2 神の防壁 - Proactive -

「ウイルス対策ソフトはインストールしません」


「は? あの、もう一度お願いします」


 男は思わずき返した。少女の発言の意味がわからなかったのではなく、発言の意図が理解できなかったからだ。


「ウイルス対策ソフトはインストールしません」


 黒髪ショートヘアの少女は繰り返した。


「いやいやいや、お話にならないよまったく。あのね、国の機関っていうのは常に攻撃にさらされているんですよ? 標的型攻撃ひょうてきがたこうげきだってしょっちゅうなんですよ」


 男はバンバンと机をたたいて、世界中で蔓延まんえんしているサイバー攻撃の名前を具体的に挙げた。


 ニュースや新聞で頻繁に取り上げられるため、「ウイルス」や「ハッカー」――略さずに表記するなら「コンピュータウイルス」と「ブラックハットハッカー」か――のつぎに知られるようになった、情報セキュリティの脅威きょういではないだろうか。


 少女は男の態度に萎縮いしゅく気味だった。チョビひげスキンヘッドというシュールな見た目だったが、外見に反して男は厳しかった。


「あと、資料の項番こうばん二『パーソナルファイアウォールは全て無効化します』、そしてその三、『アプリケーションソフトウェアのアップデート等は実施しません。また、OSについても同様に実施しません』、さらに四番目、『パスワードは各ユーザ・各管理者ともに〈password〉という文字列もじれつに統一して利便性を図ります』」


 はぁっとあきれ混じりにめ息をついた。


 パーソナルファイアウォールとは、OS自身やウイルス対策製品が備えている通信遮断機能だ。


 ファイアウォールはネットワーク機器に機能として搭載されているものが基本だ。コンテンツをもつサーバの前に鎮座して「この通信は許可しますよ、あの通信は拒否しますよ」という選別を常におこなっている。


 パソコンでWebサイト(サーバ)にアクセスしてコンテンツが参照できるのは、ファイアウォールにWebページの参照を許可するルールが入っているからだ。


 パーソナルファイアウォールでは、パソコン側にもそういった通信の許可・拒否の機能をもたせることができるのだ。普段意識することはほとんどないが実に細かい設定が可能だ。


「もうなにこれ、おかしーよ、お嬢ちゃん。情報セキュリティめ腐きってるの?」


 男は信じられないという顔つきで、何度も資料を見返していた。他の面々もこれはないなぁと苦々しい表情でうなずいていた。


 暗い木目のプリントされた折りたたみ式のテーブルが、部屋をぐるっと周回している。その前にパイプ椅子いすが並べられていて数人の職員らが腰かけている。


 少女は、そのテーブルの囲みの一辺にり、椅子に座る面々に対して提案ていあんをおこなっていた。


 ここは、経済産業省の外局にあたる政府機関で、来年度のシステム新調リプレースに向けて、調達ちょうたつを実施していた。


 調達というのは、環境の開発やリースを担ってくれる企業を募集することを指す。いくつかの企業を集めて、互いに競争させるのだ。


 提案は、集められた企業が調達元(顧客)に対して、自分たちがどういったシステムをつくるのかということをアピールする活動である。これがうまくゆけば契約をしてもらえるのだ。


 少女はそのまっただ中に立たされていた。


「まだあるよ、『また、情報セキュリティ教育の不足によるヒューマンエラーや、ソフトウェアに致命的な脆弱性ぜいじゃくせいが発見された場合も、これを放置します』」


 職員の男は資料をテーブルの上に投げてた。


「あのね、今月二月は情報セキュリティ強化月間なんですよ、知ってました?」


 常軌をいっした提案に男は嫌気が差していた。


「極めつけは『サーバ室は施錠せじょうせずアクセス性の高さを重視します』 ……こんな提案いらん、うちはもうカードキーでしっかり施錠してるよ!!」


 男はしまいには怒鳴っていた。


「いえ、セキュリティ対策をしないわけではありません。資料の最後に記載しております、弊社製品『Etemeniaエテメニア』を導入いたします」


 少女は少し自信をもって言い張った。が――


「は? これファイアウォールだろ? 我々が素人しろうとだと思ってバカにしてるのか? こんなん一台入れて資料の方式に従ったら十秒以内に情報漏洩じょうほうろうえいしてニュースんなんだろ!!」


