第16話 実技試験、開始

1

「ひゃぁぁぁぁあああぉぉぁぁあああッッ?!??!?!」



 突如頭上から降り注いだ冷水に、マリスタはたまらず悲鳴を上げて身を縮ませた。



 急に動いたもので床のタイルでズルリとすべり、素肌すはだがむき出しの背中と頭を背後の壁にしたたか打ち付け、しかしおかげで転倒てんとう回避かいひする。

 容赦ようしゃなく流れ出る冷水にうめきつつ手を伸ばして武骨ぶこつなバルブをひねり、なんとかシャワーを止めた。

 緊張で張りつめていた心が、幸か不幸かわずかにゆるむ。

 マリスタは大きくため息を吐いた。



 改めて、温水のバルブをひねる。

 寝起きだというのに呼吸は浅く、起きているのに現実感はない。

 夢の中にいるようで、それでいてひねったバルブの感触・形など、どうでもいい細部の記憶はやたら鮮明で。

 そんな不思議で不快な感覚の正体が「緊張」であることなど、今日初めての実戦をむかえる少女には知るよしもなかった。



「……あーもー! なんでこんな落ち着かないんだ私!」



 早々にシャワーを切り上げて水分をふき取り、服を着て、ローブにそでを通す。鏡台きょうだいを見ながらかみを整え、グッとまゆをつり上げて、映る自分の顔をにらむ。

 その顔は気迫に満ちている――ように、マリスタには思えた。



(……義勇兵ぎゆうへいコースに入って、一カ月以上。やれるだけのことはやってきたわ。後は私らしく、全力でやるだけ。――――頑張がんばろう、実技試験じつぎしけん!!)



 今日は実技試験当日。



 これまでついやしてきた鍛錬たんれんの成果が試される日が、とうとうやってきたのである。



「よしッ!」



 意気込みも十分に、マリスタは寮室りょうしつのドアを開ける。

 現れた景色は当然見慣れた女子じょしりょう廊下ろうかだったが、それさえも今日は違った風景のようにマリスタには思えた。

 一歩をみ出し進行方向に目をると、そこにはこれまた見慣れた桃色ももいろの髪の少女、パールゥがいた。

 ちょうど反対側の通路から歩いてきたところのようである。



「おはよ、パールゥ!」

「あ、おはようマリスタ。ふふ、気合十分みた、い――――――――?!?!」



 にこやかにあいさつを返そうとしたパールゥが眼鏡をずり落としながら目をむく。

 久しく見たことのない物静かな友人の見開かれた目に、マリスタはぎょっとして立ち止まった。



「うわ?! ちょ……何さ人を見るなりその顔は」

「ま、まままま――マリスタ! 気付かなかったのソレッ!?」

「へ? 気付かなかったって、何に――――」



 顔を赤らめて動揺どうようするパールゥの視線に導かれ、マリスタは己の体に視線を向ける。



 友人の動転どうてんの理由は、すぐに知れた。



「な――――――」



 ローブの下。マリスタはシャツこそ着ていたものの、下半身にはパンツ一枚しかいていなかったのである。



「にゃああああッ?!?!!」

「そ――そんな叫んだら人来ちゃうからっ!!」



 今度は寮棟りょうとう全体に響き渡る絶叫ぜっきょう

 パールゥは申し訳程度に下半身を手で隠してゆでだこのようになって固まっているマリスタの背中を押し、とりあえず部屋の前まで連れていく。魔石ませきに手を当て、マリスタは飛び込むように自室内に消える。

