2

 生徒たちの談笑が消え、数多の目線が音の発生源――――食堂中央のテーブル、二人の風紀委員と一人の生徒の元へと集中する。



「……騒ぐな、ここは公共の場所だ。話は指導室で聞かせてもらう。リースベット・ローダン、お前を『平民』の貴族への敵対心を扇動せんどうする行為に参加した容疑で連行する。行け」

 くせ毛の強い短髪の少女が、何か言いたそうにグッと口元に力を入れながらも、大人しく風紀委員に連行されていく。

 マリスタが立ち上がろうとする気配を察知し、それをシスティーナが静かに押さえつけた。

 マリスタの抗議こうぎの視線。不安げな顔をしたパールゥがシスティーナを手伝い、マリスタに向けて首を横に振った。――やがてゆっくりと、食堂がさわがしさを取り戻していく。

 風紀委員の姿が消えたころには、マリスタの体からも力は抜けていた。

 システィーナとパールゥが、ゆっくりと手を放す。



「あんな光景、最近になって何度も見たことがあるでしょう、マリスタ。貴族と『平民』の対立、そして『平民』への風紀委員会の弾圧。それが、これだけ堂々と行えるような場所に、プレジアはなってきてるってことです」

「……私の違うクラスの友達も、先週から学校に出てこなくなっちゃって。きっとあれも、風紀委員の人たちのせいなんじゃないかって、友達のクラスの人から聞いてる」

「ど、どうして学校に来なくなっちゃうのよ。いじめのせいで?」

「違いますよ、マリスタ。決まってるでしょう? 貴族――特にティアルバー家の力をかさに着た、風紀委員会の圧力で、ですよ」

「あ、あつりょ……!?」

「ティアルバー君の家――大貴族の影響力を使った圧力で、一族や、家族の社会的立場なんかを人質に取られた『平民』達が、学校に来られなくさせられてる。ってことね」

「な……なによそれっ!? そんなことがあって言いワケ、」

「それがあるのが、今のプレジアなんですよ。マリスタ」

「せ――先生たち!! 先生たちは何やってんのさ! 私今からシャノリア先生に――」

「そうですね。シャノリア・ディノバーツ・・・・・・先生は、きっと中立な――いえ、不当な迫害を受けている人には、分けへだてなく接していることだと思いますよ」

「だったら――」

「でも、ディノバーツ先生一人ではどうしようもないのです。ディノバーツ家と同じく、ティアルバー家も、このプレジア魔法魔術学校の、出資者しゅっししゃの一人ですから」

「出資者――――あ」

「確か、マリスタの家も出してたわよね?」

「た、確かに父さんは副理事長をしてるけど……え。ティアルバー君と、シャノリア先生のとこも?」

「ええ。アルテアス、ティアルバー、ディノバーツ、そしてイグニトリオ……プレジア創立の際、四大貴族はどの家も競い合うように学校に資金を提供しています。ですから現在も、学校の運営方針に口を出せるほどの影響力を持っているのですよ」

「……ティアルバー君のお父さんが、今のプレジアを認めてるの?」

してるべしですが、大体当たりでしょうね。そして、その嫡男ちゃくなんであるナイセスト・ティアルバーは、父親の賛同さんどう背景はいけいに、アホな風紀委員のメンバーを使って、学校に貴族至上主義きぞくしじょうしゅぎを浸透させようとしているみたいですね。いい機会だったという訳です」



