第28話 勿忘草 終


 それは、遥か昔のことだった。

 その時なぜ鬼が弱ったのか、そのことについてはもう記憶から消えていた。どうでも良いことだった。記憶する価値もないことだ。少なくとも鬼にとって、己が弱った記憶など、恥以外の何物でもない。

 鬼が覚えていたのは、どうして弱ったかではなく、どうして助かったのか、であった。


 身体中が痛かった。どこもかしこも傷だらけ。折れた骨が内臓を傷つけているのか、時折咳と共に血を吐き出していた。

 このままここで死ぬのかもしれない。冗談ではなく思った。

 死ぬのは怖い。誰だって怖い。だが思いの外、心は落ち着いていた。理由はわかっていた。

「あはは、畜生、いてぇなあ」

 言ったのは己ではない。隣でやはり傷つき血を流す、人間の友だった。

「もうダメかもな。おれも、お前も」

 己の口が弱気な言葉を紡ぐ。それを聞いた友がピクリと耳を動かした。

「おい、何てこというんだ」

「だって、事実だろう」

「……お前が人を喰っていれば、こんなことにはならなかった」

「それは言うなよ。怒るぞ」

 視線に怒気を孕ませて友を睨む。友はおとなしく口をつぐんだ。

 鬼はもうずいぶんと、人を喰っていなかった。友と出会ってからだから、もう一年近く喰っていないのか。

 鬼には、たくさんの種類がいる。その中でも己は、とても不便な能力を得てしまった鬼であるとの自負がある。

 鬼は、喰った人の数だけ強くなった。

 人を喰わないでいると、少しずつ、しかし確実に弱くなる。

 そして長く人を喰わないと、鬼は気が狂って死ぬ。

 たぶん、人を喰わずに生きるのは、一年か、二年が限界だ。

 鬼は限界を感じていた。友といるときに、時折狂おしいほどの食欲を感じる。ほんの少し己の意思が弱かったら、友の体を八つ裂きにして、温かな血の滴る心の臓にかぶりついていたのかもしれない。

「おれはもう、人は喰いたくないよ」

 それは、心からの言葉だった。

 昔は、大丈夫だった。人がどんな生き物か知らなかったから。でも今は、人の温もりを知っている。人の優しさを知っている。人の命の尊さを知っている。人を喰わねば生きられない。それを知ってもなお、もう二度と、人を喰いたくはなかった。

