19 論証 - True - b

 窓の多い木造の建物の前に男は案内された。


 双海ふたみ脳神経外科病院である。


 コンサルタントの男、観音坂かんのんざかの策を実行するべく、竹内たけうちはこの分院を訪れていた。


 癖のように眼鏡めがねを中指で押し上げる。


 ここまで案内をしてくれたのは、軽賀かるがという、双海総合医療センターの情報システム室職員だ。


 情報漏洩を隠しきれなくなった病院は、二日前にこの件を発表した。今日は、観音坂の予想したとおり、病院前には報道陣が詰めかけていた。


 軽賀はそのせいか気分の悪そうな顔をしていた。


「大丈夫ですか?」


 竹内が思わず気遣きづかってしまうほどだった。


「すみません、昨日あまりよく眠れなかったもので……」


「やはり例の件ですか……」


「え? ああ、そうです、情報漏洩なんて前代未聞です」


 軽賀はいっしゅん疑問の表情を浮かべたが、すぐにうなずいた。


 どうぞと竹内を院内へと案内する。


「今日は――例のUTMの調整でしたっけ?」


「急なご依頼で申し訳ございません」


「いえいえ」


 軽賀はにこやかに答える。


「時間はどれくらいかかりますかね?」


 竹内は手を揺らして否定した。


「そんな長くはかかりませんよ。管理ポートに接続してちょっと設定を変更するだけなので」


「ん? 管理ポートのない製品ではなかったんですか?」


 ――管理ポートがないだと!?


 竹内は当然、事前にEtemeniaエテメニアに関する情報を集めようとした。しかし、吉田パソコン教室のWebサイトはおろか、探しても探しても片鱗へんりんすらつかめなかったのだ。せんなく、似たような製品を参考にしてきたところ裏目に出た。


 軽賀が怪訝けげんな表情を見せる。


「……あ、そうでした。別の製品と勘違いしていました」


 竹内は失敗を必死にとりつくろった。


「もう、しっかりしてくださいよぉ」


「すみません、私もどうやら疲れているみたいです」


 はははと照れ隠しするかのように笑った。


 竹内は、日鳴ひなるイノベーションサービスの社員をかたって病院に乗り込んでいた。


 軽賀はサーバルームの前にやって来ると、生体認証とスマホによってロックを解除した。


 頭をかきながら「どこでしたっけ?」と軽賀に問うた。Etemeniaを設置したときに竹内はいなかった。これくらいの質問はむしろ自然だ。


 竹内が目にしたのは黒い筐体きょうたいだった。機器の前面に〈Etemenia〉と書かれている。


 少し調べてみて、本当に管理ポートがないことを確認すると、軽賀に気づかれない程度にめ息をこぼした。


 とんだゲテモノだ。


 軽賀に許可を得て、LANケーブルを差してみたが、どう頑張ってもアクセスできなかった。本当に管理ポートがないようだ。


 この装置をつくったヤツは何を考えているのか。何もできなければ、その場その場の環境に合わせた使い方ができないということだ。そんな製品はすぐに使い物にならなくなる。


 ……だから、インターネット上にまるで情報がなかったのか。もはや見向きもされていないふるい製品なのかもしれない。


 これではわざわざ俺が来るまでもなく自滅していたかもしれない。


 すると――


「結構かかるんですね?」


 すぐ終わると言ったにもかかわらず、だいぶ時間を浪費ろうひしてしまったようだ。


「クソッ!!」と心中で唾棄だきして、懐から例のものを取り出す。


 竹内はEtemeniaにつながるLANケーブルに対して、それをクルクルと巻き始めた。


 はたから見るぶんには、ただのケーブルタグとしか認識されないはずだ。その実、遠隔操作で強い電圧を放ったり、LANケーブルにかかる電圧の変化を読み取ったりすることができる。これを使えば、ネットワークに負荷をかけたり、電流のながれからパスワードを解析したりすることさえ可能だ。


 ――まぁ、そこまで使い勝手はくないがな。高電圧によって必ずしも影響が出るとは限らないし、ネットワークにはパスワード以外の情報も流れる。


 こういった物理的手段によるクラッキングを、サイドチャネル攻撃と総称するが、言葉でいうほどうまくはいかないし苦労も多い。攻撃する側も大変なのだ。


「すみません、終わりました」


 すっかりバカげた製品に踊らされてしまったが、未知の性能を秘めた機器だと考えていたものが、とるに足りない産業廃棄物だということが判明しただけでも良しとしよう。


 軽賀は緊張した面持ちだった。


「軽賀さん、終わりましたよ?」


 ぼぉっとどこかを見つめる軽賀に心配そうな声で問いかける。


「あ、ああ、はい、すみません」


 軽賀は弾かれたように謝る。


「……すみません、明日、また記者会見がありましてね。それでこれから、対策検討会議なんですよ」


「そういうことでしたか、長々と作業に時間をかけてしまってすみません」


 軽賀の心痛を察して竹内も謝った。


 会議で情報漏洩の対策について、病院としての意思を決定するのだろう。それを明日の記者会見で発表するとなると、心中穏やかではない。なんの効能も感じられない装置の導入を対策案として発表するのは、とてもおそろしいはずだ。


