第8話 契約
1
目の前で消えていく妹を、俺は成す
感じたのは、熱さ。熱さ。ただ熱さ。
「――――」
――周囲を見回す。
つい数分前まで、そこには暖かな明かりがあった。温かな食事があった。ゆっくりと回るファンがあった。家族の笑い声があった。
今、そこには何もなかった。
ただただ、黒く
形さえ残っていないそれらすべては、消し
「――――」
黒づくめの世界。
やがて押し寄せてくる絶望。
俺は、何もかもを失ったのだ。
暖かな明かりも。
温かな食事も。
ゆっくりと回るファンも。
家族の笑い声も。
「――――――、」
もう戻らない。
もう何もない。 ――どうして?
全部終わった。 ――なぜ?
何もかも消えた。 ――だれのせい?
みんな、死んだ。 ――わるいのはだれ?
「 」
炭化した妹かもしれない炭クズに倒れこみ、ただ壊れた赤子のように泣き叫ぶ生き物。
「 」
残り火は燃え盛る。
俺の涙などでは、消す
考えてみろ、
「守りたかったものをどれひとつ守れなかったぼくのいのちに、一体どんないみがあるの?」
「ッッッ!!!! っ、――――……」
跳ね起きる。全身の汗ばみが、とにかく不快だった。
「――……」
ああ、くそ。
また、あの夢か。
やはりあの光景だけは、どれだけ見ても慣れることがない。
けたたましい
明るすぎる明かり。白を基調にした無機質な部屋。シャノリアの家とは明らかに違う、簡素な白いベッド。
見たことがある、この部屋は――
「ようやく目覚めたか。もう夜中だぞ」
「そうですか。そんな時間まであ――――――、」
恐らく
それを知ってか知らずか、声の主は
「なんだ、その顔は。ようやく想い人と会えたんだ、もっと万感の少年のような戸惑いを見せてみたらどうだ」
全く似合っていない白衣。
やたら
そして
――――なんで、こんなところに。
「リセル、なのか……!?」
「ああ。
飛び起き、魔女の肩を
図らずも、俺はすぐ隣のベッドに魔女を押し倒す形になった。
「……、…………」
魔女リセルは、間違いなくこの手の中に存在している。
その吸い込まれそうな淡い金色の瞳に向かって、言いたいことは山とあった。
あったはず、なのに。
「…………っ」
いざ向かい合ってみると、何一つ言葉が出てこない。必死で言葉を探すうちに、見えなくていいものばかりが目に入る。
見れば見るほど、その少女は「魔女」と呼ぶにふさわしい
長い
――――知らず、その柔らかさを思い出す。
そんな彼女を目の前に。俺は、
「……舐めるなっ……!」
それだけを
「……どういう意味だ? それはつまり――」
そんな俺の胸中を、知ってか知らずか。魔女は、
「――今ここで。お前を怒らせた『
俺の手に手を重ね、顔を寄せるようにして――――
頬ずりされた手がやたら敏感になっている。
早まる鼓動、呼吸。
魔女の肩を
――――馬鹿にしやがって。
「舐めるなと言ってるんだ……!」
「…………それはこっちのセリフだぞ。
――声のトーンが変わったと同時に、魔女は肩を掴んだ俺の人差し指を、思いきり反対へと引っ張った。
「ッ!?」
情けないほど簡単に手は外され、指を解放された瞬間に肩を掴まれ――気が付けば、先程と全く逆。俺は魔女に組み
「弱いな。そんな非力では、女を押し倒しておくことも出来ん」
「お前……――ッッ!?」
ずり、と。
俺の下半身をなぞるような、言葉にならない感覚が走った。
……おい。まさか、俺の下半身をなぞったのは。
「ふふっ……どうした。もしかして気持ちよかったか? 何ならもう一度やってやろう」
「殺すぞ!!」
「強い言葉だ。
目を細める魔女、もとい
「無力な奴だ。このまま
魔女の顔が近付く。
物理法則を無視したようなとんでもない柔らかさを胸に感じ、そして魔女は、
