第10話 少女、その静かなる目に闘志を宿し

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 少年は行き止まり――廊下の端へと追い詰められて歯噛はがみした。

 魚を捕る熊の腕章をした風紀委員の集団から、ベージュローブを着た背の高い端正な顔の少年が一歩前に出る。



「中等部四年A組カミロ・クレイテル。お前だな、貴族に対する不満を垂れ流し、『平民』共を煽動せんどうしている生徒っていうのは」

「……ふざけるな。貴族クラブめ、何の証拠しょうこがあってこんな」

共謀者きょうぼうしゃが吐いた。同じA組のマイレ・カラーリア……聞き覚えがねぇとは言わせないぜ? 二人だけで同じ部屋にいたくらいの仲なんだからな」

「な――待て、そんなことは」

「……分かりやすすぎるぜ、クレイテル家のお坊ちゃま。こいつを風紀委員会の名の下に拘束こうそくする。お前ら、捕縛ほばくしろ」



 長い睫毛まつげを持つ目を細めて笑い、少年が背後に控えるグリーンローブの少年少女に命じる。同じく風紀委員会の腕章をした彼らは、その目に戸惑いを浮かべながらも、呆然ぼうぜんとしたカミロ・クレイテルの両腕をそれぞれつかみ、後ろ手に拘束する。



「しょ……証拠はどこだ! 証拠を見せるまで、俺は認め――」

「あんな貴族への罵詈雑言ばりぞうごんに満ちた映像を今ここで見せろって? おいおい冗談が過ぎるぜクレイテル、俺の背後に、どんだけの数の貴族がいるか分かるだろ? あんなものを見せられたら、いくら寛容かんようなこいつらでも黙っちゃいられねぇってもんだ。なあ、コーミレイ」

「!?」



 居丈高いたけだかな風紀委員の少年が、背後に立っているピンクのニット帽をかぶった少女に告げる。コーミレイと呼ばれたその少女のニコリとした顔を見て、クレイテルはいよいよ目を見開いた。



「あ……あんたは報道委員会の――!?」

「さあ。さっさと連れていけ」

「おい待て、コーミレイ、おい! あんたまさか、俺の部屋の中に記録石ディーチェを仕掛けて……ふざけるなよあんた!! 私生活を盗撮するなんて外道のやることだぞ、まだ仕掛けてあるのか!? 今すぐ外せ!!」

「ホラホラ、抵抗するな。話は後でゆっくり聞いてやるからさ!」

「コーミレイ……コーミレイ!! お前、覚えていろよ。貴族なんかにつきやがって、絶対に許さ――」

五月蠅うるさいですねぇ。これから消えゆく羽虫の声が」

「な――」

「絶対許さない? どうぞご自由に。どれだけ怒りを募らせようと、あんな現場・・・・・を撮られた以上、あなたは私に人として対等な物言いなんて一生できないと思いますよぉ。どんなものを撮られたのかは……貴方自身が一番良く解ってらっしゃると思いますが」

「くっ……! そうやってこれからも、『平民』を次々ハメていくつもりか……外道が!」

「貴族だの『平民』だの。知りませんよそんなもの。勝手にやってください。ではお達者で」

「こ……の……離せっ離せお前ら!! 学校の中でこんなことが許されていいワケが……離せえェッ!!」

「何を勘違いしてやがるんだか。このプレジア魔法魔術学校は、とっくにそんな学校・・・・・になっちまってるってのによ。にしても――どの派閥はばつにも肩入れしないお前が、今回はよく映像を提供してくれたな。コーミレイ」



 少年が湿しめった微笑みを浮かべ、ニット帽の少女に近付く。少女は少年と目を合わせない。



「おかげで風紀を乱すやからをまた一人しょっ引けたよ……それで? やっとお前も風紀委員会に――いや、俺に味方する気になったってことでいいのかな? わざわざ俺を指名して映像を届けてくれたってことはさ。俺も今は無名だが、これから高貴なる一族を背負っていくことになる身だ。当然、そんな俺に心惹かれる女も多いが――――俺は出来ることなら、そうしてやってきた女を全て受け入れてやりたい。そう思ってる。……放課後、俺の部屋に来いよ。今以上に、もっとお前の気持ちに応えてやるぜ? コーミレイ――――いや。ナタリー・・・・