 これは急いで事を進める必要があるな。


 竹内は今日にもEtemeniaに攻撃を仕掛ける算段を立てた。


「今日はありがとうございました」と礼を言って退館した。


 軽賀は、駅に近い本院まで送りますよと提案してきたが、「向かいがありますので」と告げて断った。




 かばんを引っげて路端みちばたで待っていると、黒いセダンがやってきて竹内の前に停車した。


 ドアを開いて乗り込む。


 閉めると、運転席に座っていた観音坂が問いかけてくる。


「それでどうだった?」


 竹内は首を横に振った。


「あれはないな。管理ポートもねぇし、ただのガラクタだ。あれじゃあ、こちらが手を下さなくても勝手に終わる」


 観音坂はハンドルに手をついて、何かを考えるように黙っていたが、やがて口を開いた。


「なら、RYDアールワイディーの勝利と言っていいか」


 株式会社RYD、竹内の勤務する外資系ベンチャー企業だ。日本支社は創立して日が浅く、これから実績を積んでゆく必要があった。


 ちなみに、日本支社の社長は、RYDの本社に務めていた日本人だ。


「ああ!」


 竹内は笑みを浮かべた。


「……俺は一通り仕事をした。そろそろ手を引かせてもらおうと思う」


 観音坂はフリーのIT戦略コンサルタントだ。弱小企業に市場介入の機会をつくり、経営崩壊寸前の企業の一発逆転を図る実力がある。


「確かに契約ではこの一クォーターまでだったが、契約を更新してもいい」


 クォーター、ようするに四半期だ。企業というものはおおむね年度単位でスケジュールを組むので、第一クォーターは四月の初めから六月末までの期間にあたる。つまり、観音坂の契約は六月いっぱいで終わる。


「いや、すでに別の企業からのオファーがあってな。誠に勝手だが今月で退かせてもらう。こっちの都合で辞めるんだ、このクォーターの支払いはしなくていい。社長にもよろしく言っておいてくれ」


「ま、まってくれよ、日鳴を潰したら一緒にこの会社をデカくしようって言ってたじゃないか」


「――あれは酒の席での戯言たわごとだ。おまえとは同年代のせいか、余計なことをつい言ってしまったな。忘れてくれ」


「そんな…… というか、いいのか? 一クォーターって結構な額だろ。こんなに旨味うまみを味わわせてもらったやつに一円も払わないなんて、さすがにできねぇなぁ…… 社長だって今月ぶんまでは出すって言いそうだけどなぁ」


「いやいい。それに前年度は結構もらったしな。あと、まだ日鳴は健在なんだ。油断するなよ」


「でも、もう勝ったようなもんだろ」


「……」


「わかってるって。稼いでるときほど手堅く進めろ。ゴールに近いときほど忍耐をみせろ。あんたよく言ってたな。せいぜい慎重にやるさ」


 一方はギャンブル、もう一方はスポーツの格言だろう。相反あいはんする要素どうしにみえるが、観音坂ならどちらもやっていそうだ。


「理解しているならいい」


「着いたぞ」と続けて言った。


 バス停に人が並んでいる様子がみえる。


 中央には大きな花壇がある。小さい葉が特徴的な低木のイヌツゲが満遍まんべんなくそこに植わっていた。


 見上げると、ペデストリアンデッキがかっていて、道路にところどころ影をつくっている。


 駅のロータリーに着いたようだ。


 どうせなら会社まで送っていってくれと言いたかったが、観音坂はこのあと予定があるらしい。新しいクライアントにでも会いに行くのだろうか。そう思うとなんだか物悲しい気持ちになる。


 車を降りると、パンの焼ける香ばしいかおりがして竹内はふと顔を上げた。近くにパン屋でもあるのだろう。


 そういえば昼時か。


「観音坂、めしでもどうだ?」


 パン屋に行こうというわけではない。大きな駅だ。探せば飲食店ぐらいあるだろうと思ったのだ。


 観音坂は少し考えてから言う。


「車をめておく場所がないし、昼飯だけだとコインパーキングじゃあ高くつくからな。悪いな」


「あーなるほどな」


「またな」と言って観音坂は去っていった。


 これが、観音坂との最後の挨拶あいさつになろうとは、竹内は夢にも思っていなかった。



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