい……」


「あなたには不正アクセス並びに不正競争の嫌疑がかけられています。署までご同行願えますか」


 懐から取り出した警察手帳を突き付けて、有無を言わさぬ態度だった。


 まだ犯行から二日程度しかっていない。この段階でよもや名指しでくるとは思わなかった。てっきり特定は社名までだと竹内は思っていたからだ。株式会社RYDの誰か、というところまでのはずだった。


 日本の警察の捜査能力はあまくないということか。


 そもそも不正に使ったタグは外すと強酸によって中身が溶けてしまう。そのことを知らなければ迂闊うかつに外してしまうだろう。外見が一般的なケーブルタグにしかみえないので、この仕組みを知り得るのはまれだ。そうでなければ、もともと知っていたかだ。


 竹内はドキッとしたが、あんな闇市ブラックマーケットで売っているような代物に、高潔な病院関係者が巡り合う機会が果たしてあるのか?


 病院関係者イコール心の立派な人物という解釈は早計か。しかし、普通の人の手に触れるような物ではないことは間違いない。


 ――ということは、やはり部下が失敗したか。


 送信元を割り出されないように何重にもプロキシサーバを踏み台にして攻撃したはずだ。もしくは、他人のパソコンを乗っ取ってゾンビ化させ、司令を出したか。


 だが、失敗したとして、それでなぜ俺までたどり着いた。部下とはさっきまで電話していた。逮捕などされていなかった。健在だった。


 ――まさか、そのときすでに警察に!?


 これは確かめざるをえない。


「……わぁああああああああああああ! わぁああああああああああああ!!」


 竹内は突然雄叫おたけびを上げた。


 ゴクリと刑事らが固唾かたずみ下す音が聞こえた。


「俺は悪くない!! ハメられたんだ!! これは冤罪えんざいだ!!」


「静かにしろ!」


 気が狂ったような人間を前にしてこの冷静な対応はさすがだ。


「違う!! 違う!! 違う!! 違う!! 違う!! 俺は違う!! 他に犯人がいるはずだ!! 俺じゃない!! 絶対に違う!!」


 竹内はうずくまって頭を抱えて泣き叫んだ。


「静かにしろ! そして立て!」


「違う!! 違う!! 違う!! 違う!! 違う!! ちがぁーーーーーーーーーーーーう!!」


「黙れ! コノ!」


 刑事らは竹内を少し強引に立たせて歩き始めた。


 竹内の顔は真っ赤で、涙に濡れてぐちゃぐちゃだった。


「安心しろ、犯人は他にいる。捕まえたのは、おまえが最初だがな」


 はっと竹内が泣き止む。


 ……俺が最初だと? すると、部下が失敗したわけじゃないのか? タグの構造に関する知識があったわけじゃないとすると……まさか、社内の人間がリークしたわけではあるまいな?


 が、刑事がおかしなことをのたまわる。


「――って、言えば満足か? 空泣きヤローが」


 ――は?


 竹内は言葉がでなかった。


 ……どういうことだ? 今のが演技だとバレた?


 渾身の演技だという自信があった。


「残念だが、おまえの行動は一昨々日さきおとといから割れている」


「――何をバカな!?」


 今までの狂気が嘘だったと言うように、竹内はまじめに返してしまった。


「あのなぁ、我々もそう思ったさ。当初はな」


 刑事が懐からサラリと一枚の紙を取り出して竹内に見せた。それはメール文のようだった。


「これが?」という顔で竹内が刑事らを見た。


「読んでみろ」と刑事の一人があごをしゃくって示した。


 竹内は用紙に印字されている数行を目で追った。


 追ってゆくうちに顔はみるみるあおくなった。


「お、おかしい、おかしいだろ、これは! これじゃあまるで……い、いや、そんなはずはない! ぎ、偽造だろ、いま作っ……」


 怒鳴りかけて自分の主張がおかしいということに気づいた。


 渡された用紙には、時刻とその隣にが記載されているのだ。メールの受信日は三日前だ。


 パソコンもプリンタもないこの屋外で作成するのは困難な印字物だった。


 仮に竹内の言うように、これをどうにかして出力したとしよう。それでもこの内容はあまりに異常だった。


 急いで腕時計を確認した。アナログ時計の文字盤に示された時刻は十一時四分――


 用紙のメール文に視線を移す。


〈11:04 移送中の竹内十知男たけうちとちお尿意にょういを感じてトイレにいきたいむねを刑事らにうったえる。この一文をもって人為的脅威の排除を完了とする。〉


 ひとの生理的欲求など他人にわかるものなのか!?


 それに自分はまだトイレになんて行きたく……


 とつぜん尿意を感じた。


 ――そんな!? 大量に水分を摂取した覚えなんてないッ!


 途端にこのメール文が恐ろしくなった。すると余計にトイレが近くなった。


「す、すまんが、トイレに……」


 分かっていると言うように「ああ」と刑事らは答えて、オフィスのトイレまで同行した。


 このトイレには窓の類はない。とうぜん竹内が逃亡を図るスキなどなかった。


 逃げられないと理解すると、冷静になった。


 そういえば、出かける前にテレビを視ながらコーヒーを飲んでいたなぁとふと思い出した。日鳴ひなるの崩落が始まると思うと、たのしくなってつい何杯も飲んでしまった。


 いったいなんなんだあのメール文は…… 俺の行動を予測するにしたってあそこまで細かく書き出せるものなのか?


 そういえば、俺が発狂の演技をしたときに刑事らはひどく驚いてたなぁ。


 突発的に狂いだしたのだから当然なのだが、あれは何もそればかりが原因ではなかろう。あのメール文に記載されていたことが本当に目の前で起きたからではないだろうか。


 我々は何と戦っていたと言うのか。


 相手は日鳴ひなるグループだと思っていたが、まったく角度の違う方向から襲撃を受けた感じだ。


 シャーと水音を立てながら手を洗い、この屈辱的な結末をもたらした相手を想像した。


 正面にある鏡に映る無愛想な顔を見て、鏡を壊したくなった。


 完全に詰んだ竹内はある覚悟を決めてトイレのドアを開いた。


 そしてドアの前で待機していた刑事にたずねる。


「分かった。洗いざらい吐く。ただその前にひとつ教えてくれ。この件の真相はなぜ判った? あのメール文はなんだ?」


 フっと刑事は笑うとこう告げる。


「おまえはもうその答えを知っているはずだ。今朝の報道を視たんじゃないのか?」


「たしかに視たが…… だがしかしあれは……」


「ああ。神がどうとかおかしなこと言ってたよな。だがな、今となっては我々も、何か超常の存在が背後にいるような気がしてならないんだよ」


 別の刑事が言う。


「あのメール文は、三日前に双海病院の軽賀さん宛てに届いたものでな」


 竹内は二の句が継げなくなった。


 ――ということは、自分がクラッキング用のタグを結びに行った時、すでにあの職員は俺の正体とどんな作業をするのかといったことを知っていたのか!?


「病院側はおまえの行動を黙認した」


 やはりか!? どうしてそんなことを!?


「確実におまえらを捕まえるためにな」


 単純な正義感から逮捕に貢献するということも考えられるが、これは……我々をダシに使おうというわけか。


 情報漏洩というものは、漏洩した組織ばかりが注目をあびて責任を遡及そきゅうされ、まるで犯罪者のごとく取り上げられるが、本当に悪いのは攻撃をした者だ。


 しかし、クラッカーという存在は、一般人の目には実に稀薄きはくに映る。


 けれども、犯罪をおかした者がしょっぴかれれば話は別だ。具体的な犯人が出てくることで、病院は被害者なのだという感覚が大衆の心に芽生えるわけだ。


「だからおまえたちの攻撃は成功した。――だが、そのシナリオは病院が新しく導入した装置が用意したものだ」


 なんだと……!?


「俺は刑事課の人間なんでよく知らないんだが、ハニーなんとかっていうシステムらしいな」


 ……なるほどな、ハニーポットか。


 攻撃者の輪郭を捉えるトラップだ。ハニーポットは、あたかも実用しているシステムのように見せかけるわなだ。


 ただし、この罠に掛かったところで実害は特にない。なぜなら、ハニーポットの目的は攻撃者の動向を探ることにあるからだ。どういった手法でこのシステムを陥落させようとしているのか。そういった点を分析する。


 もちろんハニーポットには脆弱性はない。――というより、あえて脆弱な部分をつくって仕掛けておく。


 ハニーポットは実用のネットワークからは切り離されているので、攻撃者の侵入を許すことはまずない。甘い甘い蜜壺みつつぼまる蜂のように、袋小路ふくろこうじでクラッカーが右往左往するだけだ。


 Etemeniaエテメニアの場合は、本物ソックリに創られたシステムをひけらかして、寄ってきたクラッカーどもを転がす。最終的には、彼らが偽のシステムを攻略するまでつきあって、情報を渡すのである。この情報もむろん偽物だが、そうだと判らないようにいやらしい工夫が何重にも施してある。情報をたどってゆくと、刑務所がゴールだったり、あの世にいざなわれたりといった結果が待っている。


 かなり危険な装置だった。


 竹内も知らず知らずのうちにEtemeniaの罠に掛かり、そのままあらぬ方向へと誘導されてしまったというわけだ。


 なんということだ……


 竹内は頭を抱えながら、ゆっくりとしゃがみ込んだ。


 刑事らは再び発狂するのではないか心配になった。今度は演技ではなく――


 竹内は考えた。そして失意に散った自分を嘲笑あざわらう。


 実際に攻撃を仕掛けたのは部下だというのに、私まで一網打尽というわけか…… ハハハハハ――


 実にできの悪い喜劇だった。


 これまでに重ねたと醜態シュウタイと、これから出来シュッタイするはずだった事件は、竹内らの失敗シッパイで幕を閉じた。



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