 呆然ぼうぜんとなるマリスタ。

 パールゥがよからぬことに気付き、顔を険しくさせる。



「あ……だから貴族の人たちって……マリスタに」

「そっか……四大貴族に対抗できるのは、同じ四大貴族だけ。そんなマリスタが『平民』とか、それに近しいアマセ君に友好的な態度をとっていると、それだけで」

彼等かれら、貴族至上主義派の目の上のたんこぶになる、というわけです」

「………………貴族の時代とかって、もう昔のものだと思ってた。私」



 マリスタがそれだけ告げ、コトンと横を向いて机に突っ伏す。



「昔ですよ。昔の世界に執着しないと生きられない、世界の寄生虫きせいちゅうのような連中の根が、このプレジア魔法魔術学校に集中している、というだけの話です」

「……転校とか。考えた方が、いいのかな。嫌だな」



 暗い表情でパールゥ。黙り込むマリスタとナタリー。システィーナは否定も肯定こうていもせず、ティーカップの揺らめきを見つめる。

 パールゥの言葉が、ゆっくりとテーブルに浸透していく。



「……ケイに、言ってあげた方がいいよね。色々と、知らなさそうだし」

「そこでまた彼の話ですか。放っておきなさいあんなものは」

「ほっとけないよ! あいつ――」



 マリスタがナタリーに反論しようと顔を上げた時。

 渦中かちゅうの人物が、彼女らのテーブルの前を横切った。



「ケ――ケイっ」



 ナタリーの無言の制止も無視し、マリスタはつとめて、明るく圭へと話しかける。

 声を背で受け止めた圭は振り向きこそしたものの、いつか教室で見せた営業スマイルを浮かべ、そのまま立ち去ってしまった。



「え……あ、しまった通訳つうやく――」



 通訳魔法を使っていなかったことを思い出したことも相まって、遠ざかっていく背中に、マリスタは声をかけられない。

 ナタリーがため息を吐き、人混ひとごみに隠れていく背中を目を細めて見送った。



「ハァ~~~~ぁ。何ですあの嘘臭さ満載まんさいの顔。あの男、まだ化けの皮ががれてないとでも思ってるんですかね」

「まあ実際、私は図書室の騒ぎとマリスタの言葉がなかったら、気付かないままだったかも」

「び、びっくりしたよね。図書室で風紀の人たちとケンカしてる時の口調。まるで違う人だもん」

「それがあれ・・の本性でしょう。大根役者だいこんやくしゃにも程がありますが――あの様子だとあれだけではないでしょう」

「……これ以上に、どんなネコをかぶってるかも知れない、ってことね」

「腹に一物いちもつ抱えているのは間違いないと見るべきでしょう。それだけでも警戒するに余りあるというのに、加えて他の素性も一切知れないのですから。これで気を許せるほうがどうかと思いますけどね」

「だから、ケイはそんなんじゃ」

「そのお人好しは確かに貴女あなたの長所です、マリスタ。でも、私は忠告し続けますよ――いつか彼は、貴女に大きな大きな災いをもたらします。私のこういう勘、外れたことないでしょう」

「わ、災いってそんな大袈裟おおげさな……」

「うーん……まあその、火中かちゅうの人であるのは間違いないからね……でも、普通に心配だな、私」

「心配?」



 頬杖ほおづえをつくシスティーナに、表情を硬くして質問を投げるパールゥ。



「義勇兵コースの友達からの聞いた話なんだけど。アマセ君、最近は夜遅くまで訓練施設にこもってるらしいわ。こんの詰めすぎで体調崩さないといいなー、と思って」

「訓練施設……」



 マリスタの頭に、少し前のテインツ・オーダーガードとの騒ぎがよぎる。

 彼女は当時の、ほぼ真実と相違そういない様子を、様々な人からの噂で知り得ていた。



(夜遅くにって……そんな時間に使って、また同じようなことが起こるかもしれないって思わないのかな。あいつは)



 その日のうちに完治したとはいえ、後頭部が裂け、血塗ちまみれになるほどの大けが。

 それをマリスタにさえ一切話そうとしない秘匿ひとく

 そして、先ほどの余所行よそゆきの笑顔。



(……やっぱだめだ。待ってるだけじゃ、あいつは自分のことを話してくれそうにない……まったく。私がこんなに気をんでるっていうのに、あいつは何を考えてるのか)



 マリスタは眉根まゆねを寄せ、圭にしつこく関わる決意を込め、目の前のカップから紅茶を飲み干し、



〝――マリスタ、知ってる? 彼が何と、戦ってるか〟

〝私、いてくるから。だから、待ってて〟



 ふと。

 そういえば、自分のほかにも一人、似たようなことを言っていた少女がいたことを思い出した。



 ヴィエルナ・キース。義勇兵コース所属の、グレーローブの少女のことを。



(……聞いてくる、か)



 マリスタが教室で見ている限りでは、圭とヴィエルナが接触している様子はなかった。



(まさかヴィエルナちゃん、ケイの部屋に行ったりとか……いや、それはないか。ケイに誘われたわけじゃあるまいし。なはは…………じゃなくて。そもそも、面と向かってケイが答えるなら、私だって苦労してないし……でもそうなら、ヴィエルナちゃんはどうやって)



 圭が夜まで利用しているという、訓練施設。



 その言葉が、いやにマリスタの脳裏にこびりつく。



(――もしかして。夜の訓練施設で?――え、ヴィエルナちゃん、何してるの?)



