第五話 ハジメテの喧嘩 2
翌日、授業が終わる時間が確定し、あやはすぐに連絡を入れた。
『明日は学校が休みだよな?』
恵一朗からのメッセージにあやはすぐに返信した。
『はい、お休みです』
『授業が終わったら家に戻って、一泊分の旅行準備しておいて。十七時に家に戻るから』
恵一朗からの連絡にあやは首を傾げた。それでも彼とどこかに行けるのが嬉しくて、授業が早く終わらないかそわそわしてしまう。
授業が終わるとすぐに家に戻り、キャリーケースを引っ張り出した。洋服と下着、化粧品を詰めこむとあやは何度も時計を確認する。
十七時少し前に恵一朗が帰ってきた。
「ただいま、あや」
彼におかえりなさいと言いながらキスをするのも、日課になりつつある。
「準備しちゃうからちょっと待ってね」
恵一朗の準備はすぐに終わったようだ。
「これから木元ファームに行くよ。明日の夜の便で戻ってくるけどね」
「私も一緒でいいんですか?」
「もちろん。そのためにあやの休みを確認したんだから」
「ありがとうございます」
あやは久しぶりの故郷に嬉しくなった。空港への移動中に理佐へとメッセージを残す。
『今から帰るよ。明日なら会えると思うけど、理佐は休み?』
あやが理佐の返信に気付いたのは、地元の空港に着いた時だった。
『今夜はレストランのバイトだよ。明日は昼頃なら時間が取れそう』
理佐からのメッセージを読み、あやは恵一朗に相談した。
「恵一朗さん、理佐と会いたいんですが」
「いつ?」
「明日の昼間です」
「いいよ。夕方、迎えに行くから、場所を教えておいて」
「わかりました」
あやはそう言い、二人はまずレストランへと向かった。あやがまだバイトをしていた頃は、理佐もホールスタッフの一人だった。バイト中のはずなのに、彼女の姿が見当たらない。
「あや、久しぶり。都内の生活には慣れたか?」
イトコに話しかけられたあやは笑みを浮かべた。
「恵一朗さんがよくしてくれるから、少しは慣れたつもり」
「そうか、良かったな」
「理佐はバイトだって言っていたんだけど」
「うん、いるよ。今は厨房のスタッフとして調理担当してもらっているんだ」
「調理担当?」
あやは驚いた。
「すごいなぁ、理佐は。自分の夢にちゃんと向かっている感じで」
「あやは自分の夢に向かっていないの?」
恵一朗に問われ、あやは考え込んだ。
「小さな目標が一つずつ、恵一朗さんによって叶っていく感じです。進学もそうですが、バイトも決めてもらって」
「ほかには?」
「えっと、その――恵一朗さんと未来の約束をしているというか」
「あぁ、婚約か」
クッと笑った恵一朗にあやは耳まで赤く染まった。
「恥ずかしがらなくていいのに。あやは堂々と俺の婚約者として胸を張っていればいい」
恵一朗がそう言ってくれたが、あやにはその自信がどうにも持てない。
「食事が終わったら、オーナーと話すつもりなんだけど」
恵一朗がそう言い、あやは頷いた。ちょうどその時、四人グループの女性が店に入ってきた。あやの高校の時の同級生たちだ。
「あや? 帰ってきていたんだ。彼氏できたんだねぇ」
そう声を掛けられ、あやは頷くだけだ。
「鈴音ちゃんも帰ってきているんだよ。彼を追いかけて都内の大学を受けたのに、彼には彼女じゃなくて婚約者がいたとかでさぁ。騙されたって大騒ぎ」
笑いながらそう言われたあやは居た堪れなくなった。
「鈴音ちゃん、本気で好きだったみたいなんだよね。明日は市長が見合いだって言っていたけど」
「そうそう、失恋したばかりなのに可哀そうだよね」
そんな話を一通りあやにした後で、彼女たちは自分たちのテーブルについた。
「大丈夫? あや」
「あ、はい――大丈夫です。ただ鈴音ちゃんがお見合いって」
「大学はどうするつもりなんだろうな」
恵一朗はそう言い、食事をしていた。懐かしいはずのレストランの食事があまり喉を通っていかない。彼女たちのテーブルが近くて、会話が聞こえてくるのも気になる。
「あや、彼女たちの話はあくまで噂に過ぎないよ」
「え?」
「明日、十文字市長と面会があるのは俺だし、そこで見合いの話が出るとは到底考えられない。もちろん、俺と会った後に見合いが入ることもあるかもしれないけど、夕方からの見合いなんてあまり聞いたことがない」
「そうですよね。でも――」
「うん、気になるのは彼女たちの話の出所だ」
恵一朗がそう言い、あやも頷いた。
「あや! これ、私からのサービスだよ」
「理佐、ありがとう。これは?」
「まだ試作段階なんだけどね、来月の季節限定スイーツ」
「美味しそう。理佐はすごいね」
あやが笑みを浮かべてスイーツに手を伸ばすと、理佐がホッとしたように肩を落とした。
「何かが足りないんだよね。あや、食べたら正直な感想を教えてもらえる?」
食べながらあやは頷いた。
「見た目は可愛いし、美味しいと思う。甘さも酸っぱさもちょうどいいし、メロンの味も引き立っていると思う」
