3



 捕縛が完了する。



 魔力が安定し、荒れ狂う光が鳴りをひそめ、ようやく静けさが戻ってくる。

 後には俺と、魔法の起点となっている六つの魔法陣、そして体をぴったり締め付ける、二重三重の光の縄を当惑とうわくした表情で見詰みつめるヴィエルナだけが残った。



「……うごけないんだけど」

「動けてたまるか。最上級魔法だぞ」

「…………」



 よっぽど悔しいのか、それとも本当に体を動かせないことが不服なのか、能面のうめんを崩して小さくほおを膨らませるヴィエルナ。

 そんな無言の抗議を一切無視し、俺は改めてヴィエルナの目を見据みすえる。やがてヴィエルナも表情を戻し、いつもの能面で俺を見据え返した。



「……これ。まさかと、思うけど……巨大な魔物、捕らえたり。するときに、使う……えっと。確か」

帯域たいいき魔法。一つの街ほどの大きさの敵を想定した魔法だよ」

「……在り得ない」

可笑おかしなことを。それは空論くうろんに使う言葉だ。目の前の現実に使う言葉じゃない」

「おかしいの、あなただよ」



 ヴィエルナが、これまで向けたことのない表情で俺を見る。



「この魔法は構築式こうちくしきが複雑すぎて、魔法陣を補助に用いないと、発動、出来なかったはず。事前に紙なんかに書いてないと、絶対、発動できない」

「ああ。だから暗記した・・・・

「…………は?」

「暗記したんだよ、その魔法陣を」

「……何、言ってるの」

「こっちの台詞だ。どうしたんだお前、随分ずいぶん動揺してるじゃないか」

「覚えただけじゃ使えないよ、この魔法は。構築式、書く道具も、書いてある巻物スクロールもないのに。どうやって魔法陣、完成させたの?」

「お前にそこまで教える義理が無いな」

「まさか……凍の舞踏ペクエシスで、作った。氷の柱の、中?」



 ……そう言われてしまえば、反論する余地よちはまぁ、ないんだが。

 機神の縛光エルファナ・ポースの光の柱は、凍の舞踏ペクエシスで作った氷から発せられた。誤魔化ごまかしようがないだろう。



「……氷の波動で、魔法陣、描くなんて。そんなこと……どれだけ、練習したっていうの」

「それなりにすれば誰でも出来る。一週間もあったんだぞ」

「誰でも出来ないよ」



 もはやどこかけんさえこもったヴィエルナの声。

 何がそんなに気に入らないんだ、こいつは。



「……君がやったことはね、ケイ。無規則な数字の、羅列られつ。それを百桁けた、戦いの途中で暗唱あんしょうしてみせたようなもの、なんだよ?」

「それがどうした。そのくらい、一週間もあれば誰でも可能じゃないか」

「友達も、クラスメイトも、先生も遠ざけて、一週間。ずっと数字の暗記、していた――君、本当に、そういうつもりなの?」

「――――――」



 ――似たような視線を、どこか別の世界でも向けられた気がした。

 確かあれは、テストの時だったか。



 ……理解した。

 つまりこいつは、俺に質問をしている訳じゃないんだ。



「面倒だな。俺が奇特きとくだと言いたいならそう言えばいいだろ」

「……私、君が測れなくて、怖い。――心配してくれる友達も、先生も。みんなと疎遠そえんにして……そこまでして、やってたこと。まさか……数字の羅列の暗記だった、なんて。私、君が解らない」



 ヴィエルナが能面のまま目を伏せる。

 そもそも、なんでこいつはそんなことを知っているのか、と思わないではないが――こいつは風紀委員だ。不穏分子ふおんぶんしは風紀委員からの監視の対象になると聞く。ということは、俺もそうなっている可能性は十分にあるだろう。

