2



 シャノリアの言葉を遮り、トルトの前に出る。トルトが眉をひそめた。



「……庭に? 突然だと?」

「どこから来たのか、どうして来たのかまるで覚えていない。言葉も知らない、文字も分からない、時間も国も生まれも魔法も魔力も、全てが分からない。世間じゃこういう状態を、記憶喪失って言うんだろう?」

「…………」



 ……この男の目は、随分ずいぶんくらい。

 自分が、もしかしたらとんでもなく危険な人物と相対しているのではないかという錯覚に陥りそうになる。そんな、見るものすべてを深い闇の底に沈めてしまいそうな、暗い黒い瞳。

 そんな瞳から、しかし俺は目をらしたいとは思わなかった。



 少なくとも、この思いにうそは無いから。



「知りたいんだ、魔法のことを。この世界のこと全部を」

「……………………………………、ハァ」



 どれくらいの時間が経った後だったか。トルトは短いで大きな溜息ためいきを吐き切ると、ひどく面倒くさそうに頭をかき、



 ――――――――その眼光一つで、俺の背筋に汗と悪寒おかんい登らせた。



「……敬語まで忘れてやがるみたいだが、これでも一応プレジアの教師だ。個人的にだが、校長には借りもある。お前さんがもしプレジアに仇なすようなら――――そん時は、がお前を跡形もなく消し去ってやる。肝に銘じとけ。欠片も残ると思うな」

「ざ、ザードチップ先生……!?」



 おろおろとするシャノリア。顔を引きらせ固まったマリスタ。俺は、



〝影に至るまで焼き尽くしてやるからよ――――!〟



 ……いつかも感じた畏怖いふだ、と思っただけだった。



 トルトから視線を外し、俺は眉間にしわを寄せて指で押さえてみせた。



「……検査なんだろ。言った通り魔力の作り方なんてからきしだ――この場で教えてくれるというなら、ぜひ試してみたい」

「返事くらいしろよ……はぁ、まあいいや。ディノバーツ先生、そいつに魔力の込め方教えといてください。私ゃとってくるモンがあるので」

「え、あ、はい……」



 そう言い、ゴキゴキと首を鳴らしながらどこかへ去っていくトルト。

 シャノリアはひとつせき払いをし、仕切り直しだとばかりに俺の前に立った。



「じゃあ、説明していくわよ? 大雑把おおざっぱに言うと――魔力っていうのは、空気中に存在する魔素まそを体内に取り込んで、術者の精神力せいしんりょくり合わせることで、作られるエネルギーのことよ」



 シャノリアが俺の手から硝子がらす玉を取り、目を閉じる。すると、玉の中に朧気おぼろげな輝きが生まれた。それは蛍光のように柔らかい光に見えて、どこか目に刺さる太陽光のように激しい。

 これが、魔力と呼ばれるものなのか……やはりというか、あまり実感がつかめない。

 でも……俺はどこか、この光に見覚えがある。

 だが、光なんて生活の中でごまんと見ているから……気のせいだろうか。



「人は体内に誰しも、精神とつながって魔力を作り出し、体内を巡らせる循環器じゅんかんき――魔力回路ゼーレと呼ばれるものを持っているの」

循環器じゅんかんき……血管けっかんとはまた違うのか?」

「ええ。人間の精神力が生み出した、第二の血管――とでも考えてくれればいいわ。この魔力回路ゼーレに魔素を通すことで、魔力が練り上げられるの」

「だが、その魔素というのが分からない。空気中にあるものなのか?」

「知覚能力を鍛えれば、すぐに感じ取れるようになると思うのだけど……今は大丈夫。この魔法玉にあらわすくらいの魔素なら、特に意識しなくても体内に取り込んでいるはず」

「……そうなのか?」

「そうなんですか?」



 マリスタが口を挟む。シャノリアは「もう」と困った顔をマリスタに向け、出来の悪い生徒を目でたっぷりとがめたのち――俺に視線を戻した。



「でもそんな風に、理論を知らなくてもいいくらい自然なことなのよ。魔素を取り込む、魔力を生み出すっていうのはね……さて、ここからが実際に、あなたが魔力を作り出す行程こうていなんだけど。どう説明したらいいかしら……そうね。体の中を、自分の意識が巡ってる感じ……かな?」

