第15話 芽生えの日

1

「助かったわぁ、ありがとねアマセ君。お礼しちゃうから、今度、夜中に医務室へおいで?」

すみません、ふざけるなよ夜中は寝ているので性悪女。俺がどれだけ無理です苦労を

あら、そうだったの?はん、タマの小さな奴だ。残念だわ、いつもお秘密にはああして答え世話になってるお礼がを与えておく方が怪ししたかったのにまれないんだよ

すみません、そうかそうかまたの機会に、くたばれ。

「つれないんだから……」

「……………………」



 まる。まる。ばつ。ばつ。まる。



 シャノリアは自分のデスクで、受け持ちの教科である魔法学概論まほうがくがいろんの採点を機械的に進めながら、向かいのほど近い場所に位置する魔女リセルと天瀬圭あませけい――もとい、パーチェ・リコリスとケイ・アマセの会話に耳をかたむけまくっていた。



 筆記試験が終わり、一週間。

 実技試験じつぎしけん間近まぢかに迫っているというのに――圭とリセルに対するモヤモヤは、シャノリアの中で膨張ぼうちょう一途いっとをたどっていた。



 モヤモヤのはじまりは、二週間前の図書室で浮上ふじょうした「疑惑」。

 プレジア医務室いむしつつとめ、そのグラマラスな体と蠱惑的こわくてきな態度からFCファンクラブまで結成され、出回る写真には学内で一、二を争う高値がついているといううわさ校医こういパーチェ・リコリスが、突然プレジアに転校してきた美男子びだんしで、ナイセスト・ティアルバーをかしらいただく風紀委員会とたった一人で全面戦争を繰り広げる構えを見せている、同じく写真や映像が裏で高値で取引されているらしいレッドローブの学生ケイ・アマセとの間に、教師と学生の一線を超えた交わり・・・があることをほのめかした、という内容である。



 書籍整理の為に一時いちじ図書室が閉鎖へいさされる事態にまで発展し、筆記試験前の学生全員に最大級の害悪がいあくとして認知されたこの疑惑は試験期間中も学校中をめぐり、挙句あげく教職員、初等部しょとうぶ、果ては年少クラスの保護者の末端まったんにまで知れ渡ることとなってしまった。



 報道委員会ほうどういいんかいの面々は筆記試験の勉強を不退転ふたいてんの決意でもって捨て置き、飢えた肉食獣にくしょくじゅうごとくにただ真実を求めて圭とリセルに対する取材・張り込み・ストーキングを続け、一部が風紀委員ふうきいいん拘束こうそくされまでしたが、試験期間終了後にリセルが取材に応じて関係を否定ひていしたこと、報道委員達の試験を捨てた決死の調査によっても証拠しょうこが上がらず。

 徐々じょじょに疑惑に対する学内の興味は下火したびとなり、現在ではごく一部の者たちが疑惑についてささやき合う程度ていどである。



「………………」



 当然シャノリアは、その「囁き合う者」の一人であった。

 彼女の心を占めるのは、「本当に何もなかったのか」という純粋じゅんすいな疑問であり、また男女問わず目線をき付ける抜群ばつぐんのスタイルを持つパーチェ・リコリスへの嫉妬しっとでもあり、ケイを最初に保護した者としての親心――圭に悪い虫がついてはいけない、といったたぐいのものだ、と本人は思っている――でもある。

 果たして、こうして目の前で親し気に会話をする二人を見るにつけ、シャノリアの疑問はふくらむばかりであった。



 とはいえ、校医こういパーチェはシャノリアにとって、老若男女ろうにゃくなんにょ誰に対しても親しみの持てる態度で接する人物でもある。

 そして圭の態度も、一部の親しい者に対する無礼ぶれいな態度でなく、一応敬語を使ってはいる(ように、シャノリアには見えてしまっている)。

 それらの点もあり、シャノリアは己の「あの二人には何かあるはずだ」という疑いに確信を持てずにいた。



(でも、だって。八百人はいるプレジアの学生の中から、仕事の手伝いのためにわざわざケイを呼びつけたりする? 何かなきゃおかしいじゃない)



