クライマックスシリーズ・虹水晶

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虹水晶、解放せり

「我、精霊と契り交わしたる者なり」

 天を覆い隠す木々が幾重にも重なる天然の要塞の中核。人間の身体よりも太い無数の蔦が絡まり合い大きな繭を形成している。

 その根本でエルフィは蔦のうねりの一部に腰を掛けて、手にした竪琴の調べと共に歌うようにして言葉を紡いだ。

 その詠唱に合わせて短錫の先端を掲げて魔力を紡ぐのはシンシアだ。音色と言葉、そして周囲の精霊力を、自身の魔力に紡ぎ直し、ゆらりゆらりとほとばしる光に仕立て上げていく。

「大いなる大樹よ。生まれ落ちては花咲き、結実しては枯れ、また芽吹く。無尽の生命の輪廻によって作られた封印よ。今、その終焉を告げたり」

 それが詠唱の終焉。

 シンシアの光は短錫の先端に集約されると、手の届かない森の天蓋へと矢のような放物線を描いて導かれた。

 残るのは無音。風が木の葉がすれるような音すらしない。

 それでも2人には変化は感じ取っていた。

 溢れるような濃密な緑の匂いが変化している。静かに死にゆく緑、またはその死を感じて新たな命を芽吹かせようとする動き。ほとんど感じられない植物の生命の動きだが、それが匂いになって濃くなったり薄くなったりしていくのだ。

 そして大きな変化はすぐさま訪れた。がさがさと木の葉を分け入るような音が断続的に続いたかと思うとみっちりと詰まり壁となっていた蔦が細くなり、隙間を生じ始めた。重みに耐えきれず、蔦は潰れ落ちていくため、隙間は見えたり消えたりした後、その向こうにある燦然とした虹の輝きが2人の目に届き始めた。

「あれが虹水晶……」

 シンシアは感慨深く言葉を漏らした。

 文献で見ただけのものが、こうして目の前に現れたのだから。

「ようやく御面会だね」

 立ち上がったエルフィはそんなシンシアの顔を覗き込むようにしてそう話しかけた。

「シンシアのおかげね。シンシアがいなければ、虹水晶がこの森に封印されているとは思わなかったもの」

「お互い様だわ。エルフィがいなければ精霊と契約できなかったもの。魔術と精霊術。相反する二つの力が結合して初めて封印が解かれる……人と交わるを良しとしない魔術師、魔術を禁忌とする精霊使い。それぞれのエゴがある限り触れられないなんて。よく考えられていると思うわ」

 古代帝国の遺産、虹水晶。それを追い求めるのは、一攫千金を狙う冒険者であれば誰でも一度は追いかけたくなる伝説の一つなのだ。

「それから、へなちょこな魔術師と精霊使いだけじゃ渡れないような場所ってこともな。勇気ある俺たちも褒めてほしいトコロだぜ」

 だから、こんな後追いで美味しいとこ取りをしようという奴らもいるのは仕方のないことだ。

 シンシアとエルフィが振り向いたそこには男が数人、それぞれに武器を構えてこちらに油断なく近づいてくるところだった。

「こんな秘境まで案内した運賃としたらちょうどいい」

「……エルフィ。危険を冒してここまで連れてきてくれる船乗りは少ないっていうけれど、やっぱりもう少しまともな人を探すべきだったんじゃないかしら」

「まともな人間じゃここにこようなんて思わないよ。金にならなければ私たちを売り払おうなんて考えるくらいの馬鹿じゃないとさ」

 エルフィのせせら笑いには男たちの魂胆などとうに見抜いていたことを示していた。

 だが、男たちとてそれで顔色を変えるほどではない。

「だが、その封印を解くために随分魔力を使ったろ? 魔力が枯渇した魔術師と精霊使いなんざ雑魚と変わりねぇ」

 行け!

