42 精神と時と最悪の部屋

 ヤスエさんからもらった稲荷寿司を食べたらいつの間にかよくわからない場所…空間…そもそもここが実在しているのかもわからない。


 ただ一つだけハッキリしているのは。



「なんかよく分からんが帰るぞ。スズ!!」

「嫌よあっち行ってちょうだい。私は絶対にここに居続けるわ」

「なっ…!?」



 ここにはスズが居る。


 俺はスズの腕を掴んだ…いや、掴もうとした腕はするりと抜けてただ空を切るだけだった。

 しかもよく見るとスズの体が半透明になっており、その瞳には一切の輝きがない。服はボロボロで、綺麗な白髪もくしゃくしゃだ。まあかわいいけど。

 そして首元に目を移すと、首輪にかかった鈴が原型を留めないほどに錆びついてしまっていた。守護けものにおまじないとして付けられた紋様もそこには無い。


 誰が見ても分かるほどに、スズは諦めきっていた。



「話だけでも聞かせてくれないか?」

「出ていって」

「出て行けって言われてもわかんねぇよ」



 俺とスズが同時に見回したが、暗いのか明るいのか…そもそもそういう概念のないかもしれないこの空間では無意味に終わった。

 出方が分からないならスズを説得しても意味がない。早く見つけなければ。



「そもそもスズはどうやってここに来たんだよ?」

「私は雪山で部屋を飛び出した後、フラフラしてたらいつのまにかここに居たの」

「一人だったのか? ここに他の人は?」

「いないわ。それに一人なんて慣れっこだって何度も言ったでしょ」



 スズが床?に座ってどこか一点を見つめながら答えた。

 強がっていたが何かが引っかかっているようにも見えた。



「とにかく出口探そうぜ。昔のアニメでゲームの中に意識を移したプレイヤーが現実で衰弱死する、ってのがあったのを思い出して怖くなっちまった。お前はなんか平気みたいだが俺はこのままじゃ死んじまいそうだからよ」



 スズは何も言わずに立ち上がると勢いよく飛び出した。しかし力が弱っているのかしばらく浮いた後地面に落ちてしまった。



「いっ…たぁ…」

「大丈夫か?」



 俺は尾羽根を整えながら立ち上がろうとするスズに手を差し伸べたが、その手は再び空を切るだけだった。強い念を込めて握ろうとしても同じように空を切った。

 スズがこんなに近くにいて話もできるのに触れることが出来ないのは最早何かの罰なのだかもしれない。

 