 男がファイアウォールと呼称した物は、より正確にはUTMユーティーエム統合脅威管理とうごうきょういかんり)装置というものにあたる。ファイアウォールをさらに機能強化した装置だ。


 彼は、年齢的にも性格的にも言葉遣ことばづかいに豪放磊落ごうほうらいらくなところがあったため、最も言いやすい表現をしたのだ。……仕事に対する姿勢は厳しいが。


「当製品には特殊なAIが搭載されていますので、お客様が懸念なさっているような事象は一切発生いたしません」


「けっ、何がえーあいだ。今はなんでもかんでもえーあいだな、たくよー! じゃあいいよ、てめぇんとこに決めてやっよ。だがな、もしちょっとでも問題起こしたら多額の損害賠償支払ってもらうからな、契約時に何枚も書類かかせっから覚悟しとけ!」


 男にはすっかり周りが見えていなかった。目の前の少女を糾弾きゅうだんすることに必死になっていた。


「はい、承知しました」


 だが、男の思惑に反して、少女は素直に頷いてしまう。


 AIを製品に搭載するといった考え方は珍しいものではない。ウイルス対策ソフトではヒューリスティック技法でソフトウェアの不正な動きを検知し、電子メールシステムであればベイジアンフィルタリングによって迷惑メールを振り分ける、といった具合だ。


 しかし、そうやって検出・分類されてもなお、人間の知覚とAIが判断を下す世界にはずいぶんと乖離かいりがある。ゆえに、フォールスポジティブやフォールスネガティブといった、誤検知やフィルタリングされなかった見逃しが目立つのだ。


「あとな、ちゃんとSLAエスエルエーにも合意しろよ」


 この水準は必ず維持しますよ、という品質保証契約のことだ。たとええば、「システム停止は年間十分以下」というようなものだ。これに違反した場合はしかるべき補償をおこなう必要が出てくる。


「あとな、構築だからって毎日毎日あんま大人数で押しかけて来るんじゃねーぞ」


 男はつけあがり、どんどん無理難題を増やしていった。


「――いえ構築は私一人です」


「は?」


「今回はオンプレミスですので、サーバのラック搭載作業でカスタマエンジニアが何人か入館いたしますが、その日以降は誰一人として訪問することはありませんのでご安心ください」


 この発言にはさすがに答えあぐねた。


 カスタマエンジニアとは、機器の設置・移設・撤去などの、システムエンジニアがやらないハードウェア部分の作業を担う技術者のことだ。略称はCEシーイーとなっている。


 昨今はクラウドがはやりだ。自社ビルの中に物理的に機器を設置するといった、オンプレミスでの運用はすたれつつある。


 男には一般企業の情報システム部門に所属する知り合いがいた。


 そいつの会社でもすでにオンプレミスはやめていて、クラウドを利用しているとの話だった。


 クラウドはインターネットにつながっていれば、どこからでもアクセスが可能なため、危急ききゅうの変更事案が発生したときでもすぐに対処できるという、運用側の便利さがあると言っていた。


 また、安定性が充分に保証されているため、システム停止はほぼないといっても過言ではないそうだ。


 さらに、万が一システム障害が起こったとしても、利用者は「使っているクラウドサービスのせいです」と言って、リスクを転嫁てんかすることができるとのことだ。


 メリットばかりに見えるが、男はデメリットのほうをかなり気にしていた。


 それは、クラウドが情報セキュリティ上の脅威に大いにさらされている点だ。


 クラウドのように、一箇所いっかしょにまとめるといった構成は管理を効率化する。反面、そこが壊滅すると管理下にある全ての要素に伝播でんぱして、数多くのサービス、ひいては大勢の人間に影響を及ぼしてしまう。