 ……逆に言えば呼びつけられない理由もないのだが、テストの採点の仕事もたまってしまっているシャノリアの頭に、そのようなことを考える余裕はない。

 そしてそんな疑問を当人たちにぶつける度胸どきょうも、また持ち合わせてはいない。結果、シャノリアは半眼はんがんでリセルと圭のやり取りをながめつつ、まる、ばつ、まる、まる、とよどみなく採点さいてんを続けるより他にりようがないのであった。



 やがて仕事と軽口かるくちのやりとりも終わったのか、圭が職員室を出ていく。

 ひらひらと手を振って見送っていたリセルはそのまま、まるで初めから気付いていたかのようにシャノリアの方を向き、意味ありげな笑みを浮かべて同じく手を振ってみせた。

 ぎょっとしてデスクに視線を戻すシャノリア。



(………………ほら。やっぱり何か、オカシイ)



 何かがある。

 でも何もない。



 シャノリアのモヤモヤは、こうして拡大再生産かくだいさいせいさんされていくばかりだった。



随分ずいぶんと気にしてんだねぇ。あの二人のこと」

「っ!?!」

「うおっ。そ、そんなに驚くことないだろ」



 急に話しかけてきた男性。

 茶色を基調きちょうにした服に、黒いローブがえるその男は、国史こくし担当教師、ファレンガス・ケネディである。

 大きく息を吸い込んで、シャノリアが居住いずまいを正す。



「あ。あの二人って……なんのことですか」

「いや、あれだけガン見しててそれはねえだろ」

「うっ。や、やっぱりガン見してましたか、私」

「穴でも開きそうなほどにな。まさかとは思うが、先生あいつにおネツなんじゃ――」

「お、お熱だなんて! 私は、彼の身をあずかった身として、」

「あぁ、そうだったな。身持ちのかたいシャノリア先生に限って、そんなワケねぇか? いやぁでも、あんなに顔が良い奴なんだ、実際フラッときたこと、一回くらいあるんじゃねぇの?」

「ケネディ先生。それはセクハラ」

「う゛、」



 助平すけべえな茶色が苦い顔をして振り返る。

 ファレンガスに声をかけた初老しょろうの男――魔法生物学まほうせいぶつがく担当教師、アドリー・マーズホーンは、数えるほどしかない髪の毛を頭頂部に揺らしながら、細い眼鏡の奥にやわらかな笑みを浮かべた。



「ありがとうございます、マーズホーン先生」

「ったく、相変わらずおカタいハゲジジイめ……」

「ケネディ先生。暴言です。うったえますよ」

「わァりましたよ、悪かったですよ」

「よろしい。――まあ、僕もアマセ君の顔立ちに関しては、完全に同意しますがね。もう随分ずいぶん生きてきましたが、あんな美男びなんには滅多めったにお目にかかれるものではない」

「むしろ、俺ァ整いすぎてて恐ろしいと感じることもあるくらいですよ。あんな見てくれなもんで、授業中だって女子連中の視線の集め方がスゴいのなんの。やー、あやかりたいもんです」

「ふふふ、僕の授業でも似たような風景ですね。なんでも図書室の騒ぎも、彼の交友関係についてのものだったと言うじゃないですか」

「そうだ、その話をしていたんだった。もう騒ぎ自体は鎮火ちんかしかかってるらしいが……実際の所、あの話ってマジなの? パーチェ先生」

「ちょ、ケネディ先生、本人に直接くのは――」



 己の心の平穏へいおんのためにと慌てて止めようとしたシャノリアだったが、時すでに遅し。ファレンガスの声を聞いたパーチェは、待ってましたと言わんばかりに三人の方を向き、目を細めてにんまりと笑った。



「さあ、どうでしょう? どう思います? シャノリア先生?」

「へぇっ?! ど、どうしてそんなわ、私に訊くんですか!」

「えぇ? うーん。なんとなく?」

「やめてくださいます?! 私はただの――」

「そう、シャノリア先生って、アマセ君の保護者みたいなものなんでしょう? だったらきっと、アマセ君の一番の理解者はシャノリア先生なんだろうなぁっって。今回は私が何故か・・・槍玉やりだまにあがっちゃいましたけど、本来だったらアマセ君との疑惑が真っ先に報じられるのは――」