 そんな俺をスズはしばらく見つめていたが、何もなかったかのように立ち上がると再び羽を動かして宙に浮かんだ。



「さっさと出口見つけて出るんでしょ? あなたがここから居なくなってくれるなら全力で手伝うわ」

「はいはいあんがとさん。でもいつかはお前も一緒に出てもらうからな」



 スズはわざとらしく耳を塞ぐと地面を蹴って再び飛び出した。


 ____________________



 出口を探し始めてからどのくらい経っただろうか。

 二人で謎の空間を飛んだり走ったりしていたが出口どころかいつもでも同じ空間が続くだけだった。



「ヒデ、うざいからやめて」

「なんか体力が減らないことに気付いたから連続バク転のギネス記録に挑戦してるんだ、応援してくれよスズ。頭にも血が登らないんだ」



 ぐるぐると回転する景色の中で呆れるスズの顔だけははっきりと捉えることが出来た。



「私は行くつもりないけど連れ出すためにここに来たんでしょ? そんなことをしてていいのかしら」

「へぇ、スズからそんな事いうのか。なんだか知らんがお前の顔見て声聞いたらなんか落ち着いちまってな」

「う……」



 なぜだか分からないがその時の俺はとても冷静だった。偶然ここに来る前はスズを現実に連れ帰ることで頭が一杯で他のことなど考える余裕は一切なかった。

 正直ヤスエさんに話されたことはほとんど覚えていない…


 でもどうだ、今はバク転をしながら会話をするほどには余裕がある。スズの顔を見て、そして声を聞いたらこうなれた。



「俺は出口を見つけたら一旦帰ることにする。スズに一人で考えてほしいからな。

 でも絶対にまた戻ってきてスズを説得する」

「好きにすればいいじゃない。私は行かないわよ」

「まあ時間かけてもいつかは戻ってきてくれればいい」

「ふん……」


 ____________



 その後も真面目に出口を探してみたが結局成果はなく、いつのまにか二人並んで座りこんで雑談を始めていた。

 二人きりで他に誰も来れないことをあれほど心配していたのに、今はずっと続けばいいのにとすら思ってしまっている自分が居た。


 やっぱり俺はスズと居たい…


 できる限りは、ずっと……



「アハハ……はぁ」

「ふへぁ……」

「どうしてここに来たんだ? なんか今までもこんな感じのことがあったような気がするがそれとは全く違うよな。少なくとももう俺のことを怪しんだりしていない」



 俺の問いにスズは答えず、膝を抱えて丸まるとため息を付いた。



「答えない」

「……いつかは聞き出すからな」

「そう…いつか、ね」


「ただこれだけは約束しろ」



 唐突に改まった口調になった俺を目を丸くして見つめた。


 これだけはここで言わなければいけない気がした。ここで本心を伝えなければきっと後悔してしまうような気がしたから。


 勇気を振り絞って出す、俺の本心。最近の異様な動悸を止めるためにも今…



「まだここに居たから良いがな、スズが居なくなってから本当に辛かったぞ。

 お、お、お、俺はな、す、スズ、と、い、いっ、いっ…一緒に居られたらな、な、なんか良いなって思うぞ…」

「ん? どうしたのよヒデ。薄暗いここでも分かるぐらい顔赤いわよ」



 バク転しても大丈夫だったのにこういうのはだめらしい。この空間だと物理的要因ではなく精神的要因だと頭に血が上るらしい。新しい発見だ。


 そんなことはともかくまだ俺は言いたいことを言えていない。なんとかごまかして伝えなければ。いや待て。本心をごまかすなんて愚かなことはいけない。


 その時、スズの姿が更に透けているのに気づいた。



「ごめんなさい、ヒデ…やっぱり一緒にいたいっていうのは絶対に叶わないわ。私も少しだけそう思ったことはあるけれど、だめ…」

「だめじゃない。諦めるなよ、楽しいことだってたくさんあるぞ」

「もう遅かったの…それにこうやって話をしていてもお別れが辛くなるだけよ。もう時間も来たみたいだしここらへんで終わりにしましょう。

 大丈夫、ヒデはちゃんと元に戻れそうよ」


「だめだ、だめだ行くなスズ! 行かないでくれ!!」


 なんとか目を凝らしてスズの顔を見ると、何故か少しだけ笑っていた。





「スズが消えたら俺は死ぬ!!!!!!!!!!!!!!!!」






 最後まで言ってしまったところで事の重さに気づいて口を抑えた。もちろん意味はなかったが、図らずもスズが消えるのを止めることには成功した。



「何を言っているの…? 頭おかしくなっちゃったの…? ヒデはタカ達とか他のヒト達と上手くやって満足してるんでしょ? 運にも人にも恵まれてるくせにそんなこといわないでよ。連れ戻したいからって適当なこと言わないでちょうだい」



 スズが言い終わった時少しだけ、ほんの少しだけ姿が見えやすくなったのを見逃さなかった。


 確かに俺は物心付く前に捨てられるという他の人に比べかなり壮絶な人生を送ってきた。それでも今の母親やジャパリパークの人やフレンズたちに出会えて、就職どころか飼育員になるという夢さえ叶えることが出来た。



「よ、よくわからないわ…とにかく早く居なくなってよ!!!!!」

「嫌だ!!!!!!」



 実に頭の悪い問答だった。



「なんか前もこうなった気がするわ。どうして私にばっかり構うのよ。もっと問題起こさないようなフレンズを担当すれば満足でしょ? 私にかまってたらロクな人間には出会えないし損しか無いわよ!」


「別に俺は構わない。俺は飼育員としてどんな状況のフレンズだろうと自立まで添い遂げる責任があるんだ。だから暴力団でもセルリアンでも来てくれて構わない。

 仮に人生の殆どを使うことになっても、生涯の中で大きなものを失うことになってもだ。死んだら何も出来ないが命だって張ってやる」



 本心を言ったつもりだが綺麗事を並べたようになってしまい、スズも同じようなことを思っているのか興味なさそうな目でこちらを見ていた。



「ねえ…どうしてそんなに構うの…?」



 もう独り言なのか聞いているのかわからないような声でそう呟いた。


 先程一瞬だけ、もうここから居なくなってしまおうかと考えたときもあった。それでも俺はここに留まって強引にでも連れ戻すことに決めて居座った。



「正直自分でも…わからん…わからんが…


 なんか……スズのことが気に入ったんだ……そういうことだ。俺の中でタカやキタキツネ達とは全く違う特別なんだ、お前はな。まだ理解できないだろうがまあ人間の一番難しい仕様ってやつだ…」