 限界まで人を喰わず、狂う直前まで友といる。そして限界がきたその時は、己で命を絶とうと決めていた。

 鬼としては、短い一生であろう。だが、それがそのまま不幸であるわけではない。鬼は少なくとも、己を不幸だとは思っていなかった。

「なあ知ってるか」

 唐突に、友が口を開いた。

「? なんだ」

「おれはな、魚が好物なんだ」

「知ってるが」

「魚ってさ、生きてるんだ」

 友が何を言いたいのかわかって、鬼は口をつぐんだ。

「人と鬼って、何が違うんだろうな」

 友は真っ白な顔を鬼に向けて微笑んだ。

「一年も食わずにいられるなんて、すごいよな。おれは、せいぜい十日が限界だ」

「魚と、人は違う」

「何が違うんだ? お前は魚に聞いたことがあるのか?」

「おい、もうやめろ。どうせもう最後なんだ。もっと楽しい話をしよう」

「勝手に最後にするなよ」

「気持ちはわかるが……。実際、もう無理だ」

 友の体から流れ出る血の量は、じき致死量に至るだろう。己の怪我とて、生命力の弱った今、回復できる範疇にない。

 死ぬのは怖かった。でも、友がいるから。友が一緒に死んでくれるなら、恐怖にだって打ち勝てる。

「最期の頼みだ。一緒に死んでくれ、友よ。次はあの世への道を、旅しよう」

 鬼は笑った。どうせもう少ししたら、己で絶とうと決めていた命なのだ。とてもとても酷いことだが、むしろ友と一緒に死ねることが、ほんの少し嬉しかった。

「お前をひとり残さずに済んで、よかった。おれがひとり残されずに済んで、よかった。そう思うおれは、すでに狂っているのかもしれん」

 鬼は笑って先の言葉を繰り返した。一緒に逝こう、と。しかし友は首を振った。

「ダメだ。おれはお前とは、一緒に死ねない」

「な、なんでだ」

 断られるとは思っていなかった。動揺を隠せない鬼に、友は可笑しそうにクスクス笑った。

「捨てられた子犬みたいな顔だな。人喰い鬼の名が泣くぞ」

「人は喰わんと言っているだろう」

「いや、お前は人喰い鬼だよ。

 お前がどれだけ拒んでも、関係ない。おれが人間であることをやめられないように、お前は人喰い鬼なんだよ」

「最後の最後に、喧嘩を売っているのか」

「そうじゃない。そうじゃないんだ」

 友が鬼に手を伸ばした。ごつごつした頰にそっと触れてくる。人の子の、柔らかい掌を感じる。

「おれはお前が大事なんだ。鬼だろうが何だろうが、関係ない。

 だから、お前が生きるために人の命が必要なら、犠牲にしてしまえばいいと思ってる」

 それが自然なことだから。人喰い鬼が人を喰うのは、人が魚を喰うくらい自然なことだから。

「罪なわけあるか。お前はただ生きているだけだ。そんなものが罪になるなら、この世で最も罪深いのは、こんな世界を作った神だろう。喰わなきゃ死ぬんだ。そもそもが殺し合いを前提にした世界なんだぞ」

 どさっと、友の体重が己に被さってきた。とうとう、座っていることさえ難しくなったのだ。

「おい、おい。しっかりしろ」

「本当に、もう、限界かな」

 呼吸の音がひゅうひゅうと荒い。友が顔を上げた。

「頼みがある」

「なんだ、何でも言え」

「おれを喰ってくれ」

 友は鬼に嘆願した。

「おれを喰って、お前は生きてくれ。おれを喰えば、お前の傷は癒えるだろう」

「ふざけるな。お前、それは、それだけはだめだ」

「早くしてくれ。死体を喰っても、意味がないんだろう? 早くしないと、喰われる前におれの命が尽きる」

 友は泣きそうな顔を鬼に向けた。鬼の首に手を回し、抱きついてくる。鬼の口元に、柔らかな首筋が差し出された。うまそうな血の匂いが鼻孔を満たす。狂おしいほどの食欲が、鬼の脳髄を刺激した。

「生きて、村を守ってくれないか。お前とは違って、殺すことに容赦のない鬼がこの世には山ほどいる。お前が村のそばを縄張りにしている限り、他の鬼が村を襲うことはほとんどない。

 生贄を許す世界なんだ。お前が年に数人殺しても、それ以上の数を救えば、きっと許される。それでも心が痛むなら、どうか、喰う相手に、人間に、敬意を持って接してくれ。それで充分だ。

 酷いこと頼んで、ごめんな。でもおれは、お前に、生きてほしい」

 鬼の牙が、ゆっくりと友の首筋に突き刺さった。

「おれは、お前と一緒に死にたかった。一緒に死んで、閻魔様に次の輪廻ではお前と同じ種族にしてくれと、頼むつもりだった」

「あ、はは……。じゃあ、閻魔様のところには、先に行って、待ってる、よ」

 いつまでだって待っているから、なるべく遅く来いよ。それが友の最期の言葉になった。



 ソウマは、勿忘草に蓄積された鬼の記憶をのぞいていた。

 勿忘草は過去の記憶を鮮明に覚えていた。それをそのままソウマに見せた。勿忘草に感情はない。ないはずだ。だのに鬼の悲しみが、鬼の苦しみが、ソウマの胸の奥深くに染み込んでくる。

「こんなの……っ」

 知ってどうするんだ。鬼にどんな事情があろうと、鬼がヨナを喰った事実に変わりはない。恨めしくて仕方ない。かつて鬼の友が、鬼の命を優先したように、ソウマにとってヨナの命は優先されるべき大事な命だ。