 パールゥは玄関げんかんぐちに体を差し入れ、苦笑しながらマリスタの様子をうかがった。



「ほ、ほんとに気付いてなかったんだね……マリスタ」

「や、な、なんというか……ホント、ここでアンタに会えてよかったわ、パールゥ……ありがとね。パンイチでエントランスに降臨こうりんするところだったわ」

「お、面白すぎるね……違う意味で学校に来れなくなるところだよ」

「アハハハーァ。笑えないわ。…………うん。これでよし、っと」



 かざり気のない黒のスウェットパンツをき、ローブのすそはずませながらピョンとパールゥの前に飛び出てきたマリスタは、照れ笑いを浮かべながら再度、くつを履く。



「うん。今度は大丈夫――というかマリスタ、ナタリーはどこに?」

「ルームメイト様は朝お早いので。特に今日からはホラ、実技試験の日だし」

「あ……そっか、報道委員ほうどういいんだもんね」

「……でも、はぁ……私、自分で思ってる以上に緊張してるみたい。いくら試験とはいえ、命がかかってるって思うとね」

「そうだよね。……死なないでね、マリスタ」

「え、縁起えんぎでもないこと言わないでよ……でも、逃げたりするのって評価的にどうなのかな。大幅おおはば減点げんてんになったりして?」

「そんな……ことも、ある、のかな? 義勇兵コースのことは、よく分からないし。でも、応援してるからね」

「ありがと。それじゃあ、集合早いから先に行くね!」



 転移てんい魔法陣まほうじんでセントラルエントランスへ移動すると、マリスタは足早あしばやに別の魔法陣まほうじんへ飛び乗る。

 光に包まれ消えていく友人を少しだけ笑いながら見送り――パールゥは、きゅ、とスカートのすそを握りしめた。



「……ほんとに、気を付けてね。マリスタ……アマセ君」




◆     ◆




「あ。パールゥ! こっちこっち! 席取ってるよっ」

「あ。……んしょ、んん……っと。ありがとう、システィーナ。早くから来てくれてたの?」

「早くから来てたのはあたし。感謝ならあたしにしなよねー」



 人込みを抜けてきたパールゥへ向け自慢気にヒラヒラと手を動かすのは、いつかマリスタといがみ合いを繰り広げていた、くせっ毛の金髪を持つグリーンローブの少女。



「エリダちゃんだったの。ありがとう」

「どってことないわよ。あたしは実技試験の観戦となったらいっつも、このテーブルって決めてんだから」

「食堂の合鍵あいかぎを勝手に作っちゃうくらいだからね」

「ダマッッッッッッてなさいよシータあんた!! 秘密って言ったでしょそれは!」

「じ、事実を言っただけじゃないのよっ!」

「ほらエリダ。イジメないの」



 シータと呼ばれた、小柄な少女の茶髪をがしがしと押さえつけるエリダを、システィーナがたしなめる。

 エリダは「ふんっ!」と鼻を鳴らし、最後にぐわしっとシータの髪をで付け、手を離した。



「んはは~、ま、とくとーせきだからな、ここは!」

「そうねぇ。なんだかんだいつも席取ってもらってるし、とやかく言えないわね」

「さすがシスティーナにパフィラ! 相変わらず懐が深いわねー人生楽しく生きなくっちゃ」



 エリダに抱き寄せられ苦笑いするシスティーナと、八重歯やえばのぞかせて照れ臭そうに笑う、底抜けの明るさをまとったグリーンローブの少女、パフィラ。

 そんな三人のやり取りを、小さいが良く通る声がさえぎった。



「私は……楽しい気持ちにはなれない。あんまり」

「う、うん……それは私も、同じかな」



 大人しい顔付きの少女が、肩の高さでそろえた黒髪を揺らしながらつぶやいた言葉に、パールゥも首肯しゅこうする。

 エリダが顔をしかめた。



「パールゥとリアも相変わらずよねぇ。たまのお祭りだってのに」

「人が死ぬかもしれない、ね。私は乗り気にはなれない」

「うん……」

「……ま、そう言われりゃあたしも強要はしないけどっ」

「でも確か、プレジア開校当時の一回だけだって話だったわよね、殺しがあったのは」

「シータ、もう少しオブラートに包もうよ……」

「だから事実でしょ、聞きたくないなら耳ふさいでればいいわ」



 ツンとした顔でシータ。

 パールゥは言い返せず、シュンと黙り込んでしまう。

 システィーナがパールゥの頭をで、エリダは「あんたね……」とシータをにらんで顔をしかめた。構わずシータが続ける。



「試験の監視かんしにだって、今は試合会場に先生一人と現役のアルクスの人が一人付くんだし、死人なんてそうそう出ないんじゃない? じゃなきゃこんなに盛り上がることも無いわよ。――あーあトトカルチョ賭け事も始まってるわ、あっち」

「うわ、ホントだ。いよいよ祭り染みてきたってカンジね……開会式まであとどのくらいだったかしら」

「あと二十分くらいじゃなかったっけかな~? あっ!! ねエリダ、シータ、みんなも! 中継ちゅうけい、もう始まってる!」

『!!』

 


 食堂にあふれる視線が一斉いっせいに、かべの一角へと向く。

 巨大な壁に特設とくせつされた四つの魔石ませきが共鳴し、うす藍色あいいろをした長方形の力場りきばを形成、そこに記録石ディーチェで映された大演習場だいえんしゅうじょう――試合会場が映る。



