第24話 しゃれこうべ

 ヨサクは、臆病な青年であった。何をするにもビクビクと震え、常に誰かの視線に怯えていた。どちらかといえば整っていると称していいはずの外見も、内から滲み出る軟弱さが邪魔をして、なんだかどうにも垢抜けない。

「はあ、参った」

 半ば口癖になってしまった言葉が口をつく。すっかり落ち込んだまなじりをさらに下げ、首を振る。

 借金の返済日が近づいていた。

 ヨサクは職人だった。かざり細工を生業としている有名な師匠に弟子入りし、今では独り立ちしていた。自惚れではなく、腕は悪くないと思う。だがまだ駆け出しだった頃に、けちな小間物屋と取引を始めてしまったせいもあって、思うように金がたまらない。

 ただ生きていく、それだけのために少しずつ膨らんでいった借金は、今では驚きの額へと変貌している。ここいらで返しきらないと、数ヶ月後には不忍池にでも沈められてしまうかもしれない。

「せめて、象牙か琥珀でも手元にあればなあ」

 繊細な細工が得意なヨサクであるから、高直な細工物が一つでも作れれば、馴染みのない小間物屋相手に売り込みに行っても、邪険にされることはなかろう。しかし象牙も琥珀も、そもそも高額であって、元手のないヨサクには、とてもではないが購えるものではない。

 金がないから象牙が買えない。象牙がないから金がたまらない。嫌な悪循環だった。

(安い金属で細工を拵えるか? いやでもそれでは、本当に美しい細工物を欲しがっている金持ちには見向きもしてもらえない。かといってそこそこの品で満足するお人相手の商売をするなら、一つの品にそこまで時間をかけていられないし……。

 それに、大店を相手にするには初見で衝撃を与えることが第一だ。細工には自信があるが、それだけで満足してもらえるだろうか)

 それでもヨサクには、今あるものでどうにかする以外に取れる手段がない。仕方なく、安く粗悪な金属に、美しい細工を彫り始めるのだった。


 ある日、前を歩く男が落し物をした。拾って返そうかと思ったが、しかし前を歩く人足は柄が悪く、話しかければ因縁をつけられてしまいそうだった。怖くて怖くて、

何もできなかった。

 またある日、前を歩く男が落し物をした。しかしあまりに高直な代物であったため、盗人と勘違いされてはたまらないと思うと、怖かった。怖くて怖くて、何もできなかった。


 怖い。怖い。怖い。そう思っているうちに、とうとう借金の返済期限が、無視できないものとなった。

 これまで精一杯、かざり細工を作り上げたが、思うように金はたまらない。とうとう己の命もこれまでかと、ヨサクは半ば諦めの境地へと踏み込んでいた。そうすると不思議なことに、ここ数日で無視してしまった落し物の主のことを、強烈に後悔し始めた。

 もしかしたら、あの落し物は落とし主にとって思い出の品だったのではないか? 己が声をかければ、ただそれだけの勇気があれば、彼らは救われたのではないか? 先の短い己の人生で、誰かに幸福を与えられるのなら、そうすべきだったのではないか?


 そして次の日、前を歩く男が何か落とした。ヨサクは寸の間立ち止まり、それから「ちょいと、お前さん! これ、落としたよ」と声をかけた。そして落し物を拾い上げた。

 くるりと振り返ったのは、なんだか嫌に細っこい男だった。骨と皮ばかりの顔にギョロリとした目を備え付け、その目が無遠慮にヨサクに向けられる。

(怖い、怖い怖い怖いっ)

 しかしヨサクはなけなしの勇気を振り絞り、落とした何かを男に差し出した。落し物は丸かった。それは風呂敷で包まれていて、中身が何かはわからない。

 そのときだった。運命のいたずらか、神仏の気まぐれか、ぴゅうと風が吹いた。風に煽られ、風呂敷がちらりとめくれ上がる。そしてヨサクの目に、中のものが確かに見えた。

(え?)