 自分勝手と詰られようと、ソウマはヨナに生きていて欲しかったのに。

「知ったところで、おれはあんたを許せない」

「そりゃあ、そうだろうなぁ」

 鬼は静かにそう言った。

「別に許せなどと言うつもりはない。おれを殺したいならそうすればいい。素直に殺されてやることはできないが、お前のその意思は尊重しよう」

 鬼が金棒を片手に持ち直した。ソウマは刀を構えようとして、手に持つものが勿忘草であったことを思い出した。刀はミツキの手の中だ。

 ソウマは助けを求めるようにミツキに視線を送った。しかしミツキは首を横に振る。

「これを返すつもりはないよ。敵討ちがしたいなら、こんなものに頼らずに、自分の力でおやりよ。全て納得して挑むと言うなら、どんな結果になろうと、私は手を出さないから」

 そしてミツキは己の脇差をこちらに放り投げた。

「こっちでいいなら、どうぞ」

 ソウマは空中でそれを掴み、引き抜いた。長さは短いし、特に不思議な力が湧いてくることはない。それでも手入れはされているようで、白金の輝きに濁りはなかった。

「借りる」

 鞘を投げ捨て、鬼に向かった。


 さっきと同じように、鬼に斬りかかった。だがソウマの動きは明らかに鬼に劣っていた。きっとその気になれば、鬼の得物の一振りで、ソウマはぺちゃんこになるだろう。

(勝てない)

 普通に戦ったのでは、無理だ。

 ソウマはすぐ近くの木立の中に逃げ込んだ。そして小石やら木の枝やらを拾い集め、武器を集めた。片端からそれを投げる。

 鬼は難なくそれを躱した。少しずつソウマのいる方へ近づいてくる。

 ソウマは崖の方へ移動した。鬼もまた、崖の方へ近づく。鬼の目が崖へ向く。突き落とされることを警戒しているのだろう。

 手にしたたくさんの小石を、鬼の顔めがけて投げた。鬼が片手でそれを防ぐ。鬼の視界が狭まったそのタイミングで、ソウマ本人も森の中から飛び出した。

 着ていた着物を鬼の顔にかぶせた。服の裾を持って、全体重をかけて崖下に飛び降りる。

 あっと、誰かが叫んだ。ソウマが崖に吸い込まれるようにして、消えていく。

鬼もまた体勢を崩した。持ちこたえかけたその時、ソウマの持つ脇差が鬼の足の指を切り裂いた。鬼が大きく体勢を崩す。

 そして。

 鬼が、ソウマと一緒になって崖下へと落ちていく。

 死を間際に、鬼が笑った。そして言った。

「まさか己の命と引き換えに、おれを殺そうとするとは。天晴だ、人の子。よもや人の子に遅れをとるとは思わなんだ」

 鬼がソウマに手を伸ばす。抵抗するつもりはなかった。どうせ崖下に叩きつけられれば、鬼も己も死ぬ。ここで首を折られても、死ぬのが数呼吸の間早くなるだけ。

 しかし鬼は、幼子にするようにソウマを抱えた。

「動くなよ」

 その直後、大きな衝撃が全身を襲い、ソウマは意識を失った。

 意識を失う直前、風に舞う勿忘草の花が見えた。



 あの人に。

 明日は大切な日だから、私を好いてくれた、あの人に。

 ヨナが、うっすらと微笑みながら花を摘んでいる。

 ヨナ。声をかけて手を伸ばすが、ソウマの手はヨナの体を突き抜けてしまった。

(ああ、そうか。ここは、ヨナの最後の記憶の中か)

