3 感覚指向 - Startup - a

「みんなバイトとかしてる?」


 現在、大学一年の霜山蓮しもやまれんは素朴な疑問を口にした。


れんって、一人暮らしなのにしてねぇーの?」


 霜山蓮は、この春、高知の田舎から上京して来たばかりだった。


 新しい生活にはまだまだ慣れない。


 とりわけ家事には苦労させられっぱなしだった。掃除、洗濯、買い物、料理といった、今まで母親に任せっきりにしてきたものがいっぺんに降り注いできたのだ。苦労しないはずがない。


 また、両親からの仕送りを元に毎月うまくり繰りしていかなければならない。


 大学生になると、高校生の頃より暇をもてあます。カリキュラムが許せば毎日通学する必要はないし、夏休みや春休みはかなり長い。面倒な学級活動ホームルームはないし、全員参加の行事もない。受験から解放されて、勉学の苦しみをあじわう機会もだいぶ減る。


 強制力が極めて緩慢かんまんになる。


 中学時代よりも、高校時代よりも、いっそう青春を謳歌おうかできる瞬間だ。


 ゼミの教授が言っていたことをふと思い出した。――大学時代は積極的に勉強に励まないと後悔すると言う大人もいるが、正直、積極的に遊ばないほうが後悔は大きい。図書館に毎日通うのも間違いではないが、学問が陳列ちんれつする抽象的な知識で得られるものは本当は少ないのだ。百聞は一見にかず。二十歳はたち前後という最も脳が柔軟になる時に、大いに想像の羽をはばたかせ、さまざまなことへ挑戦を繰り返したい、と。


 れんも、大学生になったら精一杯あそぼうと決めていたが、いざそうなってみると、いかんせんお金があまりにないことに気がついた。


 家賃がだいたい五万円ぐらいだ。都内で――二十三区内ではないが――小ぎれいな物件を見つけて一目で気に入った。


 家の近くには広い公園がある。なだらかな丘に沿って造られた公園で、緑の芝生と、鏡面仕上げにしていないステンレスの手すりがある石の階段、大きな東屋あずまやが離れた位置にあるきれいに整備された空間だ。そんな公園からは美しい町並みが臨める。夜になると、建物からもれる明かりが輝いて、まるで星空を俯瞰ふかんしてているような、幻想の中に身をゆだねることができる。


 大学までは電車に乗って四十分ぐらいかかる所ではあるが、蓮はこの立地と値段に満足していた。


 しかし、住処すみかを犠牲にできないとすると、他を削らなくてはならない。


 両親からの仕送りは毎月十万円ていどだ。


 家賃に食費、雑費、スマホの使用料。交通費もばかにならない、学割が利くとはいえ定期代を含めると月八千円はゆく。残りから娯楽費用を捻出ねんしゅつするのはかなり至難だった。


 ……まぁ、オレはまだマシなほうなのかな。


 目の前にいる友達二人は実家ぐらしだったが、他学科の連中にくと、仕送り額が月七万ていどという人たちが多かった。そこまで下がるとマジメに餓死がしするんじゃないかと思えてならない。この豊かな日本でそんなことを鬼胎きたいしようとは夢にも思わなかった。


「俺はコンビニ、こいつは本屋」


 午前中の講義が終わり、昼飯を食ったオレたちは、次の時限まで暇だったので大学構内のベンチでだべっていた。


 男三人が横一列に並んで座っている。


 ベンチの後ろには大木があって、青々とした緑が三人を覆っている。葉と葉がかげをつくり、その隙間から五月のやさしい日がのぞいている。


 ゴールデンウィークが明けたばかりとあって、五月病ごがつびょうで脱落する学生が多い時期だが、三人はそんな感冒かんぼうかかることなく大学に来られていた。


「夜のコンビニってやなんだよなー、変なオッサンくるし、目つきの悪い連中が店の前たむろしたりしてさー」


 スポーツマンタイプの男子学生が愚痴ぐちこぼした。


 高校時代にラグビーをやっていたらしくガタイがいい。日焼けした肌は男らしく、蓮は自分の、少女を思わせるような色白の肌がうらめしかった。


 こいつ、谷口大樹たにぐちだいきは夜勤のシフトでバイトしてるようだ。昼間より多少手取りが良いらしいが、オレは低血圧ゆえ夜は苦手だし、事件に巻き込まれるのもゴメンだった。


 ちなみに、大樹だいきは浪人しているのでオレたちより年上だ。


「うっわっ、サイアクだなーそれ。うちのほうがマジいいぜ」


 もう一人の友達、丹羽翔太郎にわしょうたろうだ。


 ロックバンドのサークルに所属しているせいか、彼のファッションは普段からヴィジュアル系に傾倒している。


 今日も、くび周りがややドレープになった赤いカットソーに、クリンクル加工で過剰なシワのついた惣闇色つつやみいろのシャツ、斬新なキレめの入った黒革のジャケットにパンツとブーツというで立ちだった。さいごの三点はパッと見、やや重厚さに欠ける。本革レザーではなく合成皮革フェイクレザーなのだろう。