 見当違いな方向に加速していく思考を必死で押しとどめ、マリスタは程よい熱を持った紅茶を嚥下えんかし、カップをテーブルに置く。



 ――子細しさいはともかく。

 こうなれば、マリスタ・アルテアスは動かなければ気が済まない。



「ねぇ、システィ」

「ん?」

「ケイが訓練施設にいる時間帯とかって……何か、聞いてない?」



 ぽかんとするシスティーナとパールゥ。

 マリスタの決然とした表情から発せられた問いに、ナタリーは思いきり目を細めた。




◆     ◆




「じゅ、う……っ」



 今日は順調だった。

 生活に必要な行動も、授業も、合間の休憩も、全て予定していた時間通りに終わっている。

 シャノリアやマリスタが絡んできそうな瞬間はあったが、それもすんなりと首尾よくかわすことが出来ている。上々なのではないだろうか。

 あいつらへの対応は――特にマリスタについては、以後一切これでいい。俺の復讐目的にとって、あいつらは『その他大勢』で何ら問題はない。

逆説的に言えば、俺とは疎遠そえんの方があいつらにとっても有意義というやつだろう。

 さて。何かを習慣づけるのに必要な時間は二ヶ月ほど。だから、あと六週間ほどを耐えれば、時間を分刻みで意識する必要もそう無くなってくるはずだ。



「じゅう、いちっ……!」



 読書のペースも、体が覚えてきた。

 読書の記録も、だいぶ体裁ていさいが整ってきた。

 この調子でいけば、順当に知識は増えていくだろう。



「じゅうにっ……」



 リシディア語も、一先ひとま基本表音文字アルファベットは一通り識字しきじ出来るようになった。

 後は単語を覚えつつ、なるべく早く文法に着手して、例文れいぶんを暗記、平行して長文を速読・シャドーイング――そういえば、シャドーイングが出来る教材が見つかっていない。探さねば――・暗記して、受け答えの選択肢せんたくしを脳内に増やして……その辺りまでくれば俺の世界の外国語学習と全く同じだ。

 早くその段階だんかいぎ着けたい。



「じゅう、さん……っ、」



 シャノリアの教えもあり、魔法の訓練も大分だいぶ軌道きどうに乗りつつある。

 今では初級の魔法書を読みながら、魔法の試し打ちさえ可能になってきた。――一度魔弾の砲手バレットを撃ち過ぎて吐血とけつして以降は、精神的疲労MPゼロへの配慮はいりょもそれなりに出来ている。

 あの疲労は長引くときは長引くもので、酷い日は一、二時間に一度は軽く吐血していた。ハロウィンの仮装でそんなことをしてる奴が居た気がする。笑えない。

 別に病弱な訳でもないのにこのザマだということは、きっと精神的疲労MPゼロの症状は誰しも同じなのだろう。



「じゅう……よっ、ん……!」



 そして、いま最もネックとなっているのはこの……肉体訓練だ。

 こればかりは以前の生活でも、完全にノータッチだった。

 義勇兵として、また目的の為にある程度の筋力が必要になるとはいえ、つちかわれたものがまったくゼロの状態から始めるのには限界がある。

 一応、肉体訓練の書籍……所謂いわゆるハウツー本に目を通して計画通り実行してはいるが、一体いつ頃、どんな風に体が変わってくるのか、見当もつかない。

 武道でいう、技や型のような技術を教えてくれる者もいない――一度リセルに頼んでみようかとも思ったが、あまり一緒にいる場面を目撃されるのは好ましくないし、第一魔女のあの性格、もとい性癖せいへきは恐らく何度輪廻転生りんねてんせいしても受け付けない――では、鍛錬が遅々ちちとして進まない可能性がある。



 義勇兵コースの演習授業にも、いまだ教官達から参加の許可は下りない。

 魔法の力である程度は動けるのだから、参加しても良さそうなものだが、しっかりとした魔法の素地そじが無ければ、いかに肉体が傭兵ようへいレベルの動きに付いていけても駄目なのだという。

 つまり目下、魔法の訓練がやっと軌道きどうに乗ってきたような段階では、肉体訓練を本格的に始めることは出来ない、という訳だ。

 だからといって、何もしないわけにはいくまい。

 肉体は一度鍛錬を止めればすぐに負荷に応じた体へと進化たいかする。悠長ゆうちょうに何もしていなければ、いざ魔法の素地が認められたとして、――言っては何だが、やしのような体をひっさげて、訓練を積んだ義勇兵コースの面々と対等に動ける筈がない。それでは参加していないのと変わらない。

