6 感覚指向 - Startup - d

 れん大樹だいき翔太郎しょうたろうの三人は、講義が自習になって暇になったため、スマホのゲームアプリにいそしんでいた。


 無機質な白い長机と似たような、椅子いすに腰かけている。


 大樹と蓮が前側の机、翔太郎が後ろ側の机に着いている。前の二人が後ろを向いて、おのおのスマホを横持ちにして遊んでいた。


「大樹、アスクレピオスの杖、待ってたっけ?」


 アスクレピオスの杖は、死者を蘇生することが可能なアイテムだ。プレイヤーのライフ値がゼロになったとしても、メンバーがこれを所持していれば復活させることができる。ダンジョンのボス攻略には、なくてはならないアイテムだった。ただし、一回の戦闘で一度しか使えない。


「それ課金ガチャのアイテムだろ。俺、無課金だって」


 質問を受けて大樹は蓮に答えた。


「あれ? 大樹って課金してなかったっけ?」


「課金」と表現しているが、クラウドの「従量課金」の「課金」とは意味が異なる。


 彼らが言っているのは、プリペイドカードか、銀行振り込みか、電子マネーか、別サービスのポイントか、スマホの使用料金に乗せるか、クレジットカードか、いずれかの方法で決済して、ゲーム内でつかえる専用通貨に交換する処理を指すスラングだ。


 こちらは、しかるべきアイテムを手に入れるというミッションを、ユーザが自身に行為と捉えられる。いっぽう、クラウドの「課金」は、運営者側からユーザ側にリソースの使用量に応じて支払いを課すことを表わすことばだ。


「課金してんのはこいつだろう」


 大樹が翔太郎を指さした。


「おまえ、ひとのこと指すなよ……」


 翔太郎が少し腹を立てる。


「課金は……してるけどさ。杖は持ってないなぁ。蓮の心配してるのって、第六狂宴だいろくきょうえんフロアっしょ? モンスターのレベル上がるらしいし、杖ないと厳しいよなぁ、あそこ」


 蓮は思案した。


「翔太郎には、このまえ転移スクロールつかってもらったからなぁ…… ようし、アスクレピオスの杖はオレが手に入れるよ」


「お、蓮いいのか? サンキュ! 大樹、おまえも蓮に感謝しろよ」


 翔太郎は大樹に食ってかかる。


「ありがとな……」


「なんだそれ、たかがゲームだろか思ってるだろ?」


 大樹と翔太郎がいがみ合い始めたので蓮は仲裁に入る。


「落ち着けよ、二人とも……」


 ゲームでアツくなるオレらを見る女子の視線が痛い。「そんなに本気になることぉ?」とあとで噂するに違いない。


 それも課金ひとつで礼を言うだの言わないだのという話だ。盛り上がることは悪いことではないし、礼を言うのも正しいおこないだ。男子大学生おれらの経済事情も察してほしい。


 が、大学生女子にはそうは映らない可能性が高い。吝嗇家りんしょくかを疑われて、なんか度量も小さそうだからなんていうことになりかねない。


 もちろん二人には言い争いなどしてほしくなかったが、蓮の頭にはそんな打算的な思考がよぎったこともまた事実だった。


 そんなときだった。パッと教室後ろの扉が開いて徳長教授が戻ってきた。蓮たちは急いでスマホを隠すハメになる。


「全員ちょっと電子機器をいじらずにそのままでいて」


 教授が戻ってきて何を言い出したのかと、みんな入口に注目した。


 教授に続いて木戸きど助教授と、見馴みなれない少女と老婦人が入室してきた。


「あのこ誰だろ? 院生の先輩かな?」


 蓮は不思議に思った。共にいるのだから教授に関わりのある人物なのだろうが、皆目かいもく見当がつかなかった。


 木戸のような助教授のはずはないだろうし、情報学部のどこかのゼミに所属していれば間違いなく気づくだろう。


 したがって、自分が普段あまりお目にかかる機会のない、研究生か大学院生だろうと適当にあたりをつけた。


「スッゲー可愛いし、俺らと同い年ぐらいに見えね?」


 翔太郎の恋愛譚れんあいたんが始まりかける。


「おまえ、バイト先にくるはどうしたんだよ?」


 大樹がちょっと喧嘩腰けんかごしだ。大樹としては、意中の人がいるのにあちらこちらに手を出そうとするのが許せないようだった。


「あん? もちろん好きだよ、だからって……」


 会話が中断させられたのは渦中かちゅうの少女がこちらに近づいてきたからだ。


 三人は少女をほうけたように見つめた。周囲の学生もだいたい似たような状態だった。


 小さな黒いシルクハットを頭に乗せ、ふんだんにフリルをあしらった膝丈ひざたけまでの黒いドレスに身を包ん込み、これまた黒い、ケープをはおった少女だ。


 さらに、夜空のような黒髪にあおい瞳が印象的だった。


 ドレスはノースリーブ調であるから、とうぜん肩から腕が露出するかたちになる。だが、その雪肌せっきよりも、本来二本そなわっているはずの腕が、片腕しかないことにはどうしても注目せざるを得なかった。