 大袈裟おおげさな連中だ――――とは、復讐者の身で言えたことじゃないが。



「解ってもらわなくて一切結構だ。……さて、それじゃあこんな夜中にはた迷惑な襲撃をしてくれた詫びをしてもらおうか」

「………………何をさせるつもり?」



 ヴィエルナが、やたらきもわった静かな目で俺を見詰め、そう言う。――負けて、動きを封じられてなおこんな目が出来る、その落ち着き払った佇まいに素直に称賛を送りたい。

 まあ、ともあれ――――負けた奴に何をさせるかなど、決まっている。



「あの『音速』。どうやってやるんだ?」

「……え?」



 毒気どくけを抜かれたような顔のヴィエルナ。



「『音速』を使うお前をみた時、足の裏に魔力が集中しているのが解った。思うに、あれは英雄の鎧ヘロス・ラスタングのような、魔力を用いた技の一種なんじゃないのか? もしそうなら、俺にやり方を教えてくれ」

「音速……ああ。瞬転ラピドの、こと?」

「ラピドと言うのか? ああそうだ、お前が俺にやたら強いパンチを打ってきたときの高速移動術だよ。もしかして、あれはお前固有の魔法……つまり、魔術というやつなのか?」

「ち……違う。あれ、義勇兵コースの人なら、大体使える、移動術」

「基本の類かよ……読んだ本にはってなかったがな。まあいい。それを俺に教えろ。不躾ぶしつけに勝負を挑んでおいて負けたんだ、迷惑料めいわくりょうとしては妥当だとうな――――」



 ごぼ、と。



 ダムが決壊するように、俺は血を吐き落とした。



「!?」

「ぁ――な、ぁが、」



 吐血を認識すると共にやってくる虚脱感きょだつかん眩暈めまい、息切れ、動悸どうき。たまらず膝を折り、吐き出した血に吸い寄せられるようにして顔をうつむかせる。

 血は止まらない。

 再び口からき出した血が飛び、あるいは顔を伝い、床に血痕けっこんを広げていく。



 こうして確認する限り、外傷はない。となれば、原因は――――



「彼女の捕縛ほばくを解きなさい、ケイッッ!!」



 ――誰かの声とほぼ同時に、魔法陣への魔力を遮断しゃだんする。

 効力を失った魔法陣はみるみる光を減じ、何かが弾けるような高い音と共に、眼前の黒髪の少女が拘束こうそくから解放されるのが見えた。



 俺が見たのは、そこまで。



 痛みさえ感じる倦怠感けんたいかん、体の重みにくっし。

 俺の意識は、闇へと消えた。




◆     ◆




 ごめんな、愛依めい



〝どうしたの〟



 弱い兄ちゃんで。

 お前を守ってやることが出来なくて、ホントにごめん。



〝そんなことないよ〟



 そんなことあるよ。



 だから兄ちゃんな。この先の命はお前や母さん、父さんのために使うって決めたんだ。



〝……私は、お兄ちゃんに自分のために生きて欲しいな〟



 ありがとう、愛依。でもごめん、それは出来ないんだ。



 お前達さえ守れなかった兄ちゃんが、兄ちゃんだけが生きてく資格はないから。



〝……お兄ちゃん〟



 だからそこで、みんなと待っててくれ、愛依。



 きっと兄ちゃんが殺すから。



 なんにも悪くない愛依を、母さんを、父さんを、無慈悲に理不尽に不条理に殺した者達全てを無慈悲むじひに、理不尽りふじんに、不条理ふじょうりに、全部全部殺して殺して、殺すから。

 許さない。


  許すものか。


    絶対に許さん。



 殺してやる。



 貴様等が家族に与えた恐怖を、絶望を、無念を無力を苦渋を苦悶くもんを痛みを怒りを悲しみを呪いを、那由他なゆたばいして俺が与えてやる。

 貴様らという命を、生命の輪廻りんねから根こそぎ壊して消してやる。



 ――それまでは。

 地這ちはい泥をすすっても、例え世界を破壊しようとも――生きびてやる。。



 死んでなるものか。



 こんなところで、死んでたまるか――――!!!!!




