第14話 使命 中

 和尚が村を出て数日。コウタは空虚感に苛まれることになるだろうと予想していたのだが、実際にはそんな余裕はなかった。

 村に疫病が流行り始めたのだ。


 村には医者がいない。薬の扱いなど皆心得ていない。最も近くの薬種屋は、山を越えた先にある。

 病の名など分からない。腕の確かな医者など、呼ぶ金もない。それどころか薬種を購うだけの金もない。ないない尽くしの小さな村は、ただ滅びを待つだけの我が身を嘆くことしかできなかった。


 幸いであったのは、疫病の進行具合が遅いことだ。人にうつる速度も、病状の悪化の度合いも、噂に聞いていた疫病らよりも、余程のこと軽い。まあ噂など尾ひれがついて当然だ。

 今のところ、死んだ者は一人もいない。とはいえ疫病が恐ろしいものであることに、一切の疑いを挟む余地などない。実際に疫病によって村が滅んだ例もある。


 そこで村長は、手遅れになる前に、出来る限りの事をしようと考えたらしい。必死に金子をかき集め、それをコウタに手渡した。


「この村で、一番体力があるのはお前だ。山の向こうの村ならば、薬種屋がある。医者もいよう。お前に、この金を託す。普通に薬を買うには、おそらくとても足りないだろう。医者を呼ぶことも、きっとできない。

 だから、この金で、情報を集めてくれ」


 医者に話を聞くでもいい。薬種屋に薬について聞くでもいい。この村は、四方を山に囲まれている。薬の元になる植物は、それなりに採取できるのだ。病に効く植物の種類さえわかれば、村人たちでどうにかできるかもしれない。


「難しいことを頼んでいるのは、分かっている。でももうこれしか、手段がないのだ」


 村長は肩を落とした。彼は疫病に侵されてはいないが、心労のせいか随分と頰が痩けている。このままではそれが原因で別の病にでも罹ってしまいそうだ。

 しかし村長の表情とは対照的に、コウタは顔を輝かせた。


(おれはもしかしたら、この疫病から村を救うために、生を受けたのかもしれない。いや、きっと、そうだ)


 何しろコウタの父は、疫病に殺されたのだ。会ったことのない父といえど、コウタにとって疫病とは害悪そのものであり、憎むべき敵であった。

 コウタは握りこぶしを己の胸にどんと当てた。


「任せてください。必ずおれが、村を救ってみせますよ」







 初めて他所の村を見て、その大きさと賑わいに、コウタは目を回してしまった。これは村と呼んでいい規模なのだろうか。

 人が多い。物が多い。家が多い。店が多い。

 必要最低限の物しかなく、店といってもそのほとんどが物々交換で成り立っている己の村とは、雲泥の差だ。


 コウタは辺りをきょろきょろと見回しながら、薬種屋を探した。しかしあまりに店が多くて、どちらに行ったらいいのかわからない。コウタは少し迷ったが、わからないことは人に聞くのが一番だと思い至った。


「あの」


 声をかけようとするが、道行く人はコウタなど気にもとめずに、足早に歩き去る。己の用事に手一杯なのだろうか。

 誰からも相手にされず、途方にくれたコウタに、背後から声がかかった。


「どうかしたのかい?」


 振り返ると、そこには旅人と思しき男がいた。

 男はまだ若く、とても綺麗な身なりをしていた。藍染の着物は上品で嫌味がない。着物をまとめる帯の側では、緑の根付がキラキラ光っていた。その表情は穏やかで、どこが似ているでもないというのに、何故だか和尚を思い出した。