 男が指揮すると同時に、会話中も動きをつづけて半円形に取り囲んでいた男たちが一斉に動き始めた。

「わお、馬鹿じゃなかったわ」

 エルフィは驚いた。封印を解くのに魔力が必要なこと。これだけ巨大な封印を解くのには相当の魔力が必要であり、歴戦の魔術師や精霊使いでも力を使い果たすだろうという算段をしているということ。

 が。驚いただけだった。

 エルフィは竪琴を胸元まで持ち上げると、一弦、強く弾いた。それと同時に、聞いただけで命を奪うバンシーの絶叫かと思わせるような金切り声。

「!!!」

 悲鳴を上げて倒れる男たち。

「平衡感覚保てないでしょ。音と平衡感覚って同じところで処理してるのよ」

 吟遊詩人はその音色で様々な影響を及ぼす。それは歌って平和な気持ちにさせたり、闘争心を呼び起こすような副次的なものに限らない。こうして直接的に身体に影響させる行為も可能なのだ。

「ローレライめ……だが、そんな声が全方位に出せるわけもねぇだろ」

 と言っても全員が動けなくなるわけではない。指揮した男はもんどりをうちながらも立ち上った。彼の言うように倒れたのは数人のみ。影響を及ぼせるのは真正面に捉えたごく一部の相手だけだ。

「あら、私を忘れないでほしいわ」

 腰元のポーチから3本の試験管を右手の指の股にそれぞれ挟んで引き抜いたシンシアがそう言った。

 次の瞬間には赤い霧がシンシアの周囲を包んだかと思うと、ゆっくりと海賊と女性二人の間に壁となって広がる。

「この匂いは……!」

 続く言葉はかすれて消えた。

 男たちの顔は真っ赤になって、苦しそうにあえぐばかり。

「シンシアの薬草術、えぐくない?」

「人を裏切って、財宝を取り上げるばかりか、そのまま殺すか、奴隷にして売り払おうかなんて考えているのに、手加減する理由を教えてほしいわ」

「そうねぇ。帰りの船でちょっと肩身狭くなることかな」

 シンシアとエルフィは海賊たちから視線を外し、互いを見てしばらく沈黙した。

「虹水晶を船に積み込んでから襲撃してくるかと思ってたのよ」

「うん、わかる。私もそう思ってた。船に戻ってちょっとでも休憩すれば魔力回復するからどうにでもなると思ってたのに」

 二人の考えでは、海賊ですらも近寄りたいと思わないこの島のことは自分たちに任せるだろうということだった。

 事実、狂った精霊の襲撃は何度もあったし、海賊たちも送り届けるだけだと言っていた。だから全力でこの虹水晶にたどり着き、ここで回復してから帰りの船でのことを考えればすむと思っていたのだが……。彼らの胆の太さ、そして魔力切れを起こす瞬間まで計算する頭の回転は少々予想外だった。

「てめぇら……船に乗れると思うなよ……」

「でも、ほら。そこはお互い様じゃない?」

 吟遊詩人特有の焦りもごまかす、朗らかな演技はずっと2人を救ってきたが、さすがに今回ばかりは浮いて見える。

「エルフィ。ここまできて交渉は無理だと思うわ」

「でも実際のトコロどうする? 内輪もめで秘境から帰れなくなって、揃って心中なんて冒険譚というより単なる馬鹿話よ」

 エルフィはそんな話を山ほど知っていた。一人だけでも運良く帰って来た者が語り継いだ歌は、数百年の歴史に残された数多の歌の中にあったが、生きて帰ってきた彼らの言葉は後悔と憐憫で塗りつぶされていた。さりとてこの海賊たちが自分たちが帰り着くまでにその境地まで思い至れるかと言われるとあまり自信はない。

 シンシアはしばらく考えていたが、くるりと海賊たちに背を向けた。

「戻れないなら、道を切り開くしかありませんね」

 シンシアの目の前に広がるのは、宙に浮く虹水晶。それは物理法則を無視して、空中に浮かんでいた。

 木々も人間の想像を絶する広がりを見せ、これを封印していた蔦でもシンシアの身体よりも太く大きかった。今は見上げるばかりの虹水晶だが、実際の大きさは相当なものだろう。人間の力でこれを運び出せるかどうかすらわからないような代物だ。