 それは、ピカピカに磨かれた頭蓋骨だった。

 ヨサクはとっさに頭蓋骨を風呂敷で包みなおした。目の前の男は、強い風から、着物の袖で顔をかばっており、何が起きたのか見えていない。ヨサクが見たものに、気づいていない。

(は、早く渡して、立ち去ってしまおう)

 さっきよりもずっと薄気味の悪くなった男の顔が、驚きに染まった。それから目尻がやや下がる。笑ったのだ。

「これは、これは。ご丁寧にどうも」

 低い声だった。老人のような声だが、どう見ても男はヨサクとそう年が離れているようには見えない。

「そ、それじゃあ、あたしはこれで」

 そそくさと背を向けるヨサクに、「ああ、待ってください」と声がかけられた。無視すればいいものを、つい足を止めてしまう。

「本当にありがとうございます。これは私にとって、とても、とても大切なものでね。まあそれなら落とすなという話ですが……。あはは、うっかりしてましたよ。

 あなたには、ぜひお礼をしたい。手間をかけてすみませんが、私の家までついてきてくれませんか」

「あ、いや、その。結構です。大したことはしていません」

「ですが、このままでは私の気が治まりません。先祖代々、受けた恩には報いろと、骨の髄まで叩き込まれていましてね。忙しいなら後日でも構いませんから。

 ああそうだ、お宅を伺ってもいいですか。私がお礼の品を持って伺いましょう」

 男はそう言って食い下がる。ヨサクは背中にぐっしょりと嫌な汗をかいていた。

(もしかして……頭蓋骨に触れたあたしを、始末しようとしてるのかな。だとしたら、家を教えたらまずいことになるぞ)

 己には家族がいない。だから失うものなど何もない。だが己の住む長屋には当然のこと大家がいて、また親しい隣人も多い。この物騒な男が彼らに迷惑をかけないと、どうしてわかるというのか。

「あの、それなら……今から伺っても、よろしいですか?」

「ええ、ええ、もちろんですとも!」

 男はそう言って、嬉しそうに手を合わせた。


 落し物をした男は、ヘスデルと名乗った。ヘスデルはどこぞの金持ちの三男坊だとのことで、悠々自適に暮らしていると、どこか照れ臭そうに頰を掻きながら告げた。

「私は将来、兄さんの家業を手伝って暮らすことになるんです。だから貴方みたいな、己の力で生活をしている人を見ると、すごいなと思いますよ」

 話してみると、思いの外ヘスデルは話しやすかった。己のぱっとしない職人人生のことも悲観せず、むしろ細工が美しいと絶賛してくれた。金持ちらしいのに鼻にかけたところもなく、己のように卑屈な部分もない。

「貴方みたいな細工職人がいるなら、今度お江戸で装飾品を贖ってもいいな」

 そのつぶやきに、ヨサクはちょいと首を傾げた。

「…………? 普段はどこで買ってるんです?」

 京の品ですか? それは遠くて大変でしょうと続けると、ヘスデルは曖昧に笑って、「ええ。まあ」とだけ言った。

 それから二人は、ヘスデルの先導のまま、なかなか珍しい道へと踏み込んだ。ヨサクはこの辺りでずっと暮らしていたから、土地勘はあると思っていたのに、この道には見覚えがない。

「さあ、あそこが私の家です」

 ヘスデルが指差した先には、長屋全体の五倍は大きくて、洒落込んだ建物があった。ヨサクはあんまりにも驚いて、目をこすり、目を凝らすといった作業を三回は繰り返した。

 その建物は、ここいらでは見たことがないほど華やかだった。その雰囲気には正直あまり馴染みがない。どこか見覚えがある気がするのは、色使いが寺院の壁画に似ているからだろうか。

(寺院で見たってことは、もしかして明のものだろうか……なんて華やかなんだろう)