だからこそ、何をしていいか分からないというのが、何とも悩ましいのだ。



「じゅう、は……ちっ!! あァ――っ」



 となれば、無知な俺はひとまず――こうして、黙々もくもくと筋トレにはげむくらいしか、他にようがない。

 シュールな感じがいなめない。俺は今、異世界にまで来てヒョロヒョロと腕立て伏せしてるのだ。

 インターネットも存在しない異世界で、筋トレのやり方を地道に本で、貴重な時間をかけにかけて調べ上げる。なんとも釈然しゃくぜんとしない気持ちだ。

 加えて俺の貧弱ひんじゃくさと言ったら――――二十回で限界である。



「じゅ、う、く……っ!!」



 頼むから多少なりとも、魔法を交えた戦いの助けになって欲しい。



「に、じゅ……っ、っ、……うっ!!!」



 義勇兵コースの奴には一目たりとも見られたくないものだ、こんな醜態しゅうたいを。



「っあ、っは――――は、はぁ、ハァ――――」



 自重じじゅうから解放された腕が痙攣けいれんを繰り返す。そんなていたらくにウンザリしながら、休憩きゅうけいもそこそこに、生まれたての小鹿のように四肢ししを震わせて立ち、



 ……眼前には、健康的な少女のふともも大腿があった。



「ッ?!!」

「………………………………」



 ――情けないことだが、相当動揺した。

 いや、というかアングルが悪い。ローブを羽織っているとはいえ軽装な上、履いているのはえらく布地の少ないベージュのホットパンツ。そんな格好で、しかも人の顔の前でしゃがみむな。見せつけてでもいるつもりか。



 なんとか立ち上がり、改めて眼前の少女を見る。もうすっかり覚えてしまった無表情な顔、肩の高さの黒髪、スラリとした体躯たいく――――義勇兵コース、グレーローブのヴィエルナ・キースだ。

 調べた限りでは、この時間深夜帯の訓練施設は、全くと言っていいほど利用されていなかった。利用があっても余程気紛れな奴か、戦闘訓練に見せかけた逢引あいびきが精々せいぜいだった。



 それが何だって、この女子はこの時間に、しかも俺の借りている演習スペースに立っていやがるのか。



「……こんばんは」

「…………ああ、こんばんは。風紀委員の、ヴィエルナ・キースさんだよね? 悪いけど今訓練中なんだ。出ててくれるかな、危ないし」



 何が「こんばんは」だ。とぼけてるのかこいつ。



「私。ヴィエルナ・キース」

「そう」



 今言ってただろ。人をおちょくってるのかこいつは。



「何してるの?」

「訓練だけど」



 今言ったばかりだろうが。訓練以外でここに来るか。……来てる奴もいるんだったか、そういえば。

 そんなことは問題じゃない。



「そう。奇遇きぐう。私も訓練、しようとしてたの」

「そうなんだ。ぜひどうぞ、余所よそでね」

「ううん。ここがいいの」

「そう。じゃあ俺が移動するよ。良い訓練を。怪我けがしないようにね」



 勘弁かんべんしてくれ。

 ただでさえ、妙なアングルから鉢合わせた後でばつが悪いんだ。

 ともかく迅速じんそくに一人になって――――



「手合わせの相手。欲しいと、思って」



 ――――一瞬にして、その場の空気がヴィエルナに収斂しゅうれんした気がした。



「――――――、」



 思わず目をしばたく。

 目の前にいるのは、先程と全く変わらない、静かで緩やかな空気をまとった少女。

 だというのに、受ける印象が明らかに違う。



「……あ。……相手、いた」



 真っ直ぐ俺を見詰みつめたままで、開き直ったような猿芝居さるしばいで。ヴィエルナはおもむろに手を上げ、俺を指差す。

 やはりその表情に変化は見られない――いな。この場合きっと、俺には変化をはかれない、と表現するのが正しいのではないか。だってそうでもなければ、



「――――手合わせ。してくれる? ケイ・アマセ君」



 これほどまでに穏やかな闘気とうきを放つことなど、単なる能面少女に出来るはずがあるものか。



「………………ハッ」



 眼前の戦士に、意識を注ぐ。



 テインツ・オベージューダーガードローブの一つ上、グレーローブ。



 次の相手にしては、これ以上ない適役じゃないか。



「……受けるよ。丁度、色々試してみたい所だったんだ」

「……そう」



 ヴィエルナは構えの一つもとることなく、ただ真っ直ぐに俺を見据みすえた。



 上等だ。

 食い尽くしてやるぞ、学校二番目の使い手グレーローブ



「義勇兵コース、グレーローブ。ヴィエルナ・キース。いくよ」

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