4



 聞き慣れない耳障りな声が、鼓膜こまくを震わせる。ニット帽の女だ――――だから誰なんだお前は。

 少女は吐瀉物としゃぶつを見るようにほおゆがませ、口を引き結んだ。



「同じ人間であることだけは信じて言うんですが。貴方、ちゃんとマリスタやシャノリア先生が自分と同じ人間に見えてますか?」

「誰だお前は?」

「名乗る気すら起きませんよ。どこまでいっても損益そんえきでしか人を見ることが出来ない破綻者はたんしゃなどに」

「ちょ……ナタリー?」

「誰なんだと聞いてるんだが」

「け、ケイもちょっと待ってってば」

「貴方、人を自分に都合の良いこまか何かと勘違いしていませんか? トルト先生もキースさんもシャノリア先生も、マリスタだって、『全自動オレを強くするマシーン』じゃないんですよ?」

「……………………」



 ……ダメだな、この手合てあいは。人の話を一切聞こうとしない。関わるだけ――



「シャットアウトしましたね今、私を。関わるだけ無駄だとでもお思いになりました?」



 ――!?



「何ですその顔は。造作ぞうさもありませんよ、あなたみたいな壊れ者が何を考えてるのか推測するくらい。そんな一方的な意思疎通コミュニケーションに付き合う者の身になって考えたことが、あなた一瞬でもありますか?」

「ナタリー、もういいから」

「人がモノにしか見えないそのフィルターを一旦いったん外しなさい自己中野郎じこちゅうやろう。そうすれば少しは、私の罵倒ちゅうこくが耳に入ることでしょう。――私はですね。今、貴方という人間が不快で不快で仕方ないのですよ、ケイ・アマセさん。誰も言って差し上げられないようなので代弁だいべんしているまでですが」

「……………………」



 ――随分ずいぶんと嫌われたものだ。慣れてしまったが。

 ああ、くそ。体が動けば、さっさとこの場から消えてやるのに。



「そ、そこまで言わなくてもいいのよ、コーミレイさん。ケイは事情が事情だし、人と違って魔法にも慣れていないわ。きっと焦ってるのよ」

「随分と好かれているようですね。一体どうやって何人もの女性をたらし込んでいるのかなんて知りませんし知りたくもないですけど」

「ナタリーもうやめてってば」

「こんな風に言ってくれる方々の好意に甘えに甘えて、今の貴方があるような気がしてならないんですが、私。――いえ、もっと正確に言い直しましょうか? 貴方はこうして人がよかれと思って向けてくれる好意を全て自分に利するものとして利用しかしていない。まるで人を養分とする寄生虫きせいちゅう……私は、貴方のそのかたが恐ろしいのです。貴方という破綻はたんの存在が、私の友人に不幸を呼ぶのではないかと気が気ではありません」



〝――私、君が測れなくて、怖い〟



 ……よくまあ、ここまでヴィエルナと同じことを言ってのけるものだ。



「ナタリー、」

「人間をめないでください、ケイ・アマセ。私達は貴方の道具でも駒でも養分でもありません」

「ああ、そうだな。すまなかった。以後猛省もうせいし、気を付けるとしよう」



 いつか風紀委員にしたように謝罪し、頭を下げる。

 それ以外、俺から出来ることは何もない。



「……ケイ」

「…………これだけ言われてなおもその態度ですか。成程なるほど

「悪かったと思ってるんだ。でも、俺は今とにかく力が欲しい。だから」

「どうして力が欲しいの?」



 黙っていたシャノリアが会話をさえぎる。

 ……難儀なんぎだ。

 もう二度と動けなくなるようなヘマはしないと誓おう。



「あんたには言ったはずだぞ、シャノリア。俺はこの……リシディアのことを知らない。魔法のこともだ。だから」

「違うわ。……きっとそれは違う」

「……随分ずいぶん分かった風に言うじゃないか。あんたが俺の何を知ってるんだ」

「知ってるわよ。……私はずっとあなたの近くにいたのよ? リシディアに来てからのあなたの行動を全部見てきた。だから思うの。あなたの行動は、ただの知識欲じゃ説明がつかないことが多すぎる。先生を見くびらないで」