「あの時のキス。私は何も
耳元で、そんなことをほざきやがる。
俺は、顔を背けることしか叶わなかった。
「優しい奴だ。女に手を上げるのは嫌か?……とんだ
憎まれ口を叩きながら――魔女はそのまま俺の肩に顔を
「――――ていてくれて、よかった」
「な、何だと?――」
マットレスに口をあてたまま何かを言って、魔女は唐突に俺を解放する。ベッドから体を起こすと、魔女はキャスター付きの椅子に腰かけ、足を組んだところだった。衣服には乱れ一つない。
「まったく。ほとんど面識もない女を押し倒すから何かと思えば、自分の心さえ見定められずにいるようだな。
「童貞はやめろ」
「違うのか?」
「
「ではなんだ。
「ふざけるな」
「ふざけてなどいないさ。組み伏せられている時のお前の表情、まるで初めて
「ふざけるなって言ってるんだ!!」
柄にもない怒声に、魔女が神妙な顔つきになる。たった一言で、俺は肩を上下させるほどに息を乱していた。魔女がため息を吐く。
「冗談の通じん男だ。面白くない」
「お前と冗談を交わす間柄になったつもりは毛ほども無い」
「信用のないことだ」
「当たり前だ。俺はお前を一切信用してない」
「…………」
魔女は動じない。
動じず、ただ小さなため息を吐いただけだった。
「…………聞きたいことが山ほどあるぞ、魔女リセル。お前、」
「パーチェ・リコリス」
「どうして……は?」
「ここでの私の
「……何だと?」
「改めて、自己紹介だ。……お前が何度も呼んだ通り、私の名はリセル。
「……
「ああ。私にとっても、
「下手に知ったかぶる余裕も時間も無かった。それが最善だった――笑うな、おい」
「すまんすまん。――とはいえ、見事だったな、あの戦いは。勝利とは言えんが、魔法使いの戦い方を知らない状態で、
「負けは負けだ。あいつが短気な奴でなければ、反撃の目も一切なかった……というか。見てたんだな、やっぱり」
「見ていた……というより、
「契約?」
「そうさ。唇で交わす、魔女の特別な契約――――」
リセルが
「魔女と、『魔女の
「――言い回しに興味はないが。魔女に特別な契約なのか」
「ああ。……魔女の血族に生まれた
「悪徳商法にも程がある。では何か。お前と俺は、その契約で感覚が繋がっているとでも?」
「精神だ。精神が根底で結ばれ、相手の状況の把握、少しなら言語による意思伝達も可能だ。だから私は、お前が今どこにいて、どんなことを考えているかが大体解る。ある程度近くにいればの話だが」
「……厄介な」
事も無げに契約を語る魔女。「どんなことを考えているかが解る」――――それはつまり、こうした俺の考えも奴にはお見通しってことなのか。下手なことを考えることも出来ないではないか。
「そうだな。これからは、オナニーするときも私に気を
「するかっ!!」
「気なんて遣わない、ということか? 盛ってるんだなお前も。何なら私が」
「黙れっ、日の当たる場所に出ることも叶わん魔女が。お前がその気なら、今すぐにでもお前の存在を校長にバラしたっていいんだぞ」
「構わんぞ。その場合、お前のことも洗いざらい白状してやる。こことは違う、新たな世界――それを知った世界が、どういう行動に出るのか……
「やるなら勝手にすればいい。ハナから執着はない、あんな世界に
「あんな世界にも、そしてこんな自分にもか」
「っ!」
言い淀んだ言葉を的確に指摘する魔女。
何なんだこいつはマジで。
「おお、怖い怖い。そんな目でか弱い少女を見るな」
「誰がか弱い少女だ、この魔性がっ」
「えらく吠えるんだな、意外なことだ……だが、命は大事にしてもらわないとな。これからお前と私が共に目指す、『目的』のためにも」
「目的?