「! 体の中を……」



 ――思い出した。



 魔女リセルに口付けされた時。あの時、自分の意識が血のように体内を巡ったような感覚があったが――あの時、俺はシャノリアが見せてくれたものと全く同じ光を見たんだ。



「アマセ君?」

「いや――なんでもない」



 あれが魔素であり、魔力。――でも、待て。

 あのとき、俺の意識が見せた光景が体内の魔力回路ゼーレだとしたら……俺の体内には、既に魔力が生成されてるってことじゃないのか。



「シャノリア。魔力は、常に一定量、体内に存在するものなのか?」

「ええ。意識せずとも、一定量の魔素は自然と体内に取り込んでるって言ったでしょ? 同じように、人間は魔力も常に一定量、体に保持してるはずなのよ。そう多くないけどね」

「――――MPのように・・・・・・、か」

「えむぴー?」

「いや、気にしないでくれ。こっちの話だ」



 まったく、俺の世界のRPGってのは――ことごとくく正解を行ってたんだな。システム的に。

 ……あれ、まさか製作者に魔法の心得がある奴が居たんじゃあるまいな。



「――続けるわ。あとは、それを体外に放出してみせるだけ。体の中の魔力回路ゼーレを意識して、魔力をあらわしたい箇所かしょへ流すようなイメージで――」



 シャノリアのてのひらに、魔力の輝きが宿る。

 小刻みに、波打つような振動を繰り返す光。シャノリアが手を握ると、光は音もなくかき消えた。



「……伝わったかな?」

「……やってみる」

「おう、ちょっと待て坊主」



 気だるい声に振り返ると、そこにはトルトの姿。

 その手には、今シャノリアに渡されたものと比べると、だいぶ小さな硝子がらす玉。



「……それを使えってことか?」

「ザードチップ先生、それって」

「お察しの通り――所有属性エトス玉ですよ」

「……エトス?」

「ああ、そっから説明しねぇとか。ホント面倒くせぇな……お前やっぱ諦めたら?」

「ザードチップ先生。お仕事、しっかりお願いします」

「はいはい……一回しか説明しないからよく聞いとけよ、坊主。所有属性エトスってのは、そいつが持ってる魔法の属性ぞくせいのことだ」

「…………属性・・?」



 ――また、随分ずいぶんとRPGチックな言葉だ。



「……まさか、メラ火属性とかバギ風属性とか、言うんじゃないだろうな」

「記憶ねぇならちゃんとそれらしく黙ってろ、ったく……属性には、『基本五属性』と『応用五属性』の計十属性が存在する。属性に当てはまらない無属性魔法もまぁ存在するが、所有属性エトスにはないから除外しとく――後は知りたきゃ自分で勉強しな」

「人間は、各々属性に『適性』があるの。どの属性が使いやすいかってことね。それを測るのが、この所有属性エトス玉ってわけね」



 先ほどのように、シャノリアが小さな玉に触れる。すると玉の中に、昨日シャノリアの家で見たような水泡が生成された。



「基本五属性は火、水、雷、土、風の五つ。大抵たいていはこの五つの中のどれかに適性があるわ」

「んで、応用五属性は氷、くろがね、木、闇、光だ――適性ナシ、なんてことは億が一にも起こらねぇから安心しな」

「……属性間に、相性がありそうだな」

「覚えてたの? そう、基本五属性には相関関係そうかんかんけいがあるわ。火は水に弱い、水は雷に弱い、雷は土、土は風、そして風は火ね」

「応用五属性にはないのか?」

「おうよ。応用五属性は、そもそも基本五属性の組み合わせで作んのさ。氷は水と風、鉄は土と火、ってな具合にな。あとは説明メンドクセェ興味あんならテメェで勉強しろ」

「ま、まぁそんな風に……応用五属性は相関関係もなくて、色々と変則的なことも多いから難しいの――って、ここまで説明してきたけど、まだ今のうちは、そんなことは心配しなくてもいいわ。傭兵ようへいでもない限り、属性の相関関係なんてほとんど縁のない話だから――マリスタが黙ってるのを見れば、分かるでしょ?」

「……そうだな」



 確かに、いかにも知らなさそうな顔をしている…………待てよ。ということは、こいつは。



「し、知ってますから!!! 基本五属性くらい!!」

「もしかして、マリスタの所有属性エトスは……水なのか?」

「えっ……なんで分かったの!?」

「ご明察めいさつね、アマセ君」



 シャノリアが笑い、胸の下で腕を組んだ。



「マリスタは水属性を所有属性エトスとしているわ。だから同じ所有属性の魔術師わたしが、家で特別授業をしてあげてたってわけね」

「あ、そっか。アマセ君、あれ見てたからわかったのか」

「ディノバーツ先生、もういいでしょ説明は。さ、これをにぎんな坊主」



 投げ渡された球を受け取る。



「やり方は教わったんだろ? そいつに魔力を流せ、すぐわかる――つっても、魔力を流すってこと自体が初めてじゃ、込め方なんぞ一層分からんわな……こりゃいい。ディノバーツ先生、ちと頼んます。私ゃ小便に行ってくるんで」