 ――こいつ。



「何に説明がつかないだと?」

「……例えば、寝たり食べたり以外の時間を、全部勉強と修行にてていることとか」

「それは説明しただろ。俺はこのリシディアのことを知りたいだけだ」

「人との交わりを最小限にしているところもよ」

「そんなもの人の気質きしつるだろ。俺に限ったことじゃ」

「それも意図的に。交わりたくても出来ない人たちとは違う。あなたは交われるのに、自分から壁を作って離れていく――――私も、きっとマリスタだって、多少なりともそう感じていると思うの」

「そのくせ勉強や修行に必要な時は、何事もなかったかのように自分から部屋に呼んだりする訳ですね、ああ末恐ろしい」

「お前、なんでそんなことを知って……」

風紀委員わたしたちとも、積極的に。戦おうと、するよね」

「全部お前達から吹っ掛けてきたケンカだろ。降りかかる火の粉を払ったまでだ」

「違う。私、見てた。から。あなたは……戦いを喜んでた・・・・・・・



 …………何だと?



「なにを馬鹿な――――」

「私もあの場に、居た。はっきり見た――――君は笑ってたの、ケイ。オーダーガード君に、向かい合って」



〝――どういうつもりなの、それ。ねえ。アマセ君〟

〝おいおい、早く止めろよザードチップ先生! あいつ、きっと頭がイカレやがったんだ。早く止めねぇと何するか分かんねぇぞ!〟



 ――そういえば、そんなことを奴らに言われた記憶がある。

 その時俺は、まさか……笑っていたのか?



「……どうやら、自分がどれだけわきが甘く、狂った人間かご存じないようですね。この方」

「今回も、確かめた。吹っ掛けたの、確かに私だけど……断ることも、出来たはず。でも、そうしなかった。あなたはまた、笑ったの」



 ……なんて間抜けだ、天瀬圭あませけい

 体の筋肉の前に表情筋ひょうじょうきんを鍛えておけというのだ。



「ああそうか、その通りかもしれないな。確かに戦いに高揚こうようを感じてはいた気がするよ。俺も知らなかった一面だ、新しい自分が見えて驚いてる」

「白々しい。何が記憶喪失ですか・・・・・・・・・。貴方にはあるんですよ。明確に、戦う理由が」



 ――おいおい。そこ・・に突っ込むのは勘弁してくれ。

 頭の中が白くかすむ感覚。

 おかしい、こんなことは今まで無かったはずなんだが……魔力過剰消耗かじょうしょうもうの影響か?

