第18話 怖い話

 ねえ、お前さん。

 あ、ちょいと待っておくれな。そこの、ほら、見事な藍染の着物の。そうそう、お前さんだよ。

 いやはや全く。最近の若いもんは、人情ってもんを知らなくて困るねえ。え? あたしも同じくらいの年に見えるって? 全くお前さんときたら。細かいことは気にしないのが粋だろうに。

 え? ああ、そうそう。ちょいとね、話を聞いてくれないかい。ここいらには人がいっぱいいるってのに、だあれも、あたしの話を聞いちゃくれない。みんな揃って牛に乗って、行く先ばかり見てるんだよ。

 あたしが話そうってのは、そりゃあもちろん、面白い話さ。いや、面白いって言っても、ゲラゲラ笑う類の話じゃない。興味深いって意味でさ。

 つまりだね、あたしがしたいのは、怖い話なんだ。怪談だよ。おや、興味ありそうだね。ふふん、期待して聞いておくれよ。

 ……実はね、さっきあたしは、幽霊に会ったのさ。しかも、ただの幽霊じゃあない。

 人殺しの幽霊だったのさ。


 気づけば、あたしは山の中をさ迷っていた。

 どうも頭を打ったらしく、でかいタンコブをこさえた頭がズキズキと痛んでいてね。そのせいか、記憶も曖昧だった。身一つ、荷も金もなく、ただ着物の様子から、あたしが商人だとわかるだけ。それもお店の主人とかじゃなく、ただの手代か何かだ。わずかに残った記憶の中にも、賑やかなお店でせっせと働く様が思い浮かんだ。

 けどね、そんな身分の人間は、この世に掃いて捨てるほどいる。何もわからないも同然だった。

 しばらく歩くとね、お寺さんを見つけた。あたしはふらふらと、吸い寄せられるようにして寺の方に向かって歩いたよ。そこはまあ、お寺さんだから、当然のこと、故人がたくさんいるわけだ。お金持ちの立派な墓から、あたしらみたいな庶民のこぢんまりとした共同墓地まで、たくさんね。

 そんなあたしの目の前に、今にも死にそうな顔の老人が現れた。彼は共同墓地に向かって、一心に何やら祈っていたんだ。

 あたしはそれを、後ろからそっと見ていた。何しろその老人は、それこそ幽霊のように顔色は悪く、痩せ細っていた。それに、直感でわかった。老人は、あたしとは違う世界の生き物だってね。

 そう、そいつは幽霊だったのさ!

 幽霊と人間は、住む世界が違う。それを違えると、ろくな目に合わない。そう思ったあたしは、ただ眺めているだけ、そのつもりだった。

 だがね、神仏のいたずらか、それともお導きか。幽霊がいきなり、こっちを向いたんだよ。

 すると彼は、まるで幽霊でも見たかのように目を丸くしてね。……おや、ここは笑うところだよ。そう、それでね、あたしに話しかけてきたんだ。「ああ、やっと会えた」って。

 あたしは首をかしげたよ。あたしにこんな知り人はいない。曖昧な記憶だけどね。でもそれははっきり言えた。そもそも歳が離れすぎているしね。まあでも、幽霊の言うことだし、それに老人だ。ちっとばかり、ぼけていても、不思議じゃあない。

 あたしが人違いだ、と言うと、老人の幽霊はね、寂しそうに微笑んだよ。そして言った。

「それは、すまなかったね。

 ……なあ、頼みがあるんだ。あっしの話を、聞いちゃくれないか」

 幽霊の話を聞くなんて、ぞっとしないだろう? あたしもね、最初は断ろうと思ったさ。でもね、幽霊と話すなんて、滅多にない機会だと思い直した。だから、引き受けることにした。それにこの幽霊は、なんだか怖い感じがしなかったから。

 あたしが承諾すると、幽霊はあたしの隣に座り込んだ。

「ありがとう」

 そうして、身の上話を始めた。

 幽霊は、それなりに大きなお店の番頭だったみたいでね。たくさんの孫もいる、幸せな人生を送ったそうだ。けれど、幽霊には一つだけ後悔があった。

 幽霊は、人を殺したことがあるらしい。

 空を見上げ、懐かしそうに目を細めた幽霊がこぼした。

「あっしとあいつは、親友だった」

 なぜ、親友を殺したのかと、あたしは聞いた。すると幽霊は悲しそうに首を振り、「殺すつもりはなかったんだ。本当だ」と言った。

 それからゆっくり顔を伏せ、言葉を地面に落っことした。

「あっしとあいつは、友であると同時に、敵同士だった。あっしもあいつも、同じ時期に同じ店に奉公した。歳も同じで、気も合う仲間だった。だからかねぇ、同じ女子を、好きになっちまった」