「ちょ……今検査中ですよ先生」


 

 大きい方の玉をシャノリアに渡し、小さい硝子がらす玉を握る。

 幾度いくども見た魔法の光を思い浮かべ、



「いいんですって。どうせ、魔力を出すまでに時間かかるでしょそいつ。感覚覚えてねぇんだし……人間だって、生まれてから歩き出すまでに半年以上かかるんですから」



 空気と共にあるという魔素を意識し、



「そ、そんなのやってみないと分かりませんよっ。歩くのとは違いますし、」



〝――――『リセル』〟



 ――あの時を、思い出す。



「それに、そう焦んなくたっていいでしょ。小便くらい行かせてくださいよ。あ、もしかして先に行きたいんです? ディノバーツ先生。そりゃ気付かなくて申し訳ない」



 雨の中、俺に近付き、あまりにも弱々しく口付けた少女。

 そして見得みえた、光のトンネル。



「違いますから!! 二人体制でしっかり見ておかないと、もし不測ふそくの事態が起こったら――」



〝――ごめんなさい、圭。ごめんなさい――――〟



 熾きろ・・・



「んな大袈裟おおげさな――」



 俺の勘が正しければ――――俺の魔力回路ゼーレは、既に目覚めている――!



 ――――目に、刃が突き刺さった。



『!!!?』



 目の中に感じた、金属らしき冷たい衝撃はやがて消え。

 次いで、硝子がらす玉を持った右手から――張り詰めるような痛みを感じた。

 それがあまりにも痛くて……俺は、固く閉じていた目を、ゆっくりと開けた。



「…………氷…………」



 俺の右手は、硝子玉を巻き込んで凍結していた。



 花火のように、手から弾け飛ぶようにしてあらわれたらしい氷柱つららが、硝子玉から十数センチ伸びて止まっている。氷柱が発する冷気が極小の結晶を帯び、綺羅星きらぼしのようにその周囲を小さく舞う。――どうやら、俺が目に感じた「やいば」は、冷気の小さな欠片なようだった。



 しかし……氷の造形ぞうけいを初めて見た気分とは、こういうものなんだろうな。



「あ――アマセ君ッ!?」



 ――マリスタの声に呼応して、痛覚が一斉に自己主張を始める。

 痛みを感じる以上、完全に凍結しているわけではないんだろうが……っ。



「シャノリア。どうしたらいい、これは」

「っ、待ってね。ザードチップ先生、氷をお願いします」

「はいよ。ちっと手荒にいくぞ、坊主」

「ッ!?」



 言うと同時に、トルトは手で振り払うようにして――俺の手から伸びていた氷柱を残らず破壊した。残った氷柱もくだき落とし、あっという間に残りは俺の手をおおった氷だけとなる。



「これ砕くと手も砕けかねんですかねぇ」

「痛みは、感じるぞ」

「凍結の深度が分からない以上、下手に砕くのは危険だと思います――準備出来ました。アマセ君、手をこっちへ」



 シャノリアが用意したのは、いつかも見た拳大ほどの水の玉。そこに手を入れると、やがて氷の拘束が弱まり――――程なくして、俺は氷の手枷てかせから脱した。温かく感じる水が手を包み込む。



「どう? 手の感覚は戻ってきてる?」

「ああ……もう大丈夫そうだ、ありがとう。シャノリア、つまり俺の所有属性エトスは」

「ぶったまげるぜ、全く。『氷属性』……氷の所有属性エトスなんざ、滅多に聞かねぇぞ――つか、あーあ……魔法玉も一緒に壊しちまった……」

「てことはアマセ君、氷と……水と風も所有属性エトスとして持ってるってこと!? うわなにそれスゴ! ズルい!」

「……すごいことなのか。やはり」

「すごいというか……いい? アマセ君。所有属性エトスはその人間が生来備えている性質・・・・・・・・・を、魔力回路ゼーレを通してあらわれる十属性に当てはめて捉えたものなの。その『人間が生来備えている性質』のことを、創生淵源パトスっていうんだけど」

「パトス?」

「その人間の本質とでも言うべきか――花で言うなら花言葉ってとこか。ケイ・アマセって人間の花言葉――根源は、『氷のように冷たい何か』なんじゃないかってことさ。ハッ、こりゃおっかねぇ」