「うん、それで?」
「ただ、印象に残らない味かなぁ。どれもが美味しいんだけど、それぞれの個性がちゃんとあって調和も取れているんだけど、もう一度食べたいって思ってもインパクトが残らないかな」
「やっぱり、そうだよね。ありがと、あや。すごく参考になった」
「本当に?」
「うん、美味しいだけじゃダメだってわかっているんだ。ここで何を足してインパクトを付けるか、そこが問題なんだけど」
「理佐は本当に頑張っていてすごいなぁ」
「あやこそ、頑張ったんじゃないの? ピアス、怖がっていたのに開いているし」
理佐に言われ、あやは自分の耳朶に指で触れた。
「うん、恵一朗さんといると、やってみたいことが増えるの。でも」
「不安も大きいんだよな、あやは」
恵一朗の言葉に理佐が笑っていた。
「明日、ゆっくり話を聞くよ。いつものところでいいかな?」
理佐がそう言い、あやは時間を決めた。
「いつものところってどこ?」
恵一朗に問われ、あやは苦笑を浮かべる。
「高校の傍にあるファストフード店です」
「そうなんだ。いつものところっていい響きだね。俺もあやとそう呼べる場所を作りたいな」
「恵一朗さんはいつも新しいところに連れて行ってくれますよね」
「うん、いろんなところを見て、あやにはいっぱい吸収してもらいたいから」
「吸収ですか?」
「そう、感性を豊かにそして将来やりたいことを見つけるために、いろんなことを見て欲しい。そして選んで欲しい。選択肢が広がれば、きっと君のやりたいことも見つかると思うから」
恵一朗の言葉にあやはただ胸がいっぱいになった。レストランでオーナーと少し仕事の話をした恵一朗は、あやと一緒に木元ファームに来てくれた。
そのまま二人は別々の夜を過ごし、翌日あやは理佐とファストフード店で会っていた。
「おはよう、あや。久しぶりの実家はどうだった?」
理佐の挨拶にあやはふっと笑い出した。
「理佐、おはよう。実家は相変わらず、騒がしかったよ」
「だろうね。お兄ちゃんたちが構って来るんでしょ?」
「うん」
そう言いながら、あやははじめて恵一朗とベッドが違い、眠れなかったとは言い出せなかった。
「それであやはやっぱり藤巻さんとそうなったの?」
理佐の興味にあやは苦笑しながら頷いた。
「で、どうだった?」
「どうもこうもわからないよ。ねぇ、理佐」
「ん?」
理佐が身を乗り出し、あやは自分のドリンクを手で持った。
「二回目、シてもらえないってどういうことだと思う?」
「えっ? そういうこと? えっと、相手が忙しいとか、寝る時間が違うとか」
「全部当てはまるけど、毎日じゃないの」
「あやがアノ日とか」
理佐の言葉にあやははぁっと溜息を洩らした。
「何か考えてくれているとは思う。だけど、時間が経てば経つほど不安になってきちゃって」
あやの視線が床を彷徨う。
「本人に訊けばいいんじゃないの?」
「訊けないよ」
「私は訊いちゃったけど――この一度きりですかって」
「え? 理佐、いったい誰と?」
「前に話したでしょ? 憧れている先輩がいるって。その人と一緒にウエディングケーキの制作を手伝いに行ったんだ。その帰りに流れというかなんかそういう雰囲気になって」
「それで彼の答えは?」
「確かに雰囲気に流されたけど、ただそれだけの理由でこういうことにはならないって。順番は逆になったけど、ゆっくりとお互いを知りながら菓子職人としてもお互いの刺激になりたいって」
「それって、付き合ってるってこと?」
「うん、そうみたい。ね、話さなきゃわからないこともあるんだよ」
「そうだね」
あやは大きく頷いた。
理佐とたくさん話して気分転換ができたあやは、恵一朗と連絡を取った。すぐに迎えに来てくれた彼は、あやの実家にもう一度寄ってから空港に向かう。
二人が空港のチェックインカウンターに向かう時だった。
あやの目の前に、鈴音が立ちはだかった。
「鈴音ちゃん……」
「私も一緒に都内に戻るの。ご一緒してもいいですよね?」
恵一朗の腕に彼女の手が伸ばされ、あやは衝動的に鈴音の手を制した。
「恵一朗さんに触らないで」
「あやに言われたくないんだけど」
「どういう意味?」
「先に私から奪ったのはあなたでしょ。藤巻社長を返してもらうわ」
「イヤ!」
あやが恵一朗の腕をギュッと抱きしめる。
「チェックインの時間だから。十文字さん、俺の彼女を煽るようならご一緒できません」
恵一朗がそう言い、あやと一緒にカウンターに来た。
「あや、不安にならなくていいよ。彼女の言うことは気にしないで」
「本当に鈴音ちゃんと何もないんですか? 何かあったから奪ったなんて言われるんじゃ」
「飛行機に乗ったら話そうか」
恵一朗がそう言い、あやは彼の過去が気になって仕方なかった。
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