「な――――っ!?」

「パーチェ先生。それは邪推じゃすい

「あら。アドリー先生に言われては引き下がるしかありませんわ」



 口元に手を当て、にこりと笑うパーチェ。シャノリアは大きな虚脱感きょだつかんに襲われ、ため息をついてうなだれた。

 なんだか顔が熱かった。



「それとも、アマセ君じゃなくて……私が取られるのがイヤだったんですか? シャノリア先生は」

「引き下がってないじゃないですかふみっ?!」



 いつの間にか近くにいたパーチェに、顔を手でむにゅりとはさまれるシャノリア。パーチェは実に楽しそうに笑い、うっとりと目を細めている。ファレンガスの「エロい顔してんな、パーチェ先生……」というつぶやきを聞いたのは、苦笑いをしているアドリーだけであった。

 なすがままのシャノリア。



「ひぃ、ふにぇろ、やめてくださいひゃめへふらはいっ……!」

「あぁ、シャノリア先生たらほんと可愛い。アマセ君とどっちにするか、悩むわぁ」

「?!?」

「冗談よ。ホラ」

「っは――っ! はぁ、はぁ。っ――もうっ、パーチェ先生!?」

「ごめんて。ごめんて。ほら、よしよししたげる」

「子どもみたいに扱わないでくださいってば!」

「混ざりてぇ……」

「ケネディ先生、声れてます」

「ッ……あのですね、パーチェ先生! この際ですからハッキリさせておきたいんですけど!」

「わお」



 思い余ったシャノリアがパーチェに迫り、にわかに緊張が走る職員室。

 パーチェがわずかにのける。



「パーチェ先生は、その、ケイ君とどんな関係なんですかっ。ほ――ホントに何もないんですか!!!」

「どんな関係と言われてもねぇ。――シャノリア先生だから言いますけど、『一夜を共にした関係』としか答えられないわ」

「いィっ???!?!」

「一夜ァ?!」



 シャノリアとファレンガスの声。と同時に、幾人いくにんかの職員が動揺どうようを隠しきれず、ガタリと立ち上がる、身を乗り出す、耳をそばだてる。

 パーチェはひとり、カラカラと笑った。



「どっ……どういう意味ですか。先生まさか、先生まさかっ!」

「ええ、それはもう大変でした。ベッドに血もついてしまいましたし」

「チィ?!?」

「?! パーチェ先生、まさかのしょ」

「ケネディ先生」

「はい」

「強くされると、ああも深く裂けてしまうのですね」

「へ、ぇ、え、えぇぇ?!?!」



 パーチェによって語られる言葉に付いていけているのかいないのか、目を白黒とさせるシャノリア。パーチェはその顔を見てたっぷりと笑った後、



「ホントにひどかったですよ、アマセ君の後頭部の裂傷れっしょう。一歩間違えば助からなかったかもしれません。よほど強く打ち付けられたのでしょうね。あの時は付きっきりで看病する他ありませんでした」



