3 感覚指向 - Startup - a
「みんなバイトとかしてる?」
現在、大学一年の
「
霜山蓮は、この春、高知の田舎から上京して来たばかりだった。
新しい生活にはまだまだ慣れない。
とりわけ家事には苦労させられっぱなしだった。掃除、洗濯、買い物、料理といった、今まで母親に任せっきりにしてきたものがいっぺんに降り注いできたのだ。苦労しないはずがない。
また、両親からの仕送りを元に毎月うまく
大学生になると、高校生の頃より暇をもてあます。カリキュラムが許せば毎日通学する必要はないし、夏休みや春休みはかなり長い。面倒な
強制力が極めて
中学時代よりも、高校時代よりも、いっそう青春を
ゼミの教授が言っていたことをふと思い出した。――大学時代は積極的に勉強に励まないと後悔すると言う大人もいるが、正直、積極的に遊ばないほうが後悔は大きい。図書館に毎日通うのも間違いではないが、学問が
家賃がだいたい五万円ぐらいだ。都内で――二十三区内ではないが――小ぎれいな物件を見つけて一目で気に入った。
家の近くには広い公園がある。なだらかな丘に沿って造られた公園で、緑の芝生と、鏡面仕上げにしていないステンレスの手すりがある石の階段、大きな
大学までは電車に乗って四十分ぐらいかかる所ではあるが、蓮はこの立地と値段に満足していた。
しかし、
両親からの仕送りは毎月十万円ていどだ。
家賃に食費、雑費、スマホの使用料。交通費もばかにならない、学割が利くとはいえ定期代を含めると月八千円はゆく。残りから娯楽費用を
……まぁ、オレはまだマシなほうなのかな。
目の前にいる友達二人は実家ぐらしだったが、他学科の連中に
「俺はコンビニ、こいつは本屋」
午前中の講義が終わり、昼飯を食ったオレたちは、次の時限まで暇だったので大学構内のベンチでだべっていた。
男三人が横一列に並んで座っている。
ベンチの後ろには大木があって、青々とした緑が三人を覆っている。葉と葉が
ゴールデンウィークが明けたばかりとあって、
「夜のコンビニってやなんだよなー、変なオッサンくるし、目つきの悪い連中が店の前たむろしたりしてさー」
スポーツマンタイプの男子学生が
高校時代にラグビーをやっていたらしくガタイがいい。日焼けした肌は男らしく、蓮は自分の、少女を思わせるような色白の肌がうらめしかった。
こいつ、
ちなみに、
「うっわっ、サイアクだなーそれ。うちのほうがマジいいぜ」
もう一人の友達、
ロックバンドのサークルに所属しているせいか、彼のファッションは普段からヴィジュアル系に傾倒している。
今日も、
仕上げに、髪を明るい茶色に染めて、
「先輩が普段からバンドメンバーだっていう意識を高くもっとけよって言うからさぁー」と本人は、自分の意志の
「というかさ、翔太郎が本屋でバイトってなんかシュールだよなぁ」
大樹がハハハと快活に笑った。
「なんでだよ? こうみえても店に立ったらマジメなんだぜ。――そうそう、最近よくうちの店にくる女子高生の
「は!?」と大樹が身を乗り出す。――おい、バカにしてたくせにいきなりどうしたよ、と言ってやりたかった。
「その娘、女の子向けの漫画とか雑誌とか買ってくことが多いんだけど、たまに少年漫画買ってくんだなー。でさぁ、それが恥ずかしいのか、他の漫画とか雑誌の間に重ねてそっとレジに置くんだよ。それがまたいじらしくて……」
「コンビニでエロ本買いにくる客と同じだな」
大樹が余計なことを口走る。コンビニバイトが本屋バイトから受けたボディーブローに対する負け惜しみだろうがこれは言っちゃあいけない。
「は!? ちげーよ、そんなもんと一緒にすんなよ! マジねーわ!」
翔太郎が大樹を
そのまま蓮の
「な、な、蓮、おまえなら
肩に手をついてくる。またか――と、蓮はげっそりとした。
翔太郎は四六時中恋をしているんじゃないかというぐらい、女の子を見るたびに心をゆらしている。
ただ、翔太郎は心をゆらすばかりでは終わらない。好きになった相手には必ず自分の気持ちを告白してきた。今は五月だが、入学してすでに三人に告白している。
告白という一世一代の大勝負を挑めるというだけで翔太郎は尊敬に値するが、回数が回数だけにただのたらしではないかと疑いたくなる。
けれども、いまの今まで翔太郎は告白に一度たりとも成功していない。見事なまでに全て玉砕している。
そりゃあまぁ、接点もないのにいきなり告白するからだ。相手の女の子も驚くことだろう。
だが、翔太郎は完璧なシチュエーションで告白をするのだ。相手が置き忘れたサイフやスマホを届けたときに、風に飛ばされそうになった帽子をキャッチしたときに、雨の日に困っている相手に傘を差し出したときに。――などなど
そこでいきなり告白に移らないで、少し会話を楽しんでから連絡先を訊いてみれば成功率は上がるんじゃないかと思えてならなかった。「そんな格好してるんだから話題は豊富だろう」と言いたかった。
ただ、これを提案しようとしたところ、大樹にやめておけと注意された。何かマズイことでもあるのか?――と思ったが、おもしろ味が減るからアドバイスするのはやめてくれということだった。
大樹は見た目に反して結構ひどい性格をしている。いわゆるスポーツマンシップに反していると感じた。オレがスポーツ選手にいだくフレッシュなイメージを砕かないでほしかった。
