第28話 勿忘草 二 

 旅人が去った後、ソウマは貰った金子を数えて軽く目眩を起こしそうになった。あの程度の食事でこの金子。気前がいいにもほどがある。普段ならむしろ怪しんで、受け取らないほどの額だ。

 でも、この日ばかりは多すぎる金子が神の采配に思えた。

 金があれば、もう少しだけ店を閉めたままでいられる。

 もう少しだけ、ヨナを探しに出かけられる。

 きっと無駄な行為なのだろう。頭では理解できていた。ヨナはもういない。この世のどこにも。死者を追い求めても、きっと何も得られない。

 そもそもヨナの縁談相手が、金子をばら撒きながら今も彼女を探していた。それに勝るほどの捜査網など、ソウマには用意できない。

 それでも。

(もしかしたら、どこかで生きているかもしれない)

 爪の先ほどのわずかな可能性でもいい。わずかにでも希望があるのなら。

(俺はまだ、諦め切れない)

 唯一ソウマに手渡された彼女の遺品、勿忘草を懐にしまいこんで、ソウマは店を飛び出した。


 勿忘草は、村から少し山を登った先にある池の周囲に群生していた。ソウマは、彼女がなぜ村を出たのかは知らない。だが少なくとも、その池まで行って勿忘草を詰んできたのは間違いないだろう。

 ソウマは池の前に佇んで、彼女が詰んだであろう勿忘草を撫でていた。不自然に切られた花があれば、彼女がここにいた証拠にもなろうが、生命力の強い草花は、そう簡単に傷を見せてはくれない。

「ヨナ」

 村には伝説があった。かつて大暴れした鬼の伝説が。そして、その鬼を退治した英雄の伝説が。

 無論ただのおとぎ話だ。人に鬼を狩る力などない。

 池に映った己の顔が、涙に濡れていた。

 小さく嗚咽をこぼす。もう諦めてから何日も経ったはずなのに。いつになったら、彼女のいない世界に慣れるだろう。

 ああ、違う。違う。まだ彼女は生きているかもしれないのだ。俺が諦めてどうする。彼女を、捜さなくては。

「泣いているのですか?」

 突然、声をかけられた。

 顔を上げると、池の中に美しい人が立っていた。人間離れした整った顔。男か、女かも分からない。長い髪は無造作に背中に垂れている。

「誰?」

「私のことなど、どうでもいいではありませんか」

 彼? 彼女? は、ふっと微笑むと、岸にいるソウマに近づいた。ソウマの頰にそっと手を添える。

「かわいそうに」

 その人の瞳が揺れ、涙の雫を指先で拭いとった。

「大切な人を、なくしたのですね」

「どうして、それを」

「見ていればわかります」

 そう言ってソウマに背を向けたその人は、岸から勿忘草を一本手折ると、池の中に放り込んだ。

「そう。このお人をなくしたのですか」

 このお人? 不審に思って、その人が見ている水面に視線を移す。そして凍りついた。

「ヨナ!」

 池の水面は、まるで鏡のように虚像を映し出していた。それは本来写すべき空の色ではなく、今、ここにいるはずのないヨナの姿。

 池の中のヨナは勿忘草を摘んでいた。幸せそうな笑顔だった。そして少しだけ、寂しそうな笑顔だった。

 場面が変わった。ヨナは夜の森を駆けていく。チラチラと周囲を気にしているのは、彼女が森の中で夜を迎える気は無かったことの証拠だろう。

 やがて彼女は鬼と出会った。鬼の太い足が見え、恐ろしい金棒が見え、そして急に、池から映像が消えた。

「ヨナ!」

 ソウマは叫んだ。隣に立っている人の胸ぐらを掴み、揺すった。

「もう一度映してくれ。ヨナはあの後どうなったんだ!」

「見たいのですか?」

「ああ」

「……見ない方がいいと思いますよ」

 人が最期を迎える瞬間など、見ていて気持ちのいいものではないですから。

 そう言われた途端、ソウマは膝から崩れ落ちた。

 わかっていた。わかっていたのだ。でも、希望はまだあると、信じていたかった。しかし今、その希望さえも絶たれてしまった。

「……憎いですか?」

 憎いに決まってる。

「許せませんか?」

 許せないに決まってる。

「仇を、討ちたいですか?」

「……なんだって?」

 その人は再び池の中心に戻り、スラリとした手を伸ばした。すると池が光り輝き、それが収まる頃には、その人の手に一振りの刀が握られていた。

 それを見て、ソウマは思い出した。

 鬼退治の伝説。鬼退治の英雄は、神を味方につけていた。神は英雄に一振りの輝く刀を与えたのだという。

「まさか。神、さま?」

 声が震えていた。

 神は薄く微笑んだだけで、そうだとも違うとも言わなかった。

「あなたが戦うというのなら、私はそれを応援しましょう」

 ゴクリと、唾を飲み込む。

 ソウマはその場で立ち上がり、神から刀を受け取った。


 鬼の居場所は、刀が知っていた。鞘の中で刀が震える。早く鬼を斬りたいと叫ぶみたいに。

 導かれるままに走った。体が軽い。手足が羽のようだった。これも神の力なのか。

(勝てる。この力があれば、人喰い鬼にだって!)