「あの、薬種屋を探していて……」


 コウタが言うと、男は「ああ」と手を打つ。


「薬種屋なら、そこの角を右に曲がって、二つ目の角を左だよ」


 男が薬種屋の方を指差して、説明してくれる。コウタは何度も頭を下げ、男に礼を言った。


「いや、いや。大したことはしていないよ。

 ……それにしても、薬種屋に用事とは、どこか悪いのかい?」


 そうは見えないけれど、と続ける男に、コウタは事情を説明した。すると男は驚いた様子もなく、わけ知り顔で頷いた。


「ああ……。疫病は今、そっちに広がったのか」

「え? あの……、何か知っているんですか?」

「大したことじゃあないけれどね。

 この辺りで、最近疫病が流行っているんだよ。この前は向こう、その前はあちらの村、といった具合にね」


 男はあっち、こっちと順繰りに方々を指差した。


「……よければ、その場所のこと、詳しく教えてはもらえませんか?」

「構わないけれど……。お前さん、顔色が悪いよ。大丈夫かい?」

「平気です」


 コウタは持っていた地図を広げる。男はコウタの様子に首をかしげながらも、丁寧に疫病が流行した村を、指差して回る。


「ここ、ここ。それから、ここ。次がこっちで、そして最後に、お前さんの村だね。

 ……お前さん、本当に大丈夫かい?」


 大丈夫だと声に出そうとして、そんなことをしたら間違いなく声が震えることが分かったので、コウタは小さく頷いた。


 男が示した村。その順番。それは、和尚が村を訪れた順と、完全に一致していた。


 男はコウタの言葉を信じてはいなさそうだったけれど、それ以上言及することはなかった。


「そうかい? それならいいけれど……。

 そうだ、お前さんの村に広がっている疫病、あれは弟切草とハマゴウが効くよ。よければ試してみるといい」


 男は、コウタが一番知りたかった情報を、金子も取らずにあっさりと教えてくれた。


「本当に、ありがとうございました」


 必死に震えを抑えながら、コウタはそれだけはきちんと言った。男は「疫病、はやくいなくなるといいね」と言って、にこりと笑って立ち去った。







 コウタはそれから、一応薬種屋に顔を出し、病状を説明して薬を一人分だけもらった。一人分だけにしたのは、金を惜しんだからではなく、村中をかき集めた金子では、一人分しか購えなかったからだ。

 しかしそのおかげで、その薬に弟切草とハマゴウが配合されていることを確かめることができた。詳細な配合は教えてもらえなかったが、これで旅人の男の話に信憑性が出てきた。


 あの男はいったい何者だったのだろう。疫病にやたら詳しかった。もしかして、流れの医者か? だとすれば、村についてきて貰えば良かったか。いやいや、本当に医者だったとしても、金がない。呼ぶのは無理だ。


 村へ帰るための最短の道を辿りながら、コウタは悶々と悩んでいた。疫病のこと、旅人の男のこと、薬のこと。そして何より、和尚のこと。

 さっきの男と、かつて聞いた和尚の話から考えると、和尚が辿った村では、その直後に、必ず疫病に侵されていたことになる。これは果たして偶然だろうか。


(いや、偶然な訳がない……)


 でも、だけど、偶然ではないとしたら、どんな理由があるのだろう。

 思い出されるのは和尚が持つ恐ろしい巻物のことだ。あの巻物が、疫病をばらまいていると、そう考えることはできないだろうか。


(……あの優しい和尚が、疫病をばらまいている?)


 そんなこと有り得ない。そう思う気持ちと、それしか考えられない、という思いが、コウタの胸の中で暴れまわる。

 もしかしたら……和尚の意思とは無関係に、疫病がばらまかれているのかもしれない。それを思いついて一瞬顔を輝かせ、しかしすぐに消沈する。


(だとしても……和尚がそれに気づかないはずない)


 和尚は疫病を撒き散らしていることを知りつつ、あちこちの村に顔を出しているのだろうか。村人に不幸が訪れることを承知で、その上であんな笑顔を浮かべて?