 ……自分の脇の甘さを思い知ると同時に、これほど呪ったことはない。



「……記憶喪失きおくそうしつ、なの?」

「自己紹介で言ってたんですがね。これだけの状況証拠じょうきょうしょうこが挙がっててンなわけないんですよ。これで隠してるつもりだったというのですからお笑いです」

「……そうなの? ケイ。あなた……本当は記憶を失ってなんかないの?」

「お、俺は……」

「目的は何なの? ケイ」



 紛糾ふんきゅうしかけた場をつらぬき、マリスタの声が全員を黙らせる。

 足が床を叩く音が近付き、眉をり上げたマリスタの顔が視界に現れ――俺の胸ぐらをつかみ上げ、至近距離でにらみ付けてきた。



「マリスタ!?」

「それだけ無茶して、私達を無視してさ。あんたは何がしたいワケ――――何が目的でリシディアに、シャノリア先生の家に現れたワケ?」

「先生の家に――――現れた・・・?」

「マリスタ、それを言うのはまだ――」

「答えてケイッ!!!!」



 キン、と耳が遠のく。

 音圧に目を閉じ、開くとそこには――――涙をにじませたマリスタの顔。



「……なんで」



 俺の声。



 どうしてお前がそんなに必死で、涙なんかを浮かべる必要がある。



「最初はさ。私も多分、イケメンだからって理由でしかあんたを見てなかった」



 ……やめろよ。

 どうしてこんなことで、こんな時に、涙が流せるんだ、お前は。



「でも、すっごい努力して頑張ったりとかさ。風紀委員とケンカしたりとかさ。そんなあんたを見てて、なんか……ほっとけなくなって…………ほっときたく、なくてさ」



 やめてくれ。

 そんな涙を、こんな俺の・・・・・前で見せてくれるな。



「なのに声かけても、あんたはそっけないし、無視するし。……でも、あんたの気持ちもんであげなきゃなって。きっと記憶を無くして一番混乱してるのはケイだし、なんにも知らない状態で不安だろうからって。でも記憶喪失がウソなら、どうしてこんなことするの? ねえ教えてよケイ。あんたは本当はどこから来て、どう生きてきて、どうしてここにいるの。どうして私達を遠ざけるの、何が目的でここにいるのよ。教えてよ、ねえ――――答えてよっ!!」



〝けいにーちゃん〟



「うるさいなっ!」



 突き飛ばす。



 倒れたのは、俺の方だった。



「け、ケイっ」

「寄るなっ!……自分で立てる、っ……」



 ガクガクと痙攣けいれんする足を床との間でつっかえ棒のようにし、関節が腑抜ふぬけないように手でひざ鷲掴わしづかみ――演習スペースの壁にもたかるようにして姿勢を保つ。



「何がウルサイよ――一人で立ちたいならせめて心配されないようにしたらどうなのッ!」

「!!」

「マリスタっ」

「それだけ無茶してあれだけイジメられて、それで心配するな俺に近寄るなってのが無理な話でしょ!? 心細くないかな過ごしにくくないかなって思うでしょそのくらいも分かんないの!? それでうるさいとかうっとうしいとか、はぁ!? 意味分かんないんですけどッ!」

「――黙れよ、」

「黙るべきだったのはあんたよ!! 魔法のまの字も知らないくせに風紀委員に立ち向かったりして、ば――……馬鹿じゃないの? どうして逃げなかったのよ。わざわざ大事おおごとにしなくたって、もっと上手いやり方あったでしょ頭いいあんたなら!!!」