◆     ◆




 目にさるフラッシュが、おぼろだった意識を覚醒かくせいさせた。



「こら、コーミレイさん! 病人をらないのっ」

「あやや、これはすみません先生。ですが、自業自得じごうじとくだと思いますけどねぇ。過労で死にかけるなんて、まったくお似合いの末路まつろじゃないですか」

「ナタリー!」

「あややマリスタまで。そんなに怒ることですか?」

「ホントもう、人によって態度がガラッと違うんだから……ケイ、大丈夫?」



 俺をのぞき込むマリスタとシャノリア。

と……誰だ、このニット帽の奴は。まったく記憶に無い。

 というか、シャノリアの顔がやけに近くに――



 ――――って。



「わっ?! ちょ、ちょっとケイ、急に動かないのっ」

「お、おいお前っ……なんで人をひざに乗っけてるんだ子どもじゃあるまいし!」

「へっ?! だ、だって床だとカタいし、体の様子を見るのにはこの姿勢が一番――、」

「やかましいっ、とっととどけ……っ!?」



 ――起こそうとした体に力が入らず、グラリと床にかたむく。



 シャノリアにわたわた抱き直され、顔面から床に激突するのは避けられた。



「これは……」

「まったく……不本意ふほんいかもしれないけど、今はじっとしてなさい。あなた本当に、あと少しで死ぬところだったんだから」

「……魔力切れでか」

「そう。ってあなた、解ってたのにあんなことしたの? 心配してたこっちの身にもなってよね、もう」



 シャノリアが溜息ためいきき、再び俺を自身の膝へと導く。

かたいんだかやわらかいんだかよく解らない感触が、再び後頭部を襲った。……床より柔らかいのは、確かだが。



「……俺は一体、どのくらいこうしてあんたの膝に厄介やっかいになってるんだ」

「厄介って……えっと、どのくらいだっけ。マリスタ」

「さあどうですかね。十分くらいじゃないですかね」

「……お前、なんで怒ってるんだ?」

「べ、別に怒っては、ないけど?」

「先生と取り合いっこ、してたよ。ひざまくら」

「ヴィエルナちゃんそういうこと言うのやめて?!?! 割と真面目にやめて?!??!」



 視界に、戦う前とまったく変わらない様子のヴィエルナがひょこりと現れる。

 こいつまだ居たのか。さっさと帰っていてくれればいいものを。



 ……というか、なぜマリスタ達もここにいるんだ。



「そういえばお前達、どうしてここに……」

「えっ?? あー、それはその」

「なんというかね?」

文脈ぶんみゃく考えたら分かり切ってるじゃないですか、おつむ大丈夫ですかー。というか、こうなったら隠すことでもありませんし」

「……見ていた?」



 まるっきり興味がなさそうに、手元の手帳を確認しながらそう言うニット帽の少女。

 俺がマリスタとシャノリアをにらむと、二人は揃ってバツの悪そうな笑みを浮かべた。こいつら。

 ……ということは、倒れる間際、声をかけてくれたのはこいつらの中の誰かか。恐らくシャノリアだろう。マリスタがこの魔法を知っているとは思えない。



 改めて、体に意識を集中する。……やはりというか。体内では、魔力回路ゼーレが未だ熱を持ち、空焚からだきされたフライパンのように熱を持っているようだった。

 まだ当分、体は動かせそうにない。

 ここまで魔力切れに精神を持っていかれたのは初めてだ……よくよく気を付けなければ。こうも動けないと鍛錬や日常生活に支障をきたす。

 


 そしてあの魔法は、これ程に魔力を吸っていくのか。。



「それとね。……在り得ないわよ、ケイ」



 シャノリアが眉間みけんを押さえながら言う。



「あの捕縛魔法……機神の縛光エルファナ・ポースのことか」

「当たり前でしょう。こんなことになる前に、どうして気付かなかったの?……魔法は精霊が自然物にのこした刻授印スペルだって、習ったでしょう? 精霊基準で遺してあるんだから、当然発動に必要な魔力量だって、人間を基準にはしていないわ」