 それはそれで、辛かった。


 ため息を落とし、コウタは空を仰ぐ。和尚を信じたい。信じたいのに……。

 くるりと踵を返し、先ほど出てきた村を見やる。旅人の男に罪はない。むしろ、とても親切だった。けれどどうしても、考えてしまう。あの男にさえ出会わなければ、こんなに悩むこともなかったのに……と。そして、そう思ってしまう己が、どうしようもなく嫌だった。


「あれ?」


 その時、視界に藍染の着物がちらついた。あの男だ。見間違いではない。目をこすっても、男は消えなかった。

 男はほっそりとしていて、体力などあまりなさそうに見えたのに、険しい山道をひょいひょい進む。


(何をしているんだろう)


 気になって、コウタは後をつけることにした。

 体力には自信のあるコウタから見ても、男の足は早かった。もともと距離があったから、男を追いかけるのはとても難しい。コウタの方が山の上の方にいたから、かろうじて位置がつかめたが、逆だったらとうに降参していただろう。

 やがて男は、開けた場所に出た。側には、おそらく数年は誰も使っていないだろうと思われる、ボロボロの小屋がある。そして小屋の前には、丸顔でふっくらした腹の、一人の坊主が立っていた。


 コウタは男たちに見つからないよう、息を殺してそれを見つめていた。


(キクスイ和尚……)


 それは、紛れもなく和尚だった。和尚はいつもの優しげな顔を男に向けて、両手を広げた。声は遠かったが、出来の良いコウタの耳は、かろうじて彼らの会話を拾うことができた。


「久しいな、ミツキの小僧。はて、何年振りだったかの」

「小僧はやめてくれと、何度も言っているのに」


 和尚の問いには答えずに、ミツキと呼ばれた男は、少々口を尖らせた。しかし和尚は豪快に笑い、ミツキの不満を放り投げる。


「老人にとって、若者を見下すのは数少ない楽しみだ。この老いぼれから娯楽を奪うつもりかえ?」

「それを言うなら私だって、かなり長生きしているんだけどね」

「そんな形をしておきながら、誰が信じるというのだ。もっと皺を増やして、髪を減らして、段腹になってから出直してこい」


 ミツキは諦めたように頰を掻き、和尚の側まで近寄った。


「それで、どうなんだい? そろそろ目的は達成できそうかい?」

「全力は尽くしておるよ。……お前さんが手助けしてくれれば、もっと早くにどうにかできたんだがね」


 和尚はそう言ってから、しまったというように表情を強張らせた。


「すまん、他意はない」

「わかってるよ」


 ミツキは少し悲しそうに肩を竦めた。


「次はあっちの村だってね。準備はできているのかい? シュウスイ和尚」

「万全だ。

 ところで小僧。わしは今、キクスイと名乗っておる」

「え? また変えたの? まだ十年ちょっとしか経っていないじゃぁないか」

「この死にかけの老人が、十年もぴんぴんして生きてることが、どれほど不自然か……お前は考えたことがないのか」

「あちこちを転々としているんだろう? そうそうばれはしないと思うけれど」

「念には念を、だ」


 和尚はじゃらりと音を立てて、懐から紫水晶の数珠を取り出した。そのうち一つを手に巻きつける。

 ミツキが和尚の手元を覗き込んだ。


「随分減ったね」

「かなり使ったからな」


 口元に手を当て、クスクスとミツキが笑う。


「おかしなものだね。妖のお前さんが、数珠を持っているなんて」

「ふん。今更だ」


 和尚はそう言って立ち上がり、小屋の方へ向かった。戸に手をかけながら、ミツキを振り返る。


「巻物は中にある。疫病の様子、見ていくだろう」

「うん、そうだね。そうさせてもらおうかな」


 ……疫病? 巻物? それに和尚が、妖だって?