「黙れと言うんだ――――――殺すぞ・・・お前!!」



 ……比較的ひかくてき、自分でも驚くほど凄味すごみのある声が出た。



 マリスタの怒り顔に小さな動揺がける。

 ナタリーの目がり上がり、シャノリアが目を見開き、ヴィエルナは静謐せいひつを保っている。



 台無しだ。

 行動を指摘され、動揺を悟られ、無意識を探られ。



 …………神にでも、なりたい。



 超然ちょうぜん泰然たいぜんと、この世全てのことに動揺し得ない強靭きょうじんな心が――あるいは虚無きょむが欲しい。



「け、ケイあなた」

「……尻尾しっぽを出しましたね。もういっそ、すべて吐いてしまっては如何いかがです?」

「まさか、ホントに」

「……殺すですって? やれるもんならやってみなさいよ――――あんたは一体何者なの、ケイ・アマセッ!!!」



 ああ、ああ、あああ、もう。



 言ってしまえ、もう。



 ――そう思い切ってしまえば、後は気楽なものだった。



 笑いが込み上げる。今度は確かに、自分が笑っているのが認識出来た。



「そうさ。俺は殺す為にここに来た。家族のかたきを――俺からすべてを奪った魔術師をな」



 言葉が場に浸透しんとうするまでに、少し時間がかかったようだった。

 マリスタは先の勢いを一転させ、目を見開いて黙り込む。

 静寂を破ったのはシャノリアだった。



「魔術師に、家族を……!?」

「ほほぉそれはそれは。即興そっきょうで作ったにしては涙を誘う身の上ですねぇ」

「何とでも言え。俺はこの世界でそいつを見つけ出し、必ずこの手で殺す」

「嘘も休み休み言ったらいかがですか。寒すぎて笑いも出ませんよ」

「お前らには解らないだろうな」

「解るわけないでしょう。これだけ貴方を心配しているマリスタの前でまだそんな笑えない身の上話を適当てきとうに作り上げる貴方のような――」

「違う。――――俺は、逃げることしか出来なかった」

「は……?」



 犯人もらず。

 原因も解らず。

 真実を追求する力も無く。



 ただただ、家族が死んで、もういないという事実だけが、俺の現実だった。



 みじめで。

 あわれで。

 すでに死に絶えていた、無意味な人生で。



「もっと前から、こうして動いていたかった。でも何も出来なかった。俺の前に道は無かった。いっそ全てを諦め切れていればどれだけ良かったか。折れない気持ちを持たされたまま、ただ逃げることを強いられ続けて――――でも、」



 そんな人生が、



〝――――「リセル」〟



 目の前で、まるで魔法のように、一瞬にして切りひらかれた。



 その上、あいつは。



〝――お前にはこれから、こことは違う世界に行ってもらう〟



 俺を決して逃がしはしなかった。



〝あの炎、爆発は間違いなく魔法。そして――その時お前が見た人影こそが、私が追いかける「敵」だ〟



 敵を示してくれた。



〝お前の家族に起こった出来事、あれは――こちらの世界の何者かが関与したものでしか在り得ない〟



 確信を与えてくれた。



〝――お前はどうしたい。圭〟



 生きる理由さえ、与えてくれた。



「俺は今、ここにいる」



〝――――ごめんなさい、圭。ごめんなさい――――〟



 だからあんたは、謝る必要なんかない。



〝――ありがとう、リセル。俺をここへ連れてきてくれて〟



 お前のおかげで、俺は生きている。



「魔法を勉強することが出来る。力を付けることが出来る。真実を追求することが出来る。この一歩が、確実に俺だけのものになって、俺を前へと進めてくれる。――――努力が出来る。努力した分だけ、報われる可能性がある。こんなに……こんなに喜ばしいことが他にあるか?」



 全員が、黙ってしまっている。

 いいじゃないか。

 ここまでさせたんだ、もう少し――この戯言ざれごとに、付き合っていろ。



「逃げろだと? 諦めろだと? 死んだ方がマシだ。死んだ方がマシ・・・・・・・なんだ、そんなもの。もう十分逃げた。十分諦めた。誰が俺を止められるものか。止まってなんてやるもんかよ――――だから俺は二度と逃げない。二度と諦めない。家族の命を奪った者を影も残さずなぶり殺しつぶし尽くすまで。例えこの身がどんなにむごたらしく醜悪しゅうあくに破滅しようともだ――求めるのは力だけだ。誰も寄せ付けない、全てを超越ちょうえつする、何者をも残酷に破壊することが出来る、圧倒的な力が――――」