 やがて蓮の前にくると、口を開いた。


「スマートフォンを貸してもらってもよろしいですか?」


 蓮は無意識にうなずいていた。


 講義中にゲームをしていたということなどすっかり忘れていて、スマホをそのまま梯亜てぃあに渡してしまう。


「このゲームはあなたが開いたものですか?」


 蓮のスマホには、RPG「瞋怒しんどのバラル」が展開されていた。


 人気上昇中の新感覚ゲームで、ネットやテレビで頻繁に取り上げられている。


 何が新感覚なのかというと、NPC(プレイヤーに助言や必要な手続きをおこなう、プレイヤーが操作していないキャラクター)の知能が非常に高度なのである。


 冒険者NPCというジャンルまで存在しており、パーティーメンバーとして同行させて戦闘まで担ってくれる。


 ただし、ひとりひとりがあって、性格のいNPCにあたれば問題ないが、そうではないキャラクターにあたってしまうとゲームの進行に支障が出たり、最悪パーティーが崩壊しかねない。顔立ちは山羊やぎのように穏やかだが、心は実はおおかみだったということもある。


 しかし、そういった面従腹背めんじゅうふくはい狼心狗肺ろうしんこうはい渦巻うずまく世界をたのしめるとあって、既存のRPGに飽きつつあったユーザがき込まれていったというわけだ。


 状況的に嘘をついたところで無駄だったので、蓮は不承不承ふしょうぶしょう肯定した。


霜山しもやまとは言ったが、遊ぶように促した覚えはないが」


 梯亜の後ろに立った徳長とくなが教授が快くない顔をした。


「す、すみません」


「まあまあ、先生、私にも責任の一端がありますし、今回は見逃してもらえませんか」


 梯亜が振り返って変ななだめ方をした。徳長のいる前で、今までスマホゲーをやっていたという証拠を突きつけてしまったことか?


「いえ、先生に責任などありませんよ、私の監督不行き届きが原因です」


 徳長も、学生との不和をまねいたことに責任を感じているのだと判断したようだ。


 ――が、そんなことよりも教授が梯亜を「先生」と呼んだことのほうがインパクトが大きかった。周りがざわつき出す。


「実はこのアプリ、あるベンチャー企業の要望を受けまして、私が開発・納品したものなんです」


 教室内の騒ぎがいっそう大きくなる。


「権利は全て委譲してしまいましたけどね」と付け加える。


「えっ、そうだったんですか? お恥ずかしながら、私もそのアプリをインストールしてみたことがありまして……」


 ――は!? 少し意外だった。ゲームをするようには見えないからだ。蓮は徳長教授に親近感をいだきつつあった。


 しかしながら、ひとには遊ぶな言いつつ自分は遊ぼうとするとは一体どういう了見だ!――と思ったが、もちろん勤務時間外の話だろう。


「初めは高度な人工知能の利活用を題材とした学術的な知見を目的にしていたのですが、その……試しているうちにハマってしまいまして…… 中毒性が高いので今は控えるようにしておりまして、学生たちにも同じように促しております。ですが、吉田先生の作品とあらば話は違ってきます」


 厳しいはずの教授はなぜかこの梯亜にあまい。


 梯亜と徳長は、年齢としては三十から四十ぐらいの差がある。そんな少女に対する徳長の態度が普段より軟化していると見てとった一部の学生らが、「ロリながだ、ロリ長だ」とひそひそはやし立てた。徳長が少女に懸想けそうしているのではないかと勘違いして、もしくはわざとそう断定しておもしろがった。


梯亜てぃあでいいですよ、先生」


 学生らの意を組むかのごとく梯亜が爆弾発言をした。――まぁ、当人にはその意識はないだろうが。


 彼女がアメリカ合衆国への留学経験が長かったということを彼らは知らない。そのうえで、が教授に対してファーストネームで呼んでくださいと言うシチュエーションは、彼らのうわさの種になるには充分だった。


 むろん、梯亜は学生ではないし、徳長教授に想いを寄せてもいない。もっとずっと軽いコミュニケーションだった。そう弁解したところで、学生らの曲解きょくかいが修正される確率は低いだろう。