 少年が、少女の露出した大腿だいたいねばついた目で眺めながら、その顔をでさすろうとして――少女に、その手を打ち払われた。



「…………は?」



 状況を飲み込めない男子生徒に、ナタリー・コーミレイは顔を上げ、にっこりと笑いかけてみせる。



「結構ですよ。そうやって何人もの女生徒に手を出しているクソ野郎など願い下げなのでっ☆――さあ、みなさん。よろしくお願いします」

「?! お、おい待てよ。お前らどういうつもりで――――」

「…………確保の命令が出てます、マトヴェイ先輩」

「……は? 俺に、確保の? ちょっと待てよ、誰の命令だよ。大体、俺は貴族の中でも高名な――」

「あなた、私の友人であるマリスタ・アルテアスに陰湿いんしつな嫌がらせをしていますよね?」



 朗らかに殺意を織り交ぜた声が、マトヴェイと呼ばれた少年の耳にさわる。



「な……ンなこと」

「それも貴族だ『平民』だ、ということでもなく、自分の思いに彼女が応えないから、という身勝手極まりないストーカー気質な考えの下。いやぁ怖気おぞけが立ちますねっ☆…………自分のことは棚に上げて」

「こ――コーミレイお前、まさか、」

「支配欲がお強くていらっしゃるんですねぇ、マトヴェイさんは。あんな姿の女子にあんなこと・・・・・をしていたなんて、きゃあえっちっ☆ というわけで、貴方の大好きな証拠しょうこは既に風紀委員長へと提供しました。あなたを確保するタイミングを、皆さん、ずっとうかがっておいでだったんですよ? あなた、なかなか尻尾を出さないので。股間こかんの尻尾は良く出す癖に」

「て――テメッ、」

「あやや? 今私に『手前てめえ』なんて口が利けるんですか? マトヴェイ・フェイルゼイン」

「……っ!!」

「そのナい頭で、今後の身の振り方をよぉく考えた方が良いですよぉ。…………二度と《・・・》私とマリスタの視界に入らないよう、精々せいぜい頭を低くして生きてくださいねぇ――貴方が大して力もない家柄を鼻にかけておよんだ、全ての行為を全校に――いえ、全世界にバラされたくなければ。変態野郎」

「お前――――ッ!!!」

「では、後はよろしくお願いします。風紀委員さん」

「おっ、おい離せ、離せッッ!! テメェコーミレイ、こんなことして…………覚えてろ、覚えてろよお前ェッ!!」

「あやー、獣畜生けものちくしょう遠吠とおぼえが聞こえますねぇ、良くえるものですね~」

「コーミレイ」



 数人の風紀委員に羽交はがめにして連れていかれるマトヴェイと入れ替わるようにして、生真面目きまじめそうなグレーローブの風紀委員がナタリーの前に立つ。



「やり方はともかく、今回は助かった。フェイルゼインの悪行には、我々もほとほと手を焼いていたんだ。奴の行為は学生の域を超えていた。近々、フェイルゼイン家そのものに捜査の手が及ぶことになると思う」

「そうですか。まぁ、私は私が気に食わないやからを殺すだけですから。今回限りの協力と言うことで、どうぞお構いなく」

「そうか。……これを機に、風紀委員会内の風紀をこそ正すべきかもしれないと、警鐘けいしょうを鳴らしておくとするよ。ありがとう」



 グレーローブをひるがえし、構成員を引き連れて去っていく男子生徒。

ナタリーはニコニコとその集団を見送ると、ニット帽を目深にかぶり直してため息を吐き、大きめのウェストポーチから小さなノートを取り出し、開くと――――「社会的デスノート」と銘打めいうたれた項目の中の、「フェイルゼイン」という名前に大きく斜線しゃせんを引いた。

 目的を終えた彼女の目は自然、現在ナタリーの中で最も大きな「懸念けねん」となっている少年の名前に向く。

 そこにあった名は、教室でナタリーの隣の席に座っている男子生徒――ケイ・アマセ。



「……はぁ。全く難儀なんぎな話ですね。こんな男に、関わらなければいいだけの話だというのに」



 ナタリーの幼馴染おさななじみであるマリスタ・アルテアスは、ケイ・アマセという少年に関わり始めてからというもの、明らかに行動がおかしくなっていた。

 誰に対しても積極的にかかわりに行く姿勢は、昔から持っていた。だが、自分にとって悪いことが起こっても関わり抜く、などという姿勢は、少なくともナタリーは一度も見たことがない。