 仕上げに、髪を明るい茶色に染めて、真贋しんがんのはっきりしない白銀プラチナのネックレスを下げ、左手薬指に髑髏スカルかたどった指輪をめていた。


「先輩が普段からバンドメンバーだっていう意識を高くもっとけよって言うからさぁー」と本人は、自分の意志のもとでこんな格好をしているわけじゃないよと主張したいようだった。が、翔太郎しょうたろうが自らのセンスで服を選んでいることは誰の目にも明らかだった。女の子にモテたいという一心なのだろうが、失敗していることは言うまでもない。


「というかさ、翔太郎が本屋でバイトってなんかシュールだよなぁ」


 大樹がハハハと快活に笑った。


「なんでだよ? こうみえても店に立ったらマジメなんだぜ。――そうそう、最近よくうちの店にくる女子高生の、めっちゃ可愛くてさぁ……」


「は!?」と大樹が身を乗り出す。――おい、バカにしてたくせにいきなりどうしたよ、と言ってやりたかった。


「その娘、女の子向けの漫画とか雑誌とか買ってくことが多いんだけど、たまに少年漫画買ってくんだなー。でさぁ、それが恥ずかしいのか、他の漫画とか雑誌の間に重ねてそっとレジに置くんだよ。それがまたいじらしくて……」


「コンビニでエロ本買いにくる客と同じだな」


 大樹が余計なことを口走る。コンビニバイトが本屋バイトから受けたに対する負け惜しみだろうがこれは言っちゃあいけない。


「は!? ちげーよ、そんなもんと一緒にすんなよ! マジねーわ!」


 翔太郎が大樹をにらみつける。


 そのまま蓮のもとに寄ってきて言う。


「な、な、蓮、おまえならわかるだろー? この切ない気持ち――」


 肩に手をついてくる。――と、蓮はげっそりとした。


 翔太郎は四六時中恋をしているんじゃないかというぐらい、女の子を見るたびに心をゆらしている。


 ただ、翔太郎は心をゆらすばかりでは終わらない。好きになった相手には必ず自分の気持ちを告白してきた。今は五月だが、入学してすでに三人に告白している。


 告白という一世一代の大勝負を挑めるというだけで翔太郎は尊敬に値するが、回数が回数だけにただのではないかと疑いたくなる。


 けれども、いまの今まで翔太郎は告白に一度たりとも成功していない。見事なまでに全て玉砕している。


 そりゃあまぁ、接点もないのにいきなり告白するからだ。相手の女の子も驚くことだろう。


 だが、翔太郎は完璧なシチュエーションで告白をするのだ。相手が置き忘れたサイフやスマホを届けたときに、風に飛ばされそうになった帽子をキャッチしたときに、雨の日に困っている相手に傘を差し出したときに。――などなど多岐たきわたるが、かわいそうなまでに失敗している。せっかくのチャンスなのに、ずから葬り去っている。


 そこでいきなり告白に移らないで、少し会話を楽しんでから連絡先を訊いてみれば成功率は上がるんじゃないかと思えてならなかった。「そんな格好してるんだから話題は豊富だろう」と言いたかった。


 ただ、これを提案しようとしたところ、大樹にやめておけと注意された。何かマズイことでもあるのか?――と思ったが、おもしろ味が減るからアドバイスするのはやめてくれということだった。


 大樹は見た目に反して結構ひどい性格をしている。いわゆるスポーツマンシップに反していると感じた。オレがスポーツ選手にいだくフレッシュなイメージを砕かないでほしかった。


 しかしながら、翔太郎が恋する、少女たちはみんな本当にかわいい娘ばかりだ。以前、翔太郎から相談を受けた――告白に向けて十全な対策をとりたかったのか――とき、遠目で見た少女は実にきれいだった。くっきりとした目鼻立ちとすっと高い鼻梁びりょうの三つ編みの少女だった。


 オレも不覚にもドキッとしてしまった。


 翔太郎は本人の見た目はチャラいが、女の子の好みは清楚系らしい。格好だけ見ていると、ギャル系の女の子をかこっていそうな雰囲気しか感じられないが、ひとの好みは外見からだけでは判断できないのかもしれない。