 と、「ケイと一夜を共にした話」話をめくくった。

 シャノリアは数秒ボーっとしたのち、顔を真っ赤に染め上げる。



「――――誤解ごかいを招く言い方をしないでくださいぃぃっ!!」

「あらあ、誤解だなんて。私は真実しか話してないわあ?」

「うるさいです! もう!」



 このパーチェ、もといリセルの言葉に、半分ほど真実が含まれていることなど、職員室の誰一人、想像するべくも無かった話である。



「ははは。お若い方はいいですねぇ。楽しそうで」

「おや、校長」



 職員室へとひょこりと入ってきた、カーキのタートルネックがよく似合う少し背の低い眼鏡の老人。

 校長クリクター・オースは、シャノリアたちを見てにこやかに笑った。



「一体、何の話をしていたので?」

「別に! 取るに足らないお話ですのでどうか! お気づかいなく!」

「は、はぁ。ディノバーツ先生がそうおっしゃるのなら」

「例のアマセ君がモテすぎて、保護者けん愛人のシャノリア先生が困っているという話ですわ、校長先生」

「ちがーーーーーう!!!でしょ!!!!」

「ははは、まあまあ、ディノバーツ先生。リコリス先生が言葉たくみなのはいつものことではありませんか」

「言葉巧みっつぅか、言葉悪巧わるだくみって感じだけどな」

「しかし、例の彼がモテすぎて……ですか。懐かしいですねぇ。私もかがやかしき青年時代には、それはもう日夜にちや年ごろの女性達と……」

「校長。今は筆記試験ひっきしけんの採点中です」

「おぉ、そうでした。や、年をとると自慢じまん話が過ぎていけない。皆さん、仕事を続けてください。私は給湯室きゅうとうしつにコーヒーを取りに来ただけですので」

「あら校長先生、それでしたら連絡をいただければ持っていきましたのに」

「このくらい自分でしますよ。多忙たぼうな皆さんにこれ以上負担をかけるわけにはいきませんからね。私の方が、比較的ひかくてき時間に余裕が――」

「まったくですよ」



 職員室に、明るい雰囲気ふんいきとは一線をかくす低い声がひびく。

 落ちくぼんだ黒の目に、肩まで届く黒髪くろかみ、そして首元までを覆った、宮廷服きゅうていふくを思わせるデザインの白い衣服をまとった長身痩躯ちょうしんそうく――校長に次いで部屋へと入ってきたのは、トルト・ザードチップである。

 トルトは自分の席に近寄ると、椅子にかけてあったブラックローブを取って羽織はおりながら、横目にクリクターを見た。



「校長アンタ、プレジアの今の状況わかってんですか。無駄むだ話に花咲かせるくらいなら、わたしゃ学校の現状を変える努力の一つでもしたらどうかと思うんですがね」

「…………」

「ザードチップ先生、それは学校の理事会りじかいが――」

「いいんですよ、マーズホーン先生。ザードチップ先生の言葉も、最もじゃありませんか」



 弁明べんめいの助力をと声をあげたアドリーをせいし、クリクターが苦笑くしょうを浮かべる。

 やがて笑顔のしわは消え、クリクターはトルトをまっすぐに見た。



「ですが、意外ですね。ザードチップ先生は、自分に関することにしか興味を見せないと思っていたのに」

「自分に影響が及んでるからこうして言ってんですよ。やれあなたには後ろ盾がないだの、何の地位も持っていないだのと、やかましくてかなわねぇ。わたしらみたいな『平民』に対しては、教師だろうと何だろうとお構いなしになってきてますぜ、あいつら。ところがあんた含めたおかみは揃いも揃って事態を静観せいかん黙認もくにんときたもんだ。なもんで、一体何を考えてらっしゃるのか、早くどうにかしてくれないか……と、我が生活の安寧あんねいと、恩人おんじんの心配も兼ねて言ってるんですよ。私はね」



 ……トルトの言葉に、真っ向から反論する声はあがらなかった。

 しかし、それも当然と言える。

 ケイ・アマセの転入を機にその台頭たいとうを色濃くし始めた貴族らによる「『平民』狩り」に、プレジアの教師は個人での・・・・指導・抑止よくしには一定数動いている。

 しかし、学校全体としての対応策は一切打っておらず、現状は黙認もくにん、暗に容認ようにんしているかのような状態である。過去、プレジア内で貴族と「平民」が衝突し、対立が表面化することは幾度いくどとなくあったが、ここまで貴族側が力を持つようになったのは初めてのことである。

 崩れた力の均衡きんこう

 現在では、学校側の責任を問う声も――いち教師たちの耳に届くほどに――決して少ない数ではなくなっていた。



 しかし、誰も口には出せなかった。

 均衡をうったえること。貴族の抑止に動くこと。

 それはそのまま、大貴族ティアルバー家との敵対を意味するからである。



『…………』



 ゆえに。

 トルトの視線に同調どうちょうするかのように、クリクターへと視線を集中させる者が一定数存在することはある意味当然のことでもあった。



「……私は」



 だが校長は、あくまでその視線を受け止め、



「私は、大いに期待をしているのです。次の世代をになっていくことになる、子どもたちに」



 全職員ぜんしょくいんに聞こえるように、そう言った。



「……聞き違いですかね?」



 トルトの声がするどさを増す。



「今、『私らに解決は出来ないからガキ共に丸投げする』って言いました?」

「はは。ある意味、そうなのかもしれません。ですが、そう後ろ暗くはないですよ」



 そんなトルトの舌鋒ぜっぽうに一切ひるむことなく、クリクターは続ける。

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