 ごぼ、と。ダムが決壊するように、俺は血を吐き落とした。



「!!?」

「ケイっ、もういいわやめなさいっ」

「ごヴ――――必ず手に入れてやる。力を。絶対の力を――――これで解ったろう。お前達とは、生きる世界が違うんだよマリスタ――――マリスタァッ!!!」

「!!」



 血飛沫ちしぶきが飛ぶ。

 マリスタが体をビクつかせる。

 その目にはありありと未知への恐怖が浮かび、人型の魔物でも見るかのよう。



 そうだ。それが俺とお前の、正しい距離だ。



「ごぉ――ォ、ヴがぉェえ――――――ッ!!!!」

「ダメよダメッ!!! それ以上しゃべらないで!!」



 体がかたむく。

 血が止まらない。吐き気に従い口が巨大に開く。手で受け止める。目が涙でにじむ。



 真っ赤。



 真っ赤。



 真っっっ赤だ。



 ああ。



 俺は今――――こんなにも、生きている。




 大丈夫だ、こんなもの。

 こんなものは――――レッド俺の可能ローブ性の証明ぬぐえば、さして目立たない。



「先生。回復魔法っ」

「くっ――疲労を回復する魔法は時間が――――ケイ!!」

「―――っ、―――、」



 死ぬもんかよ、こんなところで。



 これからなんだ。全部、全部。



「…………大仰おおぎょうに語りましたねぇ。歯が浮きそうなんですけど」

「コーミレイさん今はもうやめなさいッ!!」

「カナラズコロスだのニゲルコトヲシイラレタだのナブリゴロシツブシツクスだのカッコいいつもりですか? よっぽど今、全能感ぜんのうかんあふれてらっしゃるんでしょうね。キモいイタいイキり気狂きぐるい……貴方、神にでもなるつもりですか?」

「ナタリーやめてッ!!」

「が…み…、…神っ……」



 視界が、吐き広げた赤で染まる。

 ごぼごぼと、のどが血で鳴る。



 ――ふざけろ。

 貴様ごときに、俺はさまたげられん。



「――――神なんか、」



 俺の家族を残らず見捨てた、神なんか。



「神なんか、超えてやる」



 赤に黒が混ざる。

 心地の良い色に、意識が沈んでいく。



 嬉しい。



 俺は今、非日常異世界にいる。



 待望し羨望せんぼうした、希望の嘱望しょくぼう



 こんなにも行きたかった、異世界に。




◆     ◆




「酷い有様ですねぇ。いっそそのまま安らかに逝かせてあげてはいかがでしょうか?」

「冗談でもそんなことを言うんじゃ……」

「冗談? ご冗談・・・を」



 回復魔法の準備にかかりながらナタリーをにらみつけるシャノリアの目を、ニット帽を目深まぶかにかぶった少女は静かな目で見つめ返す。



「先生も聞いたでしょう? この男の目的を。そしてこの男は無意識でなく、意識的にマリスタや先生達を遠ざけ、目的の為だけに勉強して動いていたってことです。何が言いたいか、先生ならお分かりになるでしょう」

「……『今勉強に向いてるケイの意識が、別のものに向いたらどうなるか』って言いたいの?」

これ・・は目的の為には手段を選ばない。例えばマリスタこの子が彼にとって無価値不要でなく目的を阻害する存在邪魔になったとき……これ・・はマリスタを全力で排除にかかる・・・・・・・・・。そう言ってるんですよ」

「ど、どういうことナタリー」

貴女あなたにはハッキリ言って差し上げましょう、マリスタ。あなたは……この男に殺されてしまうかもしれないということです。いやぁ困りましたねぇっ」

「――――ぇ……?」



 困惑こんわくと、確かな恐怖きょうふがないまぜになった声が、四人のいる空間に沈む。



「そ……んなこと、あるわけ」

「無いですか?……無いとは言い切れないでしょう。というか、つい先程さきほど彼自身が言っていましたしね」



〝――殺すぞ、お前!!〟



 マリスタが、顔を血まみれにして倒れた圭へと視線を移す。

 その目に映る確かな恐れに、ナタリーはほくそむ。



「改めて言いますよ、マリスタ。この男は、いつか必ず貴女に災いをもたらします。明日より即刻そっこく、この破綻者はたんものから手を引くべきです」

「っ………………」

「先生もですよ? まさか人殺しの手助けをするおつもりで?」

「……あなたなら一度言えばわかると思ってたわ、コーミレイさん――冗談でもそういうことを言わないで」



 シャノリアがぴしゃりと言い放つ。ナタリーは小さく嘆息たんそくしてニット帽をかぶり直し、演習スペースを離れていく。



「おお怖いですねぇ。私は良かれと思って忠告差し上げたつもりなのですが。差し出がましい真似をして申し訳ありませんでした。……ですが、私は友達だけは自分の手で守りますのでどうぞ、しからずお願いいたしますね。ディノバーツ先生も、くれぐれもマリスタのこと、よろしくお願い致します」