 勿忘草が溜め込んだ、記憶。

 ソウマの手がそっとヨナの頰に触れる。暖かい感触などない。触れている感触もない。ただ見た目だけ、ヨナに触れている。

「ヨナ、ここにいたのか」

 男の声がして、ヨナが振り返った。

「まあ」

 そこにいたのは、ヨナの縁談相手であった。

「家を抜け出したと聞いたときは、度肝を抜かれたよ。やめてくれ、こういうことは。君は自分の体のことをわかっているのか?」

「わかっていますよ。わかっているから、ここにいるんです」

 ヨナは屈託なく笑ったが、その笑顔はどこかぎこちなく、他人行儀であった。間も無く夫となる男に向けるようなものではない。

「私は、もう長くないんでしょう?」

 ヨナの言葉に、男は目を見張った。

「それは……」

「気づいてましたよ。私の体のことですもの。ね、お医者様」

 ヨナは男を医者と呼んだ。ソウマの記憶が確かなら、たしか男は商人だったはずなのに。

「そこまでわかっているのなら、大人しく従ってくれ。そんな君を救うことが、私の仕事だ」

「救う? 私の何をですか? 命を? 違いますよね。あなたが両親から頼まれているのは、私をなるべく楽に死なせること」

「…………」

 男はそのときになってようやく、ヨナが勿忘草を積んでいることに気づいたらしい。何をしているのかと首を傾げた。

「あの人に、渡したくて」

「あの人? ああ、ソウマ君、だっけ」

「そうです。たぶんもう、最後になるから」

 愛おしそうにヨナは勿忘草に微笑みかける。

「勿忘草の花言葉、知ってますか?」

「……『私を忘れないで』だったか」

「あたりです。

 ……ずるいと思いますか? 私はもう死ぬのに、生きているあの人の足を、引っ張ろうとしている」

「そう思ったから、私と婚約したなどと、嘘をついたのか? せめてソウマ君が、君のことを引きずらないで済むように?」

 ヨナは答えなかった。ただ俯いて、しばらくの間黙っていた。

「お医者様。どうしても私は、あの人に勿忘草を渡したいのです。

 私のことなど忘れて欲しい。でも忘れて欲しくない。だから私はあの人に何も言わず、ただこの花を渡したいのです。言葉にできない気持ちを、花にして渡したいのです。

 あまり遅くならないようにしますから、見逃してくれませんか」

「もう手遅れだろう。待っているから、早くしてくれ」

「一人で、摘みたいのです」

「しかし」

「お願いです。最期の、お願いです」

 最期の、を強調した彼女の願いに、男はやがて頷いた。彼女は小さくありがとうと呟いて、再び花を摘み始めた。



 目を覚ますと、まず空が見えた。

 遠くに青い空が見える。そう長く気を失っていたのではないらしい。体を起こすと、地面が妙に柔らかいのに気がついた。

「! 鬼……」

 崖から落ちたソウマの体は、柔らかな鬼の体に守られたようだ。あちこち痛むが、骨に異常はなさそうだった。

 鬼は頭からだくだくと血を流して、ピクリとも動かない。

 ありがとうと言うべきか悩んで、しかし言葉は出てこなかった。ただ、鬼の亡骸に向けて、丁寧に頭を下げた。相手が誰であっても、死者には、敬意を持つべきだから。

 それからふと思い出して、ミツキに借りていた脇差を鬼の亡骸に持たせた。ミツキと鬼は顔見知りらしかったから、おそらく後でミツキが鬼を探しに来るだろう。

「なんか、疲れたな」

 達成感はなかった。仇を討ったといっても、どこか心は虚しかった。

 腹が減った。米が喰いたい。魚も。たくあんも。喰わねば生きていけないから。

 他の命を奪ってでも、ソウマの体は生きようとしていた。

「弟たちも、そろそろ、腹すかせてるかな」

 生きねばならない。ヨナのいないこの世界でも。


 それからしばらく後のこと。

 鬼が瞬きをして、それからむくりと起き上がった。鬼は目を白黒させて瞬きをし、それから崖上を見た。そしてそこに、藍染の着物を着た人影を見たに違いない。何かを納得した様子で、そのままそこから立ち去った。

