3.

「……ごめんなさい」


 敷いた布団の中で幼女は力なくそう言った。


「別にいい」


 床にじかに寝たせいで痛む身体をゴキゴキ言わせながら俺は起き上がる。

とっくに朝である。

 吐いたものを処理した後、疲労困憊ひろうこんぱいのまま倒れるように眠りにつき、気がつけば窓から朝日が差していた。

 トーストをかきこむように食い、身支度を整えると俺は幼女に言った。


「じゃあな、俺は仕事に行くけど何も触るんじゃねえぞ。しばらく寝てろ」


 すぐに警察に連れて行かないのは何も自分の職場に幼女と二人で通勤したくないという理由ではない。いや、それもあるのだが昨日吐いたものを綺麗にしている時(着替えなんてもちろんないので、最近着ていない大きめのTシャツを寝間着代わりに貸した)に幼女が言ったのだ。

 弱った声で、それでも懸命に。


「……警察には連れて行かないで」


 そう懇願していた。

 それに加えて、服を脱がしている時幼女の首に気になるものを見た。

 身体中にある擦り傷に加え。

 首輪を巻いていたような跡が。幼女の首にはあった。

 面倒臭いことになった。

 俺は内心ため息をつく。

 これはまだ予感にすぎないが。

 これは警察のーー、公的権限向けの事態じゃないかもしれないというきな臭いものを感じたのだ。

 いわゆる裏の世界の臭い。

 だが、それと同時に俺の口元はほくそ笑んでいた。

 久しぶりに暴れられるかもしれない気配に、浮き足立っている気分があるのも否定できない事実だった。



「はよーっス」


 職場に入ると高めの声がかけられた。


「おはよう。蕗島ふきしまくん、今日は早いんですね」


 職場の華であるところの追分おいわけサキが皮肉の混じった敬語と共ににっこりと笑って挨拶してくる。


「なんだよ追分。それじゃ俺がいつも遅えみたいじゃねえかよ」


「実際いつも遅刻ギリギリじゃないですかー」


 ニコニコと朗らかではあるが容赦のない言葉に俺は苦笑いを返す。


「こいつあ手厳しいね。名護なごってもう出てきてるか?」


 俺は同期である一人の男の名を口にする。

 俺と追分、名護は同期の間柄で、立場を気にせず話せる貴重な関係である。


「うん、もう出てきてるけど。外にコーヒーでも買いに行ったみたい」


 口調を普段のものに戻すと、追分はそう言った。


「そーか。じゃまあ一応戻ってきたら声かけてくれるか?のことで俺が用事あるって」


「りょーかい」


 そう言って微笑む追分に俺は軽く手を振り、窓際の自分の席に着くと今日の業務確認を始めた。

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