 ありえない跳躍力で、普段では飛び越えることなど不可能な幅の、小さな崖を通り過ぎる。胃の腑がひゅっと浮き上がって、それから両足に衝撃が走った。骨が折れる程の衝撃。けれど足は動く。痛みはない。

(ヨナ。ヨナ。ごめん。一人にして、本当にごめん。痛かったろ。怖かったろ。でも、仇は討つから)

 急斜面を駆け上がる。やがて見えてきたのは、陽の当たらない岩壁に空いた穴。そんな洞窟に鬼のねぐらだった。刀がそう言っている。

 今度はゆっくりと、足音を立てないように忍び込む。鬼の気配はない。

 洞窟はたくさんの道に枝分かれしていた。鬼が快適に過ごすための寝床や机なども置いてあった。だが、いくら探しても鬼はいない。

(出かけてるのか?)

 刀に目を落とすと、刀が震えて洞窟のより奥へとソウマを導いた。そのまま進むと、暗い洞窟の向こうに薄い光が見えた。出口だ。

 狭い出口に体を滑り込ませる。あの映像で見た鬼の体格を考えると、通れるかどうかさえぎりぎりの幅だ。果たして鬼は、この先にいるのだろうか。

 外に出ると、ふわっとした風が正面から吹き付けた。優しい風に薄青の小さな花びらが舞っていた。勿忘草だ。

「……見つけた」

 勿忘草の群生地の中に、鬼の背があった。見上げるほどの巨体なのに、その背は小さく丸まっていて、恐怖よりも哀愁を感じさせる佇まいだった。

 ソウマは神の刀を抜いた。

「人喰い鬼だな」

 ありったけの殺意を込めて、言葉を叩きつける。

「…………」

 鬼は答えない。こちらを向きもしない。俺をバカにしているのか。人間になど負けるはずがないとたかをくくっているのか。

「ヨナのっ」

「少し待て」

 鬼が低く小さな声で言った。

「何だと?」

「少し待てと言っている。敵でも、味方でも、死者には敬意を払うものだ」

「死者?」

 それは、まさかヨナのことか。自分で殺しておいて、敬意を払えだと!

 頭に血が上った。ソウマは鬼の首を叩き斬ろうと、勿忘草を踏み散らして鬼に近づく。それでも鬼は後ろを向いたままだ。

 刀を振りかぶり、しかしそこで動きが止まった。

 鬼は、明らかに墓標と思しき石に向かって、手を合わせていた。

「お前、何を……?」

 少し黙って、それから鬼は目を開けた。

「見て分からんのか。祈っていた」

「祈る……? 何に」

「死者に」

 鬼は無表情のままそう言うと、地に着いていた膝を起こした。途端に鬼の背が伸びて、同時に威圧感が増した。

「人の子が鬼のおれに、一体何の用だ」

 問われて、はっとした。そうだ、何をぼうっとしているんだ。己はこの鬼を殺しにきたんだ。ヨナの仇を、討ちに来たんじゃないか。

 ソウマは鬼に刀を向けて、叫んだ。

「ヨナの仇を討ちにきた」

「ああ、なるほど。そうか」鬼はあっさりとそう答えて、それから少し俯いた。「止めはしない。が、やめておいたほうがいいと思うぞ。お前に勝ち目はない」

「そうとも限らない」

 ソウマが言うと、鬼は明らかに不審そうに眉根を寄せた。それからようやくソウマの刀に気づいたのか、目を見開いた。

「なんと。お前、その刀」

「そうだ。お前を殺す刀だ!」

 叫ぶや否や、ソウマは斬りかかった。鬼の棍棒がソウマの刀を受け止めた。そして。

「ぐぬっ」

 押しているのはソウマの方だった。より力を込める。片腕では棍棒を支えきれなくなったのか、棍棒に左手が添えられた。もう少し押し込めば、鬼の額を割れる。

「ぬあっ!」

 鬼が棍棒を跳ね上げさせ、ソウマは飛び退いた。惜しい。あと少しだったのに。

 地を蹴る。地面に足跡が残った。勢いそのままに鬼にぶつかり、鬼が数歩たたらを踏んだ。刀を振り上げる。振り下ろす。弾かれる。振り上げる。振り下ろす。弾かれる。振り上げる。振り下ろす。弾かれる。振り上げる。振り下ろす。弾かれる。振り上げる。振り下ろす。弾かれる。

 鬼に反撃の隙など与えない。とにかく斬って斬って斬りまくった。己に刀の心得などない。鬼と戦えているのは全て、刀のおかげだ。

 やがて鬼にも疲れが見えてきた。刀を振り下ろす時、ソウマは一撃一撃に全力を注いだ。神の刀により強化された重さの斬撃は確実に鬼から体力を奪っていた。

 ようやく殺せる。そう感じた。

 しかしその瞬間に、刀が何かを察して、鬼とは別の方向へ動いた。カラン、と音を立てて弾かれたのは、どこにでもある石ころだった。

「誰だ」

 石は、鬼のいない方から飛んできた。鬼に味方がいるのか。それとも、二人目の鬼か。

「出てこい! 俺の邪魔をするな! 殺してやる!!」

 目を血走らせ、唾を吐き散らし、叫ぶ。すると森の木々の向こうから、藍染の着物の優男が出てきた。

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