 マリスタは先日、風紀委員会に三時間も拘束こうそくされていたのである。

 そして、それが彼女のこうむる「悪いこと」のほんの一角でしかないというのが、ナタリーが最も頭を悩ませているところである。



(……会ったらたっぷり教えてあげますよ、マリスタ。あんな得体の知れない男に、二度と関わらない方がいいと)



 ナタリーは羽ペンを使い、ノートにある圭の名前を何度も丸で囲んでノートを閉じ、足早に食堂へと急いだ。



 この時間なら、マリスタ達は必ず食堂で駄弁だべっているはずだから。




◆     ◆




「……すごいわね、マリスタ。そのクマ」

「んー……。そう?」

「ね……眠れてないの?」

「んー……そうかも。うん。そうだ」



 マリスタは気だるげに目をこすり、いつものごとく机に突っ伏した。

 その目の下には深めのクマが出来ており、目もどこかうつろである。

 彼女の心労の一番は、いよいよ表面化しつつある貴族と「平民」の争い……に、やはり圭が絡んでいることだった。



「最近スゴいものね。貴族と『平民』とのゴタゴタ」

「私たちも、一応『平民』ってことになるの、かな。どっちにしても、いやだな」



 不安げにパールゥ。

 システィーナが苦笑で応じる。



「これまでも何もなく来れたんだし、積極的に関わらなければ、これからも何も起こらないと思うわ。安心して、パールゥ」

「そうだといいけど……」

「まあ、関わらなければ、の話だけど」

「……どういう意味よ、それ」



 ジロリ、とシスティーナを見るマリスタ。

 しかし彼女の無言の視線に応じたのは、システィーナではなかった。



「システィーナは貴女あなたのことを心配して言ってくれてるのですよ、マリスタ」

「あ……ナタリー?」

「おはよう、ナタリー……めずらしいね。ナタリーがこの時間に来るなんて」

「家が報道関係の大手じゃ、なかなかこうして会うことも出来ないものね。今日は家での仕事、なかったの?」

「大手といっても、実権じっけんは完全に高名な貴族のどなたかサマに取られてしまいましたがね。ま、代々私の家は現場方げんばかたなんで、権力なんぞどうでもいいんですよ。でも本当に久しぶりですね。お元気でしたか、皆さんっ」

「ええ。すごーく元気よ。約一名をのぞいてはね」

「誰のことよぉ」

「貴女のことに決まってるでしょう。マリスタ」



 にっこりと、ナタリーがマリスタに笑顔いあつを向ける。マリスタがたじろいだ。



「おはようございます、マリスタ。貴女、今日はまた随分ずいぶんと眠そうですねぇ。昨夜はちゃんと眠れましたか?」

「え……ええまあ。それなりに眠れましたわよ」

「無理して下手な敬語使わなくたっていいんですよ、私達は友人なんですから」

「へ、下手って……」

「ナタリーも心配なのよ、マリスタ。あなたの体調が」



 紅茶を飲みながらシスティーナ。

 パールゥが苦笑いしてそれにうなずく。



「うぅ~」

「ウーじゃないですよ、まったく……あ。でも少しだけ安心していいですよ、マリスタ。つい今しがた、あなたの心労の一つになっていた懸案けんあんは片付きましたので。これでもう、ヤリチンくそ野郎に狙われることはありませんから」

「ヤ……?」

「ナタリー。毒。毒」

「あややや、私としたことが! ティーでお口を清めておきますねっ」

「な、何をしたのかはあんま分かってないけど……毎度ありがとね、ナタリー。私、あんたに頼りっきりで申し訳ないわ」

「だから、いいんですってば。水臭いこと言わないでください」

「んーん。私の個人的な問題なのよ。自分の力でもっと、色んな理不尽や権力? とかを跳ねけられればいいのになーって、最近思うの」

「誰にでも得手不得手えてふえてはありますから。マリスタは、自分が得意な部分を伸ばしていけばいいんです。苦手な部分は友達や仲間に任せれば、」

「だって、それじゃ私はケイの役には立てないし……」

「ま、マリスタっ」

「……あ」



「ケイ」。

 その言葉を口にした瞬間、テーブルを覆う空気が別のものへと変化した。



 マリスタがゆっくりと顔を上げる。ナタリーの顔には、冷めきった笑顔が貼り付いていた。



「……またあの転校生の話ですか?」

「え、あいや、その。……ナタリー、怒ってる?」

「あや? 何を言ってるんですか、怒ってないですよぉ。いっやだー☆」

(怖い怖い……)