 たとえば、ハッカーの攻撃によってクラウド環境が陥落したとしよう。すると、そのクラウド上にあるサーバは軒並み利用できなくなってしまう。クラウドがダウンすることで、サーバがダウンさせられてしまうのである。


 また、クラウドサービスの利用契約は従量課金制じゅうりょうかきんせいであることが多い。通信量に応じて支払い額が高くなったり安くなったりする方式だ。


 定額制もあるにはあるが、運用や損害補填ほてんを考慮すると非常にリスキーなため、サービス提供側は基本的に採用したがらないのだ。携帯電話会社やインターネットサービスプロバイダが、各利用者の通信量が多くなると通信帯域を制限するように、サービス提供社側に忌避きひされる方式なのだ。


 この従量課金制という点に目をつけて、悪意ある第三者が狙いを定めた組織のサーバに何度もアクセスを繰り返す攻撃があると聞く。


 身近なところではWebサーバだろうか。サイズの大きいファイルのアップロード・ダウンロードを立て続けにおこなって通信量を上げ、課金額を跳ね上げる。組織の支出は増加してゆき、やがて損失に変わる。


 自分たちのシステムがこの攻撃の標的になる可能性を考えると、おいそれとクラウドに手を出すことはできなかった。ここは国の機関なのだ。サイバー攻撃の結果だとしても、税金で成り立っている組織が経済的に摩耗まもうさせられたとなれば、責任問題に発展するだろう。


「いやね、ほんとね、今の今まで失礼だと思って言及しなかったけどもう限界だ。あんたね、そんなでどうやって構築するんだよ、いやこっちの都合も合って悪いが、一ヶ月だぞ、無理だろフツー。てか、CEが来る一日で構築? え? 日本語で話してくれるかな?」


 黒い衣服に包まれたからだには、本来あるべき左腕が備わっていなかった。


 ブラインドの下がった大きな窓の向こうには、漂う灰色の雲を背景にして別のビルが立っている。


 唐突に大音量の軍歌が流れる。その音はだんだんと大きくなり、頂点に達すると、ドップラー効果を伴ってくらく小さくなっていった。


「……」


 場の空気はあまりに悪かった。


 いままでのやり取りに加えて、男が放ってしまった差別的な発言、加えて、右翼団体の街宣が最後のひと押しをやってくれた。


 けれども、逆に男はいくぶんか冷静になっていた。


「てかね、今の話だと、ラック搭載しかしてないよね、構築どこいっちゃった? え? 大丈夫ホント? さっきは怒りに任せて契約するって言っちゃったけど、やっぱなしねあれ。このシステム危ないもん。てか、あんたアブねー」


 男は資料をテーブル上から床に払い捨てた。


「帰れ、帰れ」


 心もとない言葉を吐くと、しっしっと手で追い払う仕草をした。


 少女は涙をこぼしながら、静かに部屋を出ていった。


「泣くこたぁねぇのに。まるで俺が悪いみたいじゃないか」


「次長の見た目は恐いですからねー」


 壮年の男がポツリと言った。


「なんだと奥田おくだぁー!」


 思わず立ち上がって部下の発言を叱責する。


「いえ、冗談ですよ。この提案が実現することは常識的にないですし、自分でいた種です、泣くなんてお門違いだと私も思います」


「だよなー。長官のすすめで入札参加資格を下げたら、とんでもねーのがきちまったな。やっぱり、いざってときの補償ができない中小・零細れいさいじゃなくて、大手企業じゃなきゃな――」


 あるていど溜飲りゅういんを下げて座り直したが、難しい顔をして男は腕を組んだ。


 コンコンコン――部屋の扉が三度鳴り、次の提案者が入ってきた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る