第三話 ハジメテの嫉妬 3

 鈴音があやを頻繁に誘う理由はわかっているつもりだ。

(藤巻さんのこと、好きだからだよね。少しでも会いたくて接点が持ちたいから)

 だからこそ、あやは鈴音に恵一朗を会わせたくない。そしてそんなことを思う自分自身が嫌だった。

(こんな気持ち、藤巻さんには知られたくない)

 結局、あやはその日の食事をよく覚えていなかった。何を話したのか途中から覚えていない。鈴音が笑うたびに苛立ちを募らせ、恵一朗の顔も真っすぐに見ていられなかった。

 鈴音を送った後、二人きりの車内は静まり返っていた。家に戻ってすぐにあやはバスルームを使わせてもらう。

 あやがシャワーを浴びた後で恵一朗がシャワーを浴びる。その間にあやは自分の部屋に入ってしまった。

「鈴音ちゃんに会いたくないなぁ」

 あやはボソッと呟いた。呟いた瞬間、あやは息を止めた。

(どうしてそんな酷いことを思いつくんだろう)

 同郷の友人は鈴音以外いないのに。鈴音の寂しさもわかるはずなのに、あやには恵一朗がいるせいか、故郷が恋しいとは思わなかった。会いたい友達はいるが、ホームシックは感じない。

(藤巻さんが一緒にいてくれるから、ホームシックにならないのかな)

 恵一朗もあやも傍にいない鈴音は、ホームシックに罹っているかもしれない。その気持ちはわからなくはないが、鈴音に恵一朗を会わせたくなかった。

 こんなことばかり考えているのが嫌になり、あやはコンビニに行って頭を冷やして来ようと思った。

 バスルームにいる恵一朗に声を掛けた。

「藤巻さん、コンビニに行ってきます。何か必要なものはありますか?」

 次の瞬間、恵一朗が腰にタオルを巻いた状態で慌てたように出てきた。均整の取れた上半身にあやは思わず、目を見開いた。まだ濡れている彼の手がしっかりとあやの腕を掴む。

「こんな時間に一人で外に行かせない。俺が一緒にいるのに、どうして一人で行こうとするの? あやちゃん」

「そ、それは」

 頭を冷やしたいと言いたかったのに、彼の姿にドキドキしすぎて言葉が出ない。

「俺も一緒に行くから、リビングでちょっと待っていて」

「でも」

「勝手に出て行ったら怒るよ」

 恵一朗の言葉にあやはビクッとした。

(どうしよう? 藤巻さんのこと、怒らせちゃった。あんなに怒るなんて)

 あやに対して、いつも恵一朗は優しくて笑顔を向けてくれていた。恵一朗に掴れた腕はギュッと力強く、いつもと違う。あやに対して怒っている恵一朗ははじめてでどうしていいかわからない。

 リビングであやは呆然と立ち尽くしていた。

「ごめんね、あやちゃん。びっくりしたよな」

 ギュッと背中から抱きしめられ、あやは首を横に振るのが精いっぱいだった。

「大人げない態度だった。本当にごめん」

「でも、私が」

 あやは自分が悪いのだと言おうとしたが、声が震えて言葉にならない。

「ごめん、俺のこと怖くてもうイヤ?」

「そんなこと、あるわけないじゃないですかっ!」

 ギュッと拳を握りしめた。そんな半端な気持ちで恵一朗の傍にいると思われたのが悔しかった。あやが握りしめた拳を恵一朗の大きな手が優しく包み込む。

「ごめん、意地悪をして」

「どうして今日は意地悪なことを言うんですか?」

 あやは思わずそう言葉にした。

「あやちゃんが嫉妬しているのが可愛かったんだけど――君は俺のことも見なくなって話もしてくれなかったね。あやちゃんの気持ちはわかるんだけど、ちょっと寂しくて意地悪をしちゃったんだ。だって家に帰っても一言も話してくれないし、俺がシャワーを浴びている時にコンビニに行くなんて言うんだから、意地悪もしたくなるよ」

