18 論証 - True - a

「おまえも災難だよなぁ……あんな脆弱性ぜいじゃくせいフツー気づかないだろう」


「あぁ、僕はもうダメだろう……」


 峠町とうげまちくらい顔で答える。もともとそういった雰囲気の男ではあったが、セキュリティ事故のせいでいっそう陰気な感じに見える。


「そう気を落とすなって。今日はおごるからさ」


 峠町の前に座る男、国川くにかわは、彼の肩をたたいて励ました。


 二人の男は居酒屋でしゃべっていた。


 壁には、品目と値段が一枚の紙に書かれたメニューがいくつも雑然と貼り付けられている。


 彼らが座っている畳の上には卓がいくつかあるが、すべての席が客で埋まっていた。


 この店は分煙がなされていないようだ。タバコの煙を鼻孔に感じて峠町は顔をしかめた。


「君は何か勘違いしていないかい?」


 峠町は眼鏡めがねの奥で双眸そうぼうを鋭く動かした。


「え?」と酒に酔った赤ら顔で、国川は疑問の表情を浮かべる。


「僕はこんなことでは終わりはしない。それに、日鳴ひなるはもう終わりだ。君もそろそろ身の振り方を考えたほうが懸命だよ」


 くくくくと峠町は気持ち悪くわらう。


「終わりって……んなことないだろう。親会社も動いてるらしいし」


「まぁいいさ、僕の警告を無視するって言うんなら君も終わりだ」


 この言葉にはさすがに眉を吊り上げる。


「はぁー? 峠町、おまえいい加減にしろよな。ひとが心配してこうして誘ったってのに、んな態度とられなきゃならないんだよ。それにこんなこと言いたかないけど、終わりなのはおまえだろ?」


「はぁー」


 長いめ息をつく。


「どうやら僕の説明が足りなかったようだね。いいかい、僕は終わったんじゃない。終わらせたんだ」


「……は? おまえ何言って……!?」


 アルコールのせいで鈍くなった頭を動かして、国川は峠町に顔を近づけた。


「おまえ、まさか……」


「そのマサカさ」


「おい……いくらなんでもそりゃ……」


「証拠なんてない」


「し、知らねーぞぉ、俺は」


日鳴ひなるは今後もっとダメージを受ける。うちの会社は確実に倒産だ」


 峠町はニヤニヤと嗤う。


 その様子を目の前で見ていた国川はゾッとして思わず引いた。


「どうして僕が君にこんなことを話すのかわかるかい?」


 国川はぶんぶんと首を横に振った。冷や汗をかく。犯罪者がその犯行を明かすなどろくなことではないからだ。ほとんどは、共犯を求めてくるか死を求めてくるかの二択だ。


「実はこの件で、けっこうな人数の人材がうちの会社をめる予定だ。水面下でヘッドハンティングがおこなわれていて、すでに内部から崩壊しつつある。僕は今回のたたえられて、外資系の大手企業への内定が決まってる」


「まじかよ……」


「ああ。だが君は、曲がりなりにも僕の同期だ。これは言わば僕の恩寵おんちょう――」


「お、俺はどうすれば良い?」


 国川はもはや上からな態度を気にかけなくなっていて、すがるように峠町にたずねた。


「実は一人分ぐらいならなんとかなる。ただし、先方はおまえのを知りたがっている」


 峠町は胸ポケットから高級そうなボールペンを取り出した。それをマイクに見立てて国川の口元に近づける。


「転職したあとのおまえのやる気を語ってくれ」


「お、おう、ええっと……俺、いえ……私は、今まで培った、企画や要件定義の経験をかし――」


 バンッ!! 卓が割れるんじゃないかという勢いで、峠町がこぶしを叩きつけた。


「そういうことが聞きてぇんじゃねぇんだよ!!」


 !?


 普段の昏い峠町からは想像できないような気迫で怒鳴った。


 店の中にいた他の客らが何事かと、驚いて視線を向けてくる。


「いいか? 僕はいてるんだ。そんな、フザケた回答で先方が納得すると思うなよ。つぎ間違えたらこの話はなしだ」


「わ、悪かった、待ってくれ、ちゃんとやる」


 国川は赤ら顔だったが、居住まいを正した。


「仕事はなんでもやります。多少グレーな作業でもこなします」


「それから?」


「敵対する企業は片っ端から潰します。上の命令は絶対です」


「敵対企業に潜り込んで、情報漏洩じょうほうろうえいを引き起こせと言われたら?」


「喜んで実行します」


「相手がどんな立場であっても?」


「医療機関であっても国であっても、逆らうものには容赦ようしゃしません」


たとえその結果、いま勤めている会社が不利益をこうむったとしても?」


「今の会社がどうなろうと知ったこっちゃありません」


「そこはちゃんと社名言えよ!」


 気持ちを入れろよと、峠町はにらみつけた。


「ま、待ってって。――日鳴イノベーションサービスなんてクソ会社、俺には不要です! これでいいか?」


「ああ、いい按排あんばいだ。先方にもよろしく伝えておく――というか、もうこの居酒屋にいらっしゃるがな」


 峠町はボールペンを上着の内側のポケットにしまいつつ、国川にとってとんでもないことを口にした。


 どうやら、その外資系大手の人事が店の中にいるらしい。


「ま、まじかよ、先言えよ。俺ちょっと乱暴じゃなかったか?」


 周囲をキョロキョロと見まわしながら、峠町にささやきかけた。


「僕が怒鳴ったときに気づけよ」


 どうやら峠町も、自分の顔に泥を塗られるような事態を心配していたようだ。国川が残念な結果に終わることで、自分の内定まで取り消されるのではないかと感じて必死になったようだ。


 そして、国川と峠町は会計を済ませて店を後にした。国川は当初に宣言したとおりおごろうとしたが、峠町がこれを拒否して自分の支払い額をレジに並べると先に出てしまった。


 やれやれと国川は溜め息をつくのだった。



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