 マリスタの姿は、すぐに彼女らの目にまった。

 エリダが叫ぶ。



「いたいたっー! ねえみんな、あれマリスタ――」

「…………マリスタ、だけど」

「んん?? なんか様子ヘンくね?」



 パフィラが広い額の下で、大きな目をぱちくりさせる。

 リアも同じく映像に映るマリスタを見上げ、まゆをひそめた。

 皆が一様いちように、マリスタの姿に目をらす。



 マリスタは、彼女たちの目にすぐに飛び込んできた。

 というのも、マリスタだけが映像の中を――大演習場だいえんしゅうじょうを落ち着きなく、ぐるぐるぐるぐると歩き回っていたからである。

 視界の中で動いているものに視線が生きやすいのは、人間のつね

 歩き回ってはどこか一方に視線を飛ばす、そんなことを何度も続けているマリスタが、食堂内で――恐らくは、大演習場内でも――悪目立わるめだちしているであろうことは、少女たちにも容易よういに想像できた。

 システィーナが苦笑する。



「あの子、たぶん……メチャクチャ緊張してるわね……」

雰囲気ふんいきに飲み込まれてる」



 リアがうなずき、静かに同意した。



「これだけの人が見てるんだもん、そりゃ緊張もするわよね」

「こんなに人に注目されるの、たぶん初めてだろうし……うう。私がマリスタの立場だったら倒れちゃうかもしれない」

「……こう言うとアレだけれど。一回戦で消える顔してるわよね」

「シータあんたね!!!!」

「うーん。でも実際、その可能性は高いでしょうね」

「システィーナコラっ!!」

「うおー。あいてが弱っちなことをいのるだけだなー」

「ま、まぁでもっ。勝つことばっかりが、この試験の評価ひょうか項目こうもくじゃないんだし……」

「えー? そうなんだっけ?」



 パフィラがポカンとした顔でパールゥを見る。

 「あ……」と一瞬困惑こんわくの表情を見せたものの、パールゥはくい、とメガネのフレームを持ち上げ、口を開いた。



「えっとね……実技試験じつぎしけんは、確かにトーナメント形式で行われるから、どうしても勝ち負けがついちゃうんだけど……負けちゃった人が、必ずしも悪い評価になっちゃうとは限らないの」

「んー?? 負けちゃった人がいいひょうかになんの?」

「パフィラあんた……毎回一緒に見てたのに、そんなのも分かってなかったの?」

「んははー! 私勝ち負けしか見てなかったから!」

「なんじゃそりゃ……」

「ふふ。まぁ、見方は人それぞれよね」

「つ、続けるよ?……実技じつぎ試験しけんの評価項目は沢山たくさんあるの。具体的には……えっと。魔法術まほうじゅつ、判断、分析、回避かいひ……後は――」

白兵はくへい

「そう、白兵」



 パールゥの言葉をリアが補足ほそくする。

 シータが首をかしげた。



「白兵?」

近接きんせつ戦闘せんとうのことね。格闘術かくとうじゅつだったり、武器を使った戦い、武術ぶじゅつの能力の評価」

「はえー……でもさぁ、ただ戦うだけなのにそんなはんだんとかぶんせきとか、いんの?」

「バカね、パフィラってば。プレジアが育ててる義勇兵ぎゆうへいは、そのへんの一般人いっぱんじんから募集ぼしゅうした兵士とはワケが違うのよ? 魔法まほうを交えたいろーんな大きさの戦闘を想定した、戦闘のプロなんだから。そりゃ色んなとこから評価ひょうかするでしょうよ」

「エリダの言う通りね。義勇兵は戦闘のための少数精鋭せいえい部隊ぶたい。相手が人間か魔物まものか、はたまた召喚獣しょうかんじゅう要塞ようさいか。他には人数、戦場の広さ、相手の能力・弱点……そういったことを瞬時に考えながら戦わないといけないからこそ、様々な評価項目があるの」

「……詳しいのね、システィーナ」



 リアが言う。システィーナは「多少はね」と言い、再び映像を見上げた。



「義勇兵コースには、マリスタ以外の友達もいるから。どんなことをはかるために、こんな危ない試験をしてるのか、ちょっと知りたくなっちゃってね」

「…………」

「…………ああ、そっか。もしかしたら私、理由が欲しかったのかもしれない」

「理由?」

「うん。たくさんの人がいる中で、どうして私の友達が、自ら進んで、命を落とすかもしれないコースに所属しょぞくしてるのか、って。どうして戦わなくちゃいけないのかな、って」