 だが、そんなくもりまなこを刮目かつもくさせる一幕が、このさき繰り広げられようとは彼らの誰一人として予想できなかった。


「それよりも、今は時間がしいです。園屋そのやさん、ラップトップを貸してください」


 梯亜は園屋からアルミ製のノートパソコンを受け取った。パソコンのロックを解除して、USBポートに白色のケーブルを接続した。


 現在のUSB規格の転送速度は最大毎秒百ギガビットとなっている。


 理論上は、約十ギガバイトのファイルを一瞬で送れてしまう。が、これは有線接続にかぎった話だ。


 最近市場に出まわっている、スマホやノートパソコンといったものにはUSBポートがない。ネットワークインターフェースもない。さらには、イヤホンジャックもない。そういった差し込み口を一切もたない、電源ボタンと音量調節ボタンだけの端末がほとんどなのだ。


 基本的にすべてワイヤレスで処理する。


 電力も完全非接触充電かんぜんひせっしょくじゅうでんと呼ばれる方式により、約五メートル先の対象物に供給可能になった。


 しかし、この伝送方式には盗電とうでんの心配がある。


 現在は五メートルを離れると急激に電力が弱まってゆくため、使用しないときは伝送装置をオフにしておく程度の対処法となっている。が、今後もっと広域に供給可能になると、電力をして送らなければならなくなるだろう。


 昨今では、宇宙に漂うソーラーセイルで太陽光を集め、それをマイクロ波に変換して地球上に送り、電気エネルギーに変えて利用している。いずれは、発明家ニコラ・テスラが夢みた、地球全土に電力伝送する「世界システム」を人類は完成させるだろう。そうなってくると、電気もインターネットのように、否応なく情報セキュリティの波にまれるはずだ。


 差し込み口のないデバイスがはやる時代、梯亜の持っているノートパソコンはかなり珍しい部類に入る。特注か改造品の可能性が高い。もしくはBTO(受注生産。好みのパーツを自分で選択して完成させてもらう)か自作か。


 けれども、ここでひとつ問題が生じる。


 蓮のスマホにUSBポートがないのだ。前述のとおり一般的に手に入るものには、USBポートが備わっていない。


 そもそもの話、ケーブルを介さずワイヤレスで対応すれば良いのではないかと思われるかもしれない。


 だが、これから実施する作業はOSをさわる。最悪、OSを何度か入れ替えることになる。OSはコンピュータの基本となるソフトウェアだけあって、数ギガバイトのイメージサイズを有している。


 そんなものを無線でやり取りすれば、どこかで時間的ロスが発生する。


 そして、忘れてはいけないのは、無線通信には必ず暗号化がつきまとうということだ。データの暗号化と復号の工程が伴うためさらに遅延をもたらす。今は一刻を争うためそんな悠長ゆうちょうな時間はない。


 梯亜は変換コネクタをポケットから取り出す。光信号と電気信号を相互変換するコネクタだ。一見不要そうだが、USBはもはや光ファイバーによる通信方式に変わっている。転送速度の向上と、金属製ケーブルの時代に起こっていたデータの伝送損失を防ぐ。