「いいや。お前は自ら私に頼むようになる。『共に歩んでくれ』とな」
「馬鹿げたことを――――!」
「何故ならこれは、
――――――――――――――――――――――――――――。
「やっと落ち着いたか? 意外と熱い男なんだな、お前」
「ど……どういう意味だ」
「はて。お前はもう、自分で思い至っていたはずだが?……私も見たよ。お前を通して。あの炎、爆発は間違いなく魔法。そして――その時お前が見た人影こそが、私が追いかける『敵』だ」
敵。
〝気持ちはわかるわ、圭君。でもね、いい加減現実を見ないと――犯人なんていないのよ〟
「……嘘だ」
「これが嘘でないことは何より、お前自身がたどり着いた『仮定』が証明しているだろう。お前の家族に起こった出来事、あれは――こちらの世界の何者かが関与したものでしか在り得ない」
敵が、いた。
確かに、やっぱり、存在したんだ。
「……どうだ。
いたとして、ではどうする。
――思い出されるのは、歯を
『守りたかったものをどれひとつ守れなかったぼくのいのちに、一体どんないみがあるの?』
「…………お前はどうしたい。圭」
声。どこか悲しげな声。
俺はどうしたい。
どうしたい。
どうしたいって、
どうしたいって、決まってる。
「……俺は、
「?」
ピンとこないリセルが首をかしげている。
どうやら「契約」は、完全な読心を可能にするわけじゃないらしい。
では、口にするとしよう。俺は――
「殺す」
リセルを見て、告げる。リセルは表情を変えず、見つめ返してくる。
「……殺す」
「ああ、殺す。家族を殺した者を、この俺の手で。必ず」
「……ひとたび闇に踏み入れば、二度と
「契約も万能じゃないんだな――何が闇だ。陽の光の下だ。俺は最初から、そんな所にいやしない」
「――――」
俺は、あの日からずっと死んでいた。
死んでいながら、生きた振りをし続けてきた。
見つかるはずのない仇探しを
だが、同時にずっと生きていた。
生きていながら、死んだ振りをし続けてきた。
きっと存在する、仇を探す手段を求めて、死に生きていた。
意味のない命は、大切なものを守れなかった命は、ここでようやく終わる。
死んでいるのに生きた振りをするのも、生きているのに死んだ振りをするのも、もうウンザリだ。
「ありがとう、リセル。俺をここへ連れてきてくれて」
「……! は――はは。まさか礼を言われるとはな…………では、これから私とお前は
リセルが、俺に手を差し伸べる。
「お前はこれから魔女の騎士として、
その手首を取り、俺は――――リセルを自分へと引き寄せた。
もう一方の手首も空いた手で取り、体を寄せ――鼻先に迫ったリセルの顔を見下ろす。
「
リセルは突然のことに目を見開いている。いい気味だったが、やがてその驚きも表情から抜け落ち、リセルはニヤリと人の悪い笑みを浮かべて、俺の手を振り払い――――指を絡めて、両手を握り直してきた。
「何が共に来い、だ。魔女に仕える騎士の風上にも置けない…………だが、こういう
「そうだろうな」
「どっちが性悪だか。――いいだろう。私はお前を魔女の騎士とは思わん」
互いに、笑う。
魔女が細い体を俺に密着させ、めちゃくちゃな弾力が胸辺りに押し付けられる。それを知ってか知らずか――十中八九知っているだろうが――魔女は鼻先で俺のそれをくすぐり……離れた。
「お前は魔王になるんだ、圭――――なればこそ、私は魔女となってお前と一つになろう」
「魔王にだって何にだってなってやるさ。
――――世界が、少しだけ鮮やかになったと思った。
◆ ◆
「何だと?」
「何も教えない、と言ったんだ。敵の正体も、何もかも……今のお前に教えて何になる。これからすぐに、仇を討ちに行けるとでも?」
「…………」
…………もっともだ。
リセルが椅子に座り直し、足を組み替える。
「お前は弱い。私がお前をこのプレジア魔法魔術学校へと導いたのも、それが全てだ――私を襲ってきた
「……今は力を付けろ、ということか」
「少なくとも、あんなベージュローブのイキがったガキ相手に歯が立たないようじゃ、スタートラインにすら立てん。都合よく義勇兵コースを自ら志願してくれた訳だし……そうだな」
リセルがカレンダーのようなもの――やはり、字はまだ読めない――を眺め、やがて俺を見た。
「二カ月後、筆記試験の
「実技試験?」
「その試験はトーナメント形式で、個人の総合的な戦闘能力を問われる。義勇兵――つまりこの学校が所有する傭兵「アルクス」構成員として、世に
「……ナイセスト・ティアルバーか?」
「ご名答、演習場でお前を助けたツリ目さ。そして常に勝利する。奴に並ぶくらいにならなければ……お前の底も知れるというわけだ、圭」
ナイセスト・ティアルバー。あいつが、プレジアの最強。
「…………上等だ。その実技試験で、俺に優勝してみろというんだな」
「勝てるとは思っていないがな。まずはどこまでやれるか、力を示してみろ。
「いいだろう。せいぜいのんびりふんぞり返っていろ」
二か月後の、実技試験。
そうと決まれば、後は力をつけるだけだ。
「それと、私は一応校医だ。子どもたちのカウンセリングなんかもやっているから……何か悩みがあったら相談に来てね?」
「猫を被るな気持ちが悪い」
「あら、冗談の通じない子ね」
「元々だ。冗談の理解を人に強いるな」
「……信用してない、とは言わないんだな」
「…………やかましい」
「ふふふ、このぉ~」
「俺の死角から迫るなっ!!」
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