「虹水晶は古代魔法王国の核。これ一つで都市が宙へ浮かんだとも」

 枯れ果てた蔦を乗り越え一歩近づくだけで濃密な魔力の波動が漂ってくることをシンシアは感じていた。下手な人間なら魔力酔いでも起こして、後ろにいる海賊と似たような感じで悶えていたかもしれない。だが、その魔力が今は希望だ。

「へっ……封印を解いて魔力が空っぽなのに何ができるって?」

 海賊頭の男は膝をつきながらそう言った。歌や薬草術にさらされた他の海賊はまだ朦朧としているのに、その姿勢をとれるということは相当に頑健か、それともそうした術を瞬間的に防御して軽減できたかだ。それほど生きることにどん欲な人間だ。もう少しすれば、手にしたナイフで2人を切り捨ててしまうだろう。

 それだけの時間もないんだよ。海賊の男の言葉はその意味も含めているように聞こえた。

「どうなるかは私もやってみないと分からないわ。でも、冒険者の端くれが挑戦もせずに諦めると思って?」

 シンシアは静かに言うと短錫を虹水晶の前に掲げた。

「させるか、おい、てめぇら。いつまで寝てやがる!」

 海賊頭の男が叱咤して、ついに立ち上がると、サッシュに挿したままの小型ナイフを投げつけた。

 風を切る音がシンシアの耳にも届くが、それに恐れることはなかった。

「一人でも全員相手してあげるよ」

 エルフィがいるから。

 海賊たちの前に立ちはだかったエルフィは竪琴を構えたそう宣言した。実際のところは海千山千の海賊が束になってかかってこられれば、数でも体格でも劣るエルフィに勝ち目はない。シンシアと二人でようやく五分。それも薬草術や歌の力をフルに利用してだが、それも警戒されている分だけ不利だ。

 こんな戦いは気持ちで負けたらそもそも終わりだ。蹴り飛ばして真上から回転して落ちてくるナイフをそのまま手に収めて構えると、エルフィは見せたことのない戦士としての顔をのぞかせた。

「こっちはドラゴンだって相手したことあるんだから」

「ドラゴン殺しの異名までもらえるってわけだ。お宝は全部いただかせてもらうぜ」

 すぐさま攻撃に入る海賊頭。

 身を固くさせたところで男はステップアウトし、今度はそのままメインに使っていたナイフを投げつけた。

 それもまたフェイントだった。ナイフも投げたとはいえ、非常に緩い放物線を描き、走り出す海賊頭の手に収まる。

 仲間が復帰するまでの時間稼ぎだと気づいたエルフィはすぐさま先程の音波に近い絶叫を上げたが、それすらも男はよけて見せた。一度受けた攻撃だ。十分に警戒していたのだろう。

「くそっ」

 エルフィが叱咤する番だった。

 頭の突撃を紙一重でかわしたものの、頭はそのままシンシアへ突撃していき、自分の元には別の海賊が攻め立ててくる。

「もらった!!!」

「シンシア!!!」

 エルフィと海賊頭の声が同時に響いた。

 だが、急な地揺れにそれらはすべてかき消された。

「!!?」

 シンシアも揺れに対抗できず、腰を落としている。

 走っていた人間などバランスを崩して地に這いつくばるしかなかった。状況はどうなっているか全く分からなかったが、エルフィはすかさず押し倒すようにしてきた海賊を蹴り飛ばすと、揺れに耐えながらもシンシアの元へ戻る。

「虹水晶は魔力の塊なのよ。自分の中に欠片でも残っていれば虹水晶から引き出せる」

「ぐ、ぬ……」

 シンシアは凍りつくような視線を肩越しに、頭に向けた。

 ナイフは振り下ろすだけで終わりのはずだったのだろうが、揺れはひどく振り下ろして切り裂いたのは残念ながらシンシアのローブだけであった。

 それでも諦めきれない頭は腕を伸ばして美しい脚を掴もうとしていたが、それは地面が割れて土壁がそそり立つことによって阻まれた。

 そしてその背と腕を踏み台に、エルフィが猫のように駆け上り、シンシアが伸ばした手を掴んでたどり着くと、シンシアとエルフィはまるで奇跡の再会を果たせたかのように抱きしめ合い感極まった顔で、引き上げた勢いに任せてぐるりと舞った。