 コネクタをケーブルに装着した。ノートパソコンから延びているUSBケーブルに変換コネクタのメス側がつながっているかたちだ。


 装着側とは逆のオス側からは、Micro USB の線がにょきっと伸長している。


 梯亜は携帯用の半田ごてとニッパー、合成樹脂プラスチック製のマイナスドライバーを取り出した。コネクタの線の途中をニッパーで切断し、被覆部分をき出しにする。


 それから、蓮のスマホを手に取って、液晶画面の縁にマイナスドライバーを差し込み、梃子てこの原理でもって


「うわわぁー!! なっ、何やってるんだよー!」


 スマホを破壊されたと思い、驚きおののき、蓮は大声を出してしまった。


 金銭的に困っている者にこの仕打ちは、火に油を注ぐようなものだった。


「手は静電気対策をしておりませんが、私は体質的に電気を帯びにくいので――」


「ちがーう! 違うよ! それ、分解して大丈夫なのか!?」


 しかも電源が入ったままだ。


 蓮は液晶画面の持ち上げられたスマホを指して騒ぎ立てた。


「あー、大丈夫ですよー」と梯亜は言いつつ、内部の基盤に対して、変換コネクタの金線を素早く半田付けした。


 鉛とすずの合金の溶ける独特のにおいが漂う。


 そのまま何事もなかったかのようにノートパソコンを操作し始めた。


 梯亜は問う。


「念のためおきしますが、このスマートフォンのデータのバックアップはありますか?」


 梯亜の強引とも見てとれるやり方に不満を覚えていた蓮はすぐには答えようとしなかった。けれども、これだけ周囲の目がある中でだんまりを決め込むのは難しかった。


「いや……」


 代わりにそれだけ答える。


「承知しました。ありがとうございます」


 梯亜は再びノートパソコンに向き直った。


 このスマホはウイルスに侵されている。


 ウイルスもデータだ。以前のバックアップがあれば、今のデータと差分をとってウイルスの全体像を特定することができる。だがそれが望めないとすると……


 デスクトップ下部のアイコンの羅列から、あるアプリケーションを起動する。一瞬で画面が立ち上がる。梯亜のスマホにインストールされていたテキスト編集アプリに、似たようなソフトだった。Shakeシェイク統合開発環境とうごうかいはつかんきょうである。


 数行のディレクティブおまじないを打ち込む。


「対話レベルはゼロ、ブレーンはDNAおよび粘菌のハイブリッド、使用言語はShake、英語、秘密保持レベルはミドル」


 そして、〈request〉に続く波括弧なみかっこのブロックの中に一言だけ、〈Clear the malware issue.〉とつづった。


 それを保存してコンパイルし、即時実行する。


 そんな一行の記述では当然エラーなど出やしない。


《当該スマートフォンの型番を認識。使用者の購入日を特定》


 ノートパソコンから合成音声が流れ出す。先ほどのプログラムには音声を再生する命令文など入れていない。


 一連の作業をていた学生らは、今起きている現象との関連性がちぐはぐに思えて、まるで理解が追いつかなかった。いったい彼女がやっていた作業は何だったのかと。


《購入当時のOSバージョンおよびプリインストールのアプリデータを取得。ストアから当時から現在にいたるまでにリリースされたアプリ一覧を取得。使用者の趣向を解析。インストールアプリを予測。登録済み連絡先、メッセージ、発着信履歴、Webブラウザ履歴、キャッシュデータ、入力データ、Cookieクッキーデータ、テキストデータ、音声データ、動画データを予測。内部データベースを更新、現在のOSバージョンを予測――》


 声はつむがれる。


 ノートパソコンの右上に、ぐるっとヘビのように回転してゆく、赤い進捗プログレスバーが勝手に現れる。


《現在のデータと作成データを照合して差分を取得。マルウェアのパターンを特定。駆除完了。検体を各情報セキュリティ機関に送付。構内システムへのダメージを算出。修復。脆弱性を処理。対処完了。交換が必要なハードウェア一覧をPDFデータで出力》


 PDFファイルのアイコンがデスクトップ画面に生成される。この一覧に書かれている物は早期に取り替えることをおすすめしますというものだ。


 開くと、驚くべきことに、該当する建屋からどこの部屋のどの位置にある物品なのかということまで、すべて細かく記載されていた。色分けによって優先度の高い物を判別できるようにグループ分けされている。さらに、もはや情報処理に関係のない、教室の椅子いすや机、ネジの一本に至るまで記載されていた。


「はははは、まったく素晴らしいですなぁ、これが感覚指向ケノチラミックプログラミングの真骨頂ですか」


 普段の徳長教授が見せることのないであろう、陽気な姿がそこにはあった。


「このように、たった一文の命令で、開発者の思う世界が描けるのが感覚志向プログラミングだ」


 教授の講義が再開した。


「このプログラミングでは、Shakeという言語を使う。基本はディレクティブとrequest文で構成され、簡単な記述でどんな言語でも使える。むろん日本語のような自然言語にも対応している。そして、組まれたソースコードは、吉田よしだ先生が開発された人工知能、miaミアを基に設計されたコンパイラによって実行形式に変換できる。このmiaは、欧州の数物理学者クロード・ダブリエシュ博士の発見した誤謬理論ごびゅうりろんを――」


 カランカランカランとチャイムが鳴った。この壮和大学そうわだいがくでは、教会風のかねを放送で流すという小洒落こじゃれたことをしている。いわゆるミッション系の大学ではないので、本当にファッション要素でしかないが。


「はい、お返しします」


 梯亜が蓮にスマホを渡した。徳長がしゃべっている間に原状復帰げんじょうふっきさせたようだ。


 あおい瞳がきらっと輝く。スマホを渡されるタイミングで不覚にも彼女に見惚みとれてしまった。


「う、うん」


 蓮は曖昧に頷いて下を向いた。今のあかい顔は誰にも見られたくなかった。



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