第一話 ハジメテの恋 2

 恵一朗の運転はとてもスムーズで、あやは見慣れた風景でさえも違う場所のような気がしていた。卒業式が終わってすぐに彼とデートができるなんて夢のようだ。

「うわぁ、素敵なお店」

「喜んでくれてよかった。合格発表を一緒に見に行きたかったんだけど、仕事がどうしても抜けられなくて」

「いえ、ホテルを用意していただけただけで十分です」

「でも、発表の日って不安だろ? 俺は彼女が不安な時は傍にいてやりたいから」

「藤巻さん、彼女って」

「今日から俺の彼女だろ?」

「合格発表の時は彼女じゃないですね」

 クスッと笑ったあやに恵一朗も笑っていた。

 恵一朗が連れてきてくれたのは、駅近くのカフェだ。

「制服姿のあやちゃんを連れまわしていると、悪いことをしている気分になるんだけど」

「あ、着替えたほうがいいですか?」

「一度、制服姿の君とデートをしたかったんだよね。お腹が空いているだろ? 何がいい?」

 恵一朗の言葉にあやはメニューを覗き込んだ。

「おすすめはこのランチ、どう?」

 恵一朗に勧められ、あやはパスタのランチを注文する。

「これからの予定は今夜、君の両親と相談するけど」

 恵一朗が切り出し、あやは身を乗り出した。

「あやちゃんも俺と住むこと、楽しみにしているんだ?」

「一緒に住むこと、許してもらえるか不安ですけど」

「場所はあやちゃんの大学からも近くて、俺の通勤にも便利なところにしたよ。もし気に入らなかったら、時間を見つけて引っ越してもいい。君に相談せずに決めちゃったから」

「藤巻さんのご迷惑にならないようにします」

「あははは、あやちゃんを傍に置きたいのは俺の方だからね」

「傍にいたいのは私も一緒です」

 あやがそう言い、恵一朗は笑顔を見せた。

「言っておくけど、俺の方があやちゃんのことを好きだから」

「私も、藤巻さんのこと」

 あやが好きだと言おうとした時、ちょうど注文したパスタが届けられた。

「さぁ、食べて」

 食事をしながらたわいのない話をする。恵一朗と過ごす時間は本当に穏やかで、ゆっくりと流れているような気がする。

 食事を終わらせると、恵一朗の運転であやはドライブを楽しんだ。

「家族旅行とかしたことがなくて」

「来たことがないの?」

「学校の遠足とかで来たことがあります。友人たちも農家の子が多くて、家族で出かけるってことがなかったんです」

「そうなんだ。修学旅行は東京だった?」

「はい、すごく楽しかったです」

「そっか」

 恵一朗は笑っていて、あやは疑問を抱いた。

「藤巻さんは修学旅行、どこに行ったんですか?」

「俺? 中学は京都と奈良で高校の時はイギリスだったかな」

「イギリス? 海外ですか?」

「そんなにすごいことじゃないよ。私立の高校は海外に行くことが多いから」

「海外、行ってみたいな」

「連れて行ってあげるよ、いつでも」

「えっ? そんな」

「行きたい国、どこかある?」

 恵一朗の言葉にあやは頭の中が真っ白になった。

「えっ、えっと――国?」

「うん、どこかある?」

「急に言われても」

 あやが悩んでいると恵一朗が笑っていた。

「藤巻さん、からかっていますよね?」

「そんなことないよ。あやちゃんと旅行にも行きたいと思っているよ。でもまず、君には新しい生活に慣れて欲しいからね」

 あやはドキッとしながら、恵一朗とドライブを楽しんだ。友達と来たことがある場所でも恵一朗と訪れると、景色が違って見える。

(私が初めて好きになった人。今日から、彼氏――ってなんかすごい)