 気になる言葉ばかりが聞こえてきて、コウタは思わず前のめりになった。ぱきり、と足元で木の枝が鳴る。


 どきりとして、足元の折れた枝を見た。

 大丈夫だ。さすがにこの程度の音で、遠くにいる二人に気づかれることはなかろう。そう信じて、ゆっくりと視線を山小屋の方に戻す。


 和尚はこちらには気付いた様子もなく、小屋の中へと姿を消した。しかしミツキは和尚の数珠から目を離し、棒立ちに立っていた。そしてゆっくりとこちらを振り返る。まさか。


「ねえ、しゅ……キクスイ和尚」

「なんだ」


 ミツキは緩慢な動作で腕を伸ばした。こちらに向けて、指をさす。


「あそこに――」


 ミツキの目が、指先が、間違いなく己を示している。コウタはそれに気付いて、脱兎のごとく逃げ出した。最初の数歩は、四つ足の獣のように手をも使った。兎にも角にも、ここを離れなくてはならない。


 緊張のせいか、興奮のせいか、息が荒い。走り出してまだそれほど経たないのに、視界が歪む。コウタは着物の胸のあたりを、ギュッと掴んだ。

 ミツキは、こんなに遠くにいる己に気付いた。


 和尚を妖だと言っていた。

 巻物を見ていくと言っていた。

 疫病の様子、そう言っていた。

 和尚のことを、シュウスイと呼んでいた。


(そんなばかな、ばかな、ばかな!)


 コウタは、シュウスイ和尚を知っている。

 父を死に追いやった疫病。そのすぐ側にも、和尚はいたのだ。


「うわああああああっ!!」


 コウタの中で、全てのことが繋がった。

 和尚は妖だった! 疫病を巻物の中に閉じ込めて、あちこちの村で、疫病をばらまいていた! ミツキとかいう男も、仲間に違いない! 

 あいつらは、父の敵だった!!


「はあっ、はあっ……。げほっ!」


 どうしたらいい? 薬は信じられるのか? ミツキが言っていた薬草は本当に効くのか? あの恐ろしい鬼が撒き散らす疫病が、普通の薬草で治るのか?

 ひたすら走って、息ができなくなって、何も考えられなくなった。ただひたすらに怖くて、悲しくて、苦しかった。


 そのとき、何かに足を取られて転んだ。がさっと音を立てて、全身を打ち付ける。

 木の根にでも足を取られたのだろうか。憎々しげにそちらを見る。しかしそこにあったのは、木の根などではなかった。


「……なんだ、これ」


 それは小さな楔だった。妙に光沢のある、白っぽい金属。それが大地に深く突き刺さっている。

 そしてその楔の先端。そこには、見覚えのある紫水晶が絡みついていた。

 そっとコウタは水晶に触れた。冷たい水晶はコウタの手の中で、妖しく輝いている。


「そういえば……」


 和尚は、しばしばどこかへ出かけていた。そしてそのときは必ず、紫水晶を携えていた。しかし帰還したときに、水晶を持っていたことがあっただろうか。


 もしや、これだろうか。疫病をもたらしているのは、これだろうか。

 そういえば、結界というものの存在を、かつて和尚が教えてくれた。徳の高い僧侶が使う結界。それは特殊な護符を媒介にして、護符で囲った区域を守るためのものだと。

 ならばその逆も……特殊な紫水晶で囲った地を、疫病で満たすことも、可能なのではないか。


 コウタは意を決して、楔を掴んだ。両手でしっかりと握って、ぐいと持ち上げる。楔はコウタの予想を裏切って、いとも簡単に動き出した。

 もう少しで抜ける。そのとき、焦った声が木々の向こうから聞こえた。


「コウタ、それを抜いちゃいかん!」


 和尚が息を切らせて立っていた。いつもの余裕の笑顔が、どこぞへと消え失せている。父の敵にそんな表情をさせたことを誇らしく思いながら、コウタは叫んだ。


「お前の話なんか、もう信じるもんか! この人殺し! 心の内ではおれのこと、馬鹿にしてたんだろ? 親の仇にも気付かない、とんだ間抜けだと侮っていたんだろ!」怒りと悲しみで、顔をぐちゃぐちゃに歪めながら、コウタは叫んだ。「この結界を壊して、おれは村を救うんだ!」


 ぐっと両手に力を込める。楔は音もなく抜け落ちた。

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