「つまり、人間一人の力じゃ使えない魔法。あるってこと」

「その程度、教本に載ってるはずなんですけどねぇ。随分とフシアナな目をお持ちで」

「ナタリー」

「……そうか。確かに書いてあった」

「見てたなら使わないで欲しいな、先生としては……」



 魔法辞典には、確かに消費魔力量は「AAA+トリプルエープラス」だと記述があった。

 捕縛対象ほばくたいしょうはごく小さく、陣も教本の大きさと比べてもだいぶ小規模しょうきぼだったのだが――「AAA+」クラスともなると、術者が死に至る可能性もある訳か。



 しかし発動からしばらく、俺はヴィエルナと会話をする余力があった。

 ということはつまり、機神の縛光エルファナ・ポースは術の「発動」、そして「維持」にも魔力を消費する――ということなのだろう。つくづく不完全だったな、あの教本。……もしかすると、最上級魔法ともなると全容ぜんようの解明が完全ではないのかもしれない。



 …………それにしても。



 そんなにも魔力を吸われていながら、俺は――――どうして魔力を吸われる・・・・・・・感覚に気付けなかった・・・・・・・・・・



「確か機神の縛光エルファナ・ポースは、AAA+トリプルエープラス級の消費魔力量だったはずよ。王宮魔術師おうきゅうまじゅつしたばになって発動させるような魔法なんだから」

「と、とりぷるえーぷらす!!?……ケイ、よく生きてたね……?」

「大体命がおびやかされるほどに魔力を吸われておいて、何も感じないというのがそもそもおかしな話ですよねぇ。不感症ふかんしょうなのではないですかっ☆」

「ナタリーってば」

「冗談ですってぇー」

「……ほんとに。分からなかったの? ケイ」

「……ああ。解らなかった……解るものなのか? シャノリア」

「う、うーん。なんて言えばいいのかしら……みんなも解る、わよね?」

「はい」

「ええ」



 ヴィエルナとピンクニットが即答する。

 マリスタはオタオタしていた。



「え、えーと。あの『うわー体から何か抜けてってるわー』って感じですよね?」

「ま、まあ大体そんな感じね……なんだけど。ケイにはそんな感覚、ある?」

「…………あるには、あるが」



 トルトとの初めての訓練の時、やたら魔力を体から抜いた時は、確かに虚脱感きょだつかんを感じたことがある。機神の縛光エルファナ・ポースに倒れたさっきも、そうだ。

 だが、魔弾の砲手バレット凍の舞踏ペクエシス程度では……俺はこれまで、あまりに「魔力を消費する感覚」が無さ過ぎたのではなかろうか。戦いに集中していただけだろうか。

 ――なんにせよ、早めに解決しておかなければならないな。魔力が吸われている感覚が解らない――――状況によっては、致命的な事態にもつながりかねない。



 そして魔力量を伸ばしていくことが、魔法使いとして生涯しょうがい通しての課題になりそうだ。もう少し教本を読み漁ってみよう。



「聞いてるの、ケイ! まったく、すぐそうやって自分の世界に入っちゃうん――」

「シャノリア。魔力が吸われている感覚とは、ある程度鍛錬たんれんを重ねないと解らないものなのか」

「――え、え? 吸われる感覚……なんて、みんな小さい頃から慣れ親しんでる感覚だから。特別な訓練は必要じゃないわ」

「また聞きたいことがある。今度時間を作ってくれないか」

「そ、それは構わないけど。だから、あのねぇ! ちゃんと聞いて――」



 よし。承諾しょうだくは得た。

 後は――経緯けいいはどうあれ、比較的ひかくてき性格に難の無い知り合いもせっかく出来たことだ。これを利用しない手はない。



「ヴィエルナ。これからも時々、手合わせの相手を頼めるか?」

「え」

「難しいならいいんだが」

「…………いいけど」

「ありがとう」



 知識。実践。これで足りないものはそろった。あとは万事俺次第――



「しかしなんというか。噂には聞いてましたけど貴方あなた、その千割増しで気持ち悪いですね」

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