 今にも崩れ落ちそうな崖に腰掛け、足をブラブラさせたまま、それを眺めていたミツキは、不意に己の背後へと声をかけた。

「邪魔をしてごめんね」

 ミツキの背後には、ひどく整った顔立ちの何かが立っていた。

「謝罪なさるということは、悪いことをしたとの自覚はおありなのですね」

 それは無造作に垂れ流した長い髪の隙間から、渋面をミツキへ向けた。ミツキは頬杖をついたまま、悪びれもせずに舌を出した。

「いや、あんまり。お前さんの方こそ、ずいぶん酷いことをするじゃあないか。こんな刀、人の子に渡して良い代物ではないよ」

 ミツキはソウマから奪った刀をそれの方に放り投げた。投げ出された刀は、それに到達する前に、空中でかき消えた。

「人の子がそれを望んだので」

「お前さんが差し向けたんだろう?」

「……何が悪いのですか。

 私は、人の子にそう望まれた。鬼を殺して欲しいと、そう望まれて生まれたんです。鬼を許してしまったら、私の存在は霞となり消えてしまうでしょう」

 それは細く白い指先を己の胸に当てた。

「たくさんの、罪のない乙女たちが生贄に捧げられた。彼女たちの命が私を作ったのです。その命に報いるために、私は鬼を殺さなくてはなりません」

 悔しそうに、胸に当てた手で拳を作る。それが小刻みに震えていた。

「私自身で戦うことができれば、私の命などいくらでも捨て去りましょう。でも、私の材料はそもそもがひ弱な乙女たち。私の体は、ただの人の子以上に脆弱なのです。

 あの人の子には、悪いことをしたと思っていますよ。けれど、己の命を捨ててでも鬼を殺したいと、そう感じた者の前にしか、私は姿を現しません」

「お前さんの立場はわかっているつもりだよ。だから悪かったと、謝っているじゃあないか」

 頰を膨らまして、再び謝罪の言葉を述べるミツキに、それは至って不満げに鼻を鳴らした。

「あんまりじゃありませんか。なぜ、あれほど贔屓にするのです。たかが人の子、たかが鬼の子。あなた様が気にかけるような存在ではありません」

「それを決めるのはお前さんじゃない。私だよ」

 ミツキの目がほんの少し細くなった。するとそれは、慌てたように口をつぐむ。しかしまだ文句は言い足りないようで、代わりに他の文句を口にした。

「まさか鬼の傷まで治すとは、思いませんでした」

「年にたった一人。それも、病を患って先の短い人間しか食べない、哀れな鬼の子だ。助けてあげたってバチは当たらないよ」

「……それは何かの皮肉ですか?」

 それはそう言って、はるか崖下に目を落とした。ミツキもつられて、先ほどまで鬼がいた場所を見る。そこにはもう誰もいない。

「昔ね、約束したんだ」

「何をです?」

「人の子が、お腹をすかせた私に、魚をくれたんだよ。美味しかったなあ。その人の子がね、お代はいらないから、助けてやって欲しい奴がいるんだって、言ってたんだ」

「それが、あの鬼ですか」

 ミツキは頷いた。

「鬼の友人は、ほぼ間違いなく己より長生きするから、己が死んだ後、勝手に死んだりしないように、見て欲しいってさ。

 だから私は約束したんだよ。ずっと気にかけてやったりはできないけれど、私が近くを通りかかった時は、必ず寄って、無事を見届けるって。

 鬼を殺すために生まれたお前さんとしては、受け入れられないかい?」

「そうですね。人と鬼の友情など、私には理解できません」

 それから、それはやれやれと首を振った。

「あなた様も、意外と義理堅い」

「おや。意外だったかい? 約束とは、守るためにあるんだよ。特にここは、ほら。たくさんの勿忘草が咲いている」

 勿忘草は、この地で暮らす生き物の、思い出を喰らって糧とする。だから忘れ難い思い出が眠る地ほど、美しく咲くという。

 あと百年経とうとも、二百年経とうとも。この花は己を育んだ思い出を、決して忘れたりはしないのだろう。

「いつか夜空の月さえ、忘れてしまう日が来るのかもしれないね。けど、この花を見たら、きっと思い出すさ」

 人喰い鬼と人の間に生まれた、紛れもない友情を。好いた人の仇を討つため、命さえも投げ打とうとした勇敢な青年の覚悟と決意を。

 そして、彼らが交わした約束を。

 ミツキの微笑みを見て、それは再び肩を落とした。

「だから、それは一体何の皮肉なのですか……」

 疲れたような表情で、それはうなだれた。

 その様子を見たミツキが、「あははっ」と、からからした笑い声をあげた。

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