 恵一朗の言葉にあやは返す言葉が見つからない。

「大人げないことをしてごめんね。俺はあやちゃんのこと、愛しているよ」

「藤巻さん、私も大好きです」

 ぎゅっと抱きしめられると、あやの肩から力が抜けた。そして急にお腹が空いてきて、ぐぅっと鳴ってしまった。

「あやちゃん、コンビニで何か買おうか。一緒に行こう。意地悪したお詫びに俺が買ってあげる。何がいい?」

「藤巻さん、子ども扱いしていませんか?」

「していないよ。子ども扱いしていたら――こんなことをしないだろ」

 あやの唇に彼の唇が重なった。ただ重なっただけの唇にあやは頬が熱くなった。


 あやはなんとなくサークルに入りにくくて入らないことにした。

「私も気後れしちゃうの。活発なサークル活動は楽しそうだけど、都会の人たちの娯楽って感じで」

 あやは鈴音と一緒にカフェでランチタイムを過ごしていた。

「鈴音ちゃんでもそう思うんだね」

「東京って少し怖いというか、変わっていると思うわ」

 鈴音がそう言い、あやは苦笑を浮かべるだけだ。

「あや、この後は休講でしょう? ショッピングに行かない?」

 鈴音の言葉にあやは首を横に振った。

「ごめん。この後、藤巻さんに呼ばれていて」

 恵一朗に休講になったことを連絡すると、十六時の約束だったが早めに迎えに来ると言われた。この日は、恵一朗と約束している日だった。

「そうなのね。そうそう日曜日に父がこっちに来るの。よかったらお食事でも」

「うん、時間が決まったら教えて」

 あやはそう言い、立ち上がった。鈴音も一緒に立ち上がり、二人は会計を済ませる。

「ゴールデンウィークに理佐が遊びに来るの。よかったら鈴音ちゃんも一緒に」

 あやはそう言い、詳しく決まったら連絡することにした。

 約束よりも早い時間にあやは大学近くの駅前にいた。恵一朗の秘書である友坂が迎えに来ると思っていたが、恵一朗の車が見えて驚いた。

「恵一朗さん、お仕事は?」

「ちょうど外出していて、あやちゃんを迎えに行くのにいい時間だったから」

「ありがとうございます」

 あやは急いで彼の車に乗り込んだ。そして連れてこられたのは高級ホテルの一室だった。

「ここで準備して待っていてくれるかな。あとで迎えに来るよ。飲み物とか欲しかったら頼んでいいから」

 恵一朗とは入れ違いに、二人の女性が部屋に入ってきた。

「本日、担当させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」

 何のことかわからないが、挨拶されたあやは頭をぺこりと下げてしまう。

「まずこちらに着替えて頂けますか?」

 箱を手渡され、あやはベッドルームに通された。

「うわぁ、これってドレス? すごく素敵」

 高級そうなドレスに戸惑ったが、着なくてはいけない雰囲気が漂っていた。ドレスに着替え、ベッドルームを出る。ソファにはタオルが掛けられ、あやはそこに腰を下ろした。ドレスが汚れないようにカバーを付けられると、女性二人は手分けするようにあやにメイクを施していく。一人の女性があやの髪の毛をまとめると、すぐに化粧を落としてメイクを直していく。もう一人はあやの指先のケアを始め、黙々と彼女たちの仕事が進んでいく。

 あやはされるがままだった。二時間もソファで同じ姿勢をしていたせいか、身体のあちこちが固くなっているような気がする。

「失礼いたします」

 そう言われ、あやの肩や首を丁寧に揉みほぐされ、ようやくすべてが終わったらしい。

「こちらでご確認を」

 鏡の前に連れて行かれ、あやは鏡の中の自分に驚いた。

(誰――?)

 鏡に恵一朗が映り込み、あやは思わず振り返った。

「すごく綺麗だ、あやちゃん。あーぁ、君たちが頑張ってくれたのはありがたいけど、ここまで綺麗にされちゃうと連れて歩きたくなくなるよ」

「社長、そんなことおっしゃられても」

「うん、わかっているよ。ボーナス込みで――」

 恵一朗が封筒を渡し、二人の女性たちが部屋を出て行った。

「あの、藤巻さん――これってどういうことですか?」

「取引先が集まる立食パーティーがあるんだ。そこに同伴してほしくて準備を頼んだんだ。あぁ、でもこんなに綺麗になったあやちゃんは俺が独り占めしたい」

 ぎゅっと抱きしめられたあやだが、頭の中が真っ白だった。

(取引先が集まるパーティー? パーティーって何?)

「ごめん、驚かせようとは思っていたけど、パニックだろうね。あやちゃん、俺にエスコートさせて。君は俺の隣で歩いてくれるだけでいいから」

「あの、でも」

 あやは何を言ったらいいのかわからない。

「カジュアルなパーティーだから気にしなくていいよ。それともこんなに若くて綺麗なお嬢さんは、アラサーのおっさんの隣を歩きたくないかな?」

「そんなっ! 藤巻さんは素敵です。私の方が釣り合わないし、田舎娘だし」

「あやちゃんは俺が惚れた可愛い女性だよ」

 恵一朗にギュッと抱きしめられ、こめかみにキスをされる。彼に手を引かれてゆっくりと歩き出し、パーティー会場へと向かった。

 ホテルのパーティー会場は見たことのない豪華さだ。たくさんの料理が並び、ウエイターがドリンクを銀のトレーにのせて歩き回っている。

(お金持ちがいっぱい――みんな優雅に笑っていて)

 あやは怖いとしか思えなかった。

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