 質素な美しさを誇るこの国の城とは趣が異なり、朱色や黄緑色などの彩色であふれていた。それでもごちゃごちゃとした印象はなく、統一感がある。

 ヨサクのそんな胸中を読んだかのように、ヘスデルがわずかに胸を張った。

「さあ、中へどうぞ」

 家の中もまた、外見に負けず劣らず華やかだった。もともと美術品を扱う職に就いているヨサクにとって、この家で見るもの全てが新鮮で興味深かった。

 客間と思しき場所に入るとき、部屋の入り口にたくさんの白い欠片がぶら下がっているのが目に入った。ヘスデルはカラカラと音を立てながら、手でそれを避けて中に入った。それを真似ようとして、ヨサクは目を見張った。

(これ、全部象牙じゃないか!)

 特に細工がなされているわけではないが、一目見ただけでこれがどれほど高直な品かわかるくらい、素晴らしい品質だった。それが何個も、何十個も吊るしてある。

(これは、金持ちなんてもんじゃないぞ。一体どうすればこんなに金を集められるんだ)

 ぞわっと、背筋に寒気が走った。口封じに殺されることも想定してついてきたのだが、もしかしたら、ただ殺されるだけでは済まないのではないか。

「さあ、こっちへどうぞ」

 ヘスデルに勧められるまま座布団に座り込んだ。あまりにふわふわで驚いた。部屋は予想通り美しく、そしてどこか明るい気がした。

 ヨサクは部屋を見回し、今度こそ表情が凍りついた。

 この部屋には、驚くほどたくさんの骨が使われている。

 部屋の入り口には象牙だった。それから部屋の端の手すりにも、箪笥の引き出しの金具に値する部分も、ヘスデルが肘掛にしている文机も、これはきっと骨だ。

「美しいでしょう?」

 恍惚とした表情で、ヘスデルが言う。恐怖のあまり、ヨサクは声を出せなかった。ヘスデルは気にしていないのか、あるいは気づいていないのか、続けた。

「でも、極め付けはこれですね」

 そう言って、閉じていた引き戸を開けた。

「ひぇっ!」

 そこには数多の骸骨がいた。腕の骨を組み合わせてできた巨大な塊や、頭蓋骨が積まれた山もある。

 また骸骨の中には、妙な灯りと暗がりが生じているものもあった。それらの骸骨は手で蝋燭を抱えていたり、頭蓋骨の中に蝋燭が入って、眼窩から灯りが覗いていたりと様々な様相だったが、灯りというよりは装飾品なのだろう。娯楽のために日中から油を消費する裕福さも異常だが、それ以上にこの光景は常軌を逸していた。

「驚きました?」

 ヘスデルが半泣きのヨサクに微笑みかける。その目が冷たく光っていた。

「貴方が手を置いているその肘掛も、ほら」

「……へ?」

 視線を落とすと、先ほどまでは気づかなかった肘掛の、二本の骨組みが見えた。

「前腕を置く台ですから、前腕で作るのが一番でしょう」

「うひゃあっ」

 慌てて肘掛から腕を離す。そのとき肘が何かにぶつかって、中の物をぶちまけてしまった。白い何かが球形の器から溢れる。碁石だろうか。

「す、すみません」

「ああ、いいですよ。そのままにしておいてください。兄の収集癖にも困ったもので」

「しゅ、収集?」

 怖いもの見たさで目をやると、それは様々な動物の歯だった。中にはヨサクをひと噛みで殺せそうなほどの、太い歯も混じっている。

「少し待っていてくださいね。今、茶を淹れてきます。簡単な昼餉くらい用意させてもらいますから、楽しみにしていてください。汁物ですが、良い出汁が手に入りましてね」

 そう言い残し、ヘスデルは部屋の向こうに消えていった。後に残されたヨサクは、たくさんの空っぽの眼窩に囲まれた部屋に、ただ一人。

(こ、殺される)

 間違いない。この家は人殺しの家だ。あの哀れな飾りはこれまでの被害者だろう。

 良い出汁が取れる、と彼は言った。その出汁とは、もしや、あたしのことだろうか。

(に、逃げなくては)

 殺されるかもしれないとは、思っていた。頭蓋骨を持ち歩くような酔狂な男の招きに応じたのだ。それ相応の覚悟はしていたつもりだった。だが、これは、その予想をはるかに上回っている。

(食われて死んで飾られるくらいなら、不忍池に沈められた方が、まだましだ!)

 ヘスデルが戻って来る前に。ヨサクは命からがら逃げ出した。


 ある日、目の前をいく旅人が落し物をした。旅人は綺麗な藍染の着物を着て、同じく上等な帯を身につけていた。帯から見える根付も相当な代物で、立ち居振る舞いも美しかった。

「もし、お前さん、落し物だよ」

 反射的にそう言って、ヨサクは凍りついた。拾い上げようとしてかがんだ足が、動きを止める。前を歩く旅人が振り返った。

「おや、すまないね。教えてくれてありがとう」

 振り返った旅人は、とても整った顔立ちをしていた。きりりとした様相というよりは、愛嬌のある顔立ちで、適度にふっくらとした健康的な頰が温かそうだった。ほっと胸をなでおろすヨサクは、ようやく風呂敷に包まれた落し物を拾い上げた。

「どうしたの? 狐にでも化かされたような顔をして」

 旅人は不思議そうに首を傾げながらそう聞いた。どうせ信じてくれないくせにと思いながらも、誰かに話したい気持ちもあって、ヨサクは先日の出来事を旅人にすっかり話してしまうことにした。行きずりの人間なら、ヨサクが頭のおかしい人間だと思ったところで何の支障もない。

 しかし旅人はヨサクの話を聞くと、あっさりとこう言った。

「それはきっと、がしゃどくろだよ」

「が、がしゃどくろ?」

「そう。妖だよ」

 旅人は自信たっぷりに頷いた。何でもがしゃどくろは、人骨に似た形の妖で、人前に出るときは人間に化けるのだそうだ。しかし元が骨だから、だいたい骨と皮ばかりの、貧相な人間が出来上がってしまうらしい。

「彼らは、人間とは違う文化を持っていてね」

 彼らは骨だから、死んでも死体は腐らない。だから彼らには死体を埋めるという習慣がないのだという。そしてそのかわりに、ご先祖様がいつまでも家を守ってくれるよう、美しく飾り付けるのだと。

「彼はきっと、お前さんにとても感謝していたのだと思うよ。お前さんが拾ったという頭蓋骨は、きっと彼に近しい者の亡骸だったのだと思うから」

 まるで見てきたかのように語る旅人に、ヨサクは「はあ」としか言葉を返せなかった。

「さて、私からも、お前さんにお礼がしたいな。そんな経験があったのに、勇気を出して声をかけてくれたお礼をしたいんだ。

 あ、そうだ! その落とした中身、お前さんにあげるよ」

「えっ、いや、それは悪いです」

「いやいや。これは私にも得のある話なんだよ。

 お前さんは腕のいい錺職人なんだろう? だったらそれを細工して、日本橋の小間物屋大津屋さんで売っておくれ。実は、腕のいい職人の作った作品を購いたいという御仁がいてね。ああ、腕の方は心配していないよ。お前さんが身につけている根付、それはお前さんの作品だろう? それだけの腕があれば十分だ。

 お前さんは儲かる。私はうまく仲介できる。彼は欲しかった作品が手に入る。ついでに大津屋さんは良い職人とつながりを得られる。ほぅら、全員に徳がある。素晴らしいじゃないか」

「は、はあ」

「じゃあ、頼んだよ」

 旅人は一方的にまくし立て、あっさりと去っていった。

「何だったんだ、あの人……」

 後に残されたヨサクは、嵐のように過ぎ去った旅人を見送ってから、もらった風呂敷を開いた。

 その中には、がしゃどくろの屋敷でたくさん見かけた、つるつるした象牙が十数個ばかり入っていた。

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