しかしながら、翔太郎が恋する、少女たちはみんな本当にかわいい娘ばかりだ。以前、翔太郎から相談を受けた――告白に向けて十全な対策をとりたかったのか――とき、遠目で見た少女は実にきれいだった。くっきりとした目鼻立ちとすっと高い
オレも不覚にもドキッとしてしまった。
翔太郎は本人の見た目はチャラいが、女の子の好みは清楚系らしい。格好だけ見ていると、ギャル系の女の子をかこっていそうな雰囲気しか感じられないが、ひとの好みは外見からだけでは判断できないのかもしれない。
そんな翔太郎が高評価を下す女子高生がバイト先に現れたというのだ。蓮も徐々に気になってきていた。
……いや違うだろう。話が脱線して当初の目的を忘れてかけていた。
「あの、翔太郎のいう女の子のことはホント気になるよ。どんな娘か、今度見にいきたいぐらい。けど、今日はチョット、オレの相談にのってほしいなと……」
「おまえ、俺の恋心をバカにしてるのか!?」などとは言われなかった。
「ま、この話は蓮がきり出したしな。それに、普段から俺の話聞いてもらってるからな」
「わるい」と軽く頭を下げて蓮は続ける。
「オレもそろそろバイト始めようと思ってさぁ。親からの仕送りだけじゃ、この先カツカツになりそうでさぁ……」
「あーそういうことか。遊ぶ
大樹はそうつぶやくと、ボトムスのポケットからシガレットの箱とライターを取り出す。
中央に大きくデザインされた赤い円が特徴的な箱だ。
箱を開けて、半分ほどなくなっている中から一本をスライドして口に
「そうそう、仕送り額も減らしたいし。なんか良いバイトないかなって。大学生活と両立できて、そんな苦じゃなくて、ガッツリ稼げるような」
――と、蓮のこの発言には、二人ともいやいやいやと手を揺らして否定した。
今どきのバイトはそんなに楽じゃない。そんなに簡単ならそもそも仕事として成立しないのだ。誰もがやりたがるからだ。特別な才能や、高度な知識・技術が必要だったり、苦痛だったり、苦手だったり、面倒だったりするから仕事として成立するのである。うなぎのぼりにもうかったり、一攫千金だったりするものには必ずカラクリがある。法に抵触する可能性さえある。
「蓮、うちの本屋で働かね? 店長がちょうど一人探してるみたいでさ」
蓮は少し考え込んだ。この提案はちょっと魅力的だった。本屋なら自分向きだろうし、くだんの女子高生も確認できるかもしれない。
「で、仕事内容だけど、倉庫で荷物の開封作業手伝ってほしいって」
「う…… それって、荷物下ろしたり積み上げたりするんじゃ……」
「あ、まぁ、そんな感じかな……」
翔太郎は言葉を
……あまり体力のないオレ向きじゃないなぁ。レジで働けると思っていたが、これは期待外れだ。
「
「なんッ!? さては、おまえ、俺の女子高生ねらってるな!」
まだ話しかけてすらいないのに、いつから翔太郎の女子高生になったんだ…… 蓮は気づかれない程度に
「オレの体力知ってるだろうに。女子高生のことは気になるけど、まだどういった娘かも分からないし。翔太郎が気になってる女の子をわざわざ狙ったりしないよ――」
「おいッ、聞いたか、
翔太郎がベタベタと抱きついてくる。男に抱きつかれて喜ぶ趣味はないのでやめてほしかった。
「俺、おまえに
蓮の
スカイブルーのカラーコンタクトの入った瞳がまっすぐ視界に映る。ウルフカットにした茶色い髪はキマっていて、フリージアの香水がほのかにかおっている。
蓮と翔太郎はだいたい十センチメートルの身長差がある。恋にトキメク理想的な差だ。
そんな翔太郎に、蓮は不覚にもドキリとしてしまった。が、先に述べたとおり、蓮に男色の趣味はない。翔太郎も冗談を言っているだけだろうが、二人は無言のまましばらく見つめ合っていた。
大樹が
「おまえら大丈夫か……」
ベンチの
「冗談、冗談。俺には心に決めたあの娘がいるからな! 蓮ごめんな!」
「いや、オレもともとそういう趣味ないし――」
「照れんなって」
翔太郎の茶化すような口ぶりにいささか腹が立った。
「は? じゃあ翔太郎はオレとキスしたりヤったりしたいのかよ」
「おい、蓮…… わるかったって、ムキんなんなよ―― おまえのバイト、俺も探してやるからさぁ」
「ったく、翔太郎は余計なことしか言わねぇよなー、だから女に嫌われんだよ」
「なんだと大樹、おまえこそ余計なことばっか言うじゃねーの。あと、年齢イコール彼女いない歴のおまえに言われたくねーわ」
――と発言して、自分もそうだったというある種の絶望感に翔太郎は
「二人とも落ち着こうよ。そろそろ四限始まるし」
翔太郎が革のボトムスのポケットからスマホを取り出して時刻を確認する。
「え? あ、ホントだ。次なんだっけ?」
四時限目の講義科目について問うた。
「
大樹が回答する。
「――って、ヤバいじゃん。
徳長というのは情報処理概論の担当講師だ。そして、蓮たちの所属する情報学部情報工学科の主任教授でもある。非常に気難しい性格のためか、学生たちからは敬遠されている人物だ。
三人は荷物を持つと足早に教室へと向かった。
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