「あやや? 何か言いたげですねぇ、システィーナ?」

「いいえ、別になんでもないワ」

「な、ナタリー……お茶、お代わりとってこようか?」

「お構いなくですよ、パールゥ。……ハァ。マリスタ、あなたもりませんねぇ。あの得体の知れない男子に関わるのは止めた方がいいと、散々言ってるじゃありませんか」

「い、言ってるけど……私は関わるのをやめるわけにはいかないの」

「シャノリア先生から任されているから、でしょう?……言ったはずです、マリスタ。そんなものは、あなたが進路にも響きかねないペナルティを食らうような理由にはなりません」

「う……」



 おろおろと二人の間で視線をさ迷わせるパールゥ。すました顔でお茶を飲むシスティーナ。

 マリスタはきまりが悪そうに縮こまるだけだった。



「この間の風紀委員会への拘束こうそく、忘れたのですか? 学生の自治組織でしかないとはいえ、あれが続くようなら進路に響きます」

「あ、あんなこともう起こんないよぉ」

「でも、私が一番心配しているのはそんな些細ささいなことではありません。率直に言わせてもらいますけど、マリスタ。貴女は今、『イジメ』られているんですよ」

「い――――」

「いじめ!?」



 テーブルに身を乗り出すようにして驚くパールゥ。

 力なく目を見開いているマリスタを見て、システィーナは困った表情を浮かべてため息を吐いた。



「……やっぱり。そんなことなんじゃないかなぁって思ってた」

「思っていたなら、貴女もぜひマリスタに声をかけていって欲しいですね、システィーナ。いじめの傍観者ぼうかんしゃのことを何というかご存知ですかっ☆」

「笑顔が怖い笑顔が……でも確かに、その言葉には一理あるわよね。ごめんね、マリスタ。なんとなく察してはいたんだけど、声かけられなくって」

「い、いや別に……え? こ、これがいわゆる『イジメ』ってやつなの? 面と向かって何かを言われてるわけじゃないんだけど」

「社会のルールや世のことわり以外から抑圧よくあつを感じれば、それは全てイジメなんですよ。マトヴェイ・フェイルゼインがあなたに何をしていたかは知っています。とはいえ、やってたことは精々せいぜい取り巻きを使って『大貴族ならば自覚を持て』とかなんとか言うことだけでしょうけど」

「えっ、それ、何で知って……」

「テインツ・オーダーガード、ビージ・バディルオン……あの辺は根っからの貴族至上主義しじょうしゅぎを掲げる莫迦ばか共ですけれど、マトヴェイに至ってはソレを口実に貴女を手籠てごめにしたいだけの見下げ果てた下半身男ですから」

(下半身男……言い得て妙ね。私も言い寄られたことあったな)

「ともかく、あれら衆愚しゅうぐにしてみれば、あなたは平民やケイ・アマセあの男くみする、貴族としての自覚が欠片もないおろか者、でしょうからね」



(――と言いつつ、連中の行動には、ケイ・アマセ《あの男》への嫉妬しっとも多分に含まれていたと思いますけどね。見目麗みめうるわしい、大貴族アルテアス家の令嬢れいじょうに、無条件に肩入れされる美男びなんうらやましくて……というところですか。見えくだけに気持ちが悪い)



「し、しじょうしゅぎ……?」



 難しい言葉に眉根まゆねを寄せるマリスタを見て、システィーナがため息をついて笑いをらす。



「……また『貴族としての自覚が足りない』ってのが、マリスタ本人もちょっと気にしてることだっていうのが、チクチクくるポイントよね。クマが増えちゃうくらいに」

「ぐぅ……」

「な、なるほど……大変だね、マリスタ」



 イジメの理由と方法、ついでに自分でちょっと気にしている悩みまでをキレイに分析されていることに釈然しゃくぜんとしない気持ちを抱えながらも、これといった反論を思いつくわけでもなく、マリスタは再び机に突っ伏した。

 ナタリーが目を閉じ、ため息を吐く。



「まあ今となっては、別にマリスタだけに起こっていることじゃないのですけど」

「私だけじゃない? それって――」



 ガタリ、と大きな音が食堂に響く。

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