 ナタリーの姿が消える。

 圭がシャノリアの魔術によって水泡すいほうへ包まれ、ちゅうへと浮く。

 幾分いくぶん苦悶くもんの安らいだ表情で眠る圭を、マリスタは遠目から、ただ見つめていることしか出来なかった。



(……求められてもいないのに近付いて。結果嫌われて、あげくもし、殺されたとしたら……それは、なんか。すごく、バカみたいじゃない)



〝――俺は殺す為にここに来た。家族のかたきを――俺から全てを奪った魔術師をな〟



(無理だよ)



〝――お前達とは、生きる世界が違うんだよマリスタ――――マリスタァッ!!!〟



(あんな強い意志に……私なんかが、立ち入るスキなんてあるはずない)



 ――そう思った瞬間、マリスタは走り出していた。

 とてもそんな気持ちで、この場にいることは出来なかった。

 後ろから投げかけられる声など、今のマリスタには届かない。

 


 マリスタは、圭から離れることしか出来なかった。



「……マリスタ」

「先生。彼をどこに運ぶ?」

「え?」

「医務室? だったら私、パーチェ先生。叩き起こし、ます」

「ぱ、パーチェ先生は日中しか学校にいらっしゃらないの! だから叩き起こせないわ」

「そうなんですか。むむ。どう、しますか」

「寮の管理人の方に頼んで部屋を開けてもらうわ。訓練施設の夜間利用中に起こった怪我けがについても、規定きていがちゃんとあるのよ」

「……そうでした。知ってました」

「……知らなかったのね」

「?!?!??!」

「な、何をそんなに驚いてるの……? 訓練施設の夜間利用も、初めてだったんでしょ?」

「?!?!」

「いやいや、だから。推測できるでしょ今のあなたの言葉から」

「?!……」

「ま、まあいいわ。そういえばキースさん、どうしてケイと闘ったりしたの? あなたの実力なら、レッドローブなんて相手にもしないはずでしょう?……やっぱり、ティアルバー君の指示なの?」

「……違います。彼が、何考えてるか。知りたくて。それ、分かれば。勝っても、負けても。どっちでも、よかったです」

なぐり合って分かり合うってこと?……意外と武闘派ぶとうはなのね、キースさん」

「がんばりました」

「あはは……でもそれじゃあ、目論見もくろみ通りに運んだってところなのかな?」

「……ごめんなさい。ここまで、追い詰める、気は」

「大丈夫よ。あれは、圭の気質きしつによるところもあるから。……私だって、こんなことになるとは思わなかったし」

「……先生。この話、学校には」

「誰にも言わないから安心して。今回の件は、単に力の無いいち生徒が、魔力切れの中で混乱して、あることないこと口走っちゃっただけです。責任能力が疑われるレベルだし、実際に何をしたわけでもない。コーミレイさんも、彼の言葉だけじゃそうそう動けないはずよ」

「……安堵あんど

「ん。――そろそろ動かしてもいい頃だわ。それじゃあ、私は回復魔法を維持いじするから、キースさんはケイをおぶってもらっていい?」

「了解」

「ありがと。ごめんね、訓練で疲れてるでしょうけど」

「大丈夫、です。かたいので」

「そ、そう……?? それじゃあお願いね」

「了解」



 シャノリアが指を振ると水泡が薄くなり、圭をぴったりとおおまくのように形状変化する。ヴィエルナはそんな状態の圭を背負うと、シャノリアと共に歩き出し――訓練施設を後にした。







 誰もいなくなった訓練施設。



 マリスタらの一団とは違う物陰ものかげから一部始終を感じていた・・・・・魔女は、緊張の糸を切って壁にもたれかかり、うつむいた。



「……ありがとう。圭」

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