「ザードチップ先生。またそういうことを」



 非難の色を帯びたシャノリアの言葉に「別に悪気はねぇですよ」と手を振り――どこか楽しそうに、トルトは俺をじろりと見た。



創生淵源パトス所有属性エトスのようにはっきり調べることは出来ねぇ。自分が一体どんな本質を持つ人間なのか、んなもんは自分で理解してくしかねぇから当たり前っちゃ当たり前だが――面白おもしれぇじゃねぇか。自分が何者かも分からないお前に、創生淵源パトスは語りかけてんだ――――『お前は氷のような人間だ』ってな」

「俺が……氷のような人間」

「でも、本当に珍しいことなのよ。応用五属性が創生淵源パトスとして顕れたなんて、私は聞いたことさえないもの……本当にあなたは、どこからやって来たんでしょうね」

「ま! いっぺん見ちまえば興味もねぇけどな、所有属性エトス自体にはよ。さ、とっとと続きだ続き。検査事項じこうはまだまだ残ってんだ」



 付いていかない俺の脳など待たず、検査は続く。

 しかし――その他に、特筆するような出来事は何もなかった。



 筆記、文字が読めずに判定不能。

 魔法実技、一切知らずに判定不能。



 俺は所有属性エトス以外、何一つ測れる力を持ってはいなかった。

 測れる段階にすら、なかった。



「……分かっちゃいたけどよ。なぁディノバーツ先生。こいつ……マジで初等部しょとうぶへの編入へんにゅうも視野に入れたほうがよかないですかね。こいつが中等部に編入したところで、文字は読めねぇ勉強は遅れるコミュニケーションは取れねぇで、放校処分待ったなし、なんじゃないですか?」

「でも、通訳魔法つうやくまほう翻訳魔法ほんやくまほうを使えばある程度は……」

「公的な場ならいざ知らず、日常生活でまでご丁寧ていねいに使ってくれる奴ばかりじゃないでしょ。初等部なら、そりゃガキどもに囲まれてになりますが、文字なんかを一から勉強するには――」

「私が勉強見てあげますっ!」



 ぴーん、といやに伸びた背筋で、輪の外にいたマリスタが立候補する。もれなく三人分の疑いの目が向けられて明らかにたじろぐマリスタだったが、その背筋は伸ばされたままだった。



「いやあの、えーと……わ、私の勉強の復習にもなるかもしれませんしっ!! せっかく知り合えたわけだし、もっとイケメンとお近づき……じゃなくてっ、彼がどんな出で立ちの人か、分かっていますしっ!……それに、アマセ君が中等部になったら……私と同じ、レッドローブになるでしょうし。授業も一緒だろうから、教えやすいです」

「……確かにそうね。色々気をつかってくれる友人がいたほうが、アマセ君もやりやすいと思うし」

「いいんですか? おすすめはしませんぜ、わたしゃあ」

「アマセ君はどう?」



 たずねてくるシャノリア。俺が気になることは一つだった。



「シャノリア。学校には、図書室はあるのか?」

「へ? ええ、あるけれど」

「なら中等部編入にして欲しい。マリスタと同じ学年は可能なのか。確か最上級だったよな」

「え、ええそれも……確かに同い年らしいし、可能ではあるけど。本当にいいの? 中等部六年生って、勉強だってある程度――」

「足りない分は図書室で勉強する。だからそこで頼む」



 とにかく、知らなければ。

 世界のこと、魔法のこと、そして魔女のことを。



「――うし、それじゃ決まりだな。そのむねと検査結果、とっとと校長に報告しに行くぞ」



 トルトが大きな伸びをして去っていく。しばらく俺の目を見て小さく笑った後、シャノリアも続いた。俺も続こうとして、マリスタに回り込まれた。

 そのほおは期待に紅潮こうちょうし、目は心なしか輝いている。ここまで外見でワクワクしてるのが分かる奴も珍しい。

 マリスタが手を差し出した。



「……、なんだ」

「同じクラスだよね、きっと。――今度からよろしくね、アマセ君……ううん。ケイ・・っ!」

「!」



 ………………まあ、いいか。言いたいことは色々あるが、どうせここにいる間だけの付き合いだ。

 俺はひとりそう納得し、マリスタの手を握った。



「よろしく頼む。マリスタ」

「うんっ!」



 こうして、俺――ケイ・アマセは中等部六年生として、プレジア魔法魔術学校に編入することになった。

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