 恵一朗と展望台で手を繋いだ。

「制服姿のあやちゃんはもう見られないんだよね」

 そう言って恵一朗がスマートフォンで写真を撮る。その度に高校を卒業した実感が沸きあがってきた。

「そうだ、あやちゃん」

 写真シールを二人で撮りに行き、あやは笑っていた。

「こんなの高校生の時もしたことがなかったけど、すごく嬉しいものだね」

「藤巻さんがこういうのをするとは思わなかったです」

「俺もこういうタイプだとは思わなかった」

 目が合うとすぐに笑ってしまう。

 夕方まで二人ははじめてのデートを楽しんだ。それからあやの実家である木元ファームへと戻ってきた。

 木元ファームの駐車場には見慣れない車が停まっていた。この辺りではあまり見かけない高級車に、あやは恵一朗の知り合いが来ているのだと勝手に思っていた。

「ただいま」

 あやは恵一朗と一緒に家に入った。

「着替えていらっしゃい」

 母親の言葉に素直に頷き、あやは着替えるために自分の部屋に向かった。着替えを済ませて一階に降りると、客間には兄たちとイトコも夫婦で揃っていた。

「こんばんは、あや」

「こんばんは、鈴音(すずね)ちゃん」

 あやはぺこっと頭を下げた。十文(じゅうもん)字(じ)鈴音とあやは幼稚園からずっと一緒の学び舎で過ごしてきた。すごく仲の良い友人というわけではないが、顔を合わせれば話す程度の付き合いだ。その鈴音は彼女の父親と恵一朗の間に座っている。恵一朗の隣を取られたあやは、なんとなく面白くない。

「十文字市長が藤巻さんと話があるらしくてね」

 大地が自分の隣にあやを座らせ、話し始めた。鈴音の父親は市議会議員を経て昨年、市長に当選した。

「今までは観光業で潤っていたこの町ですが、それだけでは赤字になってしまうので経済効果を求めて何かないかと」

「私ではお役に立てないかと」

 恵一朗が謙遜していたが、ほかの人からの評価は絶大だ。

「お話は伺いますが、我が社のコンサルタントも含めてという形でいかがでしょうか。ただ本日はあやちゃんの卒業祝いの席なので仕事の話はこれで終わりにしていただけませんか?」

 やんわりとした恵一朗の言葉に、あやは少しだけ嬉しかった。

「あや、東京の大学って本当?」

「うん」

 鈴音に訊かれ、あやは頷いた。

「私も都内の大学に進学が決まったんだけど、心細くて。よかったら一緒に上京しない?」

「鈴音ちゃんはいつ都内に引っ越すの?」

「住むところは決まっているんだけど、まだ引っ越しの日を決めていなくて」

 彼女はふんわりとした笑みを浮かべる。鈴音の所作は女性らしく、どこか気品さえもあるように感じられた。

(こんな仕草する子だったっけ?)

 あやはそう思ったが、そこまで鈴音と親しいわけではない。

「私もまだ引っ越しの日は決めていないけど。大学はどこなの?」

 鈴音の進学先を聞いても、その大学がどこにあるのかわからない。

「あやちゃんの大学から二駅ほどかな。遠くはないよ」

 恵一朗が教えてくれて、あやは頷くだけだった。

 あやの卒業祝いだったが、なぜか鈴音も一緒で二人の卒業祝いの席になった。男性陣は途中から仕事の話になり、恵一朗も巻き込まれている。

 結局この夜は鈴音たちもいたのもあって、あやと恵一朗の今後を話す時間はなかった。

 翌日、恵一朗がまたあやの家に来てくれて、二人は並んで座った。目の前には両親と兄たちが並び、あやは緊張していた。

「あやさんとの交際を認めてもらえませんか?」

 恵一朗が切り出し、都内での暮らしはすべて恵一朗が責任を持って面倒を見ると言ってくれた。

「あやが大学受験を乗り切れたのは、藤巻社長のおかげだと思います。ただ親としては嫁に出すには早く感じるし」

 父親が渋り、雄一が笑いながら答えた。

「単に悔しいだけだろう。あやは一人娘だから可愛がってきたし、俺たちにとっても可愛い妹だから寂しくなるけど」

 雄一の言葉を引き継ぐように今度は母親が口を開いた。

「でもね、あやが昨日の卒業式の後で藤巻さんに会えた時、本当に嬉しそうだったの。二人の想いは十分伝わっているし、真剣なこともわかっているから。一つだけ約束してほしいの。大学はちゃんと卒業しなさい。そしてあやは将来をしっかりと決めて自分の足で歩けるようになったら、結婚を考えなさい」