 再び、映像にマリスタが映し出される。システィーナは目を細めた。



「もし、戦わずに済むんだったら……争いなんかせずに、安全に暮らしていける方が、絶対にいいじゃない?」



 その言葉に、パールゥの視線は映像からシスティーナへと移った。



(……本当はずっと、マリスタを止めたかったんだろうな)



「お、アマセ君映った!!」

「くー相変わらずカッコいいわねアマセ君ってば! なんでこう映りがいいんだか!」



(……考えたことなかったな、私は。ただただ困惑するばっかりで)



 皆に次いで、パールゥもゆっくりと視線を上げる。

 映っていたのは、いつもの赤ローブに黒いシャツとズボン、そして新調しんちょうしたらしい黒い手袋をはめている金髪の少年の姿。



(…………自分の気持ち、ばっかりで)



「――、頑張がんばって。アマセ君」



 ――いた気に押され、口から声援をらす少女。

 けいは映像を一瞥いちべつするとすぐに背を向け、映像に映らない場所へと姿を消す。

 パールゥは、手元でぐっと両拳りょうこぶしを重ね、にぎめる。



 私の声は、あの人の心に少しでも届いているだろうか、と。



「んお? そいえばさー。演習場えんしゅうじょうのまわりにあるのって、もしかして……観戦席かんらんせき?」



 パフィラが目をらし、記録石ディーチェが映す映像の背景を見つめて言う。



「そーよ。あたしらは危ないから近寄らないの」

「危ないの? だって、演習場はしょーへきで守られてんでしょ? 近くで見れるならわたし行きたい! あんなにガラガラなんだし!」



 パフィラが観客席を指して言う。

 指摘してき通り、だい演習場えんしゅうじょうに備え付けてある観戦席に足をみ入れている者はまばらだ。一見、なにかしら試験の関係者なのではないかと見紛みまがう程である。



「はー……知らないの? それとも忘れてるのかしら。パフィラってたまにボケボケよね」



 大きなため息をつきながらシータ。

 パールゥが苦笑した。



(い、いつもな気もするけどなぁ……)

「いい、パフィラ。大切なのはその、『観戦席がガラガラ』ってことよ」

「ん??」

「この広い食堂でも、こんなに人がごった返してるのよ? それなのに、大演習場に一番近い観戦席がガラガラ……そんなの不自然よねぇ?」

「うん、だから行かないのはオカシイって言ってんじゃんかー、わたしー」

「~~、だから、その『あんまり人がいない』理由を考えてみなさいよって言ってるのだけど」

「ほら怒んない怒んない。ゆっくり説明してやんなさいよ、シータ」

「なんでそんなことを私がっ」

実技じつぎ試験しけん。たまに、すごい魔法まほうのぶつかり合いが起こるよね」

「ぅえ? リア」

「演習場の周りに障壁しょうへきはあるけど……昔、あの障壁が、試合の途中に破られることがあったの」

「ええ!??! びびった!!」

「忘れてただけでしょうよ、あなたは……」

「どーどー、よしよし落ち着きなさーい」

「あのね……その子どもあやすみたいなのやめてくれるかしら、ヤンキーさん?」

「だーれがヤンキーか!」

「ほーら。ミイラ取り」

「その時、魔法の余波よはが観戦席も巻き込んで、けが人が沢山、出たんだって」

「うわ……わたし行くのやめた!! あんぜんだいいち!!」

「それがいいわね。義勇兵ぎゆうへいコースの人達は、文字通り命をけて戦ってる。試験評価のために先生と、アルクスの人が監督官かんとくかんとして付いてくれるけど、命の保証はそれだけ。だから……観戦席に被害が及ばないとは限らない。だからあそこに行こうとするのは報道ほうどう委員いいん風紀ふうき委員いいんか……じゃなければ、よっぽどの無知か命知らずだけってこと。……でも」



 システィーナが目線を下げる。



「今回ばかりは、確かにあっちの方が・・・・・・いいかもしれない・・・・・・・・わね」

「え――」



 ドシン、というにぶい音が、食堂内で鳴り響いた。



『!?』



 少女達が音のした方向を見る。

 人だかりの中央には、苦悶くもんの表情を浮かべて倒れているレッドローブ、そしてグリーンローブの学生の姿。彼らは二人とも、



「け――ケネディ先生!?」



 国史こくしの教師、ファレンガス・ケネディによって腕を取られ、床に押し付けられていた。

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