 後はどんどん壁は大きくなるばかり、もはや男がナイフを投げても届かないような距離まで、そしてさらに距離は広がり続けていた。

 大地が浮かんだのだ。

「おっさーん、またね!!!」

 エルフィはしてやったりと目いっぱい明るい声でそう言い、大きく手を振った。

 下にいる海賊たちの顔といったら。何やら口汚く叫んでいたが、それも地響きで全く聞こえない。エルフィは舌をべっと出して、ああすっきりしたと空へと昇りゆく大地に両手両足を広げた。


「とはいえさ、これでそのまま帰るの? この浮遊島で故郷まで帰ったら絶対すごいことなりそう」

「そうね。それこそ複数の国がこぞって奪いに来るんじゃないかしら」

 視界は一面青。

 空の淡い青の下には白い雲海が広がり、その隙間から海の濃い青が覗いていた。

 風はごうごうと厳しく、空気は薄く吸い込んでも爽快という気持ちにはさせてくれない。体温は奪われる一方で、二人は身を寄せ合わせないといけないほどであった。

 だがそれも2人なら辛い事でもないし、ほのかに感じる互いの体温は心地よかった。

「伝説はしょせん伝説。自分の宝石箱に入れられないものは、分不相応ってね」

 虹水晶は確かに冒険者として追い求めていたものだ。

 だが、それを目の前にしたら、もう自分の物にしようという気はさらさらなかった。過ぎた力が何を起こすかはエルフィは吟遊詩人としてよく学んでいたし、シンシアも今日まで積み重ねた知識が同じ結論に至らせていた。

「でも、これごと降りたら、この虹水晶見つかっちゃうよね?」

「そう。だから降りるのは私たちだけよ。虹水晶はこのまま空の彼方を彷徨ってもらうわ」

 シンシアの言葉にエルフィは笑顔で答えた。

「エルフィの魔力はもう大丈夫?」

「ばっちり」

 エルフィはそう言うと、竪琴を爪弾くと腕をそっと掲げると、白い綿のようなものがその指先に巻き付き、それは風に紡がれるようにしてどんどんと人間の女性のような形をとっていく。

「風の精霊さん、どうか地面につくまで私たちを守ってね」

 エルフィの言葉に従うように精霊は頷ずくと、すぐに形を失って二人の周りを霞のようにして包み込んだ。

 そして二人は絶壁のふちに2人して並んだ。

「それじゃ、地上につくまで一曲」

「空中で一曲ご披露? すごいわね」

 さすがにシンシアもあきれたが、確かに下につくまで十数分はかかるはずだ。ただ眺めるだけよりもずっと楽しいし、他の人にはまず味わえない経験かと思うと、胸が軽く高鳴った。

 それでは。

 二人は手をつなぎ、残った手には竪琴、または短錫を持ち、軽く跳躍した。

 風が身を包む。

 息もできないほどの風圧。

 そして何物も遮ることのない絶景に二人は身をゆだねた。

 風の精霊はそんな2人を優しく包むと、まるで水の中を木の葉がたゆといながら、水底へと沈むように、ゆるりゆらりと落下のスピードを抑えてくれた。

 厳しかった風も今では味方。2人は空中遊泳を思う存分に楽しんだ。


♪古代の夢は目覚め


 エルフィは頭を横にしたような姿勢て、竪琴を奏ではじめた。

 するとシンシアも短錫をの端に指をあてると、錫の中に細い空気の流れが笛の音色のようにしてなり出した。後は錫の要所にある風穴を抑えるだけで音色が変わる。シンシアの楽器、自鳴笛だ。息を吹き込まずとも魔力の流れが空気を動かしてくれるのだ。


♪遥か未来にはばたかん


 二人の音色は何もない空間を音で満たす。


♪古代の呪いは解き放たれ

♪いずこの果てに消えゆくよ


 別にどこかで作られた詩でもない。打ち合わせた内容でもない。

 自分たちでも適当だと思いつつも、それでも構わないのだ。

 大切な冒険をした証を歌えるのだから。

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