 そんな翔太郎が高評価を下す女子高生がバイト先に現れたというのだ。蓮も徐々に気になってきていた。


 ……いや違うだろう。話が脱線して当初の目的を忘れてかけていた。


「あの、翔太郎のいう女の子のことはホント気になるよ。どんな娘か、今度見にいきたいぐらい。けど、今日はチョット、オレの相談にのってほしいなと……」


「おまえ、俺の恋心をバカにしてるのか!?」などとは言われなかった。


「ま、この話は蓮がきり出したしな。それに、普段から俺の話聞いてもらってるからな」


「わるい」と軽く頭を下げて蓮は続ける。


「オレもそろそろバイト始めようと思ってさぁ。親からの仕送りだけじゃ、この先カツカツになりそうでさぁ……」


「あーそういうことか。遊ぶかねないのは困るよな」


 大樹はそうつぶやくと、ボトムスのポケットからシガレットの箱とライターを取り出す。


 中央に大きくデザインされた赤い円が特徴的な箱だ。


 箱を開けて、半分ほどなくなっている中から一本をスライドして口にくわえる。箱をポケットにしまい、ライターでそっと火をける。ふわりと煙のかおりが漂った。


「そうそう、仕送り額も減らしたいし。なんか良いバイトないかなって。大学生活と両立できて、そんな苦じゃなくて、ガッツリ稼げるような」


 ――と、蓮のこの発言には、二人ともいやいやいやと手を揺らして否定した。


 今どきのバイトはそんなに楽じゃない。そんなに簡単ならそもそも仕事として成立しないのだ。誰もがやりたがるからだ。特別な才能や、高度な知識・技術が必要だったり、苦痛だったり、苦手だったり、面倒だったりするから仕事として成立するのである。うなぎのぼりにもうかったり、一攫千金だったりするものには必ずカラクリがある。法に抵触する可能性さえある。


「蓮、うちの本屋で働かね? 店長がちょうど一人探してるみたいでさ」


 蓮は少し考え込んだ。この提案はちょっと魅力的だった。本屋なら自分向きだろうし、くだんの女子高生も確認できるかもしれない。


「で、仕事内容だけど、倉庫で荷物の開封作業手伝ってほしいって」


「う…… それって、荷物下ろしたり積み上げたりするんじゃ……」


「あ、まぁ、そんな感じかな……」


 翔太郎は言葉をにごした。


 ……あまり体力のないオレ向きじゃないなぁ。レジで働けると思っていたが、これは期待外れだ。


翔太郎しょうたろうがそっちやって、オレがレジっていうのは――」


「なんッ!? さては、おまえ、俺の女子高生ねらってるな!」


 まだ話しかけてすらいないのに、いつから女子高生になったんだ…… 蓮は気づかれない程度にめ息をついた。


「オレの体力知ってるだろうに。女子高生のことは気になるけど、まだどういった娘かも分からないし。翔太郎が気になってる女の子をわざわざ狙ったりしないよ――」


「おいッ、聞いたか、大樹だいき! さすが蓮! いいやつ!」


 翔太郎がベタベタと抱きついてくる。男に抱きつかれて喜ぶ趣味はないのでやめてほしかった。


「俺、おまえにれちゃうかもよ」


 蓮のほほに片手で触れて、翔太郎がまじめな顔で見つめてきた。


 スカイブルーのカラーコンタクトの入った瞳がまっすぐ視界に映る。ウルフカットにした茶色い髪はキマっていて、フリージアの香水がほのかにかおっている。


 蓮と翔太郎はだいたい十センチメートルの身長差がある。恋にトキメク理想的な差だ。


 そんな翔太郎に、蓮は不覚にもドキリとしてしまった。が、先に述べたとおり、蓮に男色の趣味はない。翔太郎も冗談を言っているだけだろうが、二人は無言のまましばらく見つめ合っていた。


 大樹がせきばらいをした。


「おまえら大丈夫か……」


 ベンチのそばにある灰皿スタンドに手を伸ばして、シガレットの火をにじり消した。


「冗談、冗談。俺には心に決めたあの娘がいるからな! 蓮ごめんな!」


「いや、オレもともとそういう趣味ないし――」


「照れんなって」


 翔太郎の茶化すような口ぶりにいささか腹が立った。


「は? じゃあ翔太郎はオレとキスしたりヤったりしたいのかよ」


「おい、蓮…… わるかったって、ムキんなんなよ―― おまえのバイト、俺も探してやるからさぁ」


「ったく、翔太郎は余計なことしか言わねぇよなー、だから女に嫌われんだよ」


「なんだと大樹、おまえこそ余計なことばっか言うじゃねーの。あと、年齢イコール彼女いない歴のおまえに言われたくねーわ」


 ――と発言して、自分もそうだったというある種の絶望感に翔太郎はさいなまれるのだった。


「二人とも落ち着こうよ。そろそろ四限始まるし」


 翔太郎が革のボトムスのポケットからスマホを取り出して時刻を確認する。


「え? あ、ホントだ。次なんだっけ?」


 四時限目の講義科目について問うた。


情報処理概論じょうほうしょりがいろんだろ」


 大樹が回答する。


「――って、ヤバいじゃん。徳長とくながちゃん時間にうるさいからなー」


 徳長というのは情報処理概論の担当講師だ。そして、蓮たちの所属する情報学部情報工学科の主任教授でもある。非常に気難しい性格のためか、学生たちからは敬遠されている人物だ。


 三人は荷物を持つと足早に教室へと向かった。



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