 母親の言葉にあやは大きく頷いた。

「父さんも覚悟を決めたはずだろ。あや、もし藤巻さんのことが嫌いになったらいつでも戻っておいで」

 大地がそう言い、あやは苦笑を浮かべる。

「あら、ダメよ。あや、藤巻さんを逃したらいい人なんていないわ。しっかり掴んで離さないほうがいいわよ」

 母親が反論し、あやは言葉にならない。

「私があやさんを離せないので。次に改まってあやさんとの将来を話に来るときは、覚悟を決めてくださいね。もちろん、私が仕事でこちらに来るときであやさんの都合が合えば、一緒に来ます」

「よろしくお願いします」

 恵一朗の言葉に、家族みんなが頭を下げていた。その姿にあやは思わず涙が溢れた。

「引っ越しの日ですが」

 引っ越しの日が決まり、あやは鈴音に連絡するか迷っていた。

 恵一朗が一度、都内に戻り、あやは彼を見送った。

「じゃ、二週間後、迎えに来るから」

「東京まで一人で行けますよ」

「うん、知っているけど、ちゃんと君のご両親にも挨拶をしないといけないからね」

 恵一朗はそう言い、あやの額に唇を落とした。

 あやは引っ越しの準備をしながら、合間を見て親友の石川(いしかわ)理(り)佐(さ)と買い物をしていた。

「あやは東京かぁ。やっぱりいいなぁ。バイト先に来ていた人と付き合うんでしょ?」

「うん、藤巻さんと――そのっ、付き合ってる」

 まだ付き合っているというだけで照れてしまうあやに対し、理佐は笑っていた。

「大人っぽい雰囲気なのに、あやはウブだもんね。初彼おめでとう」

「ありがとう。それでね、理佐も知っているでしょ? 鈴音ちゃん」

「十文字?」

「そう、彼女も都内の大学らしくて」

「へぇ、鈴音ちゃんも都内なんて意外」

「一緒に上京しないかって言われたんだけど」

「あやは藤巻さんがお迎えに来るんでしょ?」

 理佐の言葉にあやは頷いた。鈴音と一緒に行くべきか悩んでいる。

「とりあえず、日程だけ伝えたら? あやは都内でお世話になる人と一緒に上京するって言えばいいんじゃないの」

 理佐の言い分はもっともだ。

「で、理佐は?」

「うん、木元ファームのレストランでバイトしながら、調理師の免許を取るつもりだよ」

「じゃ、こっちに戻ってきたら遊んでね」

「都内に遊びに行くからよろしく」

 二人は笑いながら、買い物をしていた。

 あやの引っ越し当日、理佐は空港まで来てくれた。恵一朗が迎えに来てくれて、鈴音も一緒だった。

「あやがお世話になる人って藤巻社長のことだったの? 木元ファームでお世話になっているからよね?」

 鈴音に小声で尋ねられ、あやは付き合っているとなぜか言い出しにくかった。

「あや、またね」

「うん、理佐もまたね」

 鈴音も一緒に理佐に手を振り、あやは恵一朗と鈴音と歩き出した。

「十文字さん、君の家はどこ? 最寄りの駅とかわかる?」

 飛行機の中で恵一朗が鈴音に話しかけた。

「これが新しい家の住所ですが」

 鈴音が恵一朗にしなだれながら、メモを渡した。

(恵一朗さんが真ん中の席ってやっぱり失敗だった気がする)

 あやは窓際を選び、鈴音はトイレに行きたくなったら困るからと通路側を選んだ。必然的に恵一朗が真ん中の席になってしまった。

(いくら飛行機が空いているからって座席まで変えてもらうなんて)

 鈴音らしいと言えば鈴音らしいのだが、あやは彼女の行動が気になって仕方ない。

「じゃ、先に十文字さんの家を経由しようか」

「すみません」

「いや、通り道だから構わないよ」

 恵一朗が優しくて、あやはなんだかモヤモヤしていた。


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