「気に入る…? ごめんなさい、そういうのは良くわからないわ。どうして私はタカ達と違って特別なの?」



 それを詳しく答えられるような単語や言い回しは日本語にはない…いや世界中見てもないだろうし、あっても言い切ることは絶対に無理だ。


 俺は問いには答えずに、ゆっくりとスズの手に腕を伸ばした。


 すると俺の腕はすり抜けることはなく、スズの腕をしっかりと掴むことが出来た。スズはまさか掴まれるとは思っていなかったのか、呆気にとられた様子だった。



「元の場所に戻ってきてくれ……頼む。物で釣る気もないしここで誓う。お前のことを…」


「もう何も言わないで!」



 そう叫ぶとスズは俺に向かって手のひらを突き出した。

 まあ突き飛ばそうとしたら再びすり抜けてしまっただけなのだが。



「これ以上言われると…みんなのところに行きたくなっちゃうのよ…! だから今すぐ黙ってここから消えて!」

「戻りたいって……! じゃあ一緒に!」



 ずっと聞きたかった言葉だった。

 俺はスズに向かって手を伸ばしたが次の言葉によって全てがなかったことになってしまった。



「私が戻ればみんな死んじゃうの!! みんな!! ヒデも、タカもハクトウワシもハヤブサも!! ミライさんだってそう! きっとあなたのお母さんだって!!」



 俺は何が何だか分からなかった。


 そして訳のわからないままここに飛んできたときと同じ感覚に襲われ、意識が遠くなっていった。



 _________________


 場所は離れホートク地方…


「レッツジャスティス!!」



 怪しい人物がいるという通報を受け、フレンズでも一人では危険かもしれないということでハクトウワシを含む四名が指名されて現場に向かう途中だった。


 ハクトウワシが体を折って急降下を始めると、後に続く三つの影もそれに続いた。


 

「久しぶりに全力で飛んでみましたがやはり良いものですね。図書館とも森ともまた違うこの爽快感……! ん? ゴマバラワシさん大丈夫ですか」



 普段は森での修行か図書館の司書を務めているヘビクイワシだが、この日は特別に上空のパトロールに勤しんでいた。

 そしてそれを苦渋と辛酸の混ぜものでも飲んだかのような表情でゴマバラワシが見つめていた。



「いい顔…いい声……見せてくれると…期待してたのに……楽しんでるじゃない…!」

「ゴマバラワシはよそ見してないでターゲットを確認しなさい。ハクトウワシ、このまま急降下を続けるってことでいいわね?」



 ハクトウワシは少し目を細めて地上を睨むと、視線を変えずに言い放った。



「怪しいニンゲンのゲスト一人が居るってリポートだったわ。ケアフル、クリミナルなら容赦なくぶっ叩くわよ」

「了解。二人も遅れずについてきてちょうだい」

「かしこまりました」

「わかったわ」



 ________________


「ヘイ! ターゲットが見えてきたわ! どうやら迷子になってるみたいね、レスキューするわよ!」

「なんだ、ただの人間じゃない」

「悪い人間かもしれないわよ? かわいそうだけどまずは四人で包囲していろいろ聞き出しましょう」

「悪い人間…ですか」


 ___________



「ん? フレンズか。何の用なの、そんな怖い顔して」

「ごめんなさい。でも私達はあなたを傷つけるつもりはないわ。少し話をしたらヒトのいる場所に連れてってあげる。迷子なんでしょう?」



 四人のフレンズは一人の人間を囲んでいた。

 囲まれている人間はラフな服装の来園客…見た目や言動も変わりはなかった。



「ハハ、羽の生えた子がいっぱい。何しに来たのか知らないけどついでに写真を撮ってくれたら嬉しいな。自分含めてみんなでね」

「写真…どうする? 信用してもいいと思う?」



 ゴマバラワシの声に答えるものは誰も居なかった。


 すると囲まれていた来園客は不敵な笑みを浮かべると、誰も居ない空に向かって静かに言い放った。



「そっちから来てくれないならこっちから行くだけ。大丈夫、すこしサンプルとして君たちの中から二人くらい持ち帰るだけだよ、ヘヘ」

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