 幽霊とその親友が惚れ込んだのは、店の女中だったという。取り立てて美人というわけではなかったが、愛嬌のある、気の利いた娘だったそうだ。

 二人は競うように働き、娘に気に入られようとした。

「そんな折にね、親友が娘に文を送った」

 親友は娘に直接文は渡さずに、娘が目にするであろう台所に、文を置いておいたんだそうだ。それが良くなかった。

「あっしもね、その直後に、文を送ろうとしてたんだよ」

 気の合う二人のことだ。文を置こうとした場所も同じだった。幽霊は親友の文が置いてあるのを目にし、そして、それを握りつぶした。

「あの時はどうかしてたんだ。正々堂々と戦うべきだった。でもあのときのあっしは、そんなこともわからないくらい、オコンに夢中になっていたんだ」

 そんなこととは知らぬ親友は、意気揚々と待ち合わせの場所に出かけた。しかしいくら待ってもオコンは来ない。当然だ。娘が受け取るはずだった文は、幽霊が握り潰したのだから。

「そしたらね、その次の日、十手持ちが店にやってきた」

 親友が、辻斬りに行き遭ったのだという。

「後悔したよ。後悔したさ。あいつはね、ずぅっと、暗くなるまで、オコンを待っていたんだ。あっしが余計なことをしなければ、オコンはきっとあいつのところに行っただろう。

 その結果どうなったかはわからないが、少なくとも、暗くなるまで待ちぼうけを食らうことはなかった。辻斬りなんぞに行き遭うことも、なかったはずなんだ。

 ……しかもね、嘆くあっしをオコンが慰めてくれたのをきっかけに、あっしたちは仲良くなった。まるであいつの死を利用したみたいで嫌だったが、オコンが隣にいてくれるのを拒めるほど、あっしは大人じゃなかった」

 幽霊は、そのとき初めてあたしを正面から見た。そして問うた。

「なあ、あんたはどう思う?

 もしあんたが死んだあっしの親友なら、親友を死に追いやって、挙句オコンを嫁にしたあっしを、許してくれるかい?」

 その目が真剣で、あたしはこの幽霊が、どれほどかこのことで悩み、苦しんでいたのかを悟った。きっとそのせいで成仏できず、この世をさ迷っているに違いない。

 だからあたしは言ったよ。

 あんたは悪くない。いや、悪かったのかもしれないが、少なくとも辻斬りの責任は、あんたにはないだろう。もう忘れたらどうだ。あんたの親友も、きっとあんたが幸せになることを願ってることだろう。

 少なくとも、もしあたしがあんたの親友なら、そう願うよ。

 あたしの言葉を聞いて、幽霊は目玉が零れ落ちそうなほどに目を見開いてね。それからボロボロと涙を流したよ。余程、誰かにそう言ってもらいたかったんだろうね。きっとその幽霊は、あたしのおかげで未練を断ち、成仏できるようになったのさ。


 どうだい、いい話だろう。

 おや、驚いて声も出ないかい? ふふ、もっと褒めてくれてもいいんだぞ。あたしは、かわいそうな幽霊を救ってやったのさ。

 え? 怖い話をするんじゃなかったのかって? 十分怖いじゃあないか。人殺しの幽霊の話だぞ。む、確かに幽霊は直接人を殺したわけじゃあないが、そう言うと、話の面白みが半減するじゃあないか。

 ああ、でも、人助けとは気分の良いものだな。あたしの方まで、なんだか肩の荷が降りたような、そんな心地だよ。

 お前さんも、聞いてくれてありがとう。やはりおしゃべりは楽しいねえ。

 さて、名残惜しいが、あたしはそろそろ行かなくちゃ。お前さんは? え、ああ、まだ行かないのか。それじゃあ、またいずれ。どこかで会えたらよろしく頼むよ。



 お喋りな男が立ち去ってすぐ、入れ替わるようにして脱魂鬼がミツキの前に現れた。脱魂鬼は心底申し訳なさそうに、頭を低くしてミツキに挨拶をした。

「ミツキ様、お忙しいのにすみません。あの男、無礼なことを言いませんでしたか?」

「おや、久しいね。大丈夫、ちょいと世間話をしただけだから。

 仕事はどうだい? ここ最近は忙しくて、大変だろう」

「それはもう。でも毎年のことですから」

 ミツキと脱魂鬼は、目の前を逝く死者の列に目をやった。彼らは皆茄子や瓜でできた牛に乗り、あの世へと帰っていく。

 先ほど怖い話を持ってきた男もまた、あの世へと続く道を歩んでいた。

「あの男、ようやく成仏できるんですね。よかったです。

 そろそろまずかったんですよ。あと数年成仏できなければ、魂ごと消滅させるしかなかった。恨みで成仏できない幽霊は、悪霊化しやすいですからね。

 だのにあいつったら、親友を許せない、成仏なんかするもんか、と、そればっかりでして。その親友はというと、老人になった今でさえ、盆には必ず墓参りに行っているというのに。

 記憶を無くしたら無くしたで、心のどこかに未練があったんでしょうね。ちっとも成仏してくれなくて」

 それが今日は、こんなにあっさり成仏しようとしている。死出の山の向こうを見やる男の顔はすっきりとしていて、未練など一切感じられない。

 脱魂鬼は不思議そうに、腕を組んで少々考え込んだ。しかしそれでも結論は出なかったのか、とうとうミツキに聞いた。

「差し支えなければ、教えてくれませんか。いったい、どんな手妻を使ったんで?」

 するとミツキは笑って言う。

「私は何もしてないよ。

 彼の生前の親友が、最後の最後に彼を救ってくれたんじゃないかな」

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