20 笑劇 - Parity - a

「どういうこと、ですか?」


 国川くにかわは上司に慎重にたずねた。


 相手は、腕っ節の強そうな中年の男だ。Yシャツの腕をまくり上げているので、隆々とした筋骨が見てとれる。この年齢で、こんな無駄に筋肉のあるシステムエンジニアはそうそういない。前職は確か土木職だったか。


「言ったとおりの意味だ、おまえはクビだ」


 男は振り返って無慈悲に告げた。


「そ、その理由を教えてください!」


 いったいなぜだ……


 こうも唐突に解雇を言い渡される理由に見当がつかなかった。


「分かってるだろう、自分のしでかしたことなんだから。身から出たさびというやつだ」


 国川はもう気づいていた。


 ようは、峠町とうげまちにしてやられたのだ。


 峠町をみに誘ったのは国川だったが、彼はこれ幸いと、ひとに罪をかぶせる算段を立てたのだ。


 国川は歯噛はがみした。


「ほ、本当に身に覚えがありません! 教えてください!」


 たとえ気づいたとしても、「情報漏洩の件ですか?」などとは問えなかった。この質問をした時点で国川の犯行だということが濃厚になってしまうからだ。馘首かくしゅの理由は情報漏洩だとは限らない。


 上司は少し思案してから回答する。


「おまえが双海ふたみ総合医療センターで、情報漏洩を意図的に引き起こしたことは割れてる。証拠もある」


 やはりか……


「それ言ったのって、峠町ですか?」


 男が押し黙った。


 おそらくビンゴだ。


 居酒屋で峠町が持っていたボールペンは偽装したボイスレコーダーだったのだろう。手ずからつくることも可能だが、自分で細工しなくても家電量販店にゆけば簡単に手に入る。


 したがって、俺の発言は録音されて証拠となって存在するわけだ。


「誰とは言わないが、告発があったことは確かだ」


「ご、誤解があるようですが、あれは酒の席で言った冗談です! 確かに私は、運用担当者として双海病院に出入りしていましたが、故意に情報漏洩を起こすなどというマネはしません!」


「だとしてもだ! 漏洩をたくらむような社員を、会社においておくわけにはいかないというのが上の判断だ。訴えられないだけマシと思え」


 国川は何も言えず悔しい表情だった。


 わざと情報漏洩を起こせばそれは犯罪に該当する。ただし「情報漏洩禁止法」などという法律はない。


 情報漏洩における法律としては、漏洩させた情報に営業秘密が含まれていれば、公正な市場を乱したとして不正競争防止法ふせいきょうそうぼうしほうが適用される。


 個人情報が含まれていれば個人情報保護法が関わってくる。


 また、こんかい峠町が犯した行為は、交渉の基で特定の企業が有利になるようにはたらきかけたとして、競業避止義務きょうぎょうひしぎむに違反する。


 いずれにしても、これらの法律は一個人が負うものではない。ほとんどは、情報漏洩を起こした社員の所属する組織や、漏洩を起こされた組織が責任をとることになる。


 が、その結果として組織が多大な損害をこうむれば、損害賠償が請求されることだろう。これは一個人に対してだ。


「はん! そんな理由でクビっていいのかよ? そっちがその気なら、俺だって訴えてやる!」


 国川は尊大な口調で上司に宣戦布告した。別にこの男が悪いわけではないが何も言わずに引き下がれはしなかった。それほどまでに理不尽な人事だったからだ。


「なんだその口の利き方は?」


 男が怒声を上げる。


「訴えるだぁ? 一丁前なことをぬかしやがって若造がぁ!」


 腕をさらにまくって男が拳を振り上げた。


 国川もさすがに緊迫感にとらわれた。


「ちょっとぉ! 遠実とおみさん、暴力はいけませんって!」


 まさに一触即発のところに営業の蔵本くらもとが割って入った。


「国川君も。いったいどうしたって言うんですか?」


 蔵本はこうみえても、営業部第一サービス企画課の課長だ。


 その地位ゆえか、普段からの物腰の柔らかさゆえか、遠実と国川は互いに離れておとなしくなった。


 先程まで二人に向けられていたオフィス内の視線はすでに散らばっていた。




 国川を空いている会議室へと連れてきた。


 蔵本は国川にとって最も親しい営業マンだった。


 穏やかな表情でたずねる。


「国川君、何があったんですか?」


 椅子いすに座ってややうつむき加減で、国川は奥歯を噛みしめてつぶやいた。


「ハメられたんです……」


「え…… それはどういう……」


 国川は正直に経緯を話した。


「なるほどねぇ。それはひどい話だ…… そんなことを言われれば不安になるし、第一お酒の席での話ですからねぇ」


 蔵本は腕を組み、険しい顔つきになった。


「それで? 峠町君はこの会社に残るんですか?」


「いえ、それは分かりませんが、おそらく向こうの会社に転職するんじゃないですかねぇ……」


の名前って聞いてますか?」


「それが……」


「そうですかぁ…… もし知る機会がありましたら教えてください」


 蔵本が笑顔で依頼する。


「それって、営業さん的に何か利用できるんですか?」


 国川は不思議に思っていた。内心、蔵本の営業手腕で峠町に反撃をあたえる機会をつくってくれるのではないかと期待した。


「いえ、最近ちょっと、法律にふれる機会がありまして、何かお役に立てることがあるかと思いまして。具体的には、うちとその会社との取り引きを中止するようにはたらきかけることも視野に入れています。国川さんを疑うわけではないのですが、もし、今お話されたことが真実であれば、日鳴ひなるグループ全体として事にあたる必要がありますので」


 なるほどなと思った。直截的ちょくせつてきな一撃は難しそうだが、会社単位で間接的に手を打ってくれるようだ。


 蔵本は話を続ける。


「そうなれば国川君の退職の件だってなくなるだろうし、うまくゆけば特別手当てとして補償が出るかもしれません」


 補償金が出るというところまでは高望みしすぎだろうが、この会社に居続けられるということは重要だった。


「ありがとうございます! 俺ちょっと探ってみますッ!」


 国川は嬉しさゆえか一人称に意識が向いておらず、ついプライベートな「俺」をつかってしまった。


「国川君、ほどほどにしてくださいね。私も調査してみますが、探っていることがあちらに察知されてしまいますと、警戒されて特定が困難になるでしょう」


「分かりました。きもに銘じておきます」


 峠町の転職先について探ってみるとは言ったが、国川にはまるで。だから、警戒されるようなことは確実にないし、肝に銘じるようなことも何ひとつなかった。


 というのも、国川は峠町の転職先についてすでに知っていたからだ。むろん、峠町から教えてもらったわけではない。


 つまり、こんなのは茶番だ。


 いざというときのために、別の一手を準備しているだけだ。蔵本とのこのやりとりは、言わばそのための布石である。


 蔵本には峠町の転職先については明かさないつもりだ。自分が不利になるからだ。


「国川君、時間をとらせてしまってすみませんねぇ」


「どうして蔵本さんが謝るんですか? 道を示してくれたんです。とても有意義な時間になりましたよ」


「これからお力になれるといいんですが……」


「いえいえ、たとえこのままクビになったとしても、こうして蔵本さんと最後に話せて気持ちが楽になれただけでも充分ですよ。私はこれから、峠町のを調べつつ自分の転職活動もしますよ」


 国川は努めて明るく言ったが、その空元気を見て蔵本のほうが浮かない顔をしていた。いうまでもなく、国川は空元気を装ったのだが。


「失礼します」と蔵本に会釈えしゃくして会議室を出た。


 そして